Defiled Bliss - 01

 朝から電話をかけるという時点で、既に自分らしい行動ではないな、とは思った。思いはしたが、相談するなら早い方がいい。何より、陵が早朝から動いている人間だということは知っている。
 電話をすると、陵はすぐに出た。少し声が怪訝そうなのは、この時間はいつも律が寝ている時間であることを知っているからだろう。

「おはよーなかみー。ごめんね、朝から」
『構いませんが……どうかされましたか?』
「いやちょっと、うん、ごめん。俺今ちょっと死にかけててさ、解決の依頼したいんだけど」
『はい!?』
「ここ数日ぶっ通しで魔術使ってたせいで、ちょっと体動かなくなっちゃって」

 実際、今もベッドからは動けそうにないので嘘ではない。起き上がれる程度には回復したが、ずっと体を起こしているのはつらい状態だ。巧都に対価を持っていかれるときとは違う、嫌な疲労感。

『……何やってるんですか……、桜ちゃんは大丈夫ですか?』
「後で怒られると思う……」
『でしょうね。原因はお仕事ですか?』
「いや、仕事としてはここ数日打ち合わせがほとんどなんだよね」

 2回ほど討伐依頼はこなしているが、そちらはほとんど恭一人で片付けたようなものなのでノーカウントだ。
 その前に、とふと思い出して先日陵から話を聞いた、感情オークションとやらの噂のその後の情報については共有しておく。律に現在掛けられている術が『幸福』と紐づいているということから考えても、何かしら関連している可能性は否定できない。念の為ではあるが、情報は共有しておいた方がいい事案だ。

「で、本題なんですけど」
『はい』
「俺ちょっと急に調子が悪くなって、桜や咲といると頭とか胸が痛むようになって」
『完全に呪われてるじゃないですか』
「そうそう。何か変だと思って自分のこと調べたら違和感あったから、防御系の魔術を四六時中展開してて、それで昨日過労でぶっ倒れまして……」
『それは……まあ……当然倒れるでしょうね……?』
「でも、心当たりがなくてさ。ちょっと手がかり掴んだら、相談しに行く予定でいたんだけど」

 手がかりをつかんだ直後に倒れてしまったので、こうして相談が事後報告になってしまったことは反省点だ。もし『院』に関係するようなことなら下手に巻き込みたくない、とどこかで思っていたことも否定はできない。
 昨日の憂凛の指摘から、恐らく術の大元となっているのは、打ち合わせで行った貸会議室に置かれていた香炉。打ち合わせ相手は恐らく何の関連もなく、そして人物が人物だけにそこに問い合わせるのは控えてほしいこと。なので香炉から辿るしかないと話せば、陵の困惑した呻き声が聞こえた。

「この件、憂凛ちゃんが手伝ってくれることになってるから。俺からしたにおい、憂凛ちゃんが辿れると思う」
『……成程。しかしそれ、柳川くん的には大丈夫なんですか?』
「うちの『カミサマ』がちょっと手助けしてくれるってさ。それで恭くんも渋々頷いたみたい。ただ、憂凛ちゃんを守る代わりにヒトの力だけで何とかしろっていう制約はかけられた」
『……『カミ』に助力を求めてはならない、ということですね』
「そう。面倒な依頼になっちゃって申し訳ないんだけど、あとで神社に憂凛ちゃんに行ってもらうから、お願いできる? 誰に手伝ってもらうかは任せるけど、俺が倒れてるのは広めないようにはしてほしい」
『私が受ける前提で考えてますね? 全くもう……、分かりましたよ……』
「あはは、ありがと。報酬ちゃんと払うし。何でもいいよ」
『なら茅嶋さんの休暇で』
「うーんそれはちょっと無理かなー」
『今何でもって言ったじゃないですか』

 以前ほど過密スケジュールではないし、適度に休みは取れている。とはいえ、陵から見れば足りていない、という判定になってしまうのだろう。不服そうな陵からせめて睡眠時間をもう少し取れと怒られて苦笑いしつつ、電話を切る。
 これで話すべきことは話しているはずだ。くらりと眩暈に襲われて、律はベッドに倒れ込む。調査前に憂凛が話を聞きに来てくれるということなので、それまで少し体を休めておいた方がよさそうだ。

「わっるい男だなー、やっしー」
「何が」

 ふらりと現れた巧都に視線を向ける。いしし、と意地悪く笑う巧都が言いたいことは、律にも分かってはいるつもりだ。
 陵に対して、一つも嘘は言わなかった。――意図的に話さなかったことはあるが。

