Deep Resolve - 02
朱緋との話を終え、契約を済ませる頃には既に交通手段のない時間帯となっていた。急ぎホテルを手配した後、朱緋の誘いで夕飯に行き、ホテルのベッドに倒れ込む頃には既に深夜。流石に思考が疲弊しきっている――今日はこのまま休んで、翌朝自宅に戻ってから仕事をした方が効率も良いだろう。
ふと気になって、スマートフォンの中に溜まっている通知を眺める。恭と禮知に頼んだ仕事について、簡単な報告が二人と陵から届いていた。ざっと内容を確認して、まだまだ頼りないなと苦笑う。この辺りは、今後の課題だ。
――今後。
「……どうしようかな……」
考えたところで、答えは出ない。まずはこの先どうなるか、だ。
最悪のパターンは、何もできないこと。このまま何もできずに、次の世代――咲に、『院』との因縁が引き継がれてしまうことだ。場合によっては、それは澪生かもしれない。どうにかして、律のところで断ち切っておきたい。
レイラの話が本当なのであれば、現在茅嶋にこだわっているのはレイラだけだと考えていい。しかし、レイラからまた誰かへ、或いは違う因縁ができてしまうかもしれない。
それ以前に、律に対して何を仕掛けてくるか。恭に、桜に、咲に。或いは。考えれば考えるほど、よく分からなくなっていく。打てる手は何なのか、分からない。律は律が考え得る範囲でリスクマネジメントをしていくことしか、今はできない。
それでも――朱緋の手を借りられるというのは、本当にありがたい話だ。どうしても条件は付いてしまうが、何もしないよりは遥かにいい。
あとは、何かできることは。そうして考え始めるとキリがない。思考に自分が呑まれていくような錯覚に襲われて、律は体を起こした。こういうときは、シャワーを浴びて寝てしまうに限る。立ち上がろうとして、そこでスマートフォンが音を立てた。画面を確認すれば、そこに表示されていたのは「桜」の文字。何も考えず、次の瞬間には通話ボタンを押していた。
「もしもし、桜? どうしたの?」
『すいません、律様。遅い時間に……。起きてらっしゃいましたか?』
「俺はむしろこれからが元気な時間だよ」
知ってるでしょ、とおどけて笑えば、そうですね、と少し困ったような声音の返答が返ってきた。桜としては、休んでいてほしいという気持ちの方が上なのだろう。そうしたいのは山々だが、長年の夜型生活はなかなか改善されるものではない。
どちらかと言えば、この時間帯に桜が起きている方が珍しい。咲の世話で目が開いた時間だろうか。それでも、律に電話を掛けてくるようなことは今までなかった。
ええと、と少し迷う言葉の後。急かさずに待っていると、おずおずと桜が言葉を紡ぐ。
『……律様が、お元気かな……って、考えてしまって……』
「なあにそれ。今朝も会ったのに」
『そっ……そうなんですけど……』
「ちょっと疲れてるけどね、大丈夫だよ。今日はもうシャワー浴びて寝ようかなって考えてたとこ」
『え、じゃあお邪魔してしまいましたか!?』
「してないしてない。心配しないで」
兄妹揃って心配性だな、と思ってしまったことは黙っておく。
ベッドの上に座っている状態から、端に腰掛ける体制に変えて。サイドテーブルにスマートフォンを置いて、スピーカーに切り替える。
「咲は? 今日は寝た?」
『あっ、はい。ちょっとぐずってましたけど、少し前に』
「そっか。……っていうか、桜こそ寝れるときに寝ないと駄目だよ」
『ふふ、大丈夫です。夜中に起こされる回数は減りましたから』
「それはそうだけどさ。体力回復は大事です」
『律様もです』
「あはは、そうだね。……大丈夫、桜の声聞いてたらちょっと元気出てきた」
ぽろりとこぼれた言葉に、嘘はない。先程までの混沌とした思考が取り払われていくような気持ちになる。悩んで、悩んで、悩んで。けれどその先にある望みは、きっといつだってシンプルなもの。
「……ね、桜」
『何でしょう?』
「俺が今抱えてること片付いたら、みんなで旅行でも行こっか」
『……それは……あの、あまりよくないやつでは……?』
「あはは、フラグ立ててるみたいって? いや、単純に目標が欲しいなあ、と思ってさ」
『……じゃあ、えっと、恭さんと憂凛さん、憂生ちゃんと玲生くん、あとは私たち、ですね』
「うん。ばたばたしてたし、みんな揃ってどこかって、まだ行けてないから」
『分かりました、楽しみにしてます。――だから』
あまり無理はされないでくださいね。
きっとあえて穏やかな口調で、柔らかな声で、桜が言う。うん、と頷いて――笑ってしまう。それはあまりにもひどい嘘だ。けれどそれが嘘だと、桜も分かっていると知っているから。だから、それに甘えてしまう。
その目標を達成するためには、誰一人欠けてはいけない。勿論、自分も。
それを達成するために、どうするか。それが今、律が考えるべきことだ。達成することを前提に、無理も無茶もしていくしかない。
それでもきっと、こうして桜がいてくれるから。そこに帰りたいと思える気持ちを持てる自分になれたから。そんな自分のことは、大事にしていたいと思う。
「……あー、今すごい桜の顔が見たくなってきた」
『えっ』
「頑張って明日早く帰るね」
『お待ちしてます。でも、律様朝弱いんですから。気を付けてくださいね』
「そうだねー。新幹線乗り間違えたら大事件だ」
『……一人で帰ってこれます……?』
「恭くんじゃないんだからさー」
冗談ですよ、と笑う桜が愛しい。――彼女は本当に強くなったな、と思う。それは母親になったからなのだろうか。
ただただ、律の気持ちを柔らかくしようと、心を砕いてくれている。申し訳ないなと思う反面、これが電話でなければいいのに、という思いが心にすとんと落ちてきて。
「……よし。じゃあ、そろそろシャワー浴びてくるね」
『はい。すいません、少し長話になってしまいましたね』
「全然。電話くれてありがと、何か嬉しかった」
『それならよかったです。……おやすみなさい、律様』
「おやすみ、桜」
名残惜しい気持ちと共に、通話を切って。
今日はよく眠れそうだ、と軽くなった足取りで、律は浴室に向かったのだった。