Fragile Scent - 01

 その話の始まりは、陵からの報告だった。

「隼人くんが大怪我?」
『そうなんです。まあ、怪我の原因は『カミ』に力を借りるための代償だったようで、戦闘で負った傷、ということではないようなんですが』
「よかったのか悪かったのか……何があったのそれ?」
『私も全てを聞き出せたわけではないと思うんですが』

 ――始まりは、感情のオークションなる噂話だったのだという。
 そんなものは十中八九『怪異』が関わっているだろうと踏んだ隼人が情報を求め、たまたま上里 影那が経営している猫カフェを訪れることになった。そして影那から、ちょうどそこに居合わせた常連の男が、最近元気がなく様子がおかしいのだと聞いた。『クリアボヤンス』の能力を使って男を『視た』ところ、「穴が開いている」としか表現できない状態だった。気になったため退店した後の男の後を追ったが、目を離した隙に自宅マンションから飛び降り、意識不明の重体に陥ったのだという。
 男の友人を探して聞き込んでみたところ、男は3か月ほど前に社内恋愛のもつれで会社を辞めていた。その直後から妙に羽振りがよくなり、海外旅行に行ったりブランド物を買い漁っているようだった。酔った際に「割のいいバイトを見つけたから」と話しており場所も教えてくれたというが、どう考えてもまともなバイトとは思えず、友人はそのまま疎遠になったらしい。
 そうして聞き込みで上がった先の場所で『怪異』と出遭い、どうにか情報を引き出そうとしたものの逃げられてしまった、というのが陵が隼人から聞き出せた話とのことだった。

『その『怪異』、相当格の高い可能性もあるようで。隼人くんのところの堕天使が引いていたという話も伺いました』
「……まあ、格が低いのがヒトの感情の売買だなんて、そんな難易度高そうなことはしないだろうしねえ……」
『恐らく隼人くん、このままだと調査を続ける可能性があると思いましたので。念の為にご報告を、と思った次第です』
「分かった、ありがとう。こっちでも気にしておくね」

 電話を切って、考える。少なくとも重傷者が出ていることは確かなので、警察に問い合わせれば何かしら情報はもらえるだろう。だがしかし、引き受けて片付けるには律自身のスケジュールがかなりの大問題だ。イレギュラーはないだろうと芹に言ってしまったので、打ち合わせが詰まっている。
 今から芹にスケジュール調整を頼むのも、少し気が引けてしまう。気掛かりな案件ではあるが、まずは目の前の仕事を片付けるのが先決だ。

「……隼人くんに余計な馬鹿しないように言っとかないとな……」

 律が言えたことではないかもしれないが、しかしそれでも隼人がこちらの世界に首を突っ込む必要はないはずだ。気にはするだろうし、彼が憑いているモノが何かしら唆すだろうが、一声掛けておいた方がいい。その方が、後々何かあったときに対応もしやすい。何より、もう少し詳しい情報も本人から聞き出しておいた方がいいだろう。
 打ち合わせの後で電話してみるか、と決めて。ひとまず仕事に向かうべく、律はスーツに手を伸ばしたのだった。


 それから数日後。
 渡瀬との打ち合わせの際、ふと思い出して律は先日、陵から聞いた話の件を尋ねることにした。かいつまんだ形で律の話を聞いた渡瀬は、少し待ってください、と退室していく。十数分後、幾つかのファイルを持って戻ってきた。

「同様の事件が、この半年で3件ほどありまして。茅嶋さんがおっしゃっている被害者の事件が直近、3件目でした」
「被害者、という判断ではあるんですね」
「はい。3人とも知人ではなく全くの赤の他人、共通の友人もいません。しかし突然妙に羽振りが良くなった、色々なものに大金を注ぎ込んでいた、しかしその金の出所は分からない。そして最後は3人とも自殺未遂を起こしている、という形なのですが」
「その後にも共通点が?」
「廃人になってしまう、という表現が正しいのではないかと。呼びかければ反応はするものの、ぼおっとしていて会話も成立しない。抜け殻のようになってしまっていて、刺激を与えても鈍い反応しか返ってこない。生命活動が続いているだけ、という雰囲気ですかね」
「……なるほど……」

