Defiled Bliss - 03
辿り着いた先は、どこにでもありそうなマンションの一室の前だった。
その部屋の前にいるだけで、明らかににおいが強い。表札は出ておらず、階下のレターボックスも確認してみたが、名前は分からない。ひとまず場所を共有し、陵と英二とも合流する。
「この部屋ですか?」
「間違いないと思いますわ。離れるとにおいは弱くなりますし」
「とりあえずは在宅かどうかだな」
ぴんぽん、と英二がインターホンを鳴らす。しばらく待ってはみたものの、人が出てくる気配はない。何の音もしないので、中に人がいるかどうかも怪しいところだ。
少し考えた後、英二が玄関前に座り込んでがちゃがちゃと何かを始める。十数秒の後に鍵がかちゃりと音を立てた。どうやらピッキングに成功したらしい。
「そら、開いたぞ」
「……うちの玄関の鍵が心配になってきちゃった……」
「柳川家に侵入しても仕方ないだろうが」
言いながら立ち上がった英二は、そのまま迷うことなく玄関の扉を引いた。内鍵は掛かっていなかったようで、扉はあっさりと開いた。違う部屋だったらどうしようかと思ったものの、その心配はなさそうだ。――扉が開いた瞬間、においはかなり濃く変わっている。
香炉自体がここにあるという雰囲気ではないが、少なくともここの住人と香炉は間違いなく関係がある、と考えてよさそうだ。
「お邪魔しまーす……」
「人の気配はしませんね。住人は留守でしょうか」
「帰ってきてもらった方がいいが、帰ってくるとそれはそれで面倒だな。手帳でどうにかなるか?」
「完全に不法侵入ですからね……」
部屋はワンルームのようだった。リビング兼寝室、キッチン、そしてトイレと浴室だろうか。さほど広くはないので、調査にそれほど時間はかからなさそうだ。
先に奥へと入っていった英二が、部屋の奥にあるデスクに目を留めた。デスクの上にはノートパソコンが置かれており、書類が散らばっている。難しい顔で書類を眺める英二を見て、憂凛も横から書類を覗いてみたものの、何が書いてあるのかさっぱり分からない。そもそも書かれている言語は、どう見ても日本語や英語の類ではなさそうだ。
「……姫、中御門さん、読めるかこれ」
「残念ながら、全く……」
「こういうのはウィザードの領分のようにも見えますが」
「だよなあ……」
残念ながら、今この場に『ウィザード』はいない。しばらく考えた英二が、不意に書類を写真に撮ってどこかに送る。分かりそうな人間に助けを求めることにしたのだろう。
「茅嶋さん?」
「いや、ええと、柊 隼人。アイツ、魔術にも明るかったろ」
「ああ、そうですね。とはいえ突然送りつけてどうするんですか」
「茅嶋くんに見せれば話は早いだろうが、さすがにな。他に魔術のことが分かりそうな知り合い、いるか?」
「うーん……そういうのは大抵茅嶋さんにお伺いするので……」
「あっ、らっちっちさんは? 今日は恭ちゃんとお仕事してるはず」
「ああ、そういえば。聞いてみましょうか」
隼人にも禮知にも、今の律の状況について話すことはできない。急に写真を送ってこれが何か分かるかと聞かれても困るだろうが、とりあえず見てもらうことで何かしらのヒントが得られる可能性はある。
ややあって、二人から返事が返ってきた。隼人からは「何かを改造するために色々試しているように見える」、そして禮知からは「感情に起因する呪いを作っているように見えるが、ページが足りていない」という返答だった。どちらも急に何なのかという質問がついてきていたが、ひとまずそちらは無視を決め込んでおく。
「感情、ですか。この間感情オークションなんていうよく分からない噂がありましたが」
「ああ、中御門さんと茅嶋くんが怒ったって言ってたやつか。ちらっと聞いたな」
「……となりますと、これはそのオークションとやらの落札結果、ということになるのでしょうか」
「え」
回答を待っている間、デスクの上にあったノートパソコンを独自に調べていた姫が呟く。全員の視線が姫へと向けられ、姫はノートパソコンの画面を3人にも見えるように向きを変えた。
そこに写っていたのは、一枚の写真。美しい意匠の香炉が掲載されており、その隣に少し大きめな文字で書かれていたのは。
「……絶望を濃縮した香炉」
「これはまた趣味が悪いな……?」
「詳しい説明は既に削除済、どうやって届けられたのかも不明、そしてこのページからどこにも飛べないのですけれど」
「そもそもこのサイト、URL変だもんね」
