Hollow Pretender - 04
「おっはよーございまーす!」
「電話でも会っても朝から元気だなこの子は……」
翌朝。ニュースを流し見て新たな傷害事件が発生していないことを確認していると、昨晩のうちに連絡を取ってある程度事情を説明しておいた恭がやってきて、そして知江から連絡が来て、陵に連絡を取って――それで準備は完了だ。
楠家の近くに集合することになり、陵ともその場で待ち合わせることになった。先に向かえば既に知江が待機していて、律を見るなり土下座された。今回は止めるすべもなかった。
「この度は本当に申し訳ございません……!」
「いいよ、もう依頼として受けた話だし。顔上げてお願い恥ずかしい」
「あの女がここまで茅嶋様にご迷惑をお掛けするとは……もう腹を切って詫びるしか……」
「切ったら誰が解決するの。腹切る前にやることあるでしょう」
「こら律さん、知江ちゃんいじめないの」
ぺし、と恭に背中を叩かれたものの、『茅嶋』の仕事として請けてここにいる以上は当主同士の話でもある。普段のように桜の友人、という形での話をするわけにはいかない。尤も知江からすれば、桜の友人という立場さえとんでもないことなのだろうが。
ややあって陵が現れて、楠家の前へ。少し離れたところで人避けも兼ねて結界を張るという知江と別れて、じっと見上げたその家は昨夜と特に変わりない――ように見える。神経を研ぎ澄ませる必要もなく感じる嫌な気配は、陵も感じ取っているのだろう。着物の裾で口許を押さえて困った顔をしている。
「なかみーめっちゃ嫌そう。大丈夫っすか?」
「大丈夫ではないですが……二人のことが心配なので……」
「行くよ」
「人の話聞いてます?」
「なかみーだめっす、あの人今仕事モードだからまじで人の話聞かないっすよ」
やれやれ、と首を振る恭とげんなりと肩を落とす陵を気にすることなく、律は楠家の玄関のドアに手を掛けた。鍵は事前に知江が開いてくれている、特に抵抗もなく開いた玄関からすぐに漂う濃密な気配。
楠家を訪れたのはもう随分と昔の話で、しかも一度きりだ。ある程度の間取りを覚えてはいるが、あまり自信はない。ひとまず順番に調べた方が良いだろう、と近くの部屋へと入る。
まずはリビング。どこにでもある一般家庭のリビングのようには見えるが、どうにも違和感がある。どうにも生活感が感じられない。綺麗に掃除されている、というよりは使われていないのではないかという雰囲気だ。
次はダイニング。こちらは多少生活感が感じられるのは、恐らく食事をここで取っているから、という雰囲気があるからか。洗ったところであろう皿や、使いかけの調味料。こちらもどこにでもある一般家庭――だが、あるのはおおよそ二人分だ。
風呂、トイレと開けたところで様子は変わらない。階段を上って2階へと上がる。ここにある部屋は3つ。律の記憶が正しければ手前は万寿の部屋、その隣が明神の部屋で、二人の部屋の対面にあるのが楠夫妻の部屋だった筈だ。とりあえず確認すべきは万寿の様子か、と扉を開けば、そこに確かに万寿はいた。ベッドに寝かされている形で、穏やかに眠っているように見える。
「……昨日からそのまま、ですかね」
「かも。……めちゃくちゃ守られてるな」
「え」
「恭くんは見えないかな。なかみーは分かるでしょ」
ほら、と律は部屋の奥を指差す。そこには万寿と共にいる『カミ』の姿。だがしかし、その意識は万寿に集中しているようだった。万寿に結界を張ることで、その体を守っている、と言うべきか。
恐らく律が魔術を放てば容易く割れる程度の、その程度の防御結界。しかし別段この状況で万寿を引き摺り出す理由はない。その処遇は知江に任せるべきだろうと判断して、律は次の部屋へと向かう。
