Tide Rises - 閑話
おめでとうの話
病院帰り――とはいえ、受診した訳ではなく。
先日無事に柳川家には第2子が誕生し、「律さんと桜っちなら家族じゃないけど面会来ていいって!」という恭の連絡にすぐに反応したのは桜だった。恭が動けなくなることは分かっていたので、通常に比べるとほとんど仕事もない。じゃあ二人で会いに行こうか、という話になって、琴葉が勤めているいつもの病院まで足を運んで、憂凛の病室に少しだけお邪魔した。帰ってきて、二人で部屋でソファに並んで座って、一息。
「玲生くん、可愛かったですねえ……」
「ね。泣くと耳と尻尾出ちゃうの、ちょっと見たかったな」
「またそのうち見る機会もありますよ、きっと」
「憂凛ちゃん退院したら暫く実家だからなあ。次会うときはもうちょっと大きくなってるね」
「ふふ、そうですね」
本当に産まれたばかりの小さな赤ん坊、という存在には、こんなことでもないとなかなか縁がない。憂生が生まれたときはまだ、病院に面会に行けるような時勢でもなかった。普段から憂生の面倒をよく見ている桜は、子供の面倒を見るのも好きなのだろうな――と何となく律は思っている。本人に直接聞いたことはないが、律自身はどちらかと言えば子供の相手をするのは苦手なこともあって、何となくそう感じることが多い。一人っ子で大人になるまでは近くに年下の子供もいなかったからか、どう対応すればいいのか分からないのが正直なところだ。
ふと、以前恭と話したことを思い出して。そのまま特に考えることも無く、律の口から言葉は滑り出た。
「桜は子供欲しい?」
「へ」
「いや、そういうこと考えたことあるのかなって。結婚式も無事に終わったし」
先日、入籍してから2年でようやっと実現した結婚式のことを思い出す。身内だけのこじんまりした形で、と言いつつもそれなりの人数を呼ぶことになった結婚式で見た、隣の桜の幸せそうな笑顔。スケジュールを空けるために昨年後半からかなり無茶なスケジュールで仕事をしていたのが、それだけで報われたな、と思える程には良い結婚式になったと律は思っている。その一大イベントが終わって、落ち着いて、先のことを考えるにはいいタイミングだ。
恭とそんな話になったとき、律は「桜に任せる」と答えたことを覚えている。元よりこんな仕事をしている身で、家にいても仕事を片付けるのに部屋に籠っていることがほとんどで、そのサポートをしてくれている桜の負担が増えることは目に見えていたから。
沈黙の中、きゅう、と膝の上で桜が両手でスカートを握り締めたのが見えた。ん、と首を傾げれば、ふう、と息を吐く音。
「り……つさまは、」
「うん」
「子供、欲しい……って、思って、くださいますか?」
「え」
「あの、えと、何て言ったらいいのか……」
「うーん、欲しくないって言えば嘘になる、くらいには……? いや、でも桜の体のことは今でもやっぱり心配だし、子供生まれたとしても俺あんま面倒見れないだろうし、いや頑張るけど、そうなると桜が大変になるのは心配だなって思ってはいる」
「……わたし、です? しんぱい……?」
「え? うん、桜の心配はするよ?」
「……ッ」
「え、待ってどうしたの」
流れに任せて、無遠慮に話題にしない方がいいことを聞いたのだろうか。ぽろ、と桜の瞳から涙が溢れて拳に落ちたことに気付いて、律は桜に手を伸ばす。よしよし、とその頭を撫でてしまうのは彼女が「妹」だった頃からの癖だ。
ごめんなさい、と謝りながら涙を拭った桜が顔を上げる。しっかりと律に向き直ったその瞳にはまだ涙が溜まっていた。
「……ずっと、律様、子供は嫌がられるかと思ってて……」
「えっ何で。あ、俺が子供苦手っぽい? 確かに得意ではないけど。大樹くんの副業のお陰で最近ちょっと慣れてきたとこはあるよ?」
「えと、そうじゃなくって……律様の、重荷を増やしてしまうんじゃないかって、それが怖くて……」
「重荷? 子供が?」
こく、と頷いた桜の瞳からまた涙が零れる。その涙を指で掬いながら――ああ、と気付く。
家族が増えるということは、律が守るべきものが増えるということだから。
恭や桜とは違って、己の身を己で守ることができない、律にとっての「弱み」が増えるということだから。
それを桜は心配しているのだということに、ようやっと気付く。そしてそれはかつての自分の言葉が原因なのであろうことにも想像がついた。あの頃、仕事を手伝いたい、律を助けたいと言ってくれた彼女に、「弱みを増やしたくない」という言葉で突き放したのは自分だ。
「んー……俺その辺のことは何も考えてないな……もし桜がいつか子供欲しいならそれもいいかなとは思ってたけど……」
「そういう、話、するの、律様、嫌がられるかと……」
「全然。恭くん羨ましいなーって普通に思ったりするし。あとやっぱりどうしても恭くんに感化されたかなって部分もあるし」
「感化、ですか?」
「うん。……守るものがある方が、強くなれるかも、的な?」
恭のように臆面もなく、憂凛を泣かせたくない、憂凛と子供の家に待つ家に帰りたいということを口にはできない。それでもそう言い切れる恭の気持ちが、今ならよく分かる。
「ていうか旅行のときにちらっと言ったじゃん」
「そ、それは……そうなんですけど……それとこれは違う話じゃないですか……」
「あー、まあそこは俺の性格的な問題あるか。不安にさせてごめん」
「い、いえっ、謝っていただくようなことではなくてっ」
