Fragile Scent - 閑話

提案の話

 倒れてしまった律を寝室に運んでからリビングに戻ると、どんよりと暗い空気が落ちていた。異様な雰囲気を察したのか咲が泣き出して、桜がおろおろしながらあやしている。
 戻ってきた恭を見て、憂凛が困惑の表情を浮かべた。何が起きたのか、全員が分かっていない。最も把握しているのは恐らく律だろうが、その律には聞けるような状況ではなくなってしまった。

「……恭ちゃん、茅嶋さんは」
「寝てるだけ、って感じには見えるけど、分かんない……」
「私、お傍に」
「えと、ごめん桜っち、それはやめといた方がいいやつかもしれない」
「……恭さん、何かご存知なんですね?」

 知っている、と言えるほど何かを知っているわけではない。そもそも、恭も律から先程話を聞いたばかりだ。まだ桜には黙っていてほしいと言っていたが、ここまで来て黙っていられるわけもない。

「俺もさっき聞いたとこで、いまいちよく分かってはないんだけど。桜っちや咲っぺといると、どっか痛むようになって……心当たりないけど、多分何か術を仕掛けられた? のに引っ掛かった? って感じっぽくて」

 調子が悪そうだとは思っていたが、倒れるほどのものだとは思っていなかった。もしかしたらあのタイミングで強い干渉があったのかもしれないが、そういったことは恭には分からない。
 そうですか、と呟いて、桜が俯く。自分のせいかもしれないと責めているのかもしれない、と恭は慌てて言葉を探す。聞いたそのままではあるのだが、伝え方の悪さは否めない。

「えと、でも、律さんちゃんと自分で言うつもりって言ってたし! 隠し通そうとか、そんなつもりだったわけじゃなくて」
「分かってます、大丈夫ですよ。心配掛けたくない、と……そう思ってくださっていたんですよね」
「……さくらん、茅嶋さんが調子悪いのは気付いてた?」
「律様、夏は大抵調子を崩されていますから……。でも、いつもとは少し違うな、とは感じていました」

 憂凛の問いに小さく頷いた桜が応じる。何が原因で痛むのか分からなかったのだから、いくら律でも隠し通せるような状況ではなかったのだろう。
 何より、いくら桜や咲といると不調になると感じていたからといって、律に二人から離れるというような選択肢はなかったはずだ。ただでさえ二人と過ごす時間はなかなか取れない、自分が我慢すればいいのだからと考えていただろう。もし恭が律の立場だったとしても、同じように考えただろうなと思ってしまう。

「……律様に何の術がかけられているのか、調べないといけませんね。どこに連絡するべきでしょうか……」
「魔術関係だしらっちっちに聞いてみる? でも呪いとかならなかみーなのかなあ」
「……ね、提案なんだけど。それ、私が調べてもいい?」
「へ」

 思いがけない憂凛からの提案に、恭と桜は同時に憂凛に視線を向けていた。こういったことに、憂凛から自身が関わる提案をすることは滅多にない。元々あまりこちらの仕事関係には首を突っ込まないようにしているからだ。
 数秒言葉の意味を考えて、恭は慌てて首を横に振った。律を狙うような相手かもしれないのに、そして調べればそこに辿り着いてしまう可能性も高いのに、危険であることが目に見えているのに、憂凛を関わらせるわけにはいかない。

「だめ! それは絶対! だめ! ゆりっぺに危ないことさせらんない!」
「でも、茅嶋さんが倒れましたーなんてどこにも言えないでしょ? 少なくとも恭ちゃんは、今入ってるお仕事はスケジュール通り片付けないとだめだよ」
「でも」
「何よりさっき茅嶋さんからしたにおいが分かるのは、私しかいない。大丈夫、においは覚えたから、きっかけさえあれば追えると思う」
「大丈夫じゃない! じゃあお願いって頼めるわけないじゃんそんなの!」
「恭ちゃん、」
「……恭さん、憂凛さんのおっしゃる通りではあるんです。この件を外に広めるわけにはいきません。最少人数、口外しないという信頼がおける相手のみで、この事態を早急に解決する必要があります。憂凛さんのお力をお借りできるなら、正直それが一番確実ではないでしょうか……」
「……っ、そんなこと、言われても……」

