Defiled Bliss - 閑話01

対峙の話

 術が解けたとはいえ、律が倒れた直接の原因は魔術の長時間連続使用に起因する過労である。
 桜に怒られ、椿にも怒られ、芹には呆れられて肩身が狭い。ちゃんと話すつもりだったんだけどなとぼやけば、倒れるようなことになる前にまず相談しろと言い返されてしまった。その通りではあるので、返す言葉もない。
 休養を挟み、迷惑を掛けてしまった陵と英二には報酬という名目で、お礼の菓子折りを持参した。さすがにこれだけでは報酬としては不足しているので、ある程度他のことで補填はする予定だ。結局何が起きていたのかということを詰められはしたが、まだ何も聞いていないので分からないという返答しかできなかった。実際、その時点で分かっていたのは相手が『ソーサラー』であること、幾つかの名前を使い分けて生きてきたらしいこと、そして律をかなり長期間追跡していたらしいことだけだ。
 事態が動いたのは、律の体調が問題ないと言えるレベルまで回復したころ。警察から、どうしても男が何も話そうとしないという連絡を受けた。もしかしたら律相手であれば何かしら話すのではないかという要請を受け、律は直接出向くことになったのだった。

「……まーじで行くんすか?」
「ご指名されちゃうとねー。それに俺も、何で狙われたのかは気になってるし」
「もー……俺終わるまで待ってるっすからね?」
「うん、お願い」

 恭とのそんなやり取りを経て、律は男が勾留されている場所へと足を運んだのだった。
 牢の柵越しに対峙した相手は、律を見て唇を歪める。治外法権である場だ、男からは自白させるために様々な術が試された痕跡が感じられた。元より感情オークションと関連があるのは明白だ、警察としても男から追えるのではないかという目論見もあったのだろう。それだけのことをされて何一つ吐かなかった胆力は恐れ入る。恐らく、精神操作系で自白させることもできなかったのだろう。
 さて、と律は用意されたパイプ椅子に腰掛ける。正面からまじまじと男を見たものの、やはり見覚えはない。

「……俺としては初めまして。知ってると思いますが、茅嶋 律と申します。……何とお呼びすれば?」
「名に意味はない。名乗る名は持ち合わせちゃいない」
「そうですか。堕ちても魔術師は魔術師、そう簡単に名を明かさないと。まあ、それならそれでいいですが」

 名を知ったところで、この男相手に何かしらの誓約を結ぶことは難しいだろう。魔術を扱う者同士となれば、『ウィザード』であれ『ソーサラー』であれ、その辺りの相性は悪い。

「貴方の香炉改変に関する術式の記載を一通り拝見しましたが、大変興味深かったです。『カミ』が創った道具をあそこまで改変するのは、さぞ大変だったでしょう」
「……」
「絶望が濃縮されている、転じて幸福をブラックホールのように吸収してしまう。反転の発想としては面白いですよね、俺としては参考にしたくはないですけど」
「……」
「で、いつまでだんまりで? ――話しましょうよ、ずっと俺のことを探ってたんでしょう。最初で最後のチャンスかもしれませんよ」

 ね、と律は笑う。今回の事件の場合、この男から被害を受けたと確定しているのは律と、調査してくれた友人たちだけだ。今のままでは、それほど重い処分が下されることもないだろう。となれば、彼に対する対処は律自身で行うことになる。接近禁止の処置を施したところで、この男にどれだけの効力があるかも分からない。
 まともに対峙すれば、相当な実力者。実際かなり苦戦したのだろうなと考えると、申し訳ない気持ちが先立ってしまう。

「……話すことはない。お前の面を拝めて僥倖だ、とでも言っておこう」
「つれないな。……俺を殺そうとしておいて話すことがないと言われても。俺にはありますよ」
「そうか。殺せなくて残念だ」
「最初は誰かの差し金かと思ってたんですけど。少なくともこの2、3年は俺のことをつけ回してたらしいじゃないですか。となると個人的な恨みですよね」

 ゴミ箱いっぱいに入っていた、破り捨てられた律の写真。
 捜査に当たり、警察はその写真をできる限り復元していた。ゆうに3桁を超える写真の量、そしてその裏には様々な術式が書きこまれていた。それを触媒として、香炉の術の効果を律に限定させたのだろうことは読み取れている。

