Trailing Dread - 01
「律さん起きて!」
「……うるさ……」
急に耳に届いた大音量に、思わず布団を手繰って頭からかぶる。海外出張中ならともかく、自宅で大音量に起こされるとは思っていなかった。
もう、と呆れた恭の声が聞こえて、直後、思い切り布団を引き剥がされる。
「……ひどくない……?」
「起きて! なかみーも来てるから!」
「……? 何でなかみー……?」
「俺が相談したから!」
「相談……?」
一体何を相談したのだろうと思いつつ、二度寝は諦めて目を開く。時間を確認――まだ午前の早い時間帯だ。恐らく、恭はいつも通りに神社へトレーニングに行ったはずだ。そしてその帰りに陵と共に茅嶋家まで来た、という形だろう。
さすがに陵が来ているなら、このまま放置しておくわけにもいかない。朝方近くまで作業をするべきではなかったなと思いつつ、欠伸をひとつ。
「……最低限身なり整えさせて……リビング?」
「や、いつもの応接間っす」
「はあい……」
こんな時間から、陵が恭の相談を受けてわざわざ来訪したのだ。確実に良い話ではないだろう。そもそも、恭は何を相談したのだろうか。その相談を受けて、陵は話を律に報告すべきだと判断したのだろう。しかし、相談の内容には見当がつかない。
面倒ごとの気配に、大きく息を吐いて。観念した律は、ベッドから起き上がったのだった。
桜と咲の顔を見にリビングに寄ってから、律は応接間に顔を出した。先に戻っていた恭と共に待っていた陵が、律の顔を見て苦笑う。
「昨日は何時就寝ですか?」
「聞かないで……。珍しいね、なかみーがわざわざ来るの」
「柳川くんの話を聞いて、気になったことがありまして。ついでに茅嶋さんのお耳に入れておいた方がいい話もあったので」
「そうだ、恭くん。どうしたの、相談したって」
「えーっと……」
ひとまず、話の発端は恭だ。二人の視線を受けて、恭が言い淀む。言いにくい話なのだろうかと思いつつ、律は二人の対面のソファに腰を下ろした。
しばらく唸った後、恭は困ったように眉を寄せて。
「……たぶん! 絶対! 気のせいだと! ……思いたいんすけど……」
「うん」
「あのー……3日ぐらい連続で……ちょっと、松崎先輩の姿見て……」
「……渚くん?」
「いやでもそんなん有り得ないじゃないすか! ない、ない……絶対ない……」
ぼそぼそと自信なさげに、どこか自分に言い聞かせるように恭が言葉を紡ぐ。へえ、と返事をしつつも、律の心の表面がざわりと粟立った。
松崎先輩――松崎 渚。
その姿を恭に見せる時点で、悪意しか感じられない。とはいえ、恭自身も何度か痛い思いをさせられていることもある。後を追ったり、一人で調べたりという行動に出なかったのは、無意識下の警戒故だろう。
この話を聞いてしまえば、陵がまず律への報告を選ぶのは理解できる。何者かが恭に手出しをしようとしているのは明確だ。
「それでなかみー一緒に来てくれたんだ」
「道中で出会う可能性もありましたから。あと、実はその前に丁野さんから妙な話を聞いていまして。何か関連があるかもしれません」
「妙な話?」
「曰く、大切な人が帰ってくる、と」
「……まーたそれ系?」
眉を寄せる律に、はい、と神妙な面持ちで陵が頷く。それだけで英二が何故その話を陵に持っていったのか、律には想像がついた。
――そういった事象に、ルキは弱い。
先日の村の一件もそうだ。恐らく、ルキはそこを衝かれて住人になりかけた。『鬼』の本質を露わにしなければ、自分の身を守ることができなかった。あれは、そういう事象だった。
英二によると、それは生死を問わず、絶縁した相手が帰ってくるというものなのだという。更には、そうして帰ってきた人間はどんなに粗暴な性格の者でも、人が変わったように優しくなっている、とのことらしい。
「それはもう姿形が同じ別人なんだよな……」
「そうですね。似たような情報、茅嶋さんは聞かれていませんか?」
「俺は直近でそんな話は全く聞いてないな」
何らかの『怪異』が絡んでいるとしか考えられない。だがこのところ、仕事関連で似たような話を聞いた覚えは全くない。律としても恭のメンタル面を考えてしまうので、そういった案件には若干過敏にアンテナを張っている自覚はある。取りこぼしている、ということはないはずだ。
情報源が英二なのであれば、直接聞いた方が話は早い。連絡を取って恭のことを話したところ、すぐに調べつつ合流に向かうとの返答が返ってきた。恭の身に何か起きる可能性があるとなれば、英二の反応も早い。
「すいませんっす……変なことに巻き込まれちゃって……」
「気にしない気にしない。変なことに巻き込まれるのはいつものことだしね」
