Mellow Respite - 閑話02

凍月の話

「月、綺麗ですねえ」
「なんそれ、嫌味?」
「え、あっ!? そういう意味ちゃいますよ!?」

 夜空を見上げてぽつりと呟いた侑宏の一言に、低い声で返せば慌てた否定が降ってくる。分かってるよ、と笑って欠伸をひとつ。このところ徹夜で作業を続けていたこともあり、かなり疲労が溜まっている。最後の詰めだから、と集中してしまうと時間を忘れるのは悪い癖だ。無理はするものではないな、と思いながら。
 ――お陰で、出来は完璧だ。素直にそう思える。

「あっくん明日頼むね、配達」
「はーい。朱緋さんはちょっと寝てくださいよ」
「さすがに一日寝たいな……。明日は店もお休みやねえ」
「絶対ですよ!」
「分かってるって」

 食い気味に訴えてくる侑宏に、朱緋は苦笑を漏らす。この体調ではろくな接客もできそうにない。わざわざ店を開けて、醜態を晒す必要はないだろう。何より最近は店のことを侑宏に任せきっていたので、若干の浦島太郎状態だ。
 年末年始の繁忙期までには本調子に戻りたいところだな、と考えながら朱緋は空を見上げた。夜空にぽっかりと空いた白銀の穴は、いつもと変わらずに自分を見下ろしている。胸に渦巻く嫌悪感も、いつもと変わりはない。

「……なんやろなあ」
「朱緋さん?」
「僕もちょっと頑張らなあかんよねえ」
「えっ何を? 朱緋さん毎日頑張ってはるやん」
「うーん、何かそういうんじゃなくて」

 ずっと逃げている。それは家業から、そして己の宿業から。上手く向き合うことは、この先もきっとできはしないのだろう。
 ――それでも。
 家を継ぐことは了承した。だから家の仕事も多少は引き受けているし、それを前提として今、朱緋の生活は成り立っている。店のことは侑宏も分かっているという安心感もあり、その辺りの分担もきちんとできているとは思う。

「……何か新しいことやっていくんもええかなあ、と思ったり?」
「お? 朱緋さん何か考えてはるん?」
「ぼんやり、やけどね」

 服を作るのが、好きだ。
 そこに落とし込んだ自分の能力を、有用だと認めてくれる人がいる。価値があるものだと認めてくれる人がいる。今回朱緋のところに舞い込んできた依頼は、そういうものだ。家業を変えることはできなくても、この先何も変わらないとしても、朱緋自身がもうひとつ、別の道を見出すことができたなら。
 月ヶ瀬は『陰』の家。そうで在り続ける宿命。
 それでもいつか。細い糸を繋いでいくことができたなら、いつかは。
 そこまで考えて、すぐに否定しそうになる。血筋が連綿と続いてきた中で、誰も同じことを考えなかったとは思えない。事実として、拒絶の結果最悪の事態を招くことになったのは、朱緋自身だ。何を考えたところで結局何の意味もなく、月夜の闇に呑まれるだけかもしれない。
 そう考えて、息を吐く。白い息が、夜空に溶けていく。

「……夢見るんは、別に自由やんね」
「当たり前やないですか」

 朱緋の独り言に、柔らかく侑宏が笑った。