Cryptic Entity - 閑話03

生誕の話

 もう面会時間は終わりだと言われつつぎりぎりまで病室に滞在して、病院を出た瞬間の冷えた空気に息を吐く。タクシーに乗るから、と迎えは断ったものの、さてどうするかと空を見上げる。雲が流れて月を隠して、ぼんやりと柔らかな光が雲の奥を照らしているのを眺めて、視線を下ろす。
 足が重い。
 やはり誰かに迎えに来てもらうべきだっただろうか。タクシー乗り場に目を向ければ、恐らく自分と同じように面会時間ぎりぎりまで病室にいたのであろう人がタクシーに乗り込んでいくのが見えた。その後ろにも何台かタクシーは待っている、乗り場へ行けばそのまま家に帰ることはできる。
 それでも何となく、真っ直ぐ帰りたくないな、という気持ちになってしまうのは。
 このまま一人でいるのはあまり良くないだろうな、ということを思わず考えてしまうのは。
 おめでたい日で、喜ばしい日で、待ち望んだ日で。それでもどうしてかこんなにも気持ちが沈むのは。
 ポケットのスマートフォンを取り出す。どこから話を聞いたのか――いや、間違いなく話の出どころは分かっているが――知り合いから「おめでとう」の連絡が次々に届いている。通知まみれになっている画面に苦笑いしつつ、ふと目に留まった名前に視線が吸い寄せられた。


「飽くまでも! 飽くまでも御当主様が! 御当主様が僕にたまには仕事さぼれって言いました!」
「言った言った、あとで澪生には謝っとくから」
「みーちゃんはツアー中だからいないよ、この週末は福岡なんだよね。だからひーくんに謝ってくれるととってもありがたいです」
「はいはい」

 数十分後。律は辺見 大樹が運転する車の中にいた。
 ちょっとご飯でもどう、と雑に誘えば、仕事が! と言いながらもその誘いに乗ってくれた。恐らく律から誘いが来たという話を秘書である乙仲 響にしたところ、行けばいいと送り出されたのであろうことは想像がつく。大喜びで社長室を飛び出しそうな大樹を想像して、少しだけ笑ってしまう。
 何となく――本当に何となく、今日このまま誰かと会うのなら、大樹がいいかもしれないと思ったのだ。何も知らないことを知っているから。
 
「それにしても何で僕?」
「気分。美味しいお店知ってるでしょ」
「えっ御当主様の方が詳しいんじゃない!? 確かに僕外食は多いけど」
「俺意外と庶民派なんですよね……どうしても食べたいものって自分で作るしさ……」
「料理できる人はこれだからもう! せっかくのお祝いだからね、僕のお勧めでいいなら全然連れていきますよ。僕飲めないからお酒美味しいかどうかは知らないけど」
「いいよ、ありがと。奢る」
「うーん何回聞いてもその台詞言われるの慣れないな……」

 困った顔をする大樹に、律はそうだねえ、と同調する。律もそうだが、大樹も人に奢ることの方が圧倒的に多い部類の人間だ。気持ちは分からなくもない。
 車窓の向こうできらきらとイルミネーションが流れていく。もうすぐクリスマスも近い週末だ、人出は多い。仲間内で楽しんでいるのだろう若者たちの姿が目に入って、律はゆっくりと瞬いた。記憶に蘇る日々は遠い。

「そういえば子供、どっちだったの?」
「ん? 女の子だよ」
「いいねえ、可愛いね! 女の子なら御当主様に似るのかな! 女の子は男親に似るっていうものね!」
「正直まだどっち似かとか分かんないなーって感じあるけど。そういうもの?」
「ほら、やっくんのとこもそうじゃない?」
「あー……」

 言われて、恭の子供たちを思い浮かべる。言われてみれば長女の憂生は恭に似ているし、弟の玲生は憂凛に似ている。全員が全員そうというわけでもないだろうが、確率としては高いのかもしれない。遺伝子的な要素もあるのだろうかと少し思いながら、生まれた我が子の顔を思い出す。
 ――自分に似なければいいな、と思った気持ちは打ち消した。下手に口に出す前に、心の隅に押しやっておく。
 
「いいねえ。名前は決まってるの?」
「うん、まあ。でもまだナイショ。役所に届け出したらね」
「えー!? 僕口固いよ!? 言いふらしたりしないよ!?」
「それは知ってるけど、でもだめ。気が変わるかもしれないから」
「むう。僕ももう一匹猫飼おうかなあ、いやリンクスと一緒で星乃さんにしか懐かない気がするな……」
「大樹くんあの子に本当に嫌われてるよね」
「拾って助けたの僕なんだけど!」

 大樹の飼い猫は一時期事務所で飼われていたので、律も何度か会っている。人懐っこい猫だな、という印象なのだが、何故かずっと大樹は嫌われているらしい。噛まれただの引っ掛かれただのと文句を言いながら、それでもちゃんと面倒を見ている理由は察しているので、口にはしない。
 
「御当主様もこれからが大変だね」
「そうだねー……俺にできるかな父親……恭くんすごいな……」
「ふふ。御当主様よりやっくんの方が先輩だ」
「それだよ。不思議な感じ」
「まあやっくんはやっくん、御当主様は御当主様だし」
「家庭を蔑ろにして顧みない父親にならないように頑張ります……」
「仕事量減らない? 減らないかあ」
「減りませんねえ。いい人材いたら紹介して」
「僕が言いたいです」
「あはは」

 人手不足の問題はどうにもこうにも解消しづらい。律も大樹も、それは同じだ。特殊であるからこそ、そして共に仕事をするのであれば求める条件が厳しくなってしまうからこそ。妥協できない分、仕方がないと諦めるしかないのだが。
「ま、今日は美味しいもの食べてゆっくりして! 明日から頑張るということで!」
「いや多分帰ったら仕事するけどね俺」
「馬鹿じゃないのこのひと」

 ――そんな12月20日の、愛娘、茅嶋ㅤ咲の誕生日。