Lobelia Shower - 02
――そうして二日後。律と恭は、渡瀬からの資料に書かれていた廃墟を訪れていた。
「何か日本でこういう仕事ちょっと久しぶりな気がする」
「そうだね。最近は人相手の方が多かったしなー」
資料を読む限り、そして調べてみた限りでは、『彼方』が関わっていそうな形跡はなかった。ほぼ確実に何らかの『彼岸』が起こしている現象で間違いない。
半分崩れかけている、コンクリート造の2階建ての古い建物。前は工場だったようで、持ち主だった会社が倒産した後、ほぼ手つかずになっているうちに気が付けば心霊スポット扱いをされるようになったらしい。結果として何らかの存在が引き寄せられ、本当に心霊スポットになってしまった、ということだろう。何が住み着いてしまったのかを調べつつ、行方不明の者たちを探す、というのが今回の仕事になる。
「律さん的にはどうなんすか?」
「んー……難しいだろうね」
「駄目すかね……」
「多分」
最初の行方不明者が最後に確認されたのは、既に3か月前となっている。何処にいるのかは分からないが、もしこの廃墟に呼び寄せられるように戻ってきていた場合、『彼岸』に喰らわれている可能性は非常に高い。間隔を空けて一人、また一人と行方不明になっている。今のところ、最後の行方不明者が出たのは3日前――律が依頼を受ける前日のことだ。本来であれば昨日の時点で動くべきだったのかもしれないが、こちらとしても何の準備もなく動けない。ミイラ取りがミイラになるわけにはいかないのだ。
そうっすよね、としょんぼりとした声で返答した恭にも、難しいことは分かっているのだろう。下手な希望は口にせずに、律はその背をぽんと叩いてから廃墟の中に足を踏み入れた。
内部は非常に埃っぽい。あちらこちらにごみが落ちているのは、肝試しに来た者たちが捨てていったものだろうか。最近も中に人が入っていったような形跡は残っている。果たしていつ、どれくらいの人数がここに来ているのかは、さすがに見当もつかない。
「……ねえ恭くん」
「二手に分かれるっつったら怒る」
「やっぱ? まあ分かれるほどの広さでもないけどね」
内部は1階には機械があれこれと置かれていて、3部屋に分かれているようだった。造るもので部屋が違うということなのだろう、置いてある機械もそれぞれだ。形が違うのは分かるが、果たして何の機械なのかはさすがに知識がない律と恭では分からない。
「ここって何の工場だったんすか?」
「製造してたみたい。機械の部品とからしいよ」
「ほえー。何で潰れちゃったんだろ」
「資金繰りの問題かなー。似たようなことを大手や海外が安くやっちゃうようになるとね、こういう小さめの工場は難しいよね」
「世の中色々っすねえ……」
だらだらと話をしつつも、工場内を見て回る。1階に機械は集中していて、二階は吹き抜け。更衣室や事務室といったものが二階に置かれていて、階下の機械室の全てを見渡せるようになっているようだった。ぐるっと見て回った情報としては、事前にもらっていた見取り図と一致している。しかしどこからも不穏な気配は感じない上、人の気配もしない。
じっくりと調べていくならどこからか、という当たりをつけるのも悩ましいところだ。工場内に閉じ込められるといったこともないようなので、どこを警戒すればいいのかも分からない。
ひとまず、ゴミが多かった2階の事務室へと向かう。肝試しの休憩場所として使われているのであろうその場所は、恐らくもともとはガラス張りだ。とっくにそのガラスは全て割られてしまっているようだが。
「恭くん、破片で怪我しないようにね」
「だいじょぶ! ……にしてもさすがにちょっと掃除したくなるレベルっすね」
