Deep Resolve - 01

 一人で関西方面に足を伸ばすのは本当に久しぶりだ。ここ最近、遠出の仕事であれば必ず恭が同行している――ホテルで待たせることになっても、基本的には二人で行動するようにはしているので。
 それでも今回、恭との別行動を選んだ理由は幾つかある。ひとつは先日の件で、朱緋との間に妙な溝を作りたくなかったこと。もうひとつは、これから仕事を手伝ってもらうにあたり、禮知がどこまでできるかを確認したかったこと。
 ――そして。頭の中に浮かんだ考えを、一度閉じておく。それはまだこれからどう転がっていくか、という問題も孕んでいるので、先走って考えることではない。
 着いてすぐに、朱緋の店を訪れる。店にいたのは、見慣れない店員の男だった。

「あ。朱緋さん、茅嶋さん来たでー。いらっしゃいませ」
「こんにちは。えっと……? お会いしたことありましたっけ……?」
「あ、初めましてやっけ。俺は貴水 侑宏です。よろしくお願いしますー。朱緋さんがお世話になってます」
「茅嶋 律です。こちらこそお世話になってます」

 何となく、ただの店員ではないのだろうなと思う。だが、纏う雰囲気は一般人だ。どういう関係なのだろうかと考えていると、店の奥から朱緋が出てきた。律を見てにこりと笑う朱緋の様子は、いつもと変わらない。

「お久しぶりです、茅嶋さん。お待ちしてました」
「すいません、前日アポで来ちゃって」
「いやいや、そのうち来はるやろとは思ってたんで。えーと……ほんならあっくん、店頼むね。僕ちょっと茅嶋さんと出てくる。閉店時間なったら閉めといて」
「はーい。何かあったら連絡してくださいねー」

 ぶんぶんと手を振る侑宏に軽く手を振り返して、朱緋は歩き出す。軽く頭を下げてから、律は朱緋の後を追った。

「彼は?」
「うちの人間です。結構出張させてるんで、あんま店にはいないんですよね」
「あー……そういう?」
「ふふ。うちの常套手段やったりするんですよ、そういうの」

 何の力も持ってはいないが、この世界に明るい人間。
 基本的に、力を持っているというのはそれだけで警戒される。その力が強くても弱くても、あるという事実だけで警戒に値するからだ――悪行を働いているようなものは、尚更。
 故に『月ヶ瀬』は、情報収集に一般人を使っているということだろう。この世界に明るいかどうかなど、話さなければ分からない。リスキーな手段のようにも思えるが、きちんと教育が施された上のことだろう。少なくとも律には真似のできない手段だ。
 夏の暑さがじりじりと肌を焼く中、歩くこと数分。路地裏にある店の中に、朱緋は入っていく。後ろをついて入れば、中は雑然とした雰囲気の酒屋のように見えた。

「お、朱緋。裏使うんか」
「うん、ちょっと。鍵借りてええ?」
「長なるんやったら表閉めとくで」
「あー……できれば。お願いします」

 中にいたのは、老齢の男性。店主だろうか。決して律の方を見ようとはしないところから察するに、こちらも月ヶ瀬の関連なのかもしれない。こちらも目を合わせないよう気を付けつつ、朱緋に呼ばれて奥へと入れば。
 ――先程の雑然とした酒屋が嘘のような、小洒落た部屋。こじんまりとしているが、数人は入れるバーのようになっている。

「……こんなところあるんですね」
「ナイショの話する用の秘密基地なんですよ。こういうのワクワクしません?」
「うっかり前職思い出します」
「あはは。そういえば茅嶋さん、元バーテンダーでしたっけ」

 どうぞ、と勧められ、律は部屋の端のソファ席に腰を下ろす。部屋に鍵をかけた瞬間、室内に結界が張られるのが分かった。そういった対策ができている場所だからこそ、朱緋はこの場所を選んだのだろう。
 テーブルの上に置かれる、お茶ふたつ。律の正面に腰を下ろして、さて、と朱緋は息を吐いた。

「先日の件ですよね。柳川さんも一緒に来られるかと思ってたんですけど」
「恭くんには別で仕事を頼んでて。俺も落ち着いて月ヶ瀬さんと話したかったっていうのもありますし」
「まあ、彼がいるとしづらい話もありますよね」
「とりあえず、先にひとつ。――俺は先の件について、月ヶ瀬さんを責めるつもりは全くありません。月ヶ瀬さんは月ヶ瀬さんの仕事をしただけと、重々承知しています」

 律の言葉に、朱緋が目を細め。ややあって、ぺこりと小さく頭を下げた。
 責めることはできない。たまたま律の調査と朱緋の仕事がバッティングしてしまった、本当にそれだけだ。どこかで作為は働いている可能性は否定できないが、それでも朱緋が故意に律を邪魔しようとした結果ではない。そこを勘違いすることはない、と明確に伝えておくことが、今回は必要だと思った。故にここまで足を運んでいる。

「……わざわざ申し訳ない。とはいえ、僕の方から先日の件についてお話しできることは、何もないですよ」
「ですよね、それも承知してます。代わりに情報を寄越せとか、そういうことを言うつもりもありません」
「となると、今日来られたのは別件ですか」
「名目上は」
「はっきり言わはりますね」