明神の部屋に何があるのかは、もう分かっている。であれば、調べるべきは楠夫妻の部屋だ。
扉を開いた先には、授々の姿。現れた3人の姿を見て、首を傾げて――溜め息を吐く。それはひどく、残念そうに。
「……そう、失敗したのね。残念だわ」
「――離れて!」
果たして『それ』が現れるのと、恭が直感で叫ぶのと、どちらが早かったのか。
ががが、と家全体が揺れるような感覚。強い波動が3人を喰らうかのように襲い掛かってくる。防御壁の展開は間に合わない、まずいと思った瞬間に飛び出していったのは陵の式神だ。波動を受け止めた式神はあっという間にぼろぼろと崩れ落ちていく。
正体は分からない。だがしかし『それ』は間違いなく、昨夜授々の背後から感じた気配。恐らくは彼女が使役する『カミ』の姿。ぶわりと『領域』が展開し、室内だったはずのその場所はどろどろとした空気を纏う岩場のような場所へと変わっていく。
「律さん」
「ん。頼んだ。なかみーのこともよろしく」
「うす」
「何で二人ともそんな冷静なんです?」
瞬きの間に赤い軍服の『セイバー』姿に変わった恭が、意識を集中させたのが分かる。文句を言いながらも鉄刀を取り出した陵が、そのまま現れた『カミ』へと切り掛かる。その斬撃に合わせるように、側面から恭が思い切り正拳突きを入れる。そのまま律が発動させた雷撃の魔術を体に纏った恭は、容赦なくジャブからのハイキックを叩き込んだ。立て続けの攻撃に、『カミ』の姿がぐらりと揺れる。
しかしそのままやられてはくれない。続けて攻撃を叩き込んでいる恭が危険だと判断したのか、波動と共に大きな岩が恭のもとへと飛んでいく。慌てて避けたものの間に合ってはいない、岩に吹き飛ばされてあらぬ方向へと転がっていく。
「柳川くん!?」
「……っ、てて、大丈夫っす!」
声は元気だがダメージはそれなりにあったらしく、すぐには動けなさそうだ。ちらりと横目で恭の様子を見た陵は心配そうな表情を見せたものの、すぐに『カミ』へと鋭い視線を向けた。水平に構えられた鉄刀はそのまま『カミ』の身体を貫こうとするが、流石に硬い。僅かながら削れたがそのまま身動きが取りづらくなったのか表情が歪んだのを見て、律はそちらに魔術を放った。多少の目くらましにはなったのだろう、その間に陵は『カミ』から距離を取った。
その頃には体勢を立て直していた恭がこちらに走って戻ってくるのが分かったのだろう、再び大きな岩が恭の方へと飛んでいく。距離があったのも幸いしてか、何なくそれを避けた恭はそのまま跳び上がった。
「律さん!」
「もう済んでる」
恭に魔術を纏わせるのは慣れている。岩を扱うのであれば、と次に纏わせたのは水の魔術。繰り出された蹴りは『カミ』へと深く食い込み、奇怪な悲鳴が上がった。汚れた、と呑気なことを言いながら、恭は律と陵の元へと戻ってくる。ふ、と息を吐いてはいるが、まだ恭の集中は途切れていない。
「畳みかけるなら今ですね」
「よっし。なかみー右狙ってくれると俺動きやすいっす!」
「分かりました」
動けない今のうちに。恭の言葉に従って右側へと斬りかかった陵に合わせて、恭が左側へと拳を振るう。その挟撃に合わせる形で、律は陵の鉄刀と恭の拳に水の魔術を纏わせた。なすすべもなく貫かれた『カミ』の動きは明らかに鈍くなっている。
このまま押せばいける、とは思うものの、油断はならない。ぶわ、と背筋に走った寒気に防御壁を展開、だがしかし展開しきるよりも早く地が揺れた。
「わっ……!?」
「……ッ」