魔術で光源を生み出し、室内全体を照らすと本当によく分かる。散乱しているごみの量が尋常ではないので、かなりの汚さだ。手元の懐中電灯を消して、嫌そうに恭が顔をしかめる。そには律も同意見ではあるが、さすがにここで大掃除を始めるわけにもいかない。
ごみを何とか避けつつ、何か手掛かりになるものはないかと見て回ってみたものの、めぼしいものは何もない。何かあっても、これでは肝試しに来た人間が勝手に持ち帰ってしまっていたり、壊してしまっている可能性の方が高いだろう。器物損壊に窃盗だが、不法侵入の肝試しの来訪者にそんな意識があるとは思えない。
「……うーん。やっぱ下見て回ろうか」
「はーい……、あれ」
「何かあった?」
「いや……」
見切りをつけて部屋を移動しようとした矢先、急に不思議そうな顔をして首を傾げた恭が、きょろきょろと周囲を見回す。つられて視線を動かしたものの、特に何もない。
「どしたの?」
「や、声聞こえた……? 耳鳴りかな……」
「音する?」
「……えー、律さんが何も聞こえてないってことはこれおかしいやつじゃないんすか……?」
「多分」
耳の良さには自信がある。少なくとも、恭が聞こえるものが律に聞こえないとは思えない。
聞こえない音の出どころは探りようがない。恭が何か聞こえるというのなら、その感覚に頼るしかないだろう。しばし困ったようにきょろきょろしていた恭はしかし、ややあって奥の機械室を指さした。上から見下ろすかぎりでは、何も変わったようには見えない。
「多分あっちから聞こえてる……? 気がする……?」
「了解。気分悪くなったりとかしてない?」
「ないっす、それは大丈夫」
「何かあったらすぐ言うこと」
「うす」
恭がしっかりと頷いたのを確認してから、律は先程恭が示した機械室へ向かうべく階下に降りる。先程ざっと見て回ったときには何もなかったはずだが、どこかで何らかのスイッチを入れているのであれば、状況が変わっている可能性もある。
しかし、外から中を覗き込んだところで、やはり変化はなさそうだった。
「……どう? 本当にここ?」
「うん、多分……声、ちょっとおっきくなってる……聞き取れないけど……」
「分かった。警戒はしといて」
「分かってるっす」
念の為、防御壁の術式を展開してから中に足を踏み入れ――瞬間、足元でびちゃりと音がした。即座に駄目だと判断して、恭を片手で制止する。
入って初めて、律の耳にも届く声。くぐもったそれは、まるで何かの中にいるような。
「……! 律さっ」
「駄目、もうとっくに手遅れ」
「っ……!」
みちち、と嫌な音。そして、ごくんと何かを呑み込むような音。また何かの声が響いて、消える。
二人の目の前には、異形の怪物がいる。ぽたり、ぽたりと口から液体――明らかに血の色のものを零しながら二人を振り返ったその異形の口から生えているのは――人の足だ。
「……、くっそ」
「いくよ」
「当然!」
唇を噛みしめて、それでも恭が走る。いつものように攻撃を補助するための魔術を展開、雷を身に纏って恭が異形に蹴りを叩き込む。瞬間、ぶわりと噴き出した血の雨が恭に降り注いだ。むせ返るような血の匂いが場を支配して、恭の顔が青ざめる。異形の身体から幾本もの腕が生え、煩わしげにその腕が恭を捕らえようとするのが見えて、すぐに律は銃撃でその腕を全て叩き落とした。
この状況は、恭には良くない。すぐに退かせようと声を上げかけてやめたのは、それでも恭の瞳が闘志を失っていなかったからだ。何を言っても、恭は退がらない。戦うと決めたら戦い抜くのが、恭という人間だ。であれば、今律がやるべきことは彼を退かせることではなく、早く終わらせること。
相手は人食いの『怪異』。ここに来た人間を何らかの手段で再度呼び寄せ、餌として喰らっていたのだろう。一人ずつ行方不明になっていたのは、この異形が一人ずつ、時間をかけて喰らうためだ。そうして、ヒトの味を堪能していた。
