Alley Curse - 01
「俺、やっぱりちょっと月ヶ瀬さんのところに行ってくる」
次の仕事の打ち合わせ中。
少し考え込んでいた律が、何の脈絡もなくそんなことを言い出して、恭はぱちりと目を瞬かせる。今しがた話をしていたのは、明日やる予定の仕事だ。全く月ヶ瀬のことは関係がない。
意味が分かっていない恭に、律は笑う。自分でも発言が唐突であることは分かっているのだろう。
「いや、この間の件ね」
「月ヶ瀬さんが東京来てたときの?」
「そう。多分向こうも気にしてるだろうし。今後について打ち合わせておきたいこともあるからさ。俺はそっちに行ってこようかと思って。あんま放置してて変な方向に拗れるのも困るし」
「え、じゃあこの仕事は?」
先程まで聞いていた仕事の内容は、近隣で起きている事件の話だ。月ヶ瀬の――朱緋の拠点である関西方面の仕事依頼ではない。律が関西方面に行くのであれば、こちらの仕事は一旦保留ということになってしまう。
仕事の書類に目を落として、律は再び考え込み。
「……恭くん、この仕事さ。禮知くんと行ってきてもらってもいい?」
「らっちっち?」
律が口にしたのは、『ソーサラー』麻葉 禮知の名。
先の事件で、その後の処遇の一環として今後禮知が仕事を手伝うことになる、という話は聞いていた。麻宮家が事実上取り潰されて存在しない家系となった結果、今後の禮知と当主であった知江の処遇の問題も出たのだという。結果としてその身柄は茅嶋家預かりという形となり、最近になってようやっと諸手続きが一段落したらしい。
どんな事情になっていようと、恭にとって禮知は友人である。別段、禮知と仕事に行くというのは特に断る理由もない。
「別にいいっすけど、そうなると律さん一人で月ヶ瀬さんとこ行くんすか?」
「そうなる。だめ?」
「んんー……まあ、月ヶ瀬さんとこなら別に止める理由もないんすけど……」
一人で向かう、とはいえ一人で仕事に行くわけではない。万が一仕事をしなければならない事態になっても、朱緋と行動を共にする可能性が高い。そうなれば、心配する必要もないだろう。
「……ついでに他の仕事一人で片付けたりしません?」
「しないしない、突発だったり月ヶ瀬さんに頼まれないかぎりは。話だけして帰ってくる」
「ならいいっすけど」
「何か俺すごい疑われてる?」
「日頃の行いが悪いからっすよー。律さん一人で行動してるとすーぐ思い詰めるとこあるから」
「それに関しては返す言葉もございません」
冗談めかした口調で言いながら、律は頭を下げる。恭が『院』の件を言っているのだ、ということは分かっているのだろう。さすがに同じようなことになるとは思っていないが、先日の件についての詳細はあまりよく分かっていない。恭がついていったところで話の内容は分からないので、恐らく留守番としてこちらで仕事をした方が、律の役に立つだろう。
仕事の書類を手に取ってもう一度目を通した律は、不意にスマートフォンを取り出した。禮知に連絡を取るのかと思いきや、もしもしなかみー、と言い出したので、相手は陵らしい。
「ごめん、ちょっと俺別件で仕事あって、明日恭くんと禮知くんで仕事行ってもらうことにしたから、ちょっと保護者頼んでいい? ……うん、いや、禮知くんに仕事任せるの初めてだし、今後うちで仕事していけるかどうかのテストも兼ねてるから、なかみーついててくれると俺も安心だなって。……あはは、うん、じゃあお願いね。詳しくは明日禮知くんに聞いて。待ち合わせとかは恭くんに連絡入れさせるから……うん。うん、はーい。お願いします」
「……なかみー一緒に行ってくれるんすか?」
「うん。禮知くんは神社入れないだろうから、その辺フォローするんだよ」
「了解っす! ところでらっちっちには連絡」
「今からします」
――事後承諾でいいのかなとは、少し思ったが。
嫌そうな声で承諾する禮知が容易に想像できて、恭は思わず笑ってしまったのだった。
翌日。
恭が運転する車に乗るのは不安だから、という理由で禮知が家まで迎えに来てくれた。その肩には黄色い小鳥が乗っており、何なのかと聞いたが明確な回答は返ってこなかった。恐らく何らかの『カミ』ではあるのだろう。
小鳥と遊んでいるうちに車は神社に着き、陵を呼びに行く。珍しくスーツ姿で神社から出てきた陵は、車で待っていた禮知を見て微妙な表情になり、対する禮知も反応に困るような表情で。
「……っす」
「おはようございます。お元気そうで」
「……どうぞ」
「どうも」
「何でそんな変な距離感なんすか?」
麻宮家の事件には、陵も関わっていた。確か電話でも話していたし、面識はあるはずなのだが、どうにもよそよそしい。首を傾げつつも、恭は助手席に乗り込む。同じように陵も後部座席に乗り込んで、溜め息ひとつ。
「ところで、今回の仕事内容は何なんですか?」
「え、茅嶋さんに聞いてないんすか」
「律さん、らっちっちに聞いてーって丸投げしてた」
「マジかよ……」
