Hound Dog - 05
麻宮家の人間である禮知と与々が近くにいるというのはどうにもやり辛いが、かといって気にしていても仕方がない。ひとまず手分けして、1階の状況を確認して回る。
どこもかしこも、青い血の痕跡。そして恐らく大犬のものであろう爪や牙の跡が残されている。人のものは見当たらない、ということは大犬同士で同士討ちしている可能性はあるだろう。
一通り見て回った後、階段を使って2階に上がる――その最中。
『恭、危ない!』
「へ? うお!?」
先頭でひょいひょいと軽く階段を上っていた恭の方から上がる声。顔を上げると、階段上から落ちてきたのは大犬の死骸。踊り場の壁に思いきりぶつかって、その動きが止まる。
「え? わんちゃんのメイドさん?」
「何て?」
「犬が擬人化したような女性がいるのですが……」
恭の後ろから確認した陵の言葉に、反応したのは禮知だ。とはいえ、まだ踊り場より下にいる禮知の位置からは恭と陵が見えているものは見えていない。たた、と少し歩調を速めて上って行った先、禮知の口許が動いたのは分かったが、その口から発せられた言葉までは聞き取れなかった。手すりに寄りかかって、禮知を見上げる。律の位置からはどうにも見えないが、街中を歩き回っていた疲労も蓄積していて階段を上るのがきつい。
「……禮知くん心当たり? 会ったことある系?」
「会ったことはあると思うけど、その人間形態の時の顔とは全然違う」
「そか」
「あ、待って!?」
ぱたぱたと走り去っていく足音。と共に恭が声を上げて追いかけていくが、すぐに見失ったと肩を落として戻ってきた。ひとまず2階を調べるしかない、という話になる。
2階は手術関係のエリアのようだった。手術室と、恐らく医局であろうフロアに分かれている。
「二手に分かれましょうか」
「ん-。なかみーどっち行く? 恭くんなかみーの手伝いよろしく」
「あ、はーい」
「私はこちらに。手術室はお願いしますね」
「体よく押し付けられてない?」
どう考えても、場所柄手術室の方が危険である可能性は高い。とはいえにこ、と笑う陵に逆らう気も起きずに、律は手術室の扉を開いた。開いた瞬間に溜め息が出たのは不可抗力だ。
手術室中に飛び散っているのは、一面の青――大犬が惨殺された跡。内臓らしきものまで飛び散ったその光景は、さすがに見ていて気分が良いものではない。後ろから覗き込んだ与々がわー、などと言っているのを禮知が引き摺っている状況に苛立ちつつも、一応程度に手術室の中を確認して、そのまま扉は閉めた。遺体以外はごくごく普通の病院の手術室だ、調べても何も出てきそうにはない。
「どうでした? 手術室」
「見ない方がいい。そっちは?」
「何もなかったですね。……やはり上でしょうか」
「3階と4階は入院病棟っぽいしね……」
知江がいるとすれば、恐らく一番上階である4階であることは想像がつくが、だからと言って3階を飛ばしていくわけにもいかない。
先に上に上がっていった陵と、それについていった恭が、階段を上がってすぐにあるナースステーションを調べてくれる。3階を見回すと、やはりあちらこちらに青い血の痕跡が飛び散っていてあまり気分の良い光景ではない。そうこうしているうちに陵が戻ってきて、『分体』が電子カルテの中に入って患者一覧を調べてみたところ、やはり知江の病室は4階で、402号室だということだった。
「どうします? このまま上がります?」
「気になるから一応ざっと見て回ろうか、広い病院でもないし」
「そうですね」
端から一部屋一部屋を覗いてもさほど時間は掛からない。手分けして病室を見ていったところ、やはりそこに人の気配は一切なかった。しかし、今までと違うことがひとつ。
「……赤い血ってことはぜーったい何かあったっすよね……」
「人が喰われたか何かかな……」
「あう……」
夥しい量の血痕が残されたベッドが3つ。恐らく失血死は免れないだろうという量だったがしかし、遺体はそこにはなかった。食べられたのか、それとも他の場所に移されたのか。現時点では判断のしようがない。
