Layered Abyss - 01
こんこん、とノックの音が響いて、律は書類から顔を上げた。ゲームに興じていた恭も、同じようにゲーム機から顔を上げて、律の方へと視線を向ける。
「……ホテルのスタッフさん?」
「ルームサービス系は断ってるでしょ、絶対違うな。お客さんだね」
「出ていいすか」
「いいよ」
扉の向こうから、殺意や敵意のようなものは感じられない。大丈夫だろうと判断して頷けば、はあいと返事をして恭が扉へと向かう。がちゃりと鍵の開く音に、扉がある方向を覗き込んで。
――視界に入ったのは、恭の向こう側に2人の男がいる光景。
ああ、とすぐに合点する。どうやら、律と恭の居場所は把握していたらしい。
「……あ!? 爆破の人だ!? あ、日本語通じないんだった、えーっと」
「いいよ恭くん、ありがとう。――いらっしゃいモルテン、ヘルト」
「まさかこんな長期間再会できないとは思ってなかったよ、カヤシマ」
「意外だったなー。なかなか性格ー、悪いね?」
憮然とした表情の『サイコジャッカー』、ヘルト=ヴェーメル。
そして楽しそうに笑う『シャーマン』、モルテン=ニーグレーンが、そこに立っていた。
昨日、改めてリノから『後はよろしく』と連絡をもらっていたので、近々来るだろうなとは思っていた。まさか昨日の今日で現れるとは思っていなかったが、初対面から1年が経過しているのだ。彼らとしては、早急に律と再会する必要があっただろう。
会話がすべて英語になってしまうため、通訳を聞くべく片耳にイヤホンをつける恭を横目に、律は部屋のソファを二人に勧めた。出せるのはアメニティとして置かれている紅茶くらいだが、家ではないので他のものを出しようがない。
「随分時間かかったね」
「いやそもそもアイツは反則だろ……、居場所掴む頃にはもう移動してやがる……。向こうが飽きてくれたから見つけられたんだってことくらい、俺らは理解してるよ……」
「結構。どうやら先方も君たちに興味持っちゃったみたいで。こちらの想定以上に気に入って連れ回してくれた感じだったよ、申し訳ない」
「興味ねー、持たれたくないねえ。ああでも、つまりはー、私らの調査も兼ねたってことだね?」
「勿論」
――とはいえ、リノはリノで、あまり情報を教えてはくれなかったが。それはわざわざ話すことではないので、黙っておく。
1年の期間があったのだ、律のところにもそれなりに情報は集まっている。最初から一貫してモルテンの情報は何も入らなかったが、ヘルトの素性は割れた。そして彼らの目的であるヘルトの姉のことも――彼らが逃げ出したという集落のことも。
「対価として仕事を手伝ってもらう話は、とりあえず保留かな。こちらも時間をかけすぎたお詫びをしないとね。君たちの依頼を先に片付けようと思う」
「そりゃあありがたい話だな」
「ま、後払いできっちり支払いはしてもらうけど。ただひとつ、条件がある」
「条件?」
「一切嘘を吐かず、本当の話をしてくれる?」
にこり。笑んで告げた言葉に、ヘルトの表情がぴくりと動いた。
彼らは最初の時点から、全てを話してくれたわけではない。元より律が依頼を受けるかどうかも分からなかったのだ。何もかもあけすけに話す必要はないと言われたら、否定はできない。だからこそ、正式に依頼として受けるとなれば、話してもらう必要がある。
これから律が、そして恭が、相手にしなければならないものの全貌を。
ヘルトの視線が、律からモルテンへと移される。まるで助けを求めるかのようなその動きに、モルテンは笑った。
「――まあ、そりゃそうだよねえ。じゃあ、話をしようかな。でも、どこから?」
「君がヘルトの集落に引っ越してくることになった理由から、でどう?」
「なるほど? じゃあー、調べはついたと?」
「そうだね。何も調べられないってことは分かったよ」
