Void Reason - 03

「ただいまー……」
「あ! お帰りっすー。今日はどこも怪我とかしてないすか大丈夫すか」
「大丈夫だよ、ありがとね」

 その後。律は『院』から拠点のホテルへと戻っていた。特に仕事を押し付けられることもなかったというのは、僥倖というべきだろうか。もっとも、『ロード』交代の直後だ。その辺りのことは、今後はやり方から変わっていく可能性も高い。
 ソファに身を預け、ネクタイを外しつつ考える。帰りの道中もずっと考えていたが、レイラが何を考えているのかが本当に分からない。
 律の返答に、レイラは笑っていた。そして、「空席にしておくから、気が変わったら教えてね」と告げられて、そこで話は終わった。レイラが呼んでいた他の『ウィザード』が現れて退室を命じられ、そのまま『院』に滞在する意味もないので帰ってきた、というのが今である。
 何も仕掛けられずには済んだが、された話の内容が重すぎる。

「……おーめっちゃ眉間にシワー。やっぱ何かあったんすか」
「んー……恭くんさあ、俺が『院』に所属するって言ったらどうする?」
「えっ今更!? 何で急に!?」
「仮の話ね」
「ええー……? いや別に、律さんがそうしたいなら俺は別に止めないっすけど……でも『院』のせいで律さんいっつもやっばいことになって帰ってくるし、俺『院』までついてけないし、めちゃ心配はする……?」
「そっかー。まあそう言ってくれるよね、恭くんなら」

 あの場所は、閉じた世界。そして目的のためであれば手段を選ばない、そういった人間の集まりだ。
 雪乃がかつて元帥に推されたことがある、という話には信憑性がある。それだけの実力を持つ『ウィザード』であったことは、嫌というほど知っているので。しかしレイラがそのために両親を殺され、復讐に『院』のトップを取ることにした。それは事実だろうか。
 ――考えても分からない。知るにはあまりにもレイラ=ブレイザーという人間を知らなさすぎる。だがオーレン曰く、レイラが元帥になるときに色々あったとのことだった。知るにはまず、その『色々』を知るところからだろう。しかし、その方法が問題だ。
 閉じた世界の中のことは、外には決して漏れない。そして内部の人間であっても、自信い関係のないことであれば気にも留めないし、記憶容量も割かない。あの場所を組織として成り立たせているのは、「一生安全な魔術研究の場を提供する代わりに、それ相応の対価を支払う」という決まりと前提があるからだ。『院』を運用している者、自身の研究のみを行う者、そして『院』を守る『兵』たち。その3つで、絶対堅牢なあの場所は完成している。外からは、どうしたところで手出しができない。
 人によっては『彼岸』にすら邪魔されることなく、自身の研究のみに没頭できる楽園。律には到底理解ができないが、そういう場所を求める『ウィザード』は多いらしい。
 考え込んでいる律に、恭は困ったような表情で首を傾げ。少し悩んでから、恐る恐る口を開く。

「……俺、未だに『院』のこととか、律さんが置かれてる状況とか、全然分かんないけど。雪乃さんも律さんも、何かしら理由はあって、やばいことになっても『院』の人にはなんない……ってやってきてるんすよね?」
「まあ……うん、そうなるね」
「だったら難しいこと考えずに、ヤなもんはヤダ! じゃだめなんすか? もしかして『院』に入った方がいいかもーって考えてる? んだとしたら、その理由に俺だったり桜っちって関係あったりします?」
「……関係ない、とは、言わないけど」
「だったら余計、俺としてはまず、律さんがどうしたいかだけを考えてほしいなって。俺も桜っちも、律さんにずっと口酸っぱく言われてるから、分かってるっすよ。自分の身は自分で守る!」
「……そうだね。でも恭くん、巻き込まれて大変だったんだからね。2日も目覚まさないようなことになったの、忘れた?」
「え? ……あ、うー……それは……」

 言われて思い出したのだろう、恭が狼狽える。溜め息ひとつ、しかしその件に関して、律は恭を責めるつもりはない。
 あのときは間に合った。しかし、次は。
 レイラがどう出るかが分からない。あの確か過ぎる実力を持つ『ウィザード』は、現状律を『院』の元帥に就けることに固執しているらしいことだけは確かだ。気が変わったらということは、確実に律の気が変わるよう、何らかのことを仕掛けてくる。
 恭を殺されたくなければ、桜を殺されたくなければ、――生まれたばかりの愛娘を殺されたくなければ。
 そこを突かれてしまう可能性が、あまりにも高すぎる。

