Hollow Pretender - 01

『おっはよーございまーす!』
「おはよう……朝から元気だね……」

 ある朝、午前7時半過ぎ。半分寝ている頭で電話に出ると、電話の向こうから聞こえた元気な声で意識が覚醒する。まだ寝てたんすか、という恭の声の後ろからぱぱー、と女の子の声。どうやら憂生の面倒を見ながら電話をしてきているらしい。常日頃5時起きで活動している恭と一緒にされても困る。このところは規則正しい生活をしているとはいえ、律は多忙な時期になると太陽が昇ってから就寝するサイクルの人間である。
 
「朝からどうしたの……、何かあった?」
『や、ちょっとパーカーから気になる話聞いて。楠先輩いるじゃないすか?』
「……ああ、うん」

 恭の口から出た思わぬ名前に一瞬返事が詰まる。楠 明神――彼がまだ高校生の頃に縁のできた『サイキッカー』。色々とあって今は『行方不明』の筈だ。
 
『何かね、妹ちゃん……万寿ちゃんだ、いるじゃないすか』
「うん」
『ふたり仲良く歩いてたらしくって。仲直りしたんすかね?』
「ふーん……うん……?」

 ――そんなわけないでしょ、と言いかけたのはさすがに止めた。恭が楠兄妹のことをどこまで把握しているのか、律には分からなかったからだ。
 楠 明神と楠 万寿の兄妹の間には、非常にややこしいモノが絡んでいる。恭の認識では恐らく「明神は万寿を苦手としている」止まりではないだろうか。そんな生易しいものではなく、それは血筋に絡む厄介な呪縛であり、その結果明神がどういう選択をしたのかということは多少知っている。少なくとも仲直りしたから仲良く歩いていた、などという関係にはならない――絶対に。
 
『なーんか不思議だったから、ちょっと律さんに報告しとこーと思って。俺長いこと楠先輩に会ってないし、久々に会いたいなー』
「んー、そうだね。俺も長らく会ってないけど、どうしてるんだろうね」

 適当に当たり障りのない返事を返しつつ、どうにも嫌な予感がする。憂生が遊んでとごねてくれたお陰で余計なことを言う前に電話は終了して。
 ベッドの上に座って考え込む。『彼』の連絡先は聞いていないので、こちらから連絡を取る手段はない。恭は「パーカーから聞いた」と言っていた。ならば連絡を取るべき人物は。
 
「もしもしなかみー? おはよう」
『おはようございます、茅嶋さん。どうされました?』

 恭は毎朝ジョギングで訪れている神社でその話を聞いてきた、ということになる。つまり神社の宮司である陵であれば報告を受けているはずだ、と思いながら電話した陵はすぐに電話に出た。どうやら手は空いていたらしい。
 
「おたくの境外社の子から恭くんが聞いたらしいんだけど」
『ああ……茅嶋さんも聞かれたんですね。あの兄妹が仲良く歩いていたっていう話』
「んなわけないじゃんね」
『ないですね。ないです』

 そこは共通認識のようで、律は安堵する。うっかりどこかの認識が変えられてしまっている、ということはなさそうだ。
 仕事でもないのにあまり首を突っ込む訳にはいかないのだが、どうにも気に掛かる。知り合いのことではあるし、『彼』に何か害があることであれば多少は力になりたい、とも思う。
 
「……ちょっと気になるから調べてみようかな……」
『大丈夫ですか? 一緒に行きますか?』
「ううん、とりあえずちょっと調べるだけだし、いいよ。何かあったら連絡してもいい?」
『それは勿論。私も気になります』
「だよね」

 何もなければいいが、恐らく何もない、ということはないのだろう。
 面倒事にならなければいいな、と律は溜め息を吐いた。
 

 
 その日はやらなければならない仕事があったこともあり、動くことができたのは翌日だった。
 明神は『サイキッカー』だが、その妹である万寿は『ウィザード』である。記憶を辿って魔力の『質』を思い出し、それを追い掛ける形で探しに出れば、すぐに万寿には出会うことができた。その隣に明神はおらず、一人である。
 
