Silent Alter - 05

 万寿の保護のための手配を済ませた後、英二から連絡があった。隼人の方は特に動きはなく大人しくしているようで、ほっと胸を撫で下ろす。とはいえ動きがないということは英二が暇ということで、文句を言い出したので陵に頼んで手製の弁当を持っていってもらった。
 自宅に帰りたいところではあったが、このところの疲労も溜まっている。今の間に一度ゆっくりと休むべきだという陵の言葉に甘える形で、律は神社に泊まることにした。今の状態では、桜や咲とゆっくりすることも叶わない。どちらにしろ万寿を無事に保護した今、向こうからも何かしらのリアクションはあるだろう。早ければ翌日には事態は動くだろうと判断し――その予想は的中した。
 通り魔のニュースもなく、朝は平和なものだった。一度家に戻ると、昨夜律が帰れない状況だったと聞いた椿が、心配して今日は自宅で仕事をしていると桜が教えてくれる。これは後で顔を合わせたら怒られるな、と笑って――しかし、日常はそこまでだった。
 律に渡瀬からの情報共有があったのは、もうすぐ昼になろうかという頃。曰く、公安職員から連絡を取って欲しいと駆け込んできたのだという。直接報告させてほしいとのことで電話を代わってもらうと、相手は昨日廃病院にいた公安職員だった。

『すみませんすみません、本来は別の者が連絡するはずだったんですが、今話せる状態じゃなくて……!』
「いえ。落ち着いてください、何があったんですか?」
『茅嶋さんのお名前をお借りして麻宮家を訪れた者が、おかしくなって戻ってきて……』
「……どんな感じで?」

 たどたどしい説明から察するに、まだ起きたばかりの状況ではあるのだろう。何が起きたのか公安の方でもまだ把握できていない上、当然当人からも話を聞けるような状況ではないという。回復次第話を聞く予定だが、その回復もいつになるか分からない――というのが公安職員からの報告だった。
 幾つかのことは想定していたが、悪い方の結果が返ってきてしまった。しかし、これで麻宮家は禁忌を犯したことになる。茅嶋の使いとして出した人間に、害を為した。恐らくはその意味を、向こうも分かっている筈だ。
 対峙すべきは、知江や禮知ではない。間違いなく、麻宮 与々だと考えていいだろう。
 電話を切って、溜め息一つ。黙って聞いていた桜が、少し悩んだ後に意を決したように頷いて。

「お仕事、ですね」
「うん。……ごめん桜、椿にも話して、いつでも家出られるようにしててくれる? 回復要員が必要になると思う。咲のことは芹ちゃんに頼んでみるね」
「はいっ。……最初から同行は、」
「それは駄目。大丈夫、……多分俺は無理はするけど、でも、大丈夫」
「っ……、分かりました。信じて待ってます」

 何かを言いかけて、しかし桜はその言葉を呑み込んで、しっかりと頷いてくれた。律のことを心配しているのは当然だが、桜としては知江のことも心配しているということもあるのだろう。知江はいつも恐れ多いと言うが、桜にとっては本当に知江は大切な友人の一人であることを、律は知っている。
 芹に連絡を入れてから、恭にも連絡を入れておく。その後、陵に情報共有を終えた後に、恭がスーツ姿で現れた。仕事だとはっきり言ったので、そちらの方がいいと憂凛が判断してくれたのだろう。

「恭くん、アリスちゃんは」
「もち! 通り魔のときに襲われたのもガチで怒られたし……」
「だろうね。まあ今日は、多分、アリスちゃんの力を借りることにもなるだろうから」
「うっす! 気合い入れて頑張るやつ!」
「うん。まあいつものことだけど、負けられないからね」

 軽い調子でそんなことを話しながら、恭の車に乗り込む。桜が持って行ってください、とサンドイッチを持たせてくれた。それをかじりつつ向かったのは、駅前だ。ホテル近くで見張りをしていてくれている英二に会う為だ。
 暇そうにホテルの方を眺めていた英二が、二人に気付いて。そして二人ともスーツ姿であることに、眉を寄せる。

