Lobelia Shower - 01

 あれこれと仕事を片付けながら、並行して調査を続けながら1か月。ようやっと仕事が一段落したので、一旦日本に帰国しようということになった。どちらにしろ、1日でも時間が取れるのであれば、少しでも家に帰りたいのが現在の律と恭である。空港まではいつものように伊鶴が迎えに来てくれて、先に恭を送っていくことになった。

「んじゃ律さん、何かあったら絶対連絡くださいね!」
「分かってるって。あ、出発する日も決まったらすぐ連絡するから」
「はーい! んじゃ!」

 ぶんぶんと律に手を振った恭は、大きなダークレッドのスーツケースを転がしながら、家の方へと歩いていく。その後ろ姿を見送ってから、伊鶴が車を発進させ。

「伊鶴さん、こっちで変わりはなかった?」
「ええ、御心配なく。芹さん、お仕事をされながら桜様のお手伝いもかなりしてくださっていて、大変感謝されていましたよ」
「いや……芹ちゃん有能がすぎるのでは……?」
「寿退社されていなければ、恐らく社長秘書をされていたでしょうね」
「そりゃ悠時と仕事の取り合いになっちゃうな」

 想像すると笑ってしまう。同じことを想像したのだろう、伊鶴もくすりと笑っていた。
 まだ芹が仕事を手伝ってくれるようになってから、わずか1か月だ。仕事をする、という点ではブランクもそれなりにある上、家に帰れば母親の身でもある。疲れていないだろうか、と心配になってしまう――頑張ってもらえるのは、本当に非常にありがたいのだが。
 せっかくの帰国だ、芹にはゆっくりしてもらいたい。律自身もゆっくり休みつつ家族と過ごしたいところだが、そうもいかない。残務の処理に次の仕事の準備、調査の内容も一度まとめなければ。やるべきことを考えていると、頭が痛くなってくる。
 ――それでも、少しでも。そう考えられるようになったのは、きっと良いことだ。
 ふあ、と欠伸をひとつ。帰国して少し気が抜けたというのもあるのだろう。ひとまず今日一日は仕事のことを考えるのはやめてしまおう。身体を休めるのも仕事のうちだと、そう怒られるのは嫌なので。

「……さすがにあんま寝る時間はないかな……」
「少しはきちんと睡眠を取っていただかないと、桜様がご心配されますよ」
「ん-。でもどうせ桜もまだまだあんま寝れる状況じゃないでしょう」
「椿様が強制的に寝かせている感じではありますね。普段の律様よりは桜様の方がよく眠れていると思います」
「そっか、ならよかった。……ん、それって椿、寝てる?」
「ノーコメントです」
「ったくもう……」

 何歳になろうとも、椿は妹に甘い。過保護になってしまう気持ちは分かるので、咎めるつもりはさすがにないが。しかし椿が無理をすると、今度は悠時に迷惑が掛かるというのが悩みどころだ。白石家に迷惑を掛けるばかりになってしまう。とはいえあの幼馴染のことだ。律がわざわざ椿に言うまでもなく、直接椿を咎めているであろうことは想像に難くない。
 そうこうしているうちに、車は茅嶋家の敷地へと入っていく。伊鶴に礼を言って車を降り、家の中に入れば、聞こえたのは泣き声。
 ――ああ、日常だ。思わず笑ってしまいながらリビングに入ると、桜が咲を抱いてあやしていた。

「ただいま、桜。元気そうだね、咲」
「あっ、おかえりなさい律様! すいません、お出迎えもできずっ」
「そんなこと気にしなくていいよ。咲ー、ただいま」

 ぐずぐずと泣いている愛娘の頬をつついてみる。やはり1か月前よりも成長しているな、ということがありありと感じられて、寂しいなと感じたのも束の間。また日が点いたように泣き出してしまった。慌ててあやし始める桜に、悪いことをしたかもしれないと反省しつつ。

「着替えてくるよ、ごはん作るね」
「えっ、いやそんなっ、お疲れなのに……!」
「いいの、俺がしたいだけだから。食べながらでも色々話しよう」
「うう……すいません、ありがとうございます……」

 穏やかな日常は、慌ただしい。


 咲が落ち着いてから、二人で食事。最近寝返りを打つようになったことや、夜は結構眠ってくれるようになったこと、そろそろ離乳食を始めた方がいいのではないかと考えていること。そんなことを話していると、あっという間に時間が過ぎていく。その日は予定通り、1日桜と咲の二人と過ごすことに費やして――翌日。