「……俺のせいで誰かが傷ついたり苦しんだりするなら、いっそそうならない可能性が高い方法を取ってしまった方が俺自身にのためになるのかも、って思わない気持ちがないわけではないんだよ。でも個人的にはすごい嫌だなって思う理由もあるし、美味しい話には裏があるし、何も考えずに飛びついたりはできないなってところ」
「んんー……でも、それで律さんが余計しんどい思いするのとかは、誰も望んでないっすよ。それは絶対」
「うん……」
「んで! なーに悩んでるんすか。教えてくれないんすか?」
「……『院』の新しいトップの人から、No.2的な立ち位置にならないかと誘われて、非常に困っています」
「は?」

 あんぐりと大きな口を開けて、恭がまじまじと律を見る。当然の反応だろう。体裁を保たなくてもいいのであれば、律とてレイラの前で同じ反応をした気がする。
 ぽつぽつと、恭にも分かるように嚙み砕きつつ、律は『院』での一連の出来事を説明する。口を開けたまま律の説明を聞いていた恭は、聞き終わってもしばらくそのままの状態だった。理解に時間がかかっている。説明した律としても、完全に理解はできていない状況ではあるが。

「ええと……律さんが口説かれている? 桜っちがいるのに……?」
「あ、そうなる?」
「いや全然分かんないんすけど! とりあえず律さんのこと傍に置いときたいぞーって感じなんすかね?」
「そう……なるのかなあ……? でも相手があまりにも強すぎて、現状100パーセント勝ち目のない相手だし、あんま機嫌損ねたくもないところではあって……いやそれはもう遅いな……」
「律さん意外と喧嘩っ早いとこありますよね昔から」
「自覚はありますよごめんね。やーでも、これに関してはどう転んでも穏便で平和的な方向にはいかないだろうと思ったし」

 向こうは主張を引かないし、こちらも現段階では引く理由がない。平行線は交わらない。話し合いで解決することができるのであれば、それが最善であることは言うまでもない。だがしかし、あちらが話し合いで事を進める気などないことは分かり切っている。そもそも、最初に手を出してきているのはレイラの方だ。
 この先、彼女はどう出るつもりだろうか。本当に律が頷くまで、何かしらを仕掛けてくるだろうか。できれば何も手出しはしてほしくないが、それは難しい話だろう。息をするように人を殺せる人間に、世間一般の倫理や道徳は通じない。
 自身の望みを叶えるためであれば、手段は選ばない。レイラもまた、『院』の『ウィザード』なのだから。

「……まーでも、それ聞いて、最近の律さんが変だった理由分かったかも」
「俺そんな変? 恭くん、こっち来る前もそんなこと言ってたよね」
「まーじで律さん自覚ないんすか? 最近なんか調べものするぞーとか、どっか行くぞーってなったとき、すーぐ一人で行動しようとして俺とかなかみーとかにめっちゃ怒られてるんすけど? 怒られても反省しないどころか拗ねてることの方が多いし。ひどいときは仕事だっつーのに俺に連絡ひとつしてこないし」
「……え?」
「あ!? まじでこの人自覚なかったな!?」

 ――言われてみれば、心当たりがないわけではない。
 育児に追われている恭を、わざわざ呼び出すほどのことではないから。数人で動くよりも、一人で動いてしまった方が早いから。このところ、そう考えることが増えているような気はする。そして大概、怒られているのはそういうときだ。
 前からそうではなかったかと言いかけて、飲み込む。――少なくとも、戦闘になるかもしれない現場に恭を伴うことが減っているのは、確かにおかしい。

「……うわ、え、ごめん」
「めっちゃ今更! まじすかもー……でも今、律さんの話聞いて、あのー、あれっす。芹ちゃんが律さんによく言うやつ。甘っちょろい?」
「うわそれ恭くんに言われると腹立つな」
「だーって俺じゃ他の言い方分かんないもん! その『院』の新しい『ロード』になった人? がやばそーだから、何かあったときに俺たちを巻き込まないようにって、律さん無意識で一人を選んでる。めっちゃくちゃ良くないと思います」
「……いや、うん。それは確かに……良くないやつだな……」