律の答えに、モルテンが笑う。怪訝な表情になったのはヘルトだ。その反応で、察する――ヘルトは、モルテンが抱えている事情を、案外知らない可能性が高い。
ヘルトが口を開く前に、モルテンがヘルトへと視線を向けた。その目を見たヘルトが、堪えるかのように口を閉じる。
「出直そうかー、ヘルト。今日は私たちも疲れているしね」
「でも」
「考えてもごらん、私たちは1年かかっちゃったんだよ? 1日2日程度、誤差の範疇だよ。ということでー、カヤシマ。明日改めて……でいいのかな?」
「構わないよ、予定空けとく。……ああそうだ、申し訳ないんだけど、ひとつお願いできないかな」
律の一言に、ヘルトが首を傾げる。その表情に若干の苛立ちの気配を感じて、律は薄く笑った。この期に及んで、という気持ちがあるのは当然だ。
無理難題を押し付ける気はない。だが、可能であればその方がいい。
「ねえモルテン。……俺と二人で、話はできる?」
そして翌日。
夕方に近い時間帯に、モルテンは律が指定したカフェに現れた。恭には少し離れたところで待機してもらっているので、カフェでモルテンと二人で向かい合う形となる。律の前にコーヒー、モルテンの前にはオレンジジュースが届けられてから、律は口を開いた。
「ヘルトは?」
「約束だからねー、置いてきた。ま、だいぶ渋ってたけどねー」
「あはは。彼、俺のことあんまり信用してなさそうだからなあ。ありがとう」
「ま、私が呼べばー、すぐ飛んでくるよ。それはー、カヤシマの方も同じだろう?」
「まあ、そうだね。そこはお互い様ということで」
モルテン=ニーグレーン。幾ら調べても、何の痕跡も出てこなかった男。
生きている限り、何の痕跡も残さないのは不可能だ。どれだけ入念にその痕跡を消したとしても、どこかで必ず綻びは発生する。生まれてから今まで、何の痕跡も残らないなど有り得ない。
だからこそリノは、モルテンの『カミ』に着目したのだろう。
「で? 私に何の話?」
「いや、単にヘルトがいるとしづらそうな話を聞きたいなあ、と思って」
「へえ」
「モルテン=ニーグレーン。君が連れている『カミ』は、何?」
敢えて淡々と。何の感情も込めずに、律は問う。笑ったモルテンが、オレンジジュースに手を付けた。
存在を喰らい、痕跡を喰らい、存在しているモノ。
リノはその『カミ』を、そう評していた。実際、そうなのであれば説明はつく。余すことなく喰らわれ続けている――だから、何も残らない。
「何、ねえ?」
「恐らく君の存在の痕跡を喰らうことで存在しているのだろう、という予想まではした。でもあまりそんな話は聞いたことがない。君が力を借りる対価としてそれを差し出している、というのは勿論有り得るけれど、どうにもそういうものじゃない気がして」
「対価。うん、まあ『カミ』に力を借りるなら、通常対価は持ってかれるものね」
「でも交戦した限り、それを対価とするなら、君が借りている力は見合わない」
「……なあるほど? でもそれはー、私が真の力を隠してるかも?」
「だとしたらあの日、君は俺のことを殺してたと思うよ。わざわざ俺に助力を乞う必要ないでしょう」
「はは、いいねえ」
からからと楽しげにモルテンは笑う。コーヒーを飲みつつ、律はその表情を観察していた。予想が当たっているのかどうかすら、定かではない。律の言葉に、この男は果たしてどう出てくるのかという部分は、不確定要素が多すぎる。
これは、一挙手一投足、ひとつも見逃すことを許されない交渉だ。
「……うん。その問いに私が答えるとすればね、カヤシマ」
「何?」
「コレが何なのか、私にも分からない――だ」
にこにこと、モルテンは笑顔を崩さない。嘘か真か、全く読めない。
黙った律が何を考えているか、モルテンには分かったのだろう。少しだけ困ったように眉を下げ、グラスの中のストローをくるりと回す。
「何か分からない『カミ』を連れてー、それの力を借りている。というのは、『ウィザード』には考えられないかもしれないけれどね」