「もし俺たちに子供がいたらどうなるか、それは俺にも分かんないけど。桜が子供好きで、子供欲しいなって思うなら、どうするか二人で考えていけばいいんじゃないかなって思うかな」
「りつさま……」
「で? 俺の質問への答えは?」
答えてもらってないけど、と笑ってみせれば、急におろおろと視線を泳がせる桜の頭をまた撫でて。わざと顔を覗きこめば、思い切り逸らされた。
「桜さーん?」
「いっ、いじわるですっ……!」
「あはは」
「なまなましい」
「何が」
「桜っちが朝起きてないというこの状況で! 昨日そういう話したって! 聞くのが! なまなましい!」
「変な想像しないでいただいても? ……てか桜起きてるよ? 起きて即中庭行っちゃって戻ってこないだけ。いろいろ話してるのかなあ」
「いやもうそれ答えじゃないすか」
翌朝。
憂生が昨日から義実家の世話になっており、いつものトレーニングを終えた後暇になった恭がふらりと茅嶋家を訪れた。いつもなら寝ている時間である筈の律が出迎えて、いつもなら朝食の準備に勤しんでいる桜がいないことにきょとんとした恭に、昨夜の話をした結果が冒頭の反応である。
このところずっと恭は憂生の世話をしながら自宅と病院を行き来していたので、こんな時間から茅嶋家にいるのは本当に久しぶりだ。桜を散々心配させてしまったので、このところの律はきちんと夜寝て朝起きて三食食べる生活をしている。昨日の時点で今日の朝食は作るという約束はしていたので、恭の分の朝食も足してメニューを考えつつ。
「俺はここ数日ちゃんと人間らしい生活してるよ、お陰様で」
「そんならよかったんすけど。なかみーに怒られてたっすもんね」
「素直に前日の睡眠時間一時間って答えたときの顔怖かったな……真顔すぎて……」
「てか一週間くらいほとんど寝てなかったじゃないすか。よく式中起きてられたっすね」
「まあそれはさすがに。でも結婚式前に睡眠時間ほぼ取れてなかったのはまずかったなって今の俺なら思う」
「もうちょい早く思ってほしかった……」
「仕事残して式行って気になる方が嫌だと判断してたので……」
無理はしたが、そのお陰で今現在ゆっくりしていられるというのもある。しばらくは自宅を拠点にして動ける仕事を受けて、また秋を迎える頃にはばたばたと遠方の仕事に行かなければならないスケジュール感になるだろうか、というのは現時点での予想だ。出来ればこのまま自宅にいたい気持ちは山々だが、そうもいかないのがこの仕事の辛いところだ。立て続けに降ってくる依頼を取捨選択してスケジュールを立てているのは自分なので、多少程度は融通は利くところが唯一の長所である。
「……なんかでも、律さんが桜っちと幸せそうでにやにやする」
「するな」
「ふふん。はー俺も早くゆりっぺと玲生に会いに行きたい! この後ゆりっぺの実家にお邪魔してういういの顔見ようと思ったら、何かガチめに狐さんたちの実家まで行っちゃってるらしくて……ちょっとしょんぼり……まあ明日は帰ってくるけどぉ……」
「あはは。可愛がってもらってるんだねえ」
「うん。ういういは全然狐じゃないけど、でもしっかり皆に可愛がってもらってるみたいっす。玲生はもう完璧に『半人』だから、ういうい以上に甘やかされそうな予感しかしない」
「恭くんの方が会えないかもしれないな、そうなると」
「え、やだ」
「即答」
思わず笑ってしまいながら。それでもこの二年弱、恭がどれだけ憂生を可愛がっているか、律はよく知っている。当然同じように玲生のことも可愛くてたまらないのだろう。
出会った頃はまだ中学生だった恭が、二児の父親というのはどうにも不思議な感覚になってしまうが。それだけの年数を無事に生きてこられたということの証左でもあるし、それが少しでも長く積み重ねていければいいとも思う。
――あの頃は、こんな未来など考えてもいなかった。
「……ひとつ聞いてもいい?」
「何すか?」
「玲生くんの名前、いつから考えてたの?」
「あー……性別分かる前に、ゆりっぺがヤじゃなければできたら玲の字使いたいかもって話してたんすよ。それでゆりっぺが、女の子だったられいなで、男の子だったられおにしよう、って考えてくれて」
「そっか」
「俺やっぱシスコンなんすかねえ」
「まあ先輩と恭くんはかなり歳も離れてたしね。無意識に思うところもあるのかも」
玲――亡くなった姉の名に、生の字を付ける。そこにある想いは、律がいくら想像しても分からないことだ。
姉の死の真相を知りたい。そこから律と恭の関係が始まって、そして恭は憂凛に出会って、多くの出来事を経た結果今がある。そこで得てきたものの結果としてその名前を思いつくことになったのか、それとも。一瞬深く思考を潜らせそうになって、律は緩く首を振ってその思考を振り払う。詮索するようなことではない。聞いたところできっと、明確な答えが恭から出ることもないだろう。
「はー……面会時間遠い……」
「あはは。まあうちでゆっくりしてっていいよ」
「いや律さんと桜っちのイチャイチャタイムを邪魔する訳には」
「いちゃいちゃするなら夜だな」
「なんで今日の律さんそんななまなましいこと言うの」
「言ってないし今日は普通に日中やることあるからだよ。あんまそれ言うなら憂生ちゃんと玲生くんの誕生日から逆算して犯行日割り出すぞ」
「犯行日扱い何で!? つかやめて!? それもう郁真くんにやられたんすよ俺!?」
「うわ……ご愁傷さま……」