しょんぼりと肩を落とす恭の背中を叩いて、一行はそのまま4階へと移動する。ひとまずは先ほどと同様、陵と恭がナースステーションへと入っていき、中の資料を確認していく。
「どれも今日の早朝や深夜辺りの時点でぷつりと記録が途絶えている、という感じではありますね」
「今朝……あー、犬が出始めた辺りから?」
「そうなりますね。一番最初が病院だとして、ここから犬が出ていったのなら、まあそういうことでしょう」
陵の見解に同意を示しつつ、律は病室の方へと目をやった。廊下の突き当たり、一番奥が知江の部屋であることは既に確認している。知江のことも気になるが、3階にあった血痕のこともある――手前の部屋は確認してから奥へ進むべきだろうと判断したのは陵も同じだったらしい。手前の扉を引いて中に入っていき、そして。
「茅嶋さん! 柳川くん入れないでください!」
「はい」
「ぐえ!? 捕まえるの早くないすか!?」
「だって恭くん走り出したら追いつかないから……」
部屋の中から聞こえた陵の声に咄嗟に恭の服を掴めば、ちょうど走り出そうとしたらしい恭とタイミングが合ったらしい。引っ張られて首元が締まった恭から抗議されたものの、陵が中に恭を入れるなと言った時点でそこに何があるのかはおおよそ想像がつく。
――恐らくは、先ほど3階で見た血痕の、その主だ。
「禮知くんごめん、馬鹿捕まえとくから中手伝ってきてもらっていい?」
「ああ、はい」
「俺も! 大丈夫!」
「大丈夫じゃない、無理しない」
喚く恭を宥めている隙に、禮知と与々が部屋の中へと入っていく。しばらくそのまま待機していると、3人が揃って出てきた。恭から手を離せば、すぐにそちらの方に走っていく。
「何があったの! 何も分かんない! 俺にも分かるように説明して!」
「馬鹿に分かるように……?」
「小さい子に言うように言えば柳川くんでも分かりますよ」
「そっかー。いい子は家に帰って糞して寝な?」
「なかみー! イッチがひどい!」
げらげらと笑う与々と、怒る恭に頭を抱える、どうやら中で検分を行ったのは与々だったらしい。
「イッチがひどい。イッチのくせに」
「麻葉さんこの人の教育どうなってるんです?」
「いや、あの、うちが教育するっていうあれじゃないんで」
「らっちっちもなんとか言って!」
「何とかって何だよ……」
「……ふっ」
状況にそぐわず笑ってしまったのは不可抗力だと思いたい。こんな風に恭が子供のように拗ねて騒いでいるのを見るのは久しぶりだ。いつもの仕事に比べて知り合いも多いので、若干そちらに気持ちが引き摺られているのだろう。しっかりしなければ、という感覚が抜け落ちてしまっているように見える。
気の抜けるやり取りを繰り返した後、順に説明を聞いていく。陵が見つけたのは、3人分の遺体がばらばらになっているもの――と、それが犬と混じり合っているかのような『何か』。恐らく受肉しようとして失敗したもののようで、『それ』を繋ぎ合わせればくっつきそうな状態ではあった、というのは与々の弁。
恐らくは大元の受肉した『カミ』が、その『ケンゾク』を受肉させようとしたのだろう、という説明が続いたところで。
「う、わっ……!?」
「何!?」
建物全体が、揺れた。
大きな音が聞こえたのは、知江の病室がある方向から。それに気づいたのだろう、誰よりも早く体勢を整えた恭が走って病室へ向かっていく。慌てて後を追えば、開いた病室の扉の先には血まみれの知江の姿と――そして。
「……、禮知くん知江ちゃん連れて病院から出て! あと麻宮さんも!」
「いや俺はのこ、」
「俺らが失敗したときの保険、行って!」
まずい、という感覚が働いた。その時点で律の次の行動は決まっている。そしてそれを、麻宮に連なる二人に開示するつもりはない。禮知にとっても知江の命が最優先という部分はあるのだろう、血まみれの知江を抱えて、そして与々の首根っこをひっ捕まえてばたばたと病室を飛び出していく。
