Layered Abyss - 05
そして翌日。昼頃に隼人は神社に現れた。
顔色は優れないものの、昨日別れたときよりは幾分かしっかりしているようだ。今日は手が空いているということで、陸も神社に呼び出しておく――本人は何故呼び出されたのか、納得がいかないと言いたげな表情ではあったが。
英二には引き続き、『蔦花』の監視を頼んでいるため、話し合いには不参加だ。ルキと『とおる』を加え、状況の報告と整理のため、律に連絡を取る。昨日の顛末を説明すると、電話の向こう側から返ってきたのは何とも言えない呻き声だ。
『……もう一回確認なんだけど、縁は辿れるんだよね、今も』
「大丈夫」
『そっか、じゃあ元凶としっかり繋がったってことかな。……とはいえなあ……』
「……よく分からないが、松崎 渚とやらの中で死んでいるということになっているという現実があるなら、それに引っ張られてこちらの現実が書き換わる、って事象は起こらないか?」
憮然とした表情で、陸が質問を投げかける。渚の口から、憂凛が死んでいると語られたことを気にしているのだろう。今のところ彼女に特に異常はなく、今日も子育てに追われているのは確認済みだ。
『俺が直接確認したわけじゃないから、断言はしないけど。何かしらの理由があって、渚くんが今の状況に置かれている、という点での整合性を取るため、渚くんの中での認識がそうなったって可能性の方が高いんじゃないかな。そこまでの事象の反転が起きるものじゃないと考えたいな』
「それならまあ……」
「良くはないんですけどね」
『ていうか本当に今のところ、隼人くんのメンタルがヤバイ以外で対処する理由がないっていうのも困りものだよね』
このままでいいわけはない。しかし、渚が生きているという事象が発生して、それによって困ることは起こっていない。調査はしてみるけど、と続けた律の声も困惑している。
誰が何の目的で、渚が生存しているという状況を作り出したのか。
「ちなみに茅嶋さん。これから縁を追ってみるにあたり、何か準備した方がいいでしょうか」
『……え、心の準備……?』
「そんなベタな」
『だってもう追ってみないと分かんないしな。他に影響が出ないんだったらやっぱり、何かしようと思ってそうなってるわけじゃない可能性も否定できないんだよ』
「なんてはた迷惑な」
律の一言に、むっとルキが眉を寄せる。ただ渚を生き返らせただけで何の目的もないとなれば、本当に迷惑なだけだ。ひたすらに振り回されているだけということになってしまう。
そうこうしているうちに恭が起きる時間になったのか、また結果を教えてほしいという一言を残して、律との電話は切れた。暫しの沈黙の後、口を開いたのは陸だ。
「……何にしろ、憂凛たちに悪影響が出るかもしれないのは避けたい」
「ですよね。縁を追うのを手伝っていただけますか? ルキにはさすがに、今日は神社にいてもらわないと」
「そうですね」
燈依がいるとはいえ、連日神社を空ける訳にもいかない。陵の頼みに、ルキは神妙な面持ちで頷いた。境外社にいる『カミ』が朝からルキに泣きついていたので、放置しておくわけにもいかないのだ。
縁を追うとなれば当然、縁が見えている『とおる』の力が必要になる。英二には引き続き『蔦花』の足止めをしてもらうことになる。相変わらずの状態である隼人を連れていくのは心配だが、彼がいなければ縁の先に辿り着けない可能性は高い。引き摺ってでも連れていくしか他に方法が分からない。
「……これで解決すればいいんですが」
「どうだろうな……」
陵の独り言に、小さく陸が返す。何も分からない――結局、それが全てだった。
そうして一行は、隼人と繋がっている謎の縁を追うことになった。『とおる』の道案内で向かった先は、繁華街の一角。あまり人通りのない場所に建っている、こじんまりとした雑居ビル。何となく見覚えがあるな、と陵が考えていると、嫌そうな声で『堕天使』が呟いた。
「……ここ、オークションのところだ」
「え。以前主催者に遭遇したという?」
「うん」
頷いた『堕天使』は、心配そうな視線を隼人に向ける。隼人は先程から、一言も口を開いていない。何を突きつけられるか分からない現状、最も心の準備が必要なのは隼人だ。
このビルに辿り着いたということは、やはり元凶は『感情オークション』を行っていた主催者の『カミ』が元凶と考えて間違いなさそうだ。
