Moonlight Shadow - 閑話02
出発前夜の話
桜が咲き、季節の変化を告げる。新しい生活が始まる――とはいえ、この場合、元に戻るだけとも言うのだが。
「スーツケースひっさびさ! 壊れてなくてよかったー」
「ね。でも心機一転で買い替えちゃってもよかったんじゃない?」
「そうかもしれないけど、やっぱ気に入ってるから、これ」
子供たちが寝静まっている間に、憂凛が用意してくれた恭のスーツケース。それはまだ恭が律と仕事を始めた最初の頃に、初めて律からもらった給料で買ったものだ。額面に目を白黒させつつも、せっかくだからと奮発して買った、大きなダークレッドのスーツケース。仕事の際、現地で調達するからとほぼ荷物を持たない律とは対照的な大きさである。
確かに現地で調達できるならそうすればいいのかもしれないが、それでも憂凛がこうしていつも荷物を用意してくれるから。
無事に帰ってきますように。その願いを、一緒に詰め込んで。
「……明日からしばらくさみしくなっちゃうな」
「時間合いそうなときは連絡するし。あ、でも本当にアリスちゃん俺が連れてっていいの?」
「大丈夫! ヒメちゃんも信田くんも手伝ってくれるって言ってるし、あれなら帰ってきていいよってママとパパも言ってくれたし。でもこれからはこういうことも増えるでしょ? それなら私も慣れなくっちゃ」
胸の前でぐっと両の拳を握りしめて気合いを入れる憂凛に、そっか、と笑う。本当は、『黄昏の女王』 は憂凛に預けておきたい気持ちもあるのだが、久しぶりの海外への長期出張だ。何があるか分からないので、今回は恭の身の安全が優先された。
「私は大丈夫だからね、恭ちゃん」
「ほんとかなあ。無理かもーって思ったらちゃんと連絡して」
「うん。でもね、多分そんなの考えてる余裕ないと思うの」
「あー……」
育児はハードワークだ。憂生も、そしてもちろん玲生も、まだまだ目を離せない。油断するとすぐに狐の耳と尻尾が出てきてしまう玲生は特に。
来年には保育園か、幼稚園か。そういうことを考え始める時期ではあるが、実際問題預けて大丈夫なのだろうかという問題も降ってくる。これからについて考えることは山積みだ。
「はー……帰ってくる頃にはういういもれおれおもちょっとおっきくなってんだろうなー……」
「ふふ。写真、毎日送るね」
「チョー楽しみにしてる!」
「あ。ね、茅嶋さんも寂しがったりするかな?」
「あの人そういうとこクールな顔するからまじ分かんねーんだよなー。でも咲ちゃんの写真見たら絶対にやけると思う」
「よーし、たまには3ショットもお届けしちゃおう」
「いいねー。桜っちも色々大変だろうしなあ。……うん、頑張って早く帰んなきゃな」
「無理して頑張って怪我するのだけはやめてね」
「うん、分かってる」
ぽすん。
恭の肩に預けられた憂凛の頭を、条件反射で撫でながら。
――この平穏な日々を守るのだと、確かな決意を込めて。