「そうなの」
画面上に表示されているURLは文字化けしていて、全く何も読み取れない。恐らく何らかの力が働いているのだろう。普通にネットサーフィンをしていて辿り着くようなサイトではなさそうだ。
何らかの手段でこの香炉を手に入れ、そしてそれを改造し、律を呪うものとして使ったと考えるのが自然だろう。或いは無差別かもしれないが、そうなるとわざわざ律が来るタイミングで香炉を仕掛け、そして持ち去ったのかが分からない。
「……推定佐藤某が見つけられるかどうかだな、これは」
「そうですね、麻葉さんの見立てではページが揃っていないようですし。残りのページを見つけないと話にならないというところもあります」
「でも、あと探すところ……キッチンとお風呂……?」
「私はもう少しパソコンに何か残っていないか確認しますわ」
「なら私は浴室を。丁野さんと柳川さんはキッチンをお願いできますか」
「よし来た」
「はいっ」
陵の指示に従って、憂凛はキッチンに入る。とはいえキッチンは割と片付いており、洗い物も残っていない。冷蔵庫を開けてみたが、普通に一人暮らしをしている人間の冷蔵庫だろうという感想しか出てこない。
そんな憂凛の隣で、キッチンにあるごみ箱を開けた英二が嫌そうな声でうわ、と呟いた。つられて中を覗き込めば、そこにあったのは粉々に破り捨てられた写真の山だ。
――わずかに残った断片から、それが律の写真であることは読み取れる。しかもアングルとしては完全に盗撮としか思えない。これは完全に、狙いが律であるという証拠になるだろう。そうこうしているうちに浴室から戻ってきた陵が、同じようにゴミ箱を覗き込んで眉を寄せる。何枚か手に取ってみたが、繋ぎ合わせるのは根気がいる作業になりそうだ。ひらりと写真を裏返すと、何かが書き込まれていた形跡。
「……茅嶋さんストーカーされてた?」
「まああの男、敵は多いだろうからな。心当たりが山ほどありそうだ」
「でしょうね……。そうだ、浴室なんですが、魔法陣が描かれていました」
「何の?」
「麻葉さんに確認したところ、移動系の術式ではないかと。もしかしたらそれを使ってあちこちに移動していたかもしれませんね」
「そうか、ならとりあえず踏みに行くか……うお!?」
「何を考えてらっしゃるんですか! そんな危険なものに触れないでください!」
話は聞こえていたのだろう。パソコンの前からすっ飛んできた姫が、英二の身体を抱きしめる。一歩も動けなくなった英二が離せと訴えているが、姫は全く離すつもりはなさそうだった。
憂凛としては姫の気持ちもよく分かる。その魔法陣に飛ばされた先で、何が起こるか分からない。そんな場所に先陣を切って行こうというのは、誰だって怖い。
「……ねえ中御門さん、ジッポ先生って結構無茶する人?」
「『直してもらえる』のも手伝っていると思いますが、かなり」
「ヒメちゃんが過保護になるわけだ……」
「本人、自分ならいいと思ってますし、無自覚なところもありますから、なかなか難しいところですね」
「そっかあ……」
姫も大変だな、と思う反面、胸の奥でざわりとしたものを感じる。あまり良くないな、とゆっくりと息を吐いて深呼吸。
どちらにしろ、残る手がかりはその魔法陣だけだ。陵の先導で浴室を見に行くと、ちょうど人一人が立てる程度の大きさの魔法陣があった。一人ずつ入る――というのはさすがに不安がある。魔術の知識があるわけでもない上、全員が同じ場所に辿り着けるかどうかは不透明だ。
「危険な場所かもしれないのに柳川嫁を連れていくわけにもいかんだろう、だから離せと」
「それはそうですが! だからと言って旦那様が率先して行く理由にはなりません!」
「あ、えーと、私は行くよ? 茅嶋さんに頼まれたし、恭ちゃんにも頑張るって言ったもん」
「……そう言われると、茅嶋さんから依頼を受けたのは私ですし。私も行くしかないですね……お二人はここで待たれますか?」
「いやそういうわけにも、」
「どうしても行くとおっしゃるなら私は旦那様と共に行きます。抱えていれば二人でも入れますよね?」
「あっ、その手があった」
真剣な表情で訴える姫に、憂凛はぽんと手を打った。さすがに4人全員でとなると難しいが、二人ずつであれば、分断されたとしてもそれなりの対処は可能だろう。
姫は英二と共に行く。となれば、と憂凛は陵の方に向き直り。
「中御門さんのことは私が抱えていきますね!」
「あ、そうなるんですね……?」