「……まあ、それはね」
「だけどー、それは本当。私はアレを説明できない。言うなら仇という言葉が一番近いような気もするかなー」
「仇?」
思いがけない単語が聞こえて、思わず聞き返す。頷いたモルテンの表情から、笑みが抜け落ちていく。
「……カヤシマ、ヘルトを外させたのは正解だよ。これからする話、ヘルトには黙っていてもらえる?」
「必要に迫られたら話す可能性はあるよ」
「つれないなー。軽々しく約束してくれないのはまあ、なるほど『ウィザード』だねー」
「つまり、君の『カミ』はヘルトに関連がある?」
「あるかもしれないし、ないかもしれない。としか答えられないかなー?」
「……分かった。話を聞かせてもらえる?」
律の返答に、モルテンは小さく頷いて。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「あー……」
「……大丈夫すか? 律さん」
「あっちもこっちも地獄だよもう……」
モルテンとの話の後、律は恭と合流してホテルへと戻っていた。別件の調査も進めようと思っていたのだが、とてもそんな気分にはなれない。
――思っていたより大きな事象に巻き込まれてしまった、というのが律の感想である。
普段であれば、絶対に関わらないこと。手出しはしないこと。そういったことに、巻き込まれている。もっと早くこうなると分かっていればとは思うが、調べる手段を持ち合わせていなかったので仕方がない。どう転んでも、モルテンから話を聞く他、情報の入手手段はなかった。
「俺聞いてもいいやつ?」
「あー……話す……けどちょっと整理して上手く噛み砕けるまで待って……」
「そんなややこしいやつすか」
「……ややこしい、っていうか……うーん」
話自体はとてもシンプルで、これからやることも明白だ。勿体ぶるようなことでもない。ただ問題は、それに付随している事柄だ。
ちらり、と恭を見る。きょとんとして首を傾げている恭は、まだ何も知らない。いっそ知らない方が恭のためではないかとすら思ってしまう。
「……楽しい話じゃないのは確か」
「そりゃまあお仕事だし……?」
「てかさー……俺今ちょっと別件で恭くんに言ってない話もあって……」
「は?」
途端むっとした表情になる恭に、律は苦笑う。隠している――話すタイミングが分からない。このまま何も知らずに済むなら、それに越したことはない。しかし律といる限り、いずれ恭も知ることになるだろう。
――そんな爆弾を抱えたまま、今回の案件を、恭とどう対処するか。それが問題だ。
「……考えれば考えるほど、恭くん俺と一緒に」
「辞めない」
「俺まだ言ってない……」
「何か聞いたら俺がヤバイ話なんだろうなってことは分かるっすよ。だから律さん隠してるんでしょ」
「うんまあ……」
「相棒辞めろってもう言わないって言ったくせにそういうのなしっすよ。辞めたら俺は傷つかないかもだけど、律さんがぼろぼろになったら結局俺はそれが嫌だから、辞めない。次言ったら朝のジョギング付き合わせる」
「死んでもヤだ……ごめんもう言わない……」
もうひとつの案件のことは、一旦置いておくしかない。どちらにしろ、日本に戻らないかぎり進展のない案件ということにはなる。考えておかなければならないことではあるが、今のところ事態はこれ以上進展しない――とは思いたいので。
溜め息ひとつ。ひとまずは、モルテンとヘルトの案件について考えるのが最優先だ。優先順位を間違えてはならない。
そして、仕事に私情を挟み過ぎてはならない。
「……とりあえず、今引き受けてる仕事全部片づけるところから考えようか」
「はーい。あと何個あるんだっけ」
「5件かな。今週中にそれ片付けて、あの二人の依頼を進めよう」
「はーい」
いくら考えてもなるようにしかならない――今は。
どうか傷が深くなりませんように。律が願えるのは、それだけだった。