対峙するのはやはり、青い大犬。但し、今まで倒した相手よりもはるかに大きい。そしてその姿の至るところに、人間のものであろう箇所が紛れ込んでいる。その正体が何なのかなど、考えたくもない。
「……茅嶋さん失敗すると思ってないでしょう」
「まあ。速攻で片付ける。なかみーごめん、俺20秒ほど無防備になる、よろしく」
「分かりました」
「あーもー普段なら止めるとこなのに!」
鉄刀を取り出して何も聞かずに頷いてくれる陵はさすがに慣れている。そして怒りながらも戦闘態勢を整える恭には、既に律がどうする気なのかが筒抜けだ。伊達に常日頃共に死線を潜って生きてはいない。ごめんね、と心の中で呟いて、意識を集中する。
牙を剥いた大犬が、律を狙う。すぐに『式神』を発動させてくれた陵のお陰で、衝撃は来ない。続けざまに二人が大犬へ攻めていく、その隙に。
「【世界に愛されし者、世界に嫌悪されし者、その献身を、その暴虐を、我に貸し与え給え。我望むは君臨せし者の力なりて、音奏でし者としてその資格を得んことを】」
『へいへい。精々気をつけろよ?』
聞こえた笑い声は、律が力を借りている『カミ』――幸峰 巧都と名乗っている『それ』のもの。体中に刻まれる魔法陣に引き摺られて、宙に鍵盤が顕現する。瞳が青く染まるのは、その力を借りている証左。
途端襲ってくる重圧を、気力で支えるのはいつものことだ。大犬は執拗に律を狙ってその爪を振るう。指を滑らせた鍵盤からいつもよりも速いスピードで展開される防御壁、だがさすがに発動してすぐの今の段階では全ては捌き切れない。身に受ける衝撃に歯を食いしばりつつ、指は止めずに。再度攻め込む陵の鉄刀に炎を纏わせ、斬りつけたそれは業火となって大犬の体を包んだ。怯んだその瞬間を狙って、もう一撃。
生み出された強烈な紫電が、大犬に直撃し。その場に倒れ込んだ大犬は、そのまま動かなくなって。
「……それにしても。たまに死にそうな顔で神社に来るとき、あなたああいうことしてたってことですよね? 馬鹿なんですか?」
「なかみーまじでもっと言ってっす……俺の言うことは聞かないから……」
「いやー……あの状態だと、早く片付けないと知江ちゃんやばいなと思って……」
――その後、神社までの帰り道にて。
巧都の力を借りた影響が手伝って、ろくに歩けなくなった律は現在恭に担がれている。桜に心配掛けたくなかったんだけどな、と今思ったところで後の祭りだ。
街は静けさを取り戻している。事後処理でてんてこ舞いになるのは見えているが、方々の力を借りれば『何もなかった』一日で片付けることはできるだろう。その辺りはきちんとすると、病院で別れた禮知からも言質は取っている。大犬に関してはその後恭曰く「わんちゃんのメイドさん」の手伝いもあり消失を確認。画像などでインターネット上に流れてしまっていたものに関しては、『分体』曰く「もう梓人らが動いたみたいやで!」とのことだった。インターネット関係に強い『神子』が既に動いているのであれば、律から何かすることはない。とはいえさすがに事態が大きすぎるので、麻宮からはきっちりとした報告書を上げてもらうことにはなるだろう。静かに怒っていた陵が、病院で禮知や与々としていたやり取りについてはあまり思い出したくない。
「しばらく神社で療養してくださいね。桜ちゃんのことも心配ですし」
「はーい……」
「どーせ事後処理の書類ーとかでめっちゃ仕事するんすよこの人」
「そんなもの麻宮の人間にやらせなさい」
「いやさすがにそこは俺がしないといけないので……俺への報告は上げてもらうけど……」
「無理しすぎです」
「……はあい」
「律さん、桜っちの前では立つ? 頑張れる?」
「がんばる……」
「見栄っ張りですねえ」
苦笑いする陵に、うるさい、とふてくされながらも。
ひとまず日常を取り戻せたことに、律は安堵の溜め息を吐いたのだった。