「仕事か」
「うん、これから神社寄ってなかみーピックアップして、麻宮行ってくる」
「同行しなくていいのか?」
「隼人くんが動かないように見張っててもらう方が安心して仕事できるから、お願い。頼りにしてるよ」
「頼られちゃあ仕方ないな」

 笑う英二に、サンドイッチをおすそ分けしてく。実際、不安要素を潰しておきたいのは事実だ。隼人が動いてしまうと、何が起こるか分からない。信頼できる相手が抑えてくれているというのは、心強いことだ。
 神社に寄って陵を拾った後、ふと気になって行先を廃病院に変更してもらう。立ち寄ったそこは建物自体に変化はなく、何らかの術式が動いている気配もない。すっからかんのその廃病院にあったのは、コンビニの買ったのであろう食事のゴミ。ゴミの量から察するに、それは一人分の食事だ。

「麻宮 与々……、ですかね」
「だろうね。もう隠れる必要もないってとこか……」

 彼の目的が何なのかは、律にとっては関係のないことだ。麻宮で何があったのかも、彼の人生も、今は関係ない。
 ――確かなことは、茅嶋に喧嘩を売ったということなので。

「さてうちに喧嘩売るとどうなるか、ちゃんとやっとかないといけないのでね」
「まーた始まった」
「お付き合いお願いしますね、なかみー」
「全く……仕方ないですね」


 麻宮家は、異様な程に静かだった。

「……人の気配なくないっすか?」
「いないことはないと思うけど。……なかみーどう思う?」
「穢れが酷すぎるということは変わりないですが……」

 インターホンを鳴らしても、中からの反応はない。恐らく何度押しても反応はないだろうと判断して、律はドアに手を掛けた。当然、ドアには鍵が掛かっている。開錠の魔術を構築、発動。――そしてあっさりと、その扉は開く。

「不法侵入では?」
「許可は後から取ればいいんだよ」
「いいんですかねそれで……」

 中に入っても、やはり人の気配はせず、静かなものだ。しかし穢れた空気は変わらず、それどころか穢れは酷くなっている。澱んで、絡みつく。

「……律さん」
「ん?」
「血の臭いする気がするんすけど……」
「……なかみー、穢れやばそうなのって」
「上ですかね……」
「だよね」

 人の気配はないが、いつ何が起きるか分からない。慎重に階段を上がって2階に辿り着くと、明確に血の臭いが濃くなった。しんとしている廊下を歩いていくと、一つだけ扉の開いた部屋が目に入る。
 近づけば、血の臭いが更に濃くなった。駆け出そうとする恭を押し留め、慎重に扉を開けば――その先に広がっていた光景は。

「――らっちっち!? 知江ちゃん!?」

 さすがに、止めることはできなかった。
 部屋の中で、禮知が知江を庇うようにしてその場に倒れ込んでいる。禮知の下にいる知江に、下半身が見えない。恐らく吹き飛ばされている。生きているかどうかも怪しい状態だ。走って行った恭が声を掛けているが、どちらも反応はない。
 遅れて駆け寄り、応急処置の術式を構成する。ぎりぎり生きてはいるようだが、いつまで繋ぎとめていられるか分からない。このまま放置していれば、どちらにしろ二人とも保たないだろう。陵が傷の処置を引き受けてくれたので、代わって桜に電話を掛ける。待機してくれていたのかすぐに電話に出てくれた桜に、椿と二人ですぐに来てほしい旨を伝え。
 ――その電話を切った直後、嫌な気配が膨れ上がった。昨日、廃病院で感じたものと同じ気配。