「俺が恨まれるのはいつものことなので、そんなに気にしてない……って言うとちょっと変ですね。まあでも、それにしたって殺されるほど恨まれるって、何かありましたっけ? 覚えてないだけでどこかで会ったのかなってずっと考えてたんですけど」

 例えば律が捕らえた人間が男の縁者だった。例えば何かのタイミングで、偶発的に男の邪魔をした。考えられる要因は色々とあるのだが、そのどれもがしっくりとは来なかった。何より男の来歴がはっきりしない。何者なのかが分からない。『カミ』が創り出した道具を改変できるほどの腕を持ちながら、今まで何の痕跡も残さず生きてきた、などあり得ない。
 ――だからこそ、律が行き着いたのはひとつの可能性だ。

「貴方は元を辿れば、『院』を追放された『ウィザード』ですね」
「――!」
「図星か」

 明らかに男の表情が変わって、律は肩を竦めた。数年前まで『院』で過ごしていたとすれば、痕跡がどこにもなくても不思議ではない。どんな理由があって『院』を追放されたのか、何故彼が『ソーサラー』になったのかまでは推測できないが、しかしそうであれば彼の実力の高さにも納得できる。
 徹底的に調べるのであれば、『院』に問い合わせれば答えを得ることはできるだろう。残念ながら、律としてはそんなことで『院』に借りを作りたくはないので聞くようなことはしないが。

「随分勝手して、ここから出たら『院』に処分されるのでは?」
「お前に俺の末路なんて関係ないだろう」
「俺があずかり知らないところで何が起きようと関係ないですけどね。今回はこのままっていうのも寝覚めが悪くて。人死にが続くのも好みじゃないので」
「は。お優しいことで」
「あはは、面白くない冗談。――俺を殺そうとしておいて、死んで楽になろうだなんて許さないって言ってんだよ」

 冷ややかな沈黙が落ちる。男は律から目を逸らす。一瞬だけ揺れた感情に見えたものに、律は大きく息を吐いた。

「――さて。ここからはビジネスの話をさせていただきたいんですけど」
「……は?」
「どこも人手不足で大変困ってまして。そして貴方は俺を追い込めるだけの確かな実力がある。このまま『院』に処断されるだけ、というのを放置しておくのも非常に勿体ない。ということで、警察にリクルートするのもアリかなと俺は考えたんですが、貴方の将来設計としてはいかがでしょう?」
「……コイツ正気か……?」
「正気なんですよこれが」

 どちらにしろ『院』が何もしないとしても、このまま彼が解放された場合、再び律が狙われる可能性は高い。であれば、どこかの組織に所属しておいてもらった方が話は早い。首輪をつけてしまえば、監視の目は行き届く。
 まじまじと律を見た男は、信じられないものを見るような眼をしている。自分の命を狙ってきた相手に対して言うことではない、というのは充分承知の上だ。しかし個人的な感情を抜きにして考えれば、人手不足の業界に飛んで火にいる夏の虫である。その実力を生かしてもらわない手はない。

「幸いなことに尾行、調査、戦闘と能力は示していただいているので。普通に合格ラインだと思いますし、俺からも話は通します。悪い話じゃないと思いません?」
「……馬鹿げてる」
「だって大方、俺を殺すことで実力を示して『院』に一矢報いたいとかそんなくだらない感情の末路でしょ。この先の目標が潰えてるんだから、次を考える頭を持てば? すぐに返事しろとは言わないし」
「――……」
「誰かに、何かに認めて欲しいっていう感情があるなら、悪くない提案だと思ってほしいですけどね。ということで、俺が貴方にする話は以上です。貴方から俺に何か話がないのであれば、今日はこれでお開きにしましょう」

 じゃあ、と立ち上がる。立ち会っていた職員が、慌てて出入り口の扉を開いた。
 彼がこの先どういう道を選ぶかは分からない。この道が彼に対する救済や贖罪になるとは思えないが、律が自身の身を守るという点で考えても、最善の提案はしているはずだ。
 部屋を出た律の後ろで、扉は閉まり。気が緩んで、律は大きく息を吐いて体の力を抜いたのだった。