大岩では避けられると判断したのだろう、無数の細かい、しかし決して小さくはない岩が頭上から三人を目掛けて降り注いでくる。覆い隠す程の大きさの防御壁を展開する時間はないと判断して細切れに幾つもの防御壁を展開させるが、さすがに全ては防ぎきれない。掠めたそれの一部は左手に直撃し、思わず眉を寄せる。――あまり良くはなさそうだ。
「茅嶋さん、」
「ごめん、後任せる」
どちらにしろ、先ほどの攻撃が最後の悪あがきだろう。目の前にいる『カミ』の身体は崩れ出している。手の動きに支障はなさそうだが、『カミ』の後ろに授々がいる今の状態で右手まで使って魔術を使い続けるつもりはない。何よりこの『カミ』を退けてもまだ、律にはやることが残っている。
「柳川くん」
「任せろっす!」
頷いた恭が、再び『カミ』に向かって走る。距離を取ろうと細かい波動を撃ち続ける『カミ』の攻撃を搔い潜り、その背後に叩き込まれる回し蹴り。ぐらりと『カミ』の身体がバランスを失うと同時に、正面では陵の鉄刀が閃いていた。その鉄刀に帯びているのは、かの龍神の力か。
気合一閃。的確に脆くなった場所を貫いた陵の鉄刀を中心として、ばらばらと『カミ』の姿が崩れ落ちていく。
――気が付けば、そこは楠夫妻の部屋へと戻っていた。
恐らく『カミ』を喚んだ余波もあるのだろう、気絶した授々のことは陵と恭の二人に任せ、律はそのまま明神の部屋へと足を運んでいた。
目の前には悍ましい魔力を煮詰めたような、禍々しい術式。一瞬『目』だけ借りようかとも考えたが、すぐに打ち消す。少なくとも今は知江の構築した結界の中だ、そこで使って何らかの感知をされるのは避けたい。そこまで使わなくても何とかすることは然程難しくないだろう。使われている術式ひとつひとつはそれほど難度が高いものは少ない上、難度が高いものに関しては誤っている箇所も多い。
力任せに行うには危険であろうところに関してはしっかりと解いてから、術式を展開。部屋を覆いつくした魔法陣は、そのまま部屋中を駆け巡って何もかもを完膚なきまでに破壊していく。その場に辛うじて残っている明神の痕跡さえ、何もかも。
雷撃が収まる頃には、術式から放たれていた嫌な気配は霧散していた。これで一応この仕事としては完了、ということになるだろう。後のことは麻宮の問題であり、律が関わる問題ではない。
――しかし、どうしても引っ掛かる。
「……話が合わないな……」
「律さん? ……うっわやばい音したと思ったら」
「恭くん。知江ちゃんは?」
「ん? さっき何か指示して万寿ちゃんとお母さん運び出す段取りがどうの言ってた……下かな?」
「ん、ありがと」
「あ。知江ちゃんいじめちゃだめっすよ」
何を察知したのか、む、と眉を寄せた恭に返答は返さず、ひらりと手を振って律は階下へと降りる。開いた玄関の向こう側に、確かに知江はいた。ああだこうだと話している内容から察するに、恭が言った通り後始末の段取りをしているのだろう。
「知江ちゃん、ちょっと話があるんだけど」
「はい、この度は本当に」
「謝罪はいい。調べて報告してほしいことが3点」
「……何でしょうか」
「俺が一番最初に感知した楠くんは、『カミサマ』の気配がしてた。万寿ちゃんの『カミ』かなと思ってスルーしてたんだけど、次に会った楠くんは『ネクロマンシー』だった。最初から『ネクロマンシー』だったら俺もさすがに分かる。最初は何だったのか、を調べてほしい。俺の考え過ぎならそれでいいし、何かあるならまた面倒が起きるから」
「承知いたしました」
「今回の傷害事件、犯人は二人いるはずなんだ。一人は楠くんもどきだとしても、じゃあもう一人は? っていう問題が残ってる」
昨日は事件が起きなかった、それは『明神』を倒しておいたからなのか、それに加えて律が楠家を訪れたからか。