声にならない音がする。それは恐らく、異形から。その胎に収まった者たちの、悲嘆のように。
「律さん!」
「ん」
血を浴びながら、それでも数撃。一撃が綺麗に柔らかい部分にヒットしたのが感覚として分かったのだろう、恭が声を上げる。律からも見えている――異形の均衡が崩れている。その隙に雷撃を叩き込めば、大量の血を噴き上げながら異形の姿が砂になっていく。防御壁を展開して血の雨から恭を守りつつ、律は息を吐いた。
――後に遺されたのは、食べ残された肉塊と、骨。
「……ッ」
「……大丈夫?」
「だい、じょうぶじゃないっすけど……少しでも、帰してあげないと……」
「ん、そうだね」
後処理は警察に任せた方が早いだろうということで、渡瀬に連絡を取る。報告書の代わりに口頭で引継ぎをして今回の仕事は終了――ではあるのだが。
恭にシャワーを浴びさせてあげたかったということもあり、そのまま警視庁を訪れ。時間があれば少し待っていてほしいという要望もあったので、律は待ち時間に再度資料を見直していた。シャワーを浴びた後、気分が悪そうに隣のソファに臥せっていた恭が顔を上げて、きょとんと首を傾げる。
「……何か難しい顔してる? どうしたんすか」
「んー? いや、何で恭くんだけ声聞こえたのかなと思ってさ……」
耳の良さにも、そしてそういった感覚にも自信はある。どちらかといえば、感じる力という点では恭の方が全くないと言っても過言ではない。野生の勘のようなものではなく、恭は確かに声を聞いていた。であれば、その原因は調べておいた方がいいと考えたのだ。
ううん、と首を捻った恭が、しかしややあって笑う。少し自虐気味なその笑みに、律は眉を寄せた。
「……だって俺、ひーろーだもん……」
「え」
「たすけて、って声は、聞き逃したくない……」
「……、そっか」
声に滲む痛みに、気の利いた言葉はかけられない。手を伸ばして頭を撫でてやれば、うう、と呻いてまた顔を伏せてしまった。
辿り着いたときにはもう既に亡くなっていた。肉塊は少なくとも死後2日は経過しているものだったというのは、渡瀬から聞いた話だ。誘われるようにあの工場に再度訪れたが最後、異形にとらわれ、殺され、時間をかけて喰らわれる運命だったのだろう。
助けられなかった。それが恭にとって何よりつらいことだと、律は知っている。今回は既にどうすることもできなかったが、それを受け入れることができるかといえば話は別だ。
「……恭くん帰る前にうちに寄って桜に会ってった方がいいね。ユグによしよししてもらいな。ついでにもっかいちゃんとお風呂入った方がいいだろうし」
「そっすね……これで子供たちに会いたくないな……ゆりっぺとれおれおめっちゃ鼻利くし……」
「ん。桜に連絡しとくね」
「ありがとうございます……、いやでも咲っぺ大丈夫すか」
「裏口から帰るし、椿も家にいるし、何とかなるよ」
「あー……茅嶋家でかくて便利っすねこういうとき……」
「でしょ。……立てる?」
「大丈夫っす」
こういった仕事をしていれば、よくあることだ。慣れなくても、受け入れられなくても、傷ついても、恭は前を向く。のそのそと起き上がるのを確認してから、律は広げていた資料を仕舞い込んだ。
――恭は『セイバー』だから。それでそれですべてを受け入れる気はないが、今回は確かにそうかもしれない、と考えてしまったので。他の要因があるにしても、今は一旦置いておく。
やるべきことも考えるべきことも、まだまだ山のようにある。一つ仕事が片付いたのだから、まずは体と心を休めるのが先決だ。
「明日トレーニングで神社行って怒られないかな……」
「心配はされそう」
「あう」
「ま、ちゃんと顔は出しとけば? 行かない方が心配されるよ」
「はあい」