「徹、一番縁が強いのはどこです?」
「えーと……地下?」
「さっさと行くぞ」
大きな溜め息を吐いて、陸が先にビルの中に入っていく。『堕天使』と陵に背を押される形で隼人も中に入り、近くの階段から階下へと降りた。
扉の先、室内に繋がる扉は開いている。
特に気に留めることもなく陸が中に入っていき、続いて隼人。そして陵と『堕天使』、『とおる』が中に入ろうとしたところで。
「わっ……!?」
「え」
声と共に、『堕天使』と『とおる』の姿が消え失せる。引き離されたのだと気付くまで、数秒。はっとして室内に視線を戻せば、そこにいたのは中性的な容姿の『カミ』の姿があった。来客である3人を見て、不思議そうに首を傾げている。
「余計な者には帰っていただきましたが、しかし知らない顔がお二方ですね。いらっしゃいませ」
「何なんだお前は」
口火を切ったのは陸だ。半ば『狐』の本性を顕わにしながら、苛立ちのまま言葉を投げかける。相応の威圧感に場の空気が張り詰めていくが、『カミ』は涼しい顔をしていた。
「何、と聞かれましても」
「こっちは本当に訳分かってねえんだよ……!」
「はあ。……それにしても、お久しぶりですね」
ふ、と『カミ』の視線が隼人に向けられた。その視線に、害意は全く感じられない。それどころか、どこか友好的ですらある。
顔面蒼白なまま、しかし何とか、隼人は真っ直ぐに『カミ』を見た。
「……おまえが、やったのか」
「何をでしょうか?」
「っ……」
「死人を生き返らせたのはお前かって話だよ」
「……? ああ」
言葉に詰まった隼人の後を引き取った陸の発言に、『カミ』はようやっと合点がいったらしい。その表情は、場の空気に不釣り合いなほどにこやかだ。満面の笑みとはまた違う、窺うような、或いは機嫌を取るかのような。
「気に入っていただけましたでしょうか?」
その言葉を聞いた瞬間。
ぞわり、と背筋が粟立ったのは、気付いてしまったからだ。隼人の纏う空気が、徐々に変わっていくことに。
「あ? つまりお前がやったってことでいいんだな?」
「ええ、そうですね。御礼としてご用意しました。この間お会いしたときに、血痕を残していかれたでしょう? それが大変面白いものでしたので、是非御礼をと考えまして。ですので、貴方が一番欲しているであろうものを見繕ってみたのですが、いかがでしょうか」
「――そうか」
隼人の声からは、先程までの弱々しさが消えていた。
直感的にまずいと思ったのは、陸も同じだったらしい。陵が駆け寄る前に、その手が隼人の背を捉えていた。いつでも止められるように、という意図が透けて見える。
――血痕。
あの日のことを思い出す。確かに隼人は、怪我を負っていた。交戦したのかと思いきや、己の血を対価にして『カミ』の力を借りた結果とのことで、叱った記憶がある。それをこの『カミ』が回収していて、今回の事象を招いたということらしい。
隼人を狙ってどうこうしようとしたわけではなく、この『カミ』からすれば本当にただの礼のつもりなのだろう。そこに付随してついてくる事態には、全く気を配っていない。
「……今、俺が事情を理解したことで、アイツはいなくなるのか」
「いえ、別に。貴方の為に創ったものなので、既に貴方のものです。貴方がいらないのであれば、そのように伝えればすぐに消えてなくなるものですよ」
「……礼、ということは、アイツがいることで周囲に何か害を及ぼしたりは」
「特には。ただちょっと上手くいかなかった部分もありますので、彼が本当に死人だと知っている人間には認識が難しいかと。その辺りはご了承いただきたい」
「……じゃあ、もしこのまま放置していた場合でも、俺がいらないと思わないかぎりは、アイツは生き続けるのか」
「はい」
「普通の人間のように寿命を全うして、死ぬ?」
「そうです。貴方に差し上げたものですから、今後は貴方の御自由に」
「……成程、知りたかったことは全部分かった」
「信田さん!」
「この馬鹿……!」
陵が叫ぶのと、陸が隼人の口を塞ぐのはほぼ同時だった。
しかし既に事態は進行し続けている。間に合わない。どろりとした変質の気配は、隼人から。――引きずられて、堕ちていく。
「――ところで、私は何か悪いことをしたのでしょうか?」
そう言って少し心配そうに笑う『カミ』の瞳にあるのは、ただただ、善意だけだった。