1つ目の事件の犯人よりも、2つ目の事件の犯人の方が小柄である、ということは報道でも言われていたし、警察の資料にもあった。しかし、律が出会った『ネクロマンシー』は『明神』だけである。あの術式から成立したものであれば、完膚なきまでに破壊したことで力を喪失したかもしれないが、その確認は必要だ。
「……そうですね、承知いたしました。残る1点は」
「大切な人が返ってくるおまじない。どういう理由があって広める必要があったのか。噂の元は何で誰だったのか。万寿ちゃんなのか、お母さんなのか、それとももっと別の何かが関わっているか。以上3点、調べて報告を上げてほしい」
「本当に御迷惑をお掛けしておりますので、その程度当然です。必ずや報告いたします……!」
「ま、分家の人たちがごちゃごちゃ言うだろうから、文句があるなら俺に直接言えって言っといて。どうせぽっと出の家の、雪乃の威を借るただのボンクラ息子だと思われてるだろうし?」
「いえ、そんなことは」
「俺は売られた喧嘩は絶対に買うし徹底的にやる人間だから、」
そこで笑みが漏れてしまったのは無意識だ。それを見た知江の目に浮かんだ感情は何だったのか。
生粋の魔術師の家系として生きてきた人間とは根本的に違うことは理解している。彼らから見れば、律は平和にのうのうと生きてきた、ただ世界で五本の指に入ると謳われた茅嶋 雪乃の後を、一人息子だからという理由で継いだだけの『ウィザード』でしかないだろう。知江がいくら取り繕おうとも、律は『そういう目』で見られることを知っている。ずっとそういう目に晒されて生きているのだから。
「――これ以上巻き込むようなことになれば、うちに喧嘩を売ってると見做すからよろしく、と分家の皆さんにお伝えしていただいても?」
「……、はい」
知江のことは桜の友人だと思っているが、他家の人間である以上――そして茅嶋という家に敵意を持っている人間がいることも知っている以上、気を許すことは許されない。使えるものすべてを使うことを、自身に許すわけにはいかない。それが何もかもを解決できる手段だとしても。
「ま、そんなことは置いといて。よかったらまた桜の話し相手になってあげてね、俺もまたいつまでも日本にいられるわけじゃないからさ」
「いえ、あの、それは前から申し上げていますが、畏れ多すぎるのですが……」
後片付けをある程度見守って、これ以上は麻宮の管轄であると判断してから、三人は帰路につくことにした。
「今日はよく働きました……」
「あはは。ありがと、なかみー。かっこよかった」
「騙されませんよ」
「あれ」
「えーでもホントになかみーめっちゃかっこよかったっすよ! 俺も戦いやすくて助かったっす」
「それならよかったですけど……」
「今度また丁野先生誘って呑みに行こっか、色々報告もしたいし」
「是非。……何か嫌な予感はしますけど」
そうかな、などと嘯きつつ。諸々報告すれば、恐らく件の元教師は腹を抱えて笑うだろうな、とは思っているので、少し報告するのが楽しみではある――恐らく陵は怒るだろうが、それはそれで。
帰ったら渡瀬宛に報告書をまとめないといけないが、麻宮のことはなるべく隠して成立するだろうかと考えると頭が痛い。犯人が逮捕できるわけでもない、報道に乗ってしまった以上はこの先をどうするかを詰める必要はありそうだ。しばらく忙しくなるな、とぼんやり考えていると、隣の恭がうーん、と大きく伸びをして。
「はー! さすがにいっぱい動いたからおなかすいたー!」
「え」
「えっ……」
「へ? え? 何で二人ともそんなぎょっとした顔するんすか?」
きょとんとしている恭から目を逸らして、律と陵は顔を見合わせ。
――やはり先日の一件はしばらく尾を引きそうだ、と確信したのだった。