「思ってたより面倒なことになってきたなー……」

 律の手元には、『分体』があらゆるネットワークから集めてきてくれたモルテン=ニーグレーンと、ヘルト=ヴェーメルの情報があった。『分体』からの情報を元にして、別途情報収集の依頼を出そうと考えていたのだが、それ以前の問題が発生している。
 曰く、モルテン=ニーグレーンという『シャーマン』は存在しない。
 偽名を使っているというわけでも、モルテンが『シャーマン』ではないということでもない。どこを探しても、彼という存在の痕跡が見つからないのだ。だがしかし、律は実際にモルテンに会っているし、交戦もしている。彼が『彼岸』の類ではなく『シャーマン』であるということは、疑いようのない事実だ。
 となれば、先の襲撃の際に考えていたことは誤っている可能性が高い。彼らが痕跡を残すことなく潜むことができていたのは、ヘルトの『サイコジャッカー』の能力故だと考えていた。だが、ある程度ヘルトの情報は入ってきているということは、痕跡を消しているのはモルテンということになる。
 とん、とん。無意識に指先がデスクを叩く。『シャーマン』自身に痕跡を消すことができそうな能力は、律が知るかぎりにおいては存在していない。となれば、可能性があるのは。

「……あの『口』、ってことかなあ……」

 地を割り、律を呑み込もうとしたそれは、能力の全てではないだろう。正体が何なのか分からない以上、あの存在は未知だ。それなりに様々な能力がある可能性は否定できない。交戦した感触としては、それほど警戒する必要もなさそうな雰囲気ではあったが、『彼岸』の脅威は戦闘能力のみに限らない。
 そもそも、モルテンの話は妙だ。どうしてヘルトが住んでいた集落に越してきたのか、その前はどこにいたのか。そういった話もろくに拾えないということは、徹底して秘匿されている。意図的だと考えた場合、それを危険だと思うべきか、それとも。

「わくわくしてんなあ、やっしー」
「……人の思考読むのやめてくれないかな……」
「お前が考えそうなことなんて顔見なくても分かるけど」

 いつの間にか、巧都が対面に腰を下ろしていた。助言を求めようかと口を開きかけて、閉ざす。対価に何を請求されるか分かったものではない。何より巧都は、恐らく答えを既に知っている。自分で辿り着けと言われるのは、分かり切った話だ。
 溜め息ひとつ。現状、取れる手段としてはそれほど多くない。『面白いこと』であれば、この先リノからも情報提供が行われる可能性はある。ひとまず一度、調べやすそうなヘルトの方に目を向けるべきだろう。並行してモルテンの調査も進めはするが、現時点では情報が手に入るかどうかは考えない方がいい。
 疎かにするつもりはないが、調査の目処は立たない。アプローチを変えるところから考え直すべきだ。

「……にしても、これからどうしようねえ……」
「お。どうするか決めあぐねてんのか」
「うーん。打てる手は何でも打っておきたいけど、どれをどこまで警戒すればいいのか分からないから」
「つっても、やりたいことは決まってるんだろ」
「まあね」

 取り急ぎ、やるべきことについては決まっている。その後については、何も決まっていないが。
 資料の後半のページを広げる。そこには一人の女の写真と経歴。――モルテンとヘルトに、茅嶋 律を殺すように依頼した人物。この人物の情報があったからこそ、律は帰国を決めたのだ。
 どれだけ記憶を辿っても、その人物に覚えはない。全く面識のない相手だ。しかし依頼の依頼、という形ではなく、確実にその人物からモルテンとヘルトに依頼が入っている。
 ――高階たかしな 華純かずみ。『ウィザード』。

「ね、商売敵として恨まれてると思う? それなら仕事手伝ってほしい勢いなんだけど」
「さあなー。それ、一番楽観的な予想だろ?」
「まあ。最悪は『院』絡み、次点は巧都狙い、あとは興味本位ってとこかなあ」

 名の知れた『ウィザード』ではないうえ、恐らく律のように本職として『ウィザード』をしているわけではない。どうして彼女が、わざわざ殺しのプロとして働いていたモルテンとヘルトに接触し、依頼するに至ったのか。その経緯については、知らなければならない。
 そして何より、今後同様の事案が起きるのは困るので。

「ま、いつも通りですね。うちに喧嘩売るっていうのがどういうことかは、ちゃんと教えておかないと」
「やっしー、すっかり当主が板についたなー。つまんねえ」
「どういう意味だ」


