Silent Alter - 04

 通り魔の痕跡を追っていたところ、駅前で見覚えのある蛸の触手のようなものに襲われた、というのが英二からの報告だった。『黄昏の女王アリス』が出るよりも早く現れ、一撃を入れるだけ入れて消えたとのことで、恭もそれなりに重傷だという。ちょうど帰宅途中の椿が近くにいたため、治療に向かってもらって事なきを得た。とはいえ様子を見た方がいいだろうという話になり、二人のことは神社に預けてから、律は茅嶋家に戻ってきていた。帰宅前に一人で調査に出ては駄目ですよ、と陵に本気で念押しされてしまったので、ひとまず動くことは諦めている。
 ――しかし、例の触手が出たとなれば、放置しておくわけにもいかない。何よりこれは、『何か起きている』ということになるので、情報を引き出すためにも公安に連絡を入れるべきだろう。
 渡瀬にメッセージを入れると、すぐに折り返し連絡が返ってきた。余計な話は省き、起きたことを報告して公安に連絡するように伝えてもらう。恐らく折り返しの連絡が来れば、また警視庁に出向いて詳細な説明をすることになるだろう。
 そうして迎えた翌朝。律は陵に連絡を取っていた。ひとつ気になることがあったからだ。

『おはようございます、茅嶋さん。どうされました?』
「おはよう。ごめん、ちょっと恭くんと丁野先生が襲われたのが駅前だっていうのが気になってさ。隼人くんの安否確認頼める?」

 万が一にも、隼人が襲撃されるような事態になることは避けたい。そもそもあの存在は、万寿を贄のような形にして呼び出されたような存在とも考えられる。関わらせるのは、隼人にとって良くない影響を及ぼしてしまう可能性が非常に高い。
 陵も意図を汲み取ってくれたのだろう。すぐに分かりました、と返事が返ってきて。

『そうだ。柳川くん、今日は何もなければ一日家で過ごすと言って帰っていきましたよ。丁野さんはまだいらっしゃいますので、現地に行くようお願いしましょうか。何かあったらすぐに対応できた方がいいでしょう』
「あー、そうだね。うっかり隼人くんが何か感づいて外出ちゃうのもちょっとね」
『危ないので外に出ないように、とは伝えておきます』
「その辺は任せる、お願い。後でまた連絡するね」

 ひとまず、これで懸念事項は一つ解消できる。一息吐いていると、渡瀬から連絡があった。やはり一度警視庁に出向いて詳細な話をしてほしいとのことで、律は身支度を整えて警視庁へと向かう。
 到着後、案内された先は前と同じ場所。そして警視正が待っていたのも、また同じ。

「情報提供感謝いたします、茅嶋さん」
「ギブアンドテイクということで。そちらの情報をいただくことは可能ですか?」
「もちろん」

 頷いて、幾つかの資料をデスクに広げながら、警視正は話を始めた。
 廃病院が怪しいということは、公安も情報として掴んではいたこと。位相のズレも認識はしているが、現在のところすぐに突破できるような人材はいないため、時間をかけて解析を進めることになること。おおよそ3、4日はかかる見通しなのだという。
 そしてそこにある術式は、麻宮が用いているものに非常に近い。公安の監視対象も麻宮家の者であることもあり、廃病院が本命と見て間違いないと考えている。本来であれば麻宮の当主に話を聞きたいが、任意となるため躱されている――というのが、公安の現状とのことだった。

「麻宮の当主とは昨日少し話しましたけど、ちょっと様子はおかしいんですよね」
「ほう? それは我々が介入できそうな感じですか?」

 身を乗り出す警視正に、どうでしょうね、と返しておく。思った通り食いついてきてくれたのはありがたい。これなら、律としても公安に提案を出すことは可能だ。

「麻宮当主には直接会いに行かれてるんですよね」
「そうですね。入口まで当主が出てきてはくれるんですが、話を聞かせてほしいと言ってものらりくらり、というのが現状で」
「うーん……、ちなみになんですけど、面が割れてないかたっています?」
「あー……一人は確実に大丈夫かと」
「なら、うちの名前を出して話をしてみてもらえますか。反応が変わる可能性はあるので」

 とはいえ、あまり期待はしていない。今の知江であれば、茅嶋の名を出したところで変わらない可能性は高そうだ。律が直接行くわけでもないのだから、反応はそれほど良好ではないだろう。しかし、茅嶋の名を出したにも関わらず何かが起きるとすれば――それを『理由』にすることもできるので。
 騙しているようで申し訳ないが、進展があれば公安にとっても有益だ。

「茅嶋さんとしては、どういう情報を重点的に聞いた方がいいとか、そういうのはありますか?」
「それはそちらの欲しい情報で構いませんよ。俺にも有益だと思いますし。解決すればそれで構わないので」
「分かりました」