 隼人が男を『視た』とき、「穴が開いている」と感じたという話を思い出す。何らかの感情を売り払い大金を得ていたのなら、最後は廃人になってしまうのも道理だ。本人に話を聞いたところ、隼人はその男から「信じるんじゃなかった」という趣旨の独り言を聞いた、とも言っていた。ある種詐欺のようなやり方で引っかかったのではないかとも思える言葉だ。

「知り合いがその大元の『怪異』とエンカウントしてるっぽいんですけど」
「やはり『怪異』ですか」
「その相手から、条件は合っているが対価として必要なものがない。売ることは可能だがそれを必要としていない、という感じの話をされたそうで」
「条件は合っている……? 売ることができる感情があるということでしょうか」
「そうですね。方便かもしれませんが、今回相手が『感情』を『買う』にあたって、何かしらを選別していた可能性はあると思います」

 確認されますか、と渡瀬から資料のファイルを差し出される。礼を言ってファイルを受け取り、その内容に目を通す。
 共通点は、急に仕事を辞め、浪費、散財としか思えない金の遣い方をし、最後は急に意気消沈した姿となり、自殺未遂を起こしているということ。
 行動としては類似しているが、それ以外の共通点は特にない。

「……俺、個人的には、話を聞いたときから気になってることがあるんです」
「何でしょう?」
「噂としては、オークション……なんですよね。それなら、被害者たちが売った感情を競り落として買っている人間がいるはずです。そっちの話が入ってきにくいっていうのは容易に想定できることではありますけど、買主はどこからオークションの情報を得ているのかと」

 集められた感情の、その行く先。
 感情を売り渡した3人が一様に散財し続けている様子から考えるに、感情を売る際に貪欲になるかのようなものを付与されている可能性は充分にある。もっと、もっと、もっと、もっと。そういった形で次々に感情を手放してしまい、そうして後には何も残らない。必要なものを全て売り渡された後は、付与したものは回収してしまえばいいだけだ。
 隼人の話を聞く限り、相手は対価に対して厳格な基準を設けているようにも思える。誰彼構わず感情を貰っているわけではない。
 相手は『怪異』だ。理由を求めるのはおかしいかもしれないが、しかし行動に一貫性はあるようにも思える。であれば、買主に対しても同じように厳格な基準を定めているだろう。そのひとつが、売買情報を表に出さないようにするという条件である可能性はある。

「実際問題、本当にオークションを行っているかどうかも分からない。この間のオークションであなたの感情にこれくらいの値が付きましたよ、と言って気持ちよくさせるための方便に使っていた可能性だってありますし」
「なるほど、そういう可能性もなくはないですね」
「それに感情なんて形のない見えないものをどうやって売るんでしょう。何らかに加工はするんでしょうけど」
「その辺りは、さっぱり。我々もかなり調査の網は広げたようですが、この件についてはほとんど情報が入らないのが正直なところです」

 圧倒的に情報が不足している。何も分からない上、大きな取っ掛かりもない。
 困ったように息を吐いた渡瀬は、そのまま実は、と話を続ける。
 
「上層部としても、この件は事件として扱うかどうか難しい、という状況のようで」
「と言うと?」
「情報を手に入れる手段がない。3人目の被害者については、たまたま酒の勢いで拠点を知人に教えただけでしょう。他の二人からはそんな話は出なかった。客になれない人間には徹底的に情報を封鎖する、という相手である可能性が非常に高いと考えられます」
「……なるほど。そして今回、3人目で足がついた。狩場を変えて出てこなくなる可能性が非常に高い。下手に手を出さない方がいいのでは……ということですね」
「そうなります」

 或いは、死人は出ていないのだから――という考え方もあるのかもしれない。そこで手を止めるべきだと判断されているのなら、律としてもこれ以上できることはなさそうだ。
 事実、全ての『怪異』的な事件を解決することはできない。今回のケースの場合、もし解決できたとしても被害者に感情が戻ってくることはないだろう。何より、どんな理由があれ、最初に感情を売り渡すことを決めてしまったのは本人たちだ。
 失って、渇望して、また失って、最後には何も残らない。後味の悪い話ではあるが、どうすることもできないのが正直なところだ。失ってしまったものは、基本的に戻ってくることはない。