「イイトコロに来るじゃんお前らってば」
「……これはまた、随分と変わったお姿で」

 思わず声が引きつった。そこにいたのは与々だ――だが、その姿は全く違うものに変貌している。恐らくそれは、与々が使役している『カミ』と融合した姿。ケンタウロスのようなもの、と呼ぶのが一番近いだろうか。上半身は与々のものだが、しかしその髪も瞳も黒に染まっている。そして、その下半身は獣のそれ。

「……イッチが、らっちっちと知江ちゃんにこんなことした?」
「だとしたらぁ? 茅嶋さんも麻宮の術式に興味がおありのようだったしぃ?」
「直々に見せてもらえるとは、ありがたいお話で」
「私としてはお断りしたいところですねこういうの……」
「余す所なく見せてやろうって優しさじゃん。遠慮なんてしなくていいぜ?」

 ぐわり、と押し寄せてきたのは真っ黒な何かだ。律が展開した防御壁に合わせるように陵の『式神』が現れ、その攻撃を受け止める。聞こえた舌打ちは与々のものか。
 間髪入れずに鉄刀を抜いた陵がそのまま斬りかかるのに合わせ、赤軍服姿の『セイバー』へと変身した恭が駆けていくのを眺めつつ、律も準備を進める。手を抜いて勝てる相手ではない。やるなら全力でやるしかないのだ。 
 
「――【世界に愛されし者、世界に嫌悪されし者、その献身を、その暴虐を、我に貸し与え給え。我望むは君臨せし者の力なりて、音奏でし者としてその資格を得んことを】」
『ははっ、面白そうじゃん。まあ頑張れ?』

ごっそりと対価を持っていかれる感覚に耐えれば、律の全身に刻み込まれる魔法陣。虚空に現れたのは、魔力で形作られた鍵盤だ。それを見た与々が、嬉しそうに口笛を吹く。瞬間、隙を狙った恭から繰り出されたハイキックが、与々の顔面にクリーンヒットして、明らかないら立ちを見せた与々が、今度は恭に狙いを定め。

「誰のお気に入りに手を出そうとしているのかしら」
「アリスちゃん!? 喚んでないよ!?」
「喚びなさいよこんなときは! だからこの間大怪我したんでしょう!」

 恭の文句に言い返しつつ、『黄昏の女王アリス』が与々の攻撃を防ぐ。一通りの攻撃を受け止めて少し退いた『黄昏の女王アリス』は、恭に懐中時計を手渡した。きょとんとする恭に、にこりと微笑んで指先をくるりと回してみせる。

「私の攻撃に合わせて回してもらえると助かるわ」
「まわす? くるくる?」
「鬱陶しいな、未練たらしく化けて出てくんなよクソガキが……」
「は?」

 ぴき、と『黄昏の女王アリス』のこめかみに青筋が立ったのが分かる。思わず陵が一歩退いたのは、『黄昏の女王アリス』の怒りが場の空気を染めていったからだ。
 空気が変わる。塗り替わっていく。圧がぶつかり合う幻聴が聞こえて、空間が軋んでいる錯覚が見える。

「頭が高いわ。床に口づけて詫びなさいな」

虚空に現れた瓦礫の山が、与々の頭上に降り注ぐ。瓦礫に潰される与々を見ながらふん、と鼻で笑って――そこではっと気づいたように『黄昏の女王アリス』は恭を振り返った。懐中時計を弄っていた恭は、驚いて瓦礫が落ちた場所に視線を向けている。今の状態で回すのか、と気付いて針を回してみているのが、こんなときでも恭らしい。

「……恭くん、あの、聞いてた……?」
「へ? 何が? あ、回してみたけど合ってる?」
「……ありがとうそのまま回していて!」
「こ、のクソガキがぁ!」

 瓦礫の山から飛び出した与々が、そのまま『黄昏の女王アリス』に攻撃を仕掛ける。蹄と瓦礫の打ち合いに、律は魔術で追撃をかけ、合わせて陵の鉄刀が閃く。このままでは一進一退の攻防が続くだけだ。追撃の合間に、別の術式を組み立てていく。露見すれば一瞬で壊されるのは分かっている、気が抜けない。
 とはいえ、長引けば徐々に『黄昏の女王アリス』が疲弊していっている。それでも退くことなく立ち向かってくれているおかげで、安定して魔術構築が進められる――が、これ以上は防御が間に合わない。

