Malicious Forethought - 02
その後、いくつかの仕事のスケジュールの打ち合わせをしてから、恭は自宅に戻っていた。帰ると憂凛が夕飯の準備を始めていたので、『黄昏の女王』 と二人で子守を担当しておく。ひとしきり遊び終わった頃に食事ができて、子供たちに食べさせて、としているうちにあっという間に時間は過ぎていき、ようやっと子供たちが寝て落ち着く頃にはすっかり遅い時間になっていた。
とはいえ、これが現在の柳川家の日常でもある。
「ふわー……お疲れさま、ゆりっぺ」
「お疲れ様でした。でも、れーくんもしかしたら夜中に起きるかもだなー」
「最近また増えてる?」
「去年に比べたら、全然その辺は楽になったけど」
やれ遊びたいだ本を読んでほしいだと、子供たちは本当に自由だ。こちらの都合など、一切気にはしてくれない。きっと自分たちもそうだったのだろうと考えると笑ってしまう。
子供たちが眠る姿を二人で眺めながら、そこでふと思い出したのは律の話だ。今朝の話をあまり蒸し返したくはないのだが、しかし確認はしておかなければならない。
「……あのー……ゆりっぺ?」
「ん?」
「今朝の話、律さんに報告したんだけど……」
時折茶々入れのような『分体』の補足を挟みつつ、恭は律に聞いた話を憂凛に共有する。内容が内容ではあるので、さすがに律が命を狙われた、という辺りはぼやかしておいたが、気付かれずに話ができたかどうかは正直自信がない。
どちらにしろ、憂凛には何となく恭が言えないことがある、というのはバレているのだろう。少し困った表情になって考え込んだ憂凛は、ややあって首を横に振った。
「……私には、あの人『ウィザード』には見えなかった」
「フツーの人?」
「うん、多分。本当に普通の人にしか見えなかったし、普通の人が妙な『怪異』に遭遇したんだなって認識ではあるけど」
「けど?」
「『怪異』の話聞いてフツーのことみたいに話してる私と恭ちゃんに何も言わなかったのも不思議だな、って思った。それにぶんちゃんの記録が消えちゃってるってことは、私の認識が書き換えられてても不思議ではないよ」
縁も持っちゃったし、と言いながら、憂凛はスマートフォンを取り出した。開かれたメッセージアプリに表示されているのは、【Kazumi】の文字と、何らかの炭酸飲料のアイコン。今日はすいませんでした、という華純からのメッセージに、憂凛が大丈夫です、というスタンプだけを返している。
縁を持ち、繋がった。それで憂凛の記憶が変わってしまっているとしたら、本人に直接会う以外に確認する方法がない。しかし、恭ではその辺りの感覚が鈍すぎる、というのも問題だ。ひとまずは今の話を律に共有するしかないだろう。
「……ごめんな、ゆりっぺ。何かちょっと巻き込んじゃったみたいなことになって……」
「それは全然気にしないで。でも、困ったねえ」
「んー……」
何が正しいのかが分からない、というのは無駄に猜疑心を生んでしまう。何もかも認識がおかしくされてしまっているのでは、と考え始めてしまうとキリがない。こういうことは早めに片付けてしまいたいところではあるのだが――果たして。
「何か分かったら、ちゃんと教えてね」
「もち!」
憂凛の言葉に、恭はしっかりと頷いて。
――しかし翌日、事態は思わぬ方向に転がってしまうこととなったのだった。
翌朝。
いつも通りに家を出て、トレーニングのために神社に向かう道中。思いがけない人物の姿に、恭は反射的に足を止めた。
「……はえ? 月ヶ瀬さん?」
「おはようございます、柳川さん」
和装のようにも見える、裾の長い、全面に刺繡を施された服を着た臙脂色の髪の男――月ヶ瀬 朱緋。関西方面に行った際に共に仕事をすることは多いが、朱緋がこちらに来ていて会う、というのは初めての出来事だ。
