Blockage Effect - 01
陵がいつも律と恭の帰国を知るのは、大抵の場合、恭の早朝トレーニングに遭遇するからだ。2、3日前から恭が神社でトレーニングをしていたので、お帰りなさい、という会話もしている。そのときは、恭はいつもと変わりない様子だったのだが。
「おはようございます、柳川くん」
「あ、なかみー。おはよっすー」
石段の上まで駆け上ってきた恭に声を掛けると、へらりとした笑みと共に挨拶が返ってくる。あれ、と違和感を感じたのは、いつもよりも声に元気がなかったからだ。いつもであればうるさいくらいの元気な挨拶が返ってくるのが常の恭としては珍しい。疲れているのだろうかと首を傾げると、恭の背後から「りょーさん!」と大きな声がした。境外社にいる『とおる』だ。怒っている感じの声だな、と思いきや、恭の後ろからひょっこりと姿を見せた彼の顔は完全に拗ねていた。
「りょーさん! 聞いて! きょーが俺のこと無視する!」
「え」
「さっきからこーしても! つっついても! 全然反応しねーの!」
文句を言いながら恭の目の前でぶんぶんと手を振ったり、わき腹をつついたりしている『とおる』だが、確かに恭はそれに一切反応していない。無視というよりは、見えてもいなければ感じてもいないようなそれに、陵は眉を寄せた。
「……柳川くん、つかぬことを伺いますが」
「はえ?」
「隣に徹がいるの、分かってますか?」
「パーカー? え、下で会わなかったけど今日出掛けてるんじゃないんすか?」
「俺! ここに! いるけど!? 下でおはよーっつったじゃん!」
「今横で騒いでますけど……」
「え、うそ」
きょとんとして両隣を確かめる恭を見て、確信する。完全に『とおる』のことを認識していない。
となれば、陵が確認を取る先は一つである。スマートフォンを取り出し、呼び出したアドレスは律のもの。数コールの後、律は電話に出た。
『……はいもしもし……』
「おはようございます。声死んでますけど大丈夫ですか?」
『俺今から寝るとこ……てか半分寝てた……』
「申し訳ないんですが、緊急事態ですので起きてください。柳川くんの様子がおかしいです」
『恭くん……? 何が……?』
「徹のことが見えてません」
『……あー……』
電話の向こうの律は、本当に眠いのだろう。陵の話が分かっているのかいないのか、よく分からない声が返ってきた。思わずもう一度起きてください、と声をかけると、起きてる、と返答が返ってくる。
『……あー……何か浄化的なもの試してみて……昨日ちょっと仕事で色々あったからそのせいかも……』
「浄化した方がいいような感じのことですか?」
『うん……ごめんね、お手数おかけするけど……』
「分かりました。それではこちらで対処してみますね」
声の様子からして、もう少し経たないと律の頭は正常に動かなさそうだ。律の寝起きの悪さを考えれば、眠いときの調子の悪さも想像はつく。
ひとまず簡易的に、と龍神の池の水を詰めた霧吹きを持ち出す。大抵の穢れであればこれで浄化はできるはずだ。少し吹きかけますね、と恭に声を掛けて、頷いたのを確認してから一吹きする。途端、ふらりと恭の身体が揺れた。明らかに顔色が悪くなっている。
「柳川くん?」
「……きも、ちわる……ふらふらする……?」
訴えながら、恭はそのままその場にへたり込んでしまった。何か憑いてきたのかと思ったが、そもそも何かが憑いていればこの神社には入れない。それでも浄化の水で気分が悪くなるということは、明らかに何かが起きている。
「徹、ルキを呼んできてください。柳川くんを中に運びましょう」
「分かった!」
駆け出していく『とおる』を横目に、陵は再度スマートフォンを取り出した。――律がまだ起きていてくれればいいのだが、と思いながら。
律はなかなか電話には出なかった――が、『分体』の力も借りて何とか律を叩き起こすことには成功した。恭の現状を説明すれば、返ってきたのは困惑しきった呻き声だ。
『……いや本当にめちゃくちゃ思い当たる節はあるんだけどさあ……』
「何です? それ」
『昨日の仕事のとき、恭くんめちゃくちゃ血を浴びちゃうような事態になっててね……さすがにまずいなと思ったから、桜の治療受けさせてから帰らせたんだけどね』
