Defiled Bliss - 05

 その後。
 治療と静養を兼ねて英二と姫を水之登神社に送り届け、陵と別れた憂凛は茅嶋家を訪れていた。仕事の報告に来る恭の帰りを待ちたかったこと、そして何より律の様子を確認しておきたかったからだ。借りた指輪も、早めに返しておきたい。
 出迎えてくれたのは伊鶴だった。咲の子守を伊鶴がしていたのでどうしたのかと聞くと、今は桜が部屋で律を怒っていると聞いて、邪魔はしない方がいいなと苦笑う。長引くかもしれないので、とりあえず伊鶴と二人で咲と遊びながら待つことにする。
 ややあって、ぱたぱたと歩いてくる音は二人分。振り向くと同時、扉が開いて律と桜が顔を出す。

「すいません憂凛さんっ、お待たせしてしまい! 伊鶴さんも長々申し訳ないです……!」
「お話は終わられましたか?」
「さくらん、茅嶋さん。お邪魔してますっ」
「ごめんね、憂凛ちゃん。色々とありがとう」

 笑う律は、今朝よりも幾分か顔色も良い。大丈夫ですか、と桜が少し律の身体が支えているのを見ると、微笑ましい気持ちになる。
 律がソファに腰を下ろし、桜は咲を抱いて、報告もあるだろうからと伊鶴と共に退室していった。ポーチから指輪を取り出して、これ、と律に差し出す。受け取った律が、もう一度ありがとう、と笑った。
 ――戦っている間ずっと、何かが手を貸してくれているような感覚があった。実際、巧都は「手伝ってやる」と言ってくれていた。姿は見せなくとも、何かしら手助けはしてくれていたのだろう。

「巧都に無茶言われたりしなかった?」
「ぜーんぜんっ。まあ、助言もいただけなかったですけど」
「だろうねえ」

 ひとまず、経過と結末については律に共有しておく。あの男が何者なのか、そしてどうして律を狙ったのかということについては、終ぞ口を割らなかった。これ以上問い詰めても仕方がないということ、そして英二が昏倒してしまっていることもあり、陵の手配で身柄は警察に引き渡されている。律の方にはその後の情報が入ることにはなるだろう。英二と姫に関しては心身の回復のため、水之登神社の世話になっていることも伝えておく。陵が休む暇がない、とぼやいていたことも伝えると、さすがに申し訳なさそうに律が息を吐いた。

「なかみーには頭上がらないなホント。大人しく言うこと聞いとこ……」
「あはは。でも、何とか解決してよかったです。……ところで茅嶋さん、『ソーサラー』に狙われる心当たりは?」
「本気であり過ぎて分からない……」
「あの人、結構本気で茅嶋さんのことストーキングしてたっぽかったです」

 ゴミ箱いっぱいの、破り捨てられた律の写真。
 明らかな執念が、そこからは見て取れた。確実に盗撮した写真だったが、一体いつからどうやって律のことをつけ回していたのだろう。それにつけ回されていたのなら、律がそれに気づいていなかったというのも変な話だ。そういった感覚は非常に鋭い人であるからこそ。
 憂凛の言葉の真意は、律にも伝わったのだろう。その口許に浮かぶ苦笑。

「――尾行に気付かなかったのかって聞かれたら、それはイエスかな」
「でも、私でもふわっと気付くくらいの視線でしたよ?」
「正確に言えば、俺の場合見られてるの結構しょっちゅうだから」
「え」
「余程のことじゃなければ、視線は気にしないことにしてる」

 今回はそれが失策かな、と律は笑うが、笑いごととは思えない。常日頃、動きが監視されていてもおかしくないと思っているということだろう。そんな状態になってしまえば、意識する方が疲れてしまう。故に気にしていなかった視線の中に、今回の男の存在もあった、ということだ。

