Shin-Kisaragi sta. - 閑話01

翌朝の話

 不意に目が開いた。
 最初に感じたのはふわりと香る清廉な畳の匂い。続いて視界に入った自室ではない光景――そもそも自宅にはない和室の風景に、昨日意識を落としてからそのまま陵の神社に泊まることになったのか、と思い当たる。布団に入った覚えがないが、恐らくルキか誰かが運び込んでくれたのだろう。ならば桜にも当たり障りのない形で外泊の連絡が入っている筈だと判断して、安堵の息を吐く。全身に負っていた怪我は綺麗に治療されたようで、体に痛みは感じない。
 ごろり、と寝返りを打てば、視線の先に律のスマートフォンが置かれていた。ポケットに入ったままだったはずなので、寝にくいだろうと出してくれたのだろうか。手を伸ばしてタップ、ディスプレイを確認すれば幾つかのメッセージが届いている通知と、AM06:08の表示。果たして何時間ほど眠っていたのだろうか。神社の朝は早いが、あまり音はしない。恐らく気を遣ってくれているのだろう。
 通知が入っているメッセージは開くことなくスマートフォンを畳の上に戻して、律は再度目を閉じる。このところは睡眠はきっちり取っているが、怪我の影響なのかひどく眠い。ここは甘えてもう一度寝てしまおうと心に決めて。
 唐突に遠くから聞こえるどたばたとした足音。思わず溜め息が漏れたのは、先ほど見た時間を思い出したから。
 
「律さん!? 大怪我したってマジすか!?」
「……るっさいなクソガキ……」
「あっ寝てたごめんなさい!? 下でパーカーに聞いてびっくりして……」

 がらり、と襖を開いて姿を現したのは恭だった。いつも通りのトレーニングに神社まで来たところ、境外社で律が来ている話を聞いたのだろう。慌てて口元を押さえたところでもう遅い。二度寝をしたい気分は霧散して消え失せて、律はゆっくりと体を起こした。やはり痛みはないので、体が怠い以外は気にする必要はなさそうだ。
 今更そっと部屋の中に入ってきた恭は、そのまま布団の隣に腰を下ろす。心配そうな顔でじろじろと律を眺めた恭はしかし、怪我の様子がないことに安心したのだろう、大げさなほど大きな息を吐いた。
 
「最近あんまなかったのに。珍しいっすね」
「仕事じゃないしなーと思って気抜いてたからか、何かうまく動けなくて……」
「律さんが!? 熱でもある!?」
「なかみーが変になっちゃってて動揺したのもあるんだけど。最近誰かを守りながら戦うってなかったから、そのせいかも」
「……あー」

 さすがに恭には言葉の意味がすぐに分かったのだろう、眉を寄せつつなるほど、と頷くその姿は、さすが『相棒』だと褒めてあげたくもなる。
 普段の仕事では誰かを守っている余裕があることなどほとんどないし、守る必要もない。何かを守らなければならないとなれば恭の方が適任なので、任せきりだ。元来性格上「一人で何とかする」という動き方が主軸であることもあって、誰かを気にする戦い方は根本的に向いていない。
 
「律さんすーぐ難しいこと考えるから。いつも通りにすればいいのに」
「それができる性格でもなければ、それができる立場でもないんだよ残念ながら」
「まあそれは知ってるっすけど」
「名目上なかみーのお手伝いだしさ。仕事じゃないときは、人間らしくいたいじゃん」

 自然と口から漏れた言葉に、一瞬ぴたりと空気が止まって。先に反応したのは恭の方だった。ぺちり、と軽い力で頭を叩かれて、そこで自分の失言に気付く。
 
「……イタ」
「律さんはいつだって人間でしょ。傷つくし怪我もするし死ぬときゃ死ぬんすよ、人間でいるの諦めようとするのマジでやめて」
「……ごめん」
「普段からそんなこと考えてるからぽろっと口から出るんすよ」
「耳が痛い……」
「……ちょっと一緒にいない間にすーぐ変なモード入っちゃうんだからもう。ほんっと俺がいないと駄目っすねえ」
「すごい不本意」
「律さんが悪い」
「ごめんて」

 もう、と仕方なさそうに笑う恭に、苦笑を返す。どちらかと言えば、口にすることでこうして窘めてもらおうと思ったのかもしれない。
 かつて恭に対して普通に生きてほしいと願ったそれは、裏を返せば自身の想いでもあったのだろうか。普通に生きるという選択肢を一度も考えたことがないからこその、心の奥底。今更そんなことを考えて、馬鹿げているな、と首を振る。
 これが律にとっての普通であって、いつも通りの日常だ。
 
「よし、俺も今日ここで朝ごはん食べさせてもらってから帰ろ!」
「いいの?」
「ゆりっぺ今れおれおのこととういういのごはんの用意だけでも大変だから、最近朝はごはん買って帰ってるんすよ。夜はヒメ先生とか一斗さんがごはん持ってきてくれたりもするんすけどね。ほら……俺ごはん作れないから……でもできることはしたい……」
「あー……ていうかそれなら早めにルキくんに言っておいでよ。あんまり長居もできないんじゃないの?」
「そうだった! るっきー、ゆりっぺの分も合わせて二人分お弁当作ってくんないかな」
「甘えすぎじゃない? 俺どうせあんま食べられないからその分持って帰る交渉すれば?」
「いや律さんはちゃんと食べなきゃだめ。」

 るっきー! と叫びながらばたばたと恭が部屋を出ていく。すぐに遠くからわいわいと話す声が聞こえてきて、全く賑やかだな、ともう一度苦笑い。それでも少しいるだけで空気をがらっと変えていくのは、やはり恭のいいところだ。
 今度柳川家用にお弁当でも作ってあげよう、と思いながら、律も布団から抜け出して恭の後を追ったのだった。