 律の言葉に、思わずといった調子で朱緋が笑う。実際他に上手く言える言葉もないので、そう伝える他ない。

「俺、今ちょっと本気で命狙われてるぽくって」
「茅嶋さんが?」
「或いは、俺を狙うために俺の周囲を」
「……なるほど、面倒そうな相手に絡まれてるってことですね。つまりその件に、僕を巻き込もうと」
「端的に言えば、そうなりますね。俺は月ヶ瀬さんのこと、この国にいるかぎりは最強の手札だなと思ってますので。言い方は悪いですけど」
「ふふ。そうはっきり言われると、嫌な気はせえへんもんですね」

 夜を統べる『カミ』の名を持つモノを、その身に宿す者。
 朱緋自身がその『カミ』の力を忌まわしく思っていることは分かっている。なるべくその力を使わないように立ち回っていることも。それでも『どうしても』のときは、その力を振るうことを厭うことはしない。それは先の一件で証明されている。その力の一端に、律は確かに触れたのだから。

「じゃあ、排除の依頼ということになりますか?」
「……、いえ」

 ゆるり、律は首を横に振る。朱緋から意外そうな声が返ってきた。『月ヶ瀬』の仕事が汚れ仕事だということは重々承知しているので、朱緋としてもそちら方面の仕事の依頼だと判断したのだろう。しかし律としては、そういった仕事を直接朱緋に頼むつもりは毛頭ない。
 そもそも、相手がどんな刺客を放ってきても、それ自体は律が対処すべきものだ――と律は考えている。それは『院』の現『ロード』、レイラ=ブレイザーから律に対する挑戦状なので。売られた喧嘩は買う主義だ、そこに関して他人の手を借りるつもりはなかった。
 だが、レイラは律以外に手を出すことを厭わないだろう。そして彼女自身は、絶対堅牢な城である『院』の外に出てくることはないと考えた方がいい。となると、手を打てるのは『院』に入ることができる律だけだ。決着をつけられるのは、律だけということになる。
 ――だから。

「ボディーガード的なことをお願いしたくて。あ、俺のじゃなくて」
「……茅嶋さんの周囲にいる方々の?」
「そうです。俺も海外にいることが多いっていうのもあるので……。国内のことを頼める相手が欲しい、というのが正直なところですね。きちんと仕事として受けてもらえる、確かな実力がある人に」
「過大評価ですよ」
「どの口が言いますか」

 苦笑う律に、朱緋が肩を竦め。そのままグラスに手を伸ばし、茶を一口飲んで息を吐く。
 返答に悩んでいることは見て取れる。無茶な依頼をしていることは、律自身承知の上だ。そもそもかなりの距離がある地点のことを依頼しているので、かなり難しい話を振っている自覚はある。
 しばしの沈黙。ややあって、朱緋はもう一口茶を飲んでから、グラスをテーブルに置いて。

「……長期の依頼になります? それ」
「個人的には1年以内に決着はつけたい話です。長引いても……そうですね、5年以内には」
「その期間の理由は?」
「うーん……俺、自分の『ウィザード』としてのピークは多分今だろうなと思っていて。そのピークを保つことができる限界は、それくらいじゃないかなっていう試算です。つまりはその間に、決着をつけたいなって感じで」
「……成程。そうですね。茅嶋さんのやり方やとどうしても……ってことですか」
「きつくなってきたら当然スタイルは変わっていくでしょうけど、無茶するにもタイムリミットはあるかな……っていうのが正直」

 ここに来るまでの道中で、少し考えていたことを思い返す。頭の中で、一度閉じた思考。
 ――茅嶋 律という人間の、『ウィザード』として前線で戦っていられる時間の限界。
 生涯『ウィザード』を辞めるつもりはない。だが、どうしても衰えていくものがある。現状律のスタイルとしてはその場その場で魔術を構築し、状況に応じて柔軟に対応していくのが基本だ。反応速度と感知能力、そして瞬時の判断。それが、全て。
 果たしてこの先、どれだけそのスタイルを続けていけるだろうか。
 巧都の力を借り受ける際の代償も、いつまでも耐えきれるものではないだろう。いずれ回復にも、どうしても今までより時間がかかっていくようになる。そうなれば、自ずとスタイルの変更を迫られることになり、効率は落ちていく。魔術の質は変わらなくとも、向上していくことができるとしても、方法は変えていかなければならないのだ。
 将来のことを見据えたとき、律はどうしても今、レイラと決着をつけておかなければならないと考えている。
 万全のコンディションで、最高の状態でいられる今、片をつけなければ。
 このままレイラの興味が失せるまで耐えきったとしても、次に目を付けられるのは――きっと咲だから。

「俺が今、どうしても片付けなきゃいけないことです。……なので、もしかしたら、今なら月ヶ瀬さん考えてくれるんじゃないかなーって打算込みで、依頼を持ってきてみました」
「何で今やったらって思ったんです?」
「だって月ヶ瀬さんの性格考えたら、仕事とはいえ俺の調査の邪魔したの、気にされてるでしょう?」
「……茅嶋さん性格悪いでしょ」
「よく言われます」

 間髪入れない返答に、朱緋が声を上げて笑う。そう言われることは重々承知の上だったのだということは理解してくれたのだろう。
 ひとしきり笑ってから、目に浮かんだ涙を拭い。深呼吸をしてから、朱緋は真っ直ぐに律を見た。銀の片目が、妖しく光る。

「――分かりました。詳しい話を聞かせてください。その後、僕が引き受ける内容を詰めましょう」
「さすが。ありがとうございます」