困惑した表情の禮知はしかし、さすがに仕事内容はきっちり把握してきたらしい。言葉を選びつつも、澱みなくその内容を説明し始める。
――このところ、繁華街で傷害事件が起きている。
ただの傷害事件ではない。そこには妙な人物が一人関わっているのだという。その人物を殴ったら、殴った方が怪我をした。殴った手を怪我したというわけではなく、相手を殴ったはずの場所に怪我をする。顔を殴れば自分の顔に衝撃がきた、腹を刺せば自分の腹に刺し傷ができた。そのような証言が次々に上がってきた結果、これは間違いなくオカルト的な事象だろうということで、茅嶋家に話が回ってきた――というのが、今回の事件の概要だ。
「まあだから、犯人確保が仕事……ってことになると思ってるんすけど」
「なるほど。犯人の特徴とかは分かっているんですか?」
「フードがついたパーカーのような服装、フードを被っていて顔は見えない。小柄で体格はよくない……だったかと」
「他に分かっていることは?」
「特には。とりあえず何かしらの術とか使ってんなら、現場に痕跡が残ってるだろうし、とりあえず現場回ってみるつもりでいるんすけど。何かご意見とかありますか」
「俺は律さんにとりあえずらっちっちの邪魔しないようにねって言われた」
「さすが茅嶋さん……判断が賢明ですね……」
「どういう意味?」
ひとまず、陵としては禮知の提案に特に意義もないらしい。それなら、と禮知は事件現場となっている繁華街へと車を走らせたのだった。
現場である繁華街は、あまり治安はよくなさそうだな、というのが恭の第一印象だった。繁華街と言えば聞こえがいいような気はしてしまうが、どちらかと言えば夜の仕事がメインの通りである。被害者もホストやチンピラだという話なので、納得せざるを得ない。
「よし! とりあえず俺聞き込みしてくるっすー」
「俺もちょっと痕跡調べに……、……どうされます?」
「行ってらっしゃい」
「マジすか」
やる気があるのかないのか。待っている気満々らしい陵に送り出され、恭は聞き込みを始める。今から帰るのだという人や、これから仕事だという人がちらほらといたので、その人たちから最近起きた事件について聞いてみることにした。
聞けた話としては、事前情報通りの目撃証言ばかりだ。喧嘩をしていると思えば、殴り掛かっていた方がいきなり呻き声をあげて倒れた。刃物を振りかざしていた方が怪我をしていた。絡まれていた方はそのまま走って逃げていった。
ひとつだけ、追加で得ることができた情報は。
「何か、走り方とか女の子っぽかったーって」
「小柄だというお話でしたしね。成程、女の子の可能性は高いと考えていいでしょうね」
「ちなみに顔は見てないって言われた」
「まあそこは期待していませんでしたが」
恭の報告に笑った陵が、そのまま視線を禮知へと向ける。憮然とした表情で二人のやり取りを見ていた禮知は、何の情報も得られなかったと言っていた。恭の聞き込みよりも成果がなかったことに、納得がいかないのだろう。
二人が調査に出ている間に、陵も別の観点から調査は進めていたらしい。視線は禮知から、奥の方にある雑居ビルへと移される。
「あちらの方角に、犯人らしきにおいが濃く出ているようで。恐らくあのビルではないかと思うのですが」
「おー、さすがなかみー」
「この辺りで犯人が女の子、となれば、痴情のもつれというセンも考えられますけど」
「いや、それはねえんじゃないすか……、痴情のもつれだとしたら、ちょっと被害者のジャンルがばらばらすぎるんで」
「ああ……それは確かに」
「んじゃとりあえず、あのビル調べたらいいんすね!」
「そうですね……あ」
陵の返事を待たず、恭はビルへと駆け出す。3階建ての、それほど大きくない雑居ビル。1階にはチャイナをコンセプトにしたカフェ、2階の窓には「雀荘」の文字。3階は分からないが、どうやら何かしらの事務所のようだった。
調べるのであればひとまず1階からだろう、と恭はカフェに足を踏み入れ。
「すいませーん、ちょっと」
「あら、見ない顔」
「ご新規さん? いらっしゃいませー」
「やだかわいい! ご指名よろしくお願いしまーす」
店に入った瞬間、チャイナ服を着た数人の女性が恭に近寄ってくる。ぎりぎりアウトではないだろうかと思えるほどの露出のチャイナ服と、むせ返るような甘ったるい香水のにおい。
――ここはもしかして、そういうお店なのでは?
気付いたときにはすでに遅い。気付けば更に女の子たちに取り囲まれて、あれやこれやと過剰サービスとしか思えない雰囲気になっている。
絶対に帰ったら怒られるのが目に見えている。できれば誤魔化したい気持ちがないわけではないが、彼女は鼻がいい。これだけ濃密な香水の中にいると、他のにおいで上書きするのは恐らく不可能だ。
「……やばい……ゆりっぺに殺される……」
一人呟いた声が聞こえたのかどうか。
背後でカフェの扉が開き、女の子たちの視線がそちらを向いた。