どうしたのだろうと首を傾げつつ、手招きされたのでそちらに足を向ける。ふっと空気が変わったように感じたのは、朱緋が結界のようなものを作ったからか。嫌な気配ではなかったので、ひとまず気には留めないことにする。
「どうしたんすか? こっちに来る仕事とか……?」
「うん、まあちょっと『ウィザード』としての仕事で。あんまりこっちに来ることって、滅多にないんやけど……」
「あ、もしかして律さんに何か手伝ってほしいとか、そういう感じの?」
「ううん。仕事自体はもう終わってるんです。ちょっと柳川さんに会っておこうかなって思って」
「俺?」
何度か共に仕事をしたことはあるのだが、しかしそれだけだ。以前朱緋が襲われた際にかの家のことを聞いたという関係性はあるが、個人的にやり取りをするような間柄というわけではない。
律ではなく、恭に会いに来た。その意味が、全く分からない。
とはいえ、朱緋としては本当に恭に用事があったのだろう。今日のことをじっと見つめている黒と銀の双眸が、すうと細められて。
「……柳川さん、今日って茅嶋さんに会われる予定あります?」
「へ? はい。あの人寝てるだろうし、多分午後になるっすけど」
「あはは、茅嶋さんは夜型やもんね……まあ僕もやねんけど。ほんならまあ、僕が謝ってたって伝えてもらっていいです? 僕はもう午前中には向こうに着いときたいから、会うのは難しそうやし」
「謝る?」
「言うてくれたら通じると思います」
「……うーん、『ウィザード』の人みんなそゆとこある……」
「あはは」
意味が分からず眉を寄せた恭に、おかしそうに朱緋は笑う。『ウィザード』が皆そうなのか、それとも律や朱緋といった恭の周囲にいる『ウィザード』がたまたまそうなのか。どうにも秘密主義で困ってしまう。
それでも、言えば分かるのであれば伝える他ないだろう。詳しいことは、律に聞いた方がよさそうだ。
「じゃあ、僕は新幹線の時間もあるんで、これで」
「うす。……あ、月ヶ瀬さん」
「はい?」
「あれから何も起きてないすか? 大丈夫? あんま会えないし、ちょっと心配だなあとは思ってたんすけど」
襲われ、血まみれになっていた朱緋の姿は、はっきりと覚えている。あまり見たくはない光景だったせいだろう。
あのときは結局、朱緋自身が追い払うことはできた。だがしかし、あの事件自体は根本的に解決はしていない。解決できるものではなかったから。
恭の問いに、朱緋は驚いたように目を丸くして。ややあって、くすくすとおかしそうに笑った。
「……本当に君は」
「へ?」
「いえいえ、ありがとうございます。あれからは平和ですよ。――また何か起きたら、そのときは助けてくださいね」
「もちろん!」
昼食の後、恭は茅嶋家を訪れていた。憂凛の話と、今朝の朱緋との話を伝える必要があったからだ。ご機嫌な様子の咲と少し遊んでから、いつも通り律の書斎で話をすることになった。
「憂凛ちゃん、何て言ってた?」
「普通の人にしか見えなかったしそう思ってるけど、ぶんちゃんの記録が消えるくらいだから、ゆりっぺの記憶が知らない間に変わってても不思議じゃないよって言ってたっす」
「あー、まあね。それは一理あるんだよなあ……」
「でもそんなことできるもんなんすか?」
「ぶんちゃんは『カミ』の端くれ、憂凛ちゃんは『半人』っていう違いもあるし、どちらも書き換えるってなればかなりの実力者だなっていう見方になっちゃうなあ」
「はえー……」
聞いたところでよく分からない。恐らく対象が違うからという話なのだろうと結論付けておく。あれこれと聞いてしまうと、これは話が長くなってしまうパターンだ。
そしてもう一つ。恭は律にしておかなければならない話がある。
「そう、律さん。俺、今朝月ヶ瀬さんに会ったんすよ」
「……へ? え、こっちで? 何で?」
