Chilling Calm - 02
宿泊中のホテルに帰り着く頃には、既に深夜を回っていた。さすがに恭は既に寝ているだろうと判断し、寝室に割り当てている部屋は覗かずに代わりにソファに身を投げる。急激に疲労に襲われて、律はゆっくりと瞬いた。思っているよりもかなり神経が張り詰めていたらしい。
帰り道でも、『院』は静かなものだった。人を見掛けないということはなかったが、明らかに数が少ない。話ができるような顔見知りには会えなかったこともあり、情報収集は出来ず仕舞いだ。
改革――それで『院』の人員が減少しているならば、果たして減った『ウィザード』はどこに行ったのか。
最悪の予想が、先に頭にちらついてしまう。さすがにそこまでしていれば、いかにレイラとて糾弾は避けられないだろう。だからこそ、それはないと考えたい。
だが、『院』の情報を持つ者をおいそれと外に追放することもそれほど多くはないだろう。わざわざ死した『ロード』を骨さえ残さず存在ごと消失させるような場所だ。情報の秘匿に関してはずば抜けている。先日律を狙った『院』を追放された『ウィザード』だったのであろう『ソーサラー』も、『院』のことについて口を割るようには見えなかった。何らかの契約に基づいているのか、別の何かなのか。時期的に彼が追放されたのはレイラが『ロード』となるよりも前だろうが、彼女はその頃元帥であっただろうことを鑑みれば、無関係ではない可能性は高い。
或いは――或いは。ひとつずつ可能性を思い浮かべてはみるものの、決定打は何もない。『院』の中のことは関係ない、と割り切ってしまえばいいことは重々承知しているが、どうしても気になってしまう。
だから、レイラは少しだけ話してくれたのだろう。詳細は避けて、律が気になるように。
「えらくお悩みだな」
「……巧都」
「とっとと寝てねえと、弟クンに怒られるんじゃね?」
「分かってるよ……」
降ってきた声に視線を動かせば、対面のソファに巧都がふんぞり返っているのが見えた。起き上がる気にもなれずに、律はそのまま肘掛けを枕にして顔を伏せる。
疲れている。眠気もある。それでも、頭の一部が妙に冴えていて、簡単には眠れそうにない。
「……巧都、前に言ってたよね」
「何を」
「俺がピアノやってなきゃ、レイラと似たようなもんだっただろう、みたいなこと」
「あー。やっしーとあの女が似てる話か?」
「それ以外にも思うところ、ある?」
「それは俺に対価取られてもいいっつー覚悟がある質問か?」
「いや、眠気に任せた与太話」
――もし、思考が似ているという話でもあるのなら、と考える。
果たして自分が今、『院』の『ロード』だとしたら。何をどう考え、選択し、行動するだろうか。そしてどういう理由で、律を元帥として欲しがるだろうか。
思考するための鍵のひとつとして、その考え方もまた、有用ではあるのではないだろうか。とはいえ、どうにも頭は上手く回らない。明日になれば、考えるべきは明日の仕事のことだ。今のうちにできる限り思考をまとめておきたいところではあるのだが。
「……俺はさ。あの人のこと、実力の底が見えない怖い相手だと思ってるとこ、あるんだけど」
「ん?」
「意外と、立場があるからこその虚勢もあるのかな……いやでもあの人強いでしょ……」
「さてなあ。お前が言う『強い』がどういう意味かにもよるんじゃねえの」
「ん-……」
例えば、と考えたとき、頭に浮かぶのは母のことだ。
茅嶋 雪乃。かつて世界で5本の指に入る実力者と謳われた『ウィザード』。比較して、レイラはどうだろうか。考えてはみるものの、あまりにも材料が少ない。律がレイラの魔術を見たのは二度――そしてそのどちらも、戦闘の場面ではない。
何らかの理由をつけて一度手合わせしてみれば、見えてくるものもあるだろうか。しかし、今の状況では条件に元帥の座がついてきそうなのがネックだ。
「あー……めんっどくさ……」
「ははっ。ま、例の本の解読は順調なんだろ。そっから糸口掴めりゃいいな?」
「……内容全部知ってる巧都にそれ言われると変に期待するからやめて……」
律の訴えに、声を上げて巧都が笑う。本気で言われているのか、意地悪で言われているのか、全く見えないからこの『カミ』は厄介だ。
――それでも。
何故パトリック=バレットは、律に己の魔術書を引き継ぐことにしたのか。確かに、そこから見えてくるものがある可能性がないわけではないので。
「……やれること頑張るしか、今は道がないな……」
小さく呟いて、律は目を閉じた。
どうやらソファでそのまま寝落ちてしまったらしい。
「起こしてくれればよかったのに……」
「めっちゃよく寝てたんすもん。あと寝起きの律さん怖いから嫌っす」
「真顔で言われた……」
目が覚めると、既に昼前だった。とっくに起きていた恭が布団を掛けてくれたお陰で、体調を崩しているといったことはなさそうだ。だがしかし、何せ体が痛い。スーツがかなりしわになってしまっている。せめてジャケットを脱いでおけばよかった、と今更思っても遅い。
ごはん、と差し出されたヨーグルトをちまちまとつまみつつ、溜め息をひとつ。寝る直前まで考え事をしてしまったせいか、頭が重い。
「んで? 今回は『院』で何があったんすか?」
「それがびっくり、何と報告と雑談だけで終わった」
「……ほんとっすか……? また何か無茶言われてるのでは……?」
「言われてない。また何かあったら仕事の依頼は来ると思うけど」
「ふーん……」
「……すごい疑いの視線を向けられている……」
「最近の律さん、隠し事多すぎるんすよ。フツーに日頃の行い!」
「はい……」
何もなかったのは事実だ。『院』の現在の内情に気になる部分はある者の、今現在自分たちが関係するようなことではない。そしてできることなら、この先も関係ないままであってほしい話だ。
どう転んでも、『院』に属する――という選択肢が生まれることはない、と考えてはいるので。
「相変わらずNo.2には誘われてるんすか?」
「うん。諦めてくれないねー。俺が人の下で働けるような人間に見えるのかって話で」
「えっ断ってる理由それっすか!?」
「まあ冗談だけど」
「びっくりした……それならトップになるなら『院』入ってもいいのかと思った……」
「お。それ面白いな」
「いや全然面白くはないと思うんすけど」
むう、と眉を寄せた恭に笑いつつ。それでも確かに、もし『ロード』の打診をされていたら、自分はどうしていただろうか。無論元帥と同様、自身には荷の重い話であり、そして引き受けたくもない立場であることに変わりはないのだが。
溜め息のように息を吐き出して、思考を切り替える。いつまでも『院』のことばかり考えてはいられない。今日の仕事へと頭を切り替えておかなければ、余計なことを考えてしまう。思考の隙は、致命傷になる危険性を孕んでしまうので。
「さーて、仕事の話しよっか。何するか話してたっけ?」
「何かどっかの洞窟がなんちゃらって話だった気がする」
「そうそう、えっとね――」
何が起きていても、こうして律の日常は続いていくのだから。