 日本人の『ウィザード』――しかも本職ではない人間が、どうしてモルテンとヘルトの二人に接触した上、律の殺害を依頼したのか。
 それほど時間が取れるわけではないものの、帰国を決めたのはこの調査を行うためだ。何人か情報に詳しそうな相手に連絡を取って聞いてはみたのだが、誰も高階 華純という『ウィザード』を知る者はいなかった。高等魔術を用いることができるからかもしれない、と推測を立ててはみたものの、そうであれば必ず何らかの情報網には引っかかる。現在の調査の段階で分かっている彼女の経歴は、一般人そのものだ。自分が『ウィザード』であることを知らない、と言われても納得してしまいそうなほど、経歴に『此方』の情報がない。
 ひとまず、『分体』の調査だけではフェイクに引っかかる可能性も否定はできない。そうなると、こういったことを依頼するのに相応しいのは。

「茅嶋さんから直接お電話をいただくと、どうにも緊張しますね」
「俺としてはそろそろ慣れてほしいですかね、そこは」

 思わず苦笑いする律に、困ったように肩を竦める男。――警視庁の渡瀬に、律は連絡を取っていた。
 基本的に、警察関係者からは依頼を受けるのみという場合がほとんどだ。その対価は金銭的ではなく、有事の際の対処である。今回、律は日本にいる間にひとつ依頼を受けるので――という形で、代わりに高階 華純の調査を警察に頼むことにしたのだった。一部の情報は端折りつつも、律は簡単に経緯を説明する。相槌を打ちながら聞いていた渡瀬は、しばし律が出した高階 華純の経歴を眺め、首を傾げた。

「……これだけデータが揃っているなら、うちに保存されている程度のデータは、茅嶋さんは既に調査済と見てよさそうですね」
「どうでしょう。俺が分かるのは、そのデータ以上のことはこちらでは調べがついていない、ということぐらいです」
「分かりました、一度データ照合をかけてみて調査を進めていきます。いつまでこちらにいられる予定ですか?」
「一週間ほどかなと思います。日本にいる間に他に仕事が入る可能性もあるので、もう少し長くなる可能性はありますけど、それ以上短くなることはないかと」
「分かりました。そのつもりでできるかぎり情報を揃えてみます」
「申し訳ない。御迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします」
「いつもこちらが迷惑をかけてしまっている側ですから、お気になさらず」

 これである程度、相手の目的を絞り込めるといいのだが。或いは警察が動くことで、何らかのリアクションを起こしてくる可能性もある。その結果として直接接触できるようであれば、律としても悪い話ではなくなる、とも踏んでいる。
 ――さて。依頼をするとなれば、誰が相手でも当然その対価は支払わなければならない。

「調査依頼に見合う対価として支払える仕事、あります?」
「ちょうど1件、依頼すべきか悩んでいた案件がありまして。ご確認いただけますか」

 渡瀬に差し出された資料を手に取る。内容は連続行方不明事件――数人の若い男女が、数日おきに一人ずつ姿を消している。共通点は、彼らがとある廃墟を訪れているということだ。恐らくそこに何かがいて、その影響を受けてしまった結果だろう。よくある案件ではあるので、わざわざ律に依頼する必要があるかどうか、という話だったのかもしれない。

「行方不明……、当然生死不明ですね」
「そうですね。一人くらいは生きていてほしいところなんですが、まあ……。……お願いできますか」
「もちろん」

 交渉は成立だ。お互いに資料を仕舞う。じゃあこれで、と口にしようとした瞬間、渡瀬が口を開いた。

「そうだ茅嶋さん、一つお伺いしても?」
「あ、はい」
「最近何か妙なこととか、国内で起きてませんか? このところ妙に事件が多くて……こちらも対応に苦慮することが多くなってきていて」
「人員不足ですか」
「そうです……」
「心中お察しします……」

 この世界、人員というものは簡単には増えない。苦笑すれば、渡瀬が肩を竦めた。どこも悩みは同じだ。
 このところ自分たちのことで手一杯だというのもあるが、その辺りの情報収集は抜けている。渡瀬がそう言うのであれば、少し注視すべき案件がある可能性も高そうだ。

「分かりました、ちょっと気にしておきます。仕事の手が足りないようなら気にせずうちにも回してください、捌くお手伝いはできると思うので」
「すいません、よろしくお願いします」