「あれ、万寿ちゃん?」

 偶然を装って声を掛ければ、律を見た万寿が少し首を傾げてから、あ、と声を上げた。記憶の中よりも随分と大人になった万寿はしかし、あの頃よりも『良くない』ものを抱えているようにも見える。
 
「茅嶋さん。お久しぶりです」
「久しぶりだね。元気?」
「はい、元気にしてます」
「そっか。最近楠くん会わないけど、元気してる?」

 当たり障りなく、ごく自然を装って。普通の会話として問い掛ければ、当然のように万寿は頷いた。その目に嘘を吐いている様子すら窺わせずに。
 
「元気にしてますよ」
「そっか。よろしく言っといて」
「はい」

 にこやかに笑って、ぺこりと頭を下げて万寿は歩いていく。その後ろ姿を見送ってから、律はスマートフォンを取り出した。電話を掛ける相手は決まっている――陵だ。事前に今日万寿に会いに行く話はしておいたので、すぐに電話は繋がった。
 
『もしもし?』
「ねえ、気持ち悪いんだけど……」
『直球……』
「お兄ちゃんは元気にしているそうですよ」
『気持ち悪いですね……』
「でしょ。どうしよっかなあ」
『実は犬の散歩と称して外に出ているんですが。追いましょうか』
「さすが。頼んでもいい?」

 大体の場所であれば分かる。今頃歩いているであろう場所を伝えれば、陵はすぐに動いてくれた。見つけた、という連絡が入るまでにさほど時間は掛からない。
 連絡を繋いだまま、十数分の尾行。その先は。
 
『……楠家ですね。家に帰っていきました』
「そっか。出先からの帰りだったのかな」
『家の中の気配は3人分ですね。どうします?』
「そっち合流する。ちょっと待ってて」

 何となくではあるものの、楠家のある場所は覚えている。念の為、と場所を共有してくれた陵の地図を参考に、住宅街の中にある楠家へと問題なく辿り着いた。犬を連れた陵に手を振られて、軽く手を振り返す。
 確かに家の中にある気配は3人分。窓から覗き込んで見つかることは避けたい。となれば。
 
「……お母さんも万寿ちゃんも『ウィザード』だけど、まあ何とかなるか……?」
「何かお手伝いしますか?」
「いや、いけると思う。ちょっと待って」

 深呼吸ひとつ、集中。家の中にある気配が『何』なのか、感知する程度であれば見つからずに何とかなるだろう。頭の中でざっと組み上げたものを『リズム』に落とし込み、口笛ひとつ。しんと静まった脳内に流れ込んでくる情報。
 一人は万寿。そして一人は万寿の母である楠 授々のもの。――そしてもうひとつは。
 
「……ビジュアルが楠くんの『カミサマ』だな……?」
「……万寿ちゃんが契約してる『カミ』でしょうか?」
「たぶん……? 彼女の契約してる『カミ』って鏡だったしな……」

 鏡。姿を映すもの。それであれば、明神の姿を模ることも難しくはないだろう。
 ふ、と息を吐いて魔術を解除する。明神と万寿が仲睦まじくしていたというのも、明神の正体が彼女の『カミ』であるならば有り得ない話でもない。外からみる分にはごくごく普通の、平和な家庭だ。ひとまず誰かに害があるようなものではないのならば、これ以上踏み込む理由は律にはない。
 
「……一旦放置かなあ。害があるわけじゃないし」
「そうですね……ひとまずどうなっているかという確認は取れましたし、留意はしておきますが」
「うん」

 ここにいない『彼』に害が及ぶ可能性がないとは限らない。踏み込むことはしないまでも、注意は必要だろう。恐らく陵も『彼』を心配しているであろうことは見て取れる。
 ひとまず、その日の調査はそこで打ち切りとなり――少しもやもやとした何かを残しながらも、律と陵は解散したのだった。