「……なかみーごめん、守り助けて」
「任せてください。……大丈夫ですか」
「もうちょい……」

 近くにいた陵に助けを求めれば、すぐに頷いてくれる。こういうときに味方がいるというのは心強い。『黄昏の女王アリス』の対応で、徐々に与々も疲弊している。仕掛けるなら、今しかない。
 しかし、さすがに陵に助力を乞えば与々にも露見する。それでも今、この魔術の構成を壊されるわけにはいかない。

「何か企んでん……なっ!」
「させませんよ」
「貴方の相手は私でしょう」

 与々が攻撃の対象を『黄昏の女王アリス』から律に切り替える。繰り出された黒い蹄はしかし、陵の『式神』の阻まれ、『黄昏の女王アリス』の攻撃に晒され、届かない。
 あと少し、もう少し。くみ上げた術式は、鍵盤から奏でられた旋律と共に宙に描き出され。

「――もう、終わりにしよう」


 律が放った術式は、与々と『カミ』を切り離した。与々から切り離された『カミ』は黒い泥と化し、消失。残ったのは、全身のいたるところが変質し、おおよそ人の身体とは思えない状態になっている与々だけだ。
 それを確認して、律はその場に膝をつく。身体から借りた力が抜けていくのが分かる。巧都に力を借りた代償は、いつもながら大きい。かなりの負荷に、眩暈がする。気を抜けば倒れてしまいそうな体を、陵が慌てて支えてくれた。

「大丈夫ですか……? 本当に無茶をする人ですね……」
「あはは……手抜いて勝てる相手じゃないなと思って……」
「律さんっ!?」
「あ、椿」
「何を馬鹿なことをしたんですかっ!? すぐに治療、」
「俺よりあっちお願い」

 伊鶴の車でちょうど到着したのだろう。部屋に駆け込んできた椿が、血相を変えている。怒られる前に、律は恭の方を指差した。恭は与々が動けなくなってすぐに禮知と知江の方に戻り、声を掛け続けている。二人が重傷なのは、椿にも分かったのだろう。後で怒りますからね、と言い残して、椿はそちらに走っていった。
 続けて部屋に桜が入ってきたのを見て、陵が立ち上がる。後はお願いしますね、と桜に託して、陵も椿の後を追っていった。律の前に腰を下ろした桜は、既に泣きそうな顔をしていて。

「……ひどい無茶をされてるじゃないですか……」
「……だから無理するって言ったじゃん……。でも、ごめんね」
「御無事で良かったです……」

 ぽろり。堪えきれなかった涙が、桜の瞳から零れ落ちていく。ごめんね、ともう一度謝って、律は桜に寄り掛かった。桜の顔を見て安心したのか、気が抜けて体に力が入らない。
 ふわり、と蝶が舞っている気配がする。穢れていた空気が少しずつ浄化されていくのが分かる――とはいえ、この穢れは余りにも根深いものだ。表面的に浄化する程度が精いっぱいだろう。
 詳しい状況は、禮知と知江の意識が戻ってからということになる。与々は意識が戻ったとしても、どこまで本当のことを話すか分からない。動けるようになれば逃げ出してしまうことは目に見えているので、その対策も考えなければならない。
 それでも、今だけは。

「……さくら、」
「はい」
「たまには……桜と咲も一緒に、なかみーんとこでゆっくりするの、どう?」
「……りつさま、ばかです……」
「ふふ、そうだね」

 考えなければならないことは山のようにあるが、後片付けのことは、今は忘れよう。
 そう決めて、律は目を閉じた。