「……魂に傷がつくとかその辺の話のことなら、言ったら無駄に心配させるだけでしょ」
「ふーん?」
「無事に解決すればそれで良し。解決しなきゃ俺が巧都に殺されて終わりなだけだし」
「まあそうだな」
「そんな責任重大な依頼だなんてこと、知らなくていいと思うよ。……あと、なかみーならまあ大丈夫って思うくらいには信頼してるし」

 信じて待つしかないというのも歯がゆい話ではあるが、今の律の体調ではどうすることもできないのも事実だ。他者に己の命を預けることになるのであれば、助けを求めることができる相手は限られてしまう。
 憂凛と陵――そして陵を頼れば、恐らく英二にも話はいくだろう。後で死ぬほど怒られるなあ、といつもの光景を脳裏に描き、律は小さく笑って目を閉じた。


 実家に子供たちを預けて、茅嶋家へ。ベッドから立ち上がるのはつらいのだと笑う律からできる限りの情報を聞き取る。打ち合わせに行った先の貸会議室、そこにあった香炉が犯人だとしか考えられない。そして原因と目される香炉については、その香炉があった貸会議室は今日ちょうど空いていたとのことで、芹が予約を取ってくれたとのことだった。

「そうそう憂凛ちゃん。念の為渡しておくね」
「ん? 何を?」
「巧都が今回噛んでるって聞いたから。これ、媒介的なやつ」

 律から渡されたのは、様々な色に輝く石がついた指輪。律の指にはめられていたそれは、憂凛の指には大きいサイズだ。失くすわけにはいかないので、持っていたポーチの中に仕舞い込むことにする。

「……よし。じゃあ、お預かりしますね」
「うん、よろしくお願いします。ごめんね、巻き込んだみたいになっちゃって」
「元気になったらさくらんと一緒に茅嶋さんのお説教しますっ」
「こわ……。あ、何か困ったことがあったらいつでも連絡して、連絡取れるようにはしておくから。対応できそうなことは対応する」
「そんな顔色でー? さくらんが心配しますよ、無理せずに寝ててください」

 顔色が優れないのは見て取れる。魔術の使い過ぎによる過労が原因で、今回律にかけられている術にはそれほど関係がないはずだとのことだったが、さすがに心配だ。何より、律がそれだけ魔術を使い続けなければいけなかったことと、桜が言っていたことが気にかかる。
 ――考えているよりも危ない状況なのではないか。
 その桜の推測が、何を指すかは分からない。だが、それが当たっているとすれば、今の律にはなるべく無理をさせない方がいいだろ。憂凛に魔術的なことは全く分からないので、どうしても頼らざるを得ないことはあるかもしれないが、基本的には頼らずに済ませたい。
 陵に事情を話して依頼をしているという話を聞き、その足で水之登神社へと向かうことにする。参拝を済ませてから社務所に入ると、中で英二が我が家の如く寛いでいた。思わず写真を撮ってしまったのは、彼の伴侶が喜びそうだなと思ってしまったからだ。こら、と即座に飛んできた抗議は無視して、憂凛は英二の隣に座っていた陵に頭を下げる。

「お久しぶりですっ、中御門さん。あとジッポ先生」
「人をついでみたいに」
「お久しぶりです。今日はよろしくお願いしますね」
「こちらこそっ。……ジッポ先生、ヒメちゃんに怒られなかった?」
「どうだろう。電話してるときは隣にいたがな」

 陵から茶菓子をふるまわれつつ、お互いに持っている情報を共有することにする。とはいえ、どちらも情報源は律だ。持っている情報はさほど変わらないので、改めて確認しているような形にはなる。
 件の香炉があった貸会議室は押さえてもらっているので、ひとまずそこから調べたいという憂凛の申し出に、陵も英二も異論はないようだった。

「じゃあ、今日はよろしくお願いしますっ」
「においが分かるのは柳川さんだけですしね。本当は茅嶋さんに直接会うことができれば、それが一番良かったかもしれませんが」
「立ち上がれる程にはまだ回復してないっておっしゃってましたし、どう見ても調子は悪そうでした」
「茅嶋くん、そんなにひどいのか」

 目を瞬かせる二人に、憂凛は小さく頷く。大きな溜め息を吐いた陵は、どこか呆れた表情をしている。そんなことになるまで、と言いたいのだろうなというのが見て取れて、憂凛は苦笑した。律らしいと言えば、律らしいのだが。

「早く解決せんとな」
「私が車を出しますね。柳川さん、会議室の住所を教えていただけますか」
「はいっ」