「うぐ」
「しかし、そうなるとやはり柳川くんの外出はあまり勧められませんね。ルキもですが」
「ルキくんどうしてるの?」
「神社から出ないように話はしていますよ。直接言うと勘繰られますから、遠回しにですが」
昼食の用意を頼んできました、という陵の対応は正しいだろう。ルキの場合も、神社の外に出てしまえば何に出遭うか分からない。出遭ってしまったら、ルキはそれを放置することはしないだろう。恭のように有り得ない、と判断したとしても、誰かに話をすることもなく動き出してしまうことが容易に想像できる。
「……えっと、とりあえず俺、外出ない方がいい?」
「家で子守してなさい。大丈夫、すぐ解決してあげるから」
「うー……お願いするっす……」
しょんぼりとする恭に笑いつつ。自分で解決する、と言い出さないのは、やはり相手が渚の姿をしているからだろう。あまり相対したい相手ではないはずだ。
とはいえ、いつまでも自宅待機させておくわけにもいかない。それなりに仕事はあるのだ――日本にいる間は現場関係の実務の半分ほどは恭と禮知に任せているので、ここで止まってしまうと律としても困ったことになる。早く片付けておくに越したことはない。
ひとまず、動きを決めるのは情報源である英二から聞ける話を聞いてからだ。
「何も分からんかった」
「役立たずが過ぎる」
その後、英二が合流したものの、陵から聞いた以上の情報は得られなかった。
恭を自宅まで送り、その後3人で再度調査しようという話になる。何の成果もなかった英二はやさぐれていたが、呑気に構っている時間はない。
自宅に入っていく恭の背中を見送った後、さて、と律は周囲を見回した。神経を尖らせれば、いくつかの違和感は拾い出せる。その感覚に従って歩を進めた先に、『それ』は存在していた。
朧げな影。
「……成程。なかみー、あれ見える?」
「ええと……黒い人影、ですか?」
「それかな。恭くんに話聞いたせいか、俺には渚くんに見えてるけど」
「えっ待て、二人とも何が見えてるんだ」
英二には何も見えていないのだろう、きょろきょろと見当違いの方向を見回している。律からすれば、こんなものは見えない方が健全だ。陵が何となく掴めた要因は、恐らく律とは少し違う可能性もある。
いるはずのない松崎 渚の姿をした何かは、ただどこかに向かって歩いている。
「声を掛けてみますか?」
「いや……丁野先生、何も見えてないんだよね?」
「全く」
「なら普通の人にも全く見えてないかも。後追ってみようか。誘い込んでくるかもだし」
「分かりました」
何であれ、放置はできない。害があるかどうかは現時点では何とも言えないが、渚の姿を取って恭の前に現れるだけで充分に害だ。この先もずっと、渚の姿で恭の前に現れ続ける可能性は高い。となれば、どう考えてもいずれ恭は調子を崩してしまう。
だがしかし、しばらく後を追ってはみたものの、その人影は人混みに紛れるようにして消えてしまった。探ってみたが気配すら跡形もなく消えてしまったので、これ以上の追跡は難しい。
「というわけで丁野先生、どう思う?」
「俺には二人が何を追っていたのかも見えないままついてきたんだが?」
「うん、代わりに頭使ってもらって」
「暴言になってないか……? まあ……アレか? 何か姿を映す系の『怪異』ってことか?」
「……前にありましたね、そういうの」
英二の言葉に、陵が眉を寄せる。恐らく陵が思い浮かべた人物と、律が思い浮かべた人物は同じだろう。
「それはない。彼女はもうこの街にいないから」
「だろうな。そういうことはできないようにされているんだろう?」
「詳しくは聞いてないけどね」
「ならそちらの可能性は潰せますね……」
ならば何なのかと陵が首を傾げる。考えたところで、現時点で思い当たるものはない。ちらりと時計を確認すれば、時刻は既に正午に近づいている。
恭のこともそうだが、神社に残しているルキのことも心配だ。陵の帰りが遅くなれば、心配して外に出る可能性も否定できない。となれば、調査は一旦ここで打ち切りだ。
「丁野先生にひとつ調べてほしいことがあるんだけど」
「俺か、何だ?」
「噂の出所。……どう考えても俺のところにはそんな情報入ってなかったから、どうしても気になって。帰って問い合わせはかけてみるけど」
英二が知っていて、だが茅嶋家には届いていない情報。実際にそんな事象は起きておらず、ただ街中で密やかに囁かれているだけの噂なのかもしれないが、何故だか妙に引っかかる。
分かった、と頷く英二に、何か分かったら連絡してもらうように頼み――そこで一旦調査は打ち切り、解散となったのだった。