 何故怒られるのだろうと思いながら、あまり深くは考えてこなかった。或いは、深く考えることを避けていた。恭の指摘は尤もで、自覚するとぞっとする。そして気付く――パトリックのことは、律に大きな影を落としている。
 パトリックとは、彼が門番という役職だったこともあり、『院』に行けばほぼ関らずと言っていいほど会話をする間柄だった。気を許すことはできなくとも、多少本音を言うことはできる程度の関係性だったように思う。今思えば、律が死にかけるほどの術式を仕込んだのも、元を正せば彼の本意ではなかった可能性がないとは言えない。
 パトリック=バレットは、『院』の『兵』の一人。つまり、指揮系統のトップはレイラだ。あの時点で既に、ここに至るまでの道が作られていた可能性はある。
 底の知れない、確かな実力者。静かにじわじわと、外堀を埋めていくつもりなのだろうか。この先の彼女の行動が、余りにも読めない。

「……気を付ける、ごめん。あれだったら引っ叩いて怒って……忘れないように意識はする……」
「もー。ゆりっぺのことやういれおのこと気にしてくれるの、めっちゃありがたいけど! 律さんに何かあったら何の意味もないんだから、マジでちゃんと覚えといて!」
「ハイ……」
「んで? なんばーつー? の件、どうするんすか?」
「どうもこうも。とりあえずは現状維持なだけだよ」

 この件に関しては今のところ、受け身になるしか方法がない。外から『院』の情報を得るのは不可能だ。万一内部の人間になったとしても、『院』に滞在していない限り、情報の入手手段はない。『院』に出入りをする者も非常に限られている上、辿ったところで情報源となり得るかどうかは難しいところだ。

「あ! 雪乃さんにちょっと話聞いてみるとか!」
「それは無理」
「えー、話聞くだけなのに?」
「……まあ恭くんだしいいか、言っとくか。何でお母様が茅嶋家に一切寄り付かなくなったかって話だよ。あの人、『ウィザード』辞めるときに魔力一切合切手放すことになってるし、二度と『ウィザード』の世界に関わらない誓約もしてるから。何がどうあったって駄目なんです」
「……ん? は? え? そんなことになってたんすか?」
「そうです、だから孫ができてもうちに帰ってきてないんです。俺は親子として時々話くらいはしてるけどね。機密事項なので口外しないように、憂凛ちゃんにも内緒だよ」
「う、うす……いやでもそういうことはもっと早く教えて……!?」

 混乱している恭に、律は苦笑う。そのことを知っているのは当事者である雪乃、そして律、雪乃の元相棒の3人だけだ。他には『ウィザード』をやめた、としか伝えていないし、それ自体は嘘ではない。
 それだけの対価を払うことにした理由を、律は知っている。責めるつもりもなければ、それでいいと頷きもした。あのときに起きた出来事は、誰かに話すことではない。――この件に関しては、律自身も部外者になってしまうので。茅嶋家当主として知っている、ただそれだけだ。
 だからこそ、余計に『院』とのごたごたに雪乃を巻き込むことはできない。彼女はもう、『守られる』側になっているからこそ。

「ええ……と、じゃあ……この件で相談とかできる人はいないんすね……?」
「うん。まあお母さまに例え相談できたとしても、今当主は俺なんだから俺が決めろって言われるだけだろうけどね」
「わあ言いそう」
「とりあえず恭くん、もし何か気になることがあったら、些細なことでも報告してね」
「うす。律さんもちゃんと言って! 俺じゃ役に立たないかもしんないすけど、でも、ナイショはなしっすよ」
「分かってる、ありがとう。頼りにしてるよ、相棒」


 日本に戻って家に帰れば、待っているのは育児に追われる日々だ。桜の負担を少しでも減らすべく奔走しつつ、仕事は仕事として片付けていかなければならない。
 そして、もう一つ。律にはやるべきことがある。

「……本腰入れるかあ……」

 取り出したのは、パトリックが遺した魔術書。
 彼の研究の成果が綴られているのだろう、と考えてはいたが、それ以上のものが記載されている可能性もある。或いは、そういった類のものはないとしても、これがパトリックの研究成果であるならば、そこにある知識は『他者解析』だ。実際、パトリックは律の魔術構成を見抜いていた。
 もしも、その術式を。それに近いものでもいい、律自身が使えるようになれば。そうすればレイラと相対したとき、少しでも情報を引き出せるはずだ。解析だけであれば或いは巧都の『眼』を借りてもいいのかもしれないが、レイラの前であまり出したくはない情報になる。自身が使えるようになるのであれば、それに越したことはない。
 ぱらいとページを捲れば、もう見慣れてきた封印の術式。なかなか手を出せずにいたが、そうも言っていられない。悠長にしていられる時間は、既にないと考えた方がいいだろう。
 タイマーを1時間でセットして、意識を集中。毎日少しでもこの魔術書と向き合う時間を作り、そして出来得る限り読み解く。
 それが、託された意味だと信じて。