「仕事でこっち来てたらしいんすけど。多分俺待ち伏せされてたんじゃないかなって思ってるんすけどね、何か、律さんに謝っといてって言われて……。何のことかさっぱりだったんすけど、言えば分かるって言われちゃって。何だと思います?」
「……月ヶ瀬さんが仕事でこっちに来てて、俺に謝る……?」
怪訝そうに、律が眉を寄せる。やはりそれだけでは律も分からないのだろうかと思ったそのとき、急にあ、と声を上げた。慌てた様子で棚から一つのファイルを取り出すと、すごい勢いでめくり始める。
一体何を思いついたのだろうと思ったのもつかの間、がっくりと律は肩を落として。
「……やられた……」
「へ? へ? 何?」
「多分、高階 華純、消されてる」
「……え?」
「ちょっと待って」
――消された。
その言葉の不穏さに、恭は瞬く。この一日の間に、一体何が起きたというのか。スマートフォンを取り出してどこかに電話を始めた律は、恐らく現状を把握しようとしているのだろう。
ひとまず、律の電話が終わるまで恭にやることはない。仕方がないので、律が広げている書類を覗き込んでみる。――高階 華純の調査報告書。その分量から察するに、かなり本格的に調査をしていたのだろうということは、恭でも分かる。
「……駄目だやっぱり」
「だめ?」
電話を切った律が、弱ったように溜め息を吐いて椅子に身を預けた。恭のおうむ返しのような疑問に、小さく頷く。
「調査全部無駄にされた……多分恭くんが高階 華純に会うことももうない……っていうか、昨日のそれがトドメになっちゃったのかな……」
「ど、どういうことすか」
「高階 華純は失敗した。そう『院』に判断された。だから消された。月ヶ瀬さんの仕事のひとつとして」
――曰く。朱緋には恐らく、早い段階で高階 華純に関する依頼が届いていた可能性が高いという。それ自体が既に『院』の差し金で、依頼自体は月ヶ瀬を狙ったものではなく、有事の際に確実に始末してくれる人間であれば誰でもよかった筈だ、というのが律の見立てだ。調査という名目で、ひとまず監視を行わせていた形。
そんな中で、華純は動いていた。モルテンとヘルトに対する依頼も、そして先日の廃工場の一件も。しかしどれも決め手にはならず、焦った華純は恭に直接接触することにした――のが、アウトだと見なされた。ただでさえ、律は華純の存在自体には辿り着いていた。直接の接触ともなれば、それは悪手となる。
華純から辿られてはならない何かがあった。華純が消えてしまったことで、そこを辿るすべは絶たれてしまった。そう見た方がいいだろうというのが、律の見解だった。
「……月ヶ瀬さんの謝罪って、じゃあ」
「調査の過程で高階 華純が俺に対して何かしようとしていること、或いは俺が彼女を調べてたことはすぐに分かったんじゃないかな。でも月ヶ瀬さんも仕事だからね……俺の邪魔することになってごめんって話だね」
「あう……」
「文句は言えないし、守秘義務あるだろうから月ヶ瀬さんも調査の内容教えてくれないだろうし、今回は詰みだ」
律が話してくれた話の内容の半分も、恐らく理解できてはいない。それでも、恭でも分かることがある。
――このやり取りの中で、一人の人間の命が奪われたらしいこと。
ぎゅう、と胸が痛む。少し会ったことがあるだけの、ただそれだけの人。彼女に狙われていたのだという実感は、恭にはない。だからこそ。
昨日、恭に会った華純が恭から離れようとしなかったのは、自分が殺されるかもしれないということに気付いていたのだろうか。あの時点なら、何か助ける方法はあったのだろうか。――もしかしたらそれは、恭が危険な目に遭うことになる事態だったのかもしれないが。
「……責任感じなくていいよ、恭くん」
「でも、」
「全責任は高階 華純にそんなことやらせた人間にある」
「……うす」
「大丈夫だよ。――俺は絶対、やられたことはやり返すからね」
そう言って、律は力なく笑った。