 早く解決しなければならないことも、律をこのままにできないことも、理解はしている。だが、そこに憂凛を巻き込むというのは別問題だ。憂凛を危険な目に遭わせたくはない。
 恭が考えていることは、憂凛も分かってはいるのだろう。大丈夫、と笑う笑顔は優しい。――憂凛はきっと、今、恭が何を言っても聞き入れるつもりがない。それが、分かってしまう。

「っ……じゃあ、せめてアリスちゃん」
「だめだよ、アリスちゃんには恭ちゃんと一緒にいてもらわなくちゃ。茅嶋さんいないんだもん、それは私が心配しちゃう」
「でもそれじゃあゆりっぺが一人になっちゃう……、」
「それ、手伝ってやろうかー」
「うわ!?」

 音もなく、気配もなく。
 ひょっこりと憂凛の後ろに現れた男――幸峰 巧都。さすがにあまりにも至近距離に突然現れたことに、驚いた憂凛が目を丸くしている。
 彼が神出鬼没なのはいつものことだ。しかし、巧都は律に力を貸している『カミ』である――律がいない場に現れることは、非常に珍しい。

「……巧都さんが? 憂凛さんを?」
「おう。やっしー助けたいんだろ、弟クンの嫁守る程度なら別に手ェ貸してやんぞ。ま、後のことは知らねえけどな」
「……えー……巧都さん、後で律さんから対価せしめる気だ……」
「人聞き悪いなー。残念ながら、対価はお前らから徴収だ」

 ふ、と笑って、巧都はソファにふんぞり返る。全員の視線が自然と巧都に集まって、それに満足したように頷いて。

「茅嶋 律を助けるために足掻け、存分に。但し、ヒトの力だけで。『カミ』の助言も助力も認めない。ま、さすがに全部は可哀想だしな、いつも必ず傍にいるような相手なら認めてやってもいいけど」

 巧都が視線を向けたのは、桜の周囲を飛んでいる桃色の蝶――『世界樹の断片ユグドラシル』。傍にいるのが当たり前ならば許容するというのはそういう意味だと、すぐに理解ができる。
 その提案に、真っ先に頷いたのは桜だった。何の迷いもなく、強い意志の籠った瞳でじっと巧都を見ている。

「それで律様が助かるのであれば。もし対価が足りないようであれば、私がお支払いいたします」
「何言ってんの桜っち!?」
「巧都さんがこうして申し出てくださるくらいです。……律様、私たちが考えているよりも危ない状態なのではないでしょうか」
「……え?」
「さあ、どうかな」

 桜の問いに、巧都は否定も肯定もしない。それが肯定を示しているようで、胸が痛い。
 ――どうして律が、こんな目に遭わなくてはならないのか。
 そしてこんな状況になっても尚、恭には黙っていなければならないことがある。ずっと口止めされていることを言う段階かどうか、考えて、口を開きかけて――閉じる。
 きっと、律は大丈夫だ。言わないことで、それを信じるしかない。しかしそろそろ、隠し通すのは無理がある。無事にこの件が片付いたそのときには、律と一度きちんと話をした方がいいのだろう。

「……ね、恭ちゃん。私にも、茅嶋さんに恩返しさせて。茅嶋さんのおかげで、私は今恭ちゃんと一緒に生きていけるんだから」
「うー……その言い方、ずっこい……」
「あはは。……大丈夫! お互い、頑張ろうね」

 笑う憂凛に、何とか頷いて。
 ――きっと、いつも憂凛はこんな気持ちで自分を送り出してくれているのだと。そう思い知って、苦しくなった。