Hound Dog - 閑話01

日常の話

 ぴぴ、というアラームの音に体が反応して、律は目を上げた。スマートフォンが立てる規則的な音を軽いタップで切って、目を通していた資料をサイドデスクの上に置いて、伸びひとつ。ついでのようにして出た欠伸に苦笑い。
 一人で何かをするなら絶対にアラームをかけろ、と最初に言い出したのは恭だったか。集中していると周りの音が耳に入らなくなる傾向が強い律に困った顔をしていたのは、二人で仕事を始めた最初の頃だ。散々声を掛けた後に肩を揺するところから始まって、最近では声を掛けつつ頭を叩かれる。とはいえそれは恭だからこそできることでもあるので、他の人は困るだろうから、とにかく時間を決めてアラームくらいはかけた方がいいと言われたのだ。声を掛けられても気付かないのにアラームでどうにかなるのだろうかとは思ったのだが、やってみると意外に甲高い電子音というものは異物として耳が捉えてくれるらしい。鳴りっぱなしで数分経っていることもあるものの、都度切り上げながら作業を行うときはアラームをかけるようになった。うっかりアラームをかけること自体を忘れていて、恭に叩かれたのも一度や二度ではないが。
 部屋を出てリビングに向かうと、ソファに腰掛けて桜が編み物をしていた。その光景にふと、数日前の病院の帰りに手芸屋に寄ったな、と思い出す。手先が器用な彼女は、かなり手芸が上手い。祖母と中庭で話しながら、レースのテーブルクロスを編んでいた頃もあった。ここ最近は仕事に追われていたこともあってそういうことに手を出していなかったのだろう、久しぶりにやろうかと思うんです、と笑っていた。おおよそ久しぶりとは思えない手つきだが。律が入ってきたことに気付いた桜が顔を上げて、ふわりと微笑む。
 
「律様。落ち着かれたんですか?」
「いやー全然進んでない……」
「ふふ。なかなか手強いですね」
「ま、まだ時間はあるしね。お昼時だし、何かごはん作るよ。桜、今日食べたいものある?」
「ええと……お野菜食べたい気分かもしれないです……?」
「ん、分かった」

 スープと温野菜のサラダ辺りが妥当だろうかと考えつつ、冷蔵庫を開ける。桜が妊娠してからというもの、基本的に食事を作るのは律の仕事だ。冷蔵庫の中身が減ってきているので、そろそろ買い出しに行かなければならないなとは思うものの、残暑厳しい現在、外に出るのはかなり億劫である。夜にゆっくり行こうと決めて、必要な食材を取り出していく。
 ――こんなにのんびりとできる時間は、それほど長くはない。現状仕事をセーブしているとは言えど全くないというわけでもなく、桜の手を借りずに仕事をしている分、仕事一つ当たりでやることは増えている。せっつかれているものもある、少なくともあと半年ほどはこのペースを守るつもりではあるが、どこまでそれが許されるかは分からない。けれど、だからこそ今のこの時間は大切にしていたい。
 何気ない平穏な時間ほど、貴重なものはないのだから。
 
「ところで桜」
「はい?」
「可愛い色のやつばっかりだけど、もしかして赤ちゃん、女の子だった?」
「……あっ」
「まだ分かんないって言ってたの嘘だな?」
「き、気付かなかったことになりませんか……」
「あはは」