「……それどうにかならないんです……?」
「ならないんです。仕事のときは気も張ってるし魔術も使ってるし色々あるから、結構何とかなるんだけど。普段ちらっと視線感じるくらいなら、もう面倒だから放置だね……」
「じゃあ今回の犯人も、そういう感じで茅嶋さんの情報集めてたってことになるのかな」
「そうだろうね。まあ俺の場合、自分の行動自体は隠してもないし」
「セキュリティ対策しないんですか?」
「対策として恭くんにボディーガードお願いするんだよ。あの子、今まで何人か捕まえてくれてたりする」

 牽制にもなるしね、と律は言う。それに納得してしまったのは、恭の勘の鋭さを知っているからだ。律が気にしていなくても、恭は気付いて気にする。律の安全を確保するという点で、適切な人選なのだろう。
 できればもう少し平穏無事であってほしいものだが、立場上難しいということも理解はできる。だから恭はいつも、律を一人にしておけないと言うのだから。
 律が今の茅嶋家当主という立場になってから、茅嶋の仕事に憂凛が関わることはなかった。関わってみると、よく分かる。この人は本当にずっと、無茶をしながら生きているのだ。

「一回聞いておきたかったんですけど。茅嶋さん、私たちに内緒にしてることあるでしょう」
「……それはまあ、たくさん?」
「あ、そこは隠さないんですね」
「憂凛ちゃんには嘘吐くとちょっとしたとこから全部問い質されて吐かされそうだもん」
「吐いてほしいんですけどー」
「今んとこちょっと無理かなー」

 あはは、と律がわざとらしく笑った。分かりやすい反応を返してはくれるが、口は割らないつもりなのだろう。今はまだそのときではないと考えているのか、それとも巻き込みたくないと考えているからなのか。
 元々は一人で何でもやってしまう人だ。だから恭でなければ、律の仕事のパートナーは務まらなかっただろう。何があっても、恭は律の隣にいることを諦めはしなかった。それができたから、それを続けていけるから、恭は共にいられる。
 ――しかし憂凛としては、やはり。

「茅嶋さんは分かってると思うんですけど」
「うん」
「私は、恭ちゃんに危険な目に遭ってほしくない」
「うん、それは俺もだよ」
「そのために、私は茅嶋さんにも危険な目に遭ってほしくないです。今回みたいなことは勿論として。……あんまり隠さないでほしいなって、思っちゃだめですか」
「……うん、まあ、それは当然の言い分だよねえ……」

 苦笑い。腕を組んで、律が考え込む。憂凛は律から視線を外さない。一瞬の隙で、突破されるわけにはいかない。一度はきちんとしておかなければならない話だ。そして今のタイミングを逃せば、律とこの話をするのは難しくなる。
 憂凛に逃がすつもりがないことを、律は分かっている。憂凛が恭と共に生きているからこそ、そして今までの経緯を知っているからこそ、今の憂凛の立場だから聞けることがあるのなら、今、問い質さなければ。
 沈黙――そして、律は笑う。自虐的に。

「……俺はできれば、当然、恭くんのことも巻き込みたくないんだけどね。あの子はそうはさせてくれないけど」
「当たり前じゃないですか。恭ちゃんずっと茅嶋さんの心配ばっかりしてるんですから」
「うん。……まあそれで、憂凛ちゃんが聞きたい話の内容については、俺はそれを恭くん以外に話すつもりは今のところないし、恭くんにも口止めしてる」
「……茅嶋さん、でも」
「俺はちゃんと、助けを求めればみんな助けてくれることは知ってるよ」

 眉を寄せた憂凛に、律は肩を竦める。実際、それは間違いない。何だかんだ言いながら皆律のことは心配していて、助けを求めればそれぞれできることをするだろう。律が何も言わないから、手の出しようがないというのが現状だ。
 静かに瞬いて。律の目が真っ直ぐに憂凛を見る。そしてその口から出たのは、想像もしていなかった言葉。

「手を出してほしくない。それだけ」
「……え?」
「これは俺に売られた喧嘩だから、俺が片付ける。巻き込みたくないのも本当だけど、下手に手出されて引っ掻き回されたくない。必要なときはちゃんと声も掛けるし、相談もするから。だから、ほっといてほしい――そういう我儘だよ」

