Layered Abyss - 06
陵からの報告の電話を切って、律はソファに身体を沈めて宙を見上げた。天井がぐるぐると回っているような気がしてしまう。
もたらされた報告の結果は、最悪だ。
隼人を引き戻さなければと思った矢先、『カミ』の手によって気付けば陵は神社の前に戻ってしまっていたらしい。慌てて隼人に電話をしたが、大丈夫だという一言と共に電話は切れたとのことだった。
大丈夫なわけがない。隼人は『サイキッカー』だが、彼が堕ちたとなれば事情は大きく変わる。その先は恐らく『ネクロマンサー』或いは『ソーサラー』だと考えた方がいい。それは彼の身に流れる血がもたらす、イレギュラー。
「……巧都」
「あん?」
「……どこまで分かってたの」
「言ったろうが。理屈で詰めて意味があったか?」
「ちゃんと教えろよ……」
「誰が教えるかよつまんねえ。そもそもやっしー、ちゃんと可能性のひとつとして考えてたことだろ」
「それはそう……」
巧都に文句を言っても仕方がない。だが、可能性のひとつとして考えたとはいえ、本当にそんなことが有り得るとは思っていなかったのだ。
善悪の基準は、当然のことだがヒトと『カミ』では大きく異なる。ヒトの持つ倫理観が『カミ』にも適応されると考えるのは、前提から間違っているのだ。だからこそ今回の『カミ』は本当に、ただの善意として、隼人が失ったものを与えようと考えたのだろう。それが最も喜ばれるはずだと、そう考えたからこそ。
そこに何の感情が生まれようと、『カミ』には関係がない。
「……人間の理屈で考えても仕方ないことだった、ってことは理解した……」
「ははっ。で? どうすんだ?」
「どうしようね……、いやどうしたってこのままにはできないんだけどさ……」
「何で」
「恭くんが渚くんに呪われてるからだよ」
問いに間髪入れずに返した律の返答に、巧都は面白そうに口元を歪ませた。
何がどうあっても、恭が手酷く傷つくことになるのは目に見えている。誰にも迷惑がかからないなら、このまま渚を生かしておこう、ということはできない。とはいえ大きな問題を引き起こす存在ではないので、律にとってこの事象は『仕事』に当てはまることはないだろう。動くとすれば、これは完全に私情だ。
陵からの報告が確かであれば、「本当に死人だと知っている人間には認識が難しい」と言っていた。しかし隼人は勿論、陵や英二、今回関わった者のほとんどは、渚の葬儀に参列していたり、律から話を聞いて渚の死を把握している。
となれば、その言葉が指す、見えないとされる理由は何か。
「……恐らくだけど、現状、俺にも恭くんにも、多分憂凛ちゃんにも、かな。渚くんのことは見えない」
「ほう?」
「俺は遺骨見てるし、憂凛ちゃんは骨上げ参加したって聞いてる。そして恭くんは、渚くんを殺したっていう意識が強い。けど他は伝聞で聞いてたり、実際に本物の遺体や遺骨を見てない。それが条件で、だから俺たちが見えないとすれば、渚くんの認識としては自分のことが見えない人間はイコールで死んだことになってる可能性が高いなと思って……だから憂凛ちゃんが死んだことになっている」
「成程。それで?」
「……他の人には見えている。渚くんは生きて生活をしている。松崎 渚という人間が見えないのは、ごく少数だ。……そう考えると、いずれ認識が反転してもおかしくはない」
時が経てば、渚が死者であるという認識は徐々に薄れていくだろう。
そうなれば、幾ら気を付けていても、どこからか渚の話は恭の耳に入る。或いは仲間内が黙っていても、予想だにしていなかったところから情報が恭の耳に入る可能性もある。――いずれ、恭はこの事態を知ることになる。
死んだはずの渚が、生きている。そいの事実は、必ず恭に牙を剥く現実だ。
「……恭くんにとって、ずっと、渚くんがトラウマなのは」
「おう」
「……っ、何かあったら、そのときは殺してくれって、頼まれてるからだと、俺は考えてる……」
口にした言葉は、思ったよりも震えていた。その情けなさに、思わず笑ってしまいたくなる。
それは渚が恭に伝えた遺言だ。その言葉に従う形で、恭は渚を『殺す』ことになった。『カミ』の『ケンゾク』と化した渚に促される形で、確かに『殺した』結果、消えない傷を抱え続けている。
この間、恭は渚の姿を見掛けたとき、恭は大人しく律に従ってくれた。しかしそれは、恭自身が「有り得ない」と否定できたからだ。実際にそこに存在していると、そう確信できなかったから。
そして数年前にも、恭は渚の幻影に出遭っている。そのときは律が不在で、恭の世話を任された英二と陵が逃がそうとしてくれた。しかしそのときは、恭は二人の言うことを聞かずに立ち向かったのだと聞いた。恐らくそれは、目の前に間違いなく渚と認識できる存在が、確かにいたからだ。
――見方を変えれば、恭はそのとき渚から逃げることができなかったのだと、律は思っている。渚の意思に反して、松崎 渚という人間を利用されること。そして恭は、それを赦してはならないと、呪われ続けている。
――その呪いが解けることは、この先もないだろう。その言葉を否定することは、あの日の恭の行いを否定することになってしまうから。
「つっても、見えねえなら弟クンにはどうしようもねえだろ」
「……分かってて意地が悪いよ、巧都」
「んー?」
「渚くんが生きている、という事象があることを知れば、恭くんの認識は絶対に、書き換わる。……だって、殺さなくちゃいけないから」
それが、渚の呪いだから。
二度と恭に、あのときと同じことをさせるわけにはいかない。どうにか先手を打たなければならないが、隼人が『彼方』に引き摺られている今、どんな手段を使ってでも渚を守ろうとするだろう。何度も友人を失う苦しみを味わうことのないように。きっと、今度こそはと願って。
だから、相容れない。
隼人の気持ちは、痛いほど理解できる。それでも――律は、恭を守ることを優先する。
「大変そうだなあ。やっしーが苦しんでて俺は楽しい」
「くっそ……。俺なんか悪いことしたかな……いやまあ結構してるか……」
「ま、頑張れ? ということで、今朝の朝食ビュッフェはもらうぞ」
「好きにして……」
――日本に帰りたくないな、と。
一瞬だけ考えてしまって、律は大きく息を吐き出した。