Void Reason - 閑話

土下座の話

 何かを話す前にとりあえずは土下座をした。
 帰ってくるなりの恭のその行動に憂凛はフリーズして、しかし気を取り直したように首を傾げてみせる。

「ええと……恭ちゃん? 何か怒られるようなことした……?」
「ゆりっぺ、めっちゃごめん。今年の2月14日、一緒にいるの無理っぽい……です……」

 思ったよりもしおしおとした声が出た。
 律には勢い任せに「後日する」と言いはしたものの、柳川家にとって2月14日は1年のうち最も大切な日だ、と恭は思っている。律もそれをしているので、毎年仕事を入れないように調整してくれているのだ。
 しかし――今回ばかりは。律を一人で『院』に行かせたくはないと、何故か強く考えてしまっている。そして恭の場合、こういうときの勘は必ずと言っていいほど当たるのだ。

「……あ。びっくりした……。うん、分かった。お仕事?」
「仕事……っつーか、ちょっと律さんのこと気になって。『院』に呼び出しくらってるだけで、えと、俺ついてっても何もできないんだけど、でも、今ちょっと律さん一人にしたくないなって……」
「最近恭ちゃん、よく茅嶋さんの心配してるもんねえ」

 とりあえず顔上げて、と憂凛に促されて、恭は顔を上げる。このところ、よく恭は憂凛に対して律の話をしていた。仕事のとき、呼ぶのを忘れられるときがあることから始まって、妙に単独行動が多い気がすること。そして、一緒にいてどうしても拭いきれない違和感があること。
 それをどう説明すればいいのか、恭には分からない。なのでどうしても、律が変だ、という言い方しかできなくなってしまう。

「大丈夫だよ、行ってらっしゃい。その代わり帰ってきたら、遅れても結婚記念日しようね」
「ゆりっぺの誕生日も!」
「ふふ、うん。ありがと」
「……はー、まじでごめん。ゆりっぺ、我慢させてない? 大丈夫?」
「大丈夫。恭ちゃんあのね、私としてはね、恭ちゃんが後でやっぱりついていけばよかったなあ、って後悔する方が嫌だよ。……そりゃあまあ寂しいけど、でも、最近はいーっぱい一緒にいさせてもらってるし。たまには私も茅嶋さんに恩返ししなくっちゃ」

 でしょ、と笑う憂凛の表情は柔らかい。ほいっと胸を撫で下ろして、恭は姿勢を崩した。
 自分の中で何が引っ掛かっているのか、今の恭には分からない。あるのは漠然とした不安で、ついていったからといって、何が変わるのかも分からない。
 それでも、日本に帰ってくる前に。恐らくは律が自身の中で飲み込んでしまう前に話を聞かなければ、そのまままた誤魔化されてしまうことは目に見えているから。

「茅嶋さんがちゃんとしててくれないと、恭ちゃんが元気なくなっちゃうんだよなー。恩返しっていうより、たまには私からもクレーム入れちゃうかも」
「まーじそれ! 言ってやってよー、苦笑いされるだけのような気もするけどさ」
「ふふ。うーん、二人がいない間、さくらんのことお手伝いできればいいけど……まあちょっと難しいかあ……」

 憂凛の視線が、すやすやと眠っている子供たちの方へと向けられる。怪獣2匹、といつぞやか冗談交じりにこぼしていたが、まさにその通りだ。憂生だけでなく、玲生も自身の意思で動き回るようになって、本当に目が離せない。

「……アリスちゃん、家のこと、頼むね」

 テーブルの上。憂凛のスマートフォンケースにつけられたチェシャ猫のキーホルダーが、鈍く光った。

前のエピソード
次のエピソード