「……仕事と関係ないことを長々とすいません。情報提供、ありがとうございました」
「いえ、いつもお世話になっているのはこちらですから。……お役に立てず、申し訳ない」


 そして、事件が起きたのは更にその数日後のことだった。
 立て続けに入っていたスケジュールを片付け、次の仕事のスケジュールを確認しつつ、伊鶴の運転で帰宅する。この後しばらくは現場仕事が続くことになるので、体調管理には気を付けておかなければならない。ただでさえ律は暑さに弱いうえ、今年も異常な暑さだ。なるべく外に出たくないなと考えてしまうが、そうもいかない。

「律様、明日から恭様とのお仕事になりますよね」
「うん。ここ最近毎日送迎ありがとうね、伊鶴さん。申し訳ないけど、明日からは芹ちゃんのサポートよろしく」
「勿論です。……お体にお気を付けくださいね、律様。あなたの代わりはいないんですから」
「分かってるよ」

 本当ですかね、と茶化したような伊鶴の言葉に、律は笑う。その言葉には様々な意味を孕んでいることは、分かっているつもりだ。
 そうこうしているうちに自宅に辿り着き、家の中へと入る。リビングに向かうと、桜と咲が二人で遊んでいるのが見えた。その光景に表情が緩んで――ずきん、と頭に痛みが走る。

「……?」
「あ、おかえりなさい律様! すぐにお迎えできず……」
「いつも言ってるでしょ、気にしないで。ただいま桜、咲」

 すう、とすぐに痛みは引いていく。気のせいだろうかと思いつつも、律は笑顔を作った。立ち上がろうとした桜を制して隣に屈むと、咲の頭を撫でて。

「ッ……」
「律様?」
「……ごめん、何かちょっと、頭痛……?」
「熱中症でしょうか……? お水を」
「大丈夫大丈夫」

 口ではそう言ってみたものの、やはり頭は痛む。桜の言う通り、熱中症の可能性は否定できない。もう一度咲の頭を撫でてから、冷蔵庫へと向かう。
 水を取り出して一口、二口。じんわりと体の中に染み渡っていく感覚が心地よい。水分補給が足りていないのだろうか、と首を傾げる。一日中外出していたとはいえ、基本的には屋内にいた。炎天下の中を歩き回っていたわけではないので、水分を取らなければという意識が薄かったのかもしれない。
 ――だが、何となく嫌な予感がしてしまう。少し悩んだものの、念の為自身に解析の術式を走らせて。

「……は?」

 直後、すぐに体内に防御系魔術を展開する。ぞくりとする、嫌な違和感。その正体は分からないが、どこかで何かを引っ掛けてしまったとしか思えない。しかし、どこで。
 今日の打ち合わせは3件。その3件とも相手は一般人であり、何らかの力を持っているということはない。周囲にいる人間に関しても調べはついている。少なくともあの場には、『此方』も『彼方』もいなかった。
 移動に関しても、全て伊鶴の運転する車で動いている。誰かが介入するような余地はない。ならば他に考えられる可能性は。

「……律様?」

 キッチンから戻ってこない律が心配になったのだろう。咲を抱いた桜が、顔を覗かせる。変に心配を掛けてしまうわけにはいかない。慌てて笑みを作ってぼおっとしてた、と答えれば、やはり心配そうな表情をして。

「お疲れなんじゃないでしょうか。今日は早めに休まれた方が……」
「そうだねえ……でも一応今日の打ち合わせ内容まとめてから……」
「簡単なものにしておいて、詳細は明日にされてもよいかと思います。芹さん、その辺りきちんとタイムスケジュール組んでくださってたので」
「……うん」

 芹は必ず、少し余裕を持たせたスケジュールを組んでくれている。書類作成や諸手続き等、細かい部分の処理をするための時間を多めに取ってくれているからだ。桜の言う通り、少し休んでも大きな支障は出ない。
 ――問題は、明日になればこの違和感は解消されるのか、という点で。

「……分かった。桜にあんまり心配させたくないしね」
「そうですよ。いっつもそう考えていただけると嬉しいんですが」
「いっつも思ってるんだよこれでも」

 ――ずきん。
 今度は頭ではなく、胸に走った痛みを押し殺しながら。律は目を伏せて、ゆっくりと咲の頬を撫でた。