「何で野放しにしたんです?」
『してないって。桜が治療済みだから、その影響がまだ残ってるとはちょっと思えないんだけど。でも他に心当たりがないんだよな正直……』
電話の向こうの律の声に嘘はない。恐らく本当に思いつくことがそれしかないのだろう。昨日の時点で最良の選択はしていて、治療も終わっている。とはいえ、最初のうちは座っていたものの、とうとう畳の上に転がってしまい呻いている恭は本当に気分が悪そうだ。早くどうにかしてやりたくもなる。
『そっちで今の恭くん見て何か分かる人っていない?』
「ルキと徹が確認済みです。ルキからは専門外の何かしらかかっている気はすると。徹は痕跡を追おうとすると何かに邪魔されている感じがすると言っています」
陵の言葉に、恭の背を撫でていたルキと、おろおろと見守っていた徹がそれぞれ頷く。そう、と呟いた律はしばらく何か考えて。
『……ちょっと丁野先生にも連絡取ってみる。俺も行くけどごめん、30分寝かせて……頭全然動かない……』
「……何徹です?」
『ほぼ2徹……』
「全くもう……。分かりました、柳川くんのことはこちらできちんと見ていますから、なるべく早めに」
『分かってる、ごめん』
律がこのまま恭のことを放置することもないだろう。陵のところにいるのであれば、と安心している部分はあるのかもしれない。ひとまず休ませた方が良さそうだということは感じ取れたので、無理は言わずに陵は電話を切った。
とはいえ、ここで今の恭にしてやれることは何もない。龍神の池の水を少し吹きかけただけでこの状態になっている恭に、他の浄化の手段を試すのは勇気がいる。
「柳川くん、昨日何のお仕事されてたんです?」
「……えと……こーじょー……けーさつのしごと……?」
「どこの工場か覚えてますか?」
「……わかんない……」
受け答えをする恭の声に、あまり力はない。本当につらそうにしているので、あまりあれこれと聞いて疲れさせてしまうのも良くはなさそうだ。
そうこうしている間に、律から要請を受けたのだろう英二が現れた。最初はいつもの調子でふざけていたものの、畳に臥している恭を見てすぐに真剣な表情になる。ふざけている場合ではないことを察知したらしい。
「おおよその事情は茅嶋くんに聞いたが。急いで真剣に見た方がいいな」
「お願いします。何か分かればいいんですが」
律が英二に連絡を取ったのは、ルキが専門外だと言ったからだろうことは想像に難くない。陵とルキが分からないのであれば、元『エクソシスト』である英二であれば分かることがあるかもしれない、という判断だろう。しばらく恭の様子を観察していた英二は、ややあって眉を寄せ。
「……柳川くん、どこで何踏んだんだ?」
「はえ……? ふんだ……?」
「きっちりご用意されたいらんトラップに引っかかって何かかけられてるんだろうと思うんだが、昨日どこに行ったんだ?」
「しごと……こーじょー……」
「そうじゃなくて……、……そのとき例のキーホルダーは持っていってなかったのか?」
「……ありすちゃん……ゆりっぺ大変だから……、……あれでも……んん……?」
「埒が明かんな。おいぶんきち、昨日のこいつの行動履歴教えろ。お前は一緒にいただろう」
『そら一緒におるけど、別に何も変なことはしてへんぞ!』
ぴょこ、と現れた白いもやもやが、昨日の恭の行動を押してくれる。とはいえ、昨日はいつもの通り早朝トレーニングをし、子供たちの世話をし、夜は仕事に出て茅嶋家に寄って帰った――というものだ。その後帰宅して就寝、起床して早朝トレーニングに出て現在に至っている。どこか変な場所に入ったというわけではなさそうだ。
となればやはり、昨日の仕事の時点で何かが起きているとしか考えられない。
「工場内にまだ何か残ってるとかないのか」
『分からん。昨日の仕事の後始末は警察入っとるしな』
「役に立たんな……」
『何をう!? 警察のデータベースは術式がっちがちやから突っ込んだら一瞬でじゅん! やぞ!?』
「それはそう」
「……ちなみに柳川くん、ぶんちゃんの声は聞こえていますか?」