 ごめんね。
 そう言って仮面のように笑った律に、憂凛は何も返せなかった。


 律の言葉が頭から離れない。
 できれば内緒にしていてね、と言った律にそのまま話題を変えられて、話はうやむやにされてしまった。どうにか話を戻せないかと思ってはいたのだが、そうこうしているうちに恭が帰ってきてしまい、そこでお開きになったのだ。
 子供たちは明日の朝迎えに行くことになったので、今夜は恭と二人。せっかくなので久しぶりにちゃんと夕飯を作ろうと意気込んだものの、どうにも身が入らない。茅嶋さんのばか、と毒づいたところで、律に届くわけもないのだが。

「……あつっ」
「え!? 大丈夫!?」

 そんなことを考えていたら、熱したフライパンに指先が触れた。憂凛の声に、慌てて恭がキッチンにすっ飛んでくる。大丈夫、と笑って、ひりひりと痛む指先は流水で冷やして。こんな不注意は久しぶりだ。

「やっぱゆりっぺ疲れてない? まじでどっか食べに行くでよかったのに」
「大丈夫っ、私は怪我もしてなかったから。今ちょっと考え事してただけ」
「……マジで今日大丈夫だった?」
「うん。皆がいてくれたから大丈夫だよ、本当に」

 色々あったが、本当に憂凛は巧都に守られていたのだろう。精神的な疲労はあるものの、憂凛自身は何事もなく事件を解決できた。――姫と英二に関してはそうはいかなかったので、実際危険であったことは事実だが。
 長年ああいったことには関わってこなかったので、本当に久しぶりに自分から言い出して首を突っ込んだ気がする。脳の奥がひりつく感覚は、興奮と不安が織りなすもの。

「……恭ちゃんはいっつもああいうことしてるんだなー、って」
「ん?……あ、何か不安になっちゃった?」
「ちょっと違うかも。昔と違って、今は恭ちゃん、お仕事としてやってるし」

 何も分からずに首を突っ込んだり、巻き込まれていた頃とは、何もかも違う。
 仕事として関わる内容については、まず律が目を通している。危険であることに変わりはないが、きちんと調査が進められ、情報も集まってくる。関わる人間も多く、必要があれば助力を求めることもできる。
 ――しかし、だからこそ。律が言おうとしないことは、そして恭が口止めされている内容は、恐らく『仕事』ではないのだろうと、理解できてしまうから。
 いつだったか、恭が言っていたことを思い出す。――律は人間でいることを諦めようとしてしまう。その言葉の意味を、ようやっと本当の意味で、思い知った気がする。

「……改めて言うけど、あんまり無理しないでね」
「ん。いっつも心配かけてごめんな、ありがとう」
「……うん」

 ここで恭を問い詰めるのは簡単だ。一体何を隠しているのかと問い詰めれば、必ず恭はボロを出すだろう。元来、嘘は吐けない男だ。
 けれど、それでも。ふう、と息を吐いて、憂凛はそっと流水から指を外す。ひやりと冷えた指先に痛みはない。これなら後はガーゼを巻いておくだけの処置でいいだろう。心配そうに手を覗き込む恭には、ひらりと手を翳して見せた。

「だいじょーぶっ。ごはんの続き作るね」
「えーほんとに大丈夫? 俺何か手伝う?」
「恭ちゃんは本当に座って待っててくれるのが一番いいと思うなー?」
「うっ……それはマジでそう……」
「あはは。あ、でも先に手当するね」
「じゃあそれ俺がやる!」
「はーい、お願いしますっ」

 ――律が我儘だと言ったあの感情を、恭はどんな気持ちで受け止めているのだろう。
 いつか全てを知る日が来たら、そのときは聞いてみようか。そんなことを考えながら、棚の上にある救急箱を手に取る恭を眺めたのだった。