 頷いた形式性の頭の中に描かれた図は、果たして何か。特に問い質すことはせずに、それで情報共有は終了してお開きとなった。警視庁を出てからスマートフォンを確認すると、陵からの不在着信。折り返すと、陵はすぐに電話に出た。

『もしもし茅嶋さん? お忙しかったです?』
「ちょっと警察と喋ってて。もう終わったから大丈夫」
『情報共有ですか?』
「うん。電話くれてたみたいだけど、そっちはどうだった?」
『通り魔事件のことはそのまま通り魔事件として通しました。こちら系統の事件で危ないので、家族のことを第一に考えて、ホテルから出ないようにと伝えています。分かりましたという返答はありましたが、予定通り丁野さんには見張りに行っていただきました』
「ありがと。……よし、それでさ、俺今から廃病院に調査に行こうと思うんだけど」
『……ご一緒するので神社に寄っていただけますか……』

 どこかげんなりとしたその声には、行きたくないなと言いたげな雰囲気が滲み出ている。それでも付き合ってくれるのは、律のストッパーになろうとしてくれているからだろう。ありがとう、と笑って、律は電話を切った。


 仕事の一環ではあるものの、今日は恭に声を掛けるのはやめておく。この間の件に加えて昨日の大怪我だ、体が資本の恭は一日ゆっくりさせておいた方がいい。この先何が起きてもおかしくない現状、無理をさせるのは得策とは思えない。
 神社で陵と合流し、廃病院を訪れる。位相がずれている術式の解析のためだろう、うろうろとしている人間が目についた。警察には見えない――ということは、公安職員だろう。

「お疲れ様です」
「あ、お疲れ様です」

 律を見て、ぺこりと頭を下げたのは座り込んで術式を解析していた男だ。恐らく顔も名前も知られていることは分かっているので、挨拶はそこそこに律は周囲を確認する。

「何か分かりそうですか?」
「んー、どうだろうな……」

 禮知に麻宮の術式について少し聞いておけばよかっただろうかと思いつつも、付け焼刃で分かるようなものではないだろう。取っ掛かりはどうしても必要だ。
 時間をかければ、確かに解くことは可能だろう。しかし、万寿が行方不明になったと聞いてから既に3日が経過している。これ以上悠長にはしていられないのが正直なところだ。
 溜め息ひとつ。あまりやりたくはないが、仕方がない。

(――巧都)
『はいよ』

 軽い返事と共に、律の瞳が青く染まり、視界が大きく変化する。先程まで見えていなかったものが、視認できるようになっていく――見えてしまえば、後は理解するだけだ。
 ひとつ、ふたつ、みっつ。指先で描き出した構成に呼応して、術式が発動し――崩れる。

「えっ」

 声を上げたのは、術式を解こうとしていた公安職員だ。何も分からなくても、何が起きたのかを理解できたのは彼だろう。
 重なっていた位相が崩れ、隠されてきた空間が露わになる。
 その空間の中に寝かされていたのは、一人の女性。――随分と痩せてしまっているが、間違いない。楠 万寿だ。

「こんなところに……!」
「ほっ、保護します!」
「あ、彼女はうちで預かるんで。救急車だけ手配していただいても?」
「えっ!? あ、はい!?」
「なかみー。万寿ちゃんお願い」
「分かりました」

 頷いて、陵が万寿の方へと歩いていく――途端、ぞくりと嫌な気配が全身を走る。膨れ上がる強い感情は、間違いなく殺意だ。何をしても今からでは間に合わない、恐らく止めきれない。
 先に動いたのは陵だった。その懐から取り出されたのは、龍神の池の水が入った霧吹きだ。ポンプ部分を引き抜いて、躊躇なく周囲にばら撒く。
 ぐわり、と一瞬見えたのは、真っ黒で大きな『何か』。しかし陵が撒いた水に阻まれたのだろう、その姿は幻覚かのように一瞬で消えていった。途端、嫌な気配も消え失せていく。

「ナイスなかみー、用意いいね」
「何があってもおかしくないですからね。念の為に持ってきておいてよかったです」
「え? え?」
「じゃ、頼むね。俺ちょっと電話してくる」
「何でそんな普通なんですか!? 今っ、今何か起きませんでした!?」
「気のせいじゃないです?」
「そうそう、気のせい気のせい」

 術式を解いたタネも、今何が起きたのかも、公安に教える必要はない。混乱している公安職員から己の目の色を隠しつつ、律は外に出てスマートフォンを取り出した。現在の状況を鑑みれば、麻宮関連の場所に万寿を預けるわけにはいかない。
 となれば、頼る先はひとつだ。律の主治医、鹿屋 琴葉のいる病院は、訳あり患者に慣れている。

「もしもし、鹿屋先生? すいません、無理をお願いするんですが――」