陵の問いに、恭は力なく首を横に振る。『とおる』だけではなく『分体』も認識できていないということは、『彼岸』関係のものが分からなくなっているということだろう。
そうこうしている間に、どんどん具合が悪くなっているらしい恭が陵の袖の裾を掴む。ねむい、と小さな声で訴えられて、どう対処すべきかが分からない。このまま眠ってしまうと、そのまま目が覚めなくなってしまう可能性もある。
「……浄化してしんどくなってるなら、神社の中にいるのがしんどいとかないか? 一度外に出してみて……いやしかし、この状態の柳川くんを下手に動かせないな……」
「ぶんちゃん、柳川くんと話せていないのはいつからですか?」
『いうていっつも四六時中話してるわけやないしな……。あ、でも昨日仕事から帰った後、アリスから話しかけられても返事してなかったな。憂凛とアリスが疲れてるんかなって話しとったんは見た』
「それ彼女めちゃくちゃ怒ってるんじゃないか」
「やはり茅嶋さん待ちですかね……あ」
「おはよー……うちのがご迷惑おかけしてます……」
「おはようございます。起きてます?」
「かろうじて……?」
噂をすれば、ふらりと律が現れた。本当に30分だけ仮眠は取ったのだろうが、やはりだいぶと眠そうだ。陵の袖を掴んだまま、半分うとうととしている恭に視線を向けると、そのまま屈み込む。
「恭くん俺のこと分かる? 眠い?」
「わかる……ねむい……めっちゃしんどい……」
「ん、寝てていいよ」
「寝かせて大丈夫なんです?」
「大丈夫そう。無理に起こしててもしんどいでしょう。ルキくんごめん、恭くんのこと頼んでいい?」
「分かりました」
頷いたルキが、恭を抱えて別室へと運んでいく。その後ろを、恭を心配している『とおる』がついていくのを見送ってから、律は息を吐いた。
ひとまず、恭の現状を改めて説明する。英二のトラップを踏んだのではないかという見立てに、ああ……と呻いた律には、やはり心当たりがあるようだ。
「何かその手の仕事だったのか?」
「いや、ただの『怪異』退治だったんだけどね。事後調査した方がいいかと思ったんだけど、何せ恭くんがひどい状態だったから、あとは警察に任せて退いたんだよね……」
「血を浴びたと言っていた件ですか」
「そう。全身血でずぶ濡れになっちゃって、すごいグロッキーな感じだったから」
「どうしてそんな状況になったんです?」
「いや何か、『怪異』攻撃したらすごい勢いで大量の血が噴き上がってさ。これはやばいなと思って恭くん退かせようとは思ったんだけど、まああの子戦闘になったら退くタイプじゃないから、さっさと片付けようの方で解決して撤退したっていうか」
「そうか……。だいぶ調子が悪そうだし、どうにかしてやりたい気持ちはあるんだが。魔術的な何かそういうアレじゃないのか?」
英二の質問に、律から答えが返らない。黙ってしまった律の表情を窺って、陵は肩を竦めた。――そもそも、様子を見てすぐに恭を寝かせていいという判断を下した時点で、律にはある程度想像がついたと見ていい。
陵には分からず、英二には何となくの部分しか分からないものとなれば、それは『ウィザード』の分野である可能性は非常に高くなる。
「……茅嶋さん?」
「あー……のですね……本当にただの警察案件の仕事だったんだけど……。うちが噛むことになったのを嗅ぎつけて、多分横槍入れられてるので……もっかい調査に行きますが……一緒に行く? って言わないと殺されるヤツですよねこれ……」
「まあ殺すが。あのな、柳川くんがああいう目に遭ってるのを見て、そこでじゃああとは茅嶋くんが解決するからいいか、じゃあここで、とはならんだろう。それは人の心がなさすぎると思わないか」
「うわあ丁野先生に人の心を説かれた」
「私も丁野さんと同意見ですよ、茅嶋さん。そもそもあなた、今本調子じゃないでしょう。一人で行かせるわけがないと思いませんか」
はい、と観念したように頷いた律に、溜め息ひとつ。そうと決まれば、すぐに用意が必要だ。この件は早急に解決するにかぎる。
「おら行くぞ。与太話してたらそれだけ柳川くんが苦しむ時間が長引くだろう」
「おや、丁野さんが優しい」
「やめろやめろそういうこと言うな」
「照れてる」