Tide Rises - 05
車の揺れに目が覚める。ぼんやりとした視界で真っ先に目に入ったのは、椅子の背と車を運転している大樹の後頭部。そこから徐々に状況を把握する――どうやら飲み会はお開きになって、自分は自宅へと送られている最中らしい。
「あ、起きた? ひーくん」
「……おきた……」
「気分悪かったりしない? トイレとか大丈夫?」
「……だいじょうぶ……みずのみたい……」
「うんうん、じゃあコンビニに寄ろうね」
いつもの調子の大樹の声を聞きながら、もう恭はいないのだな、とぼんやりと思う。アルコールのペースを上げてからの記憶があまりない。最終的に何の話をしていたかも思い出せない。記憶がないと言うと捏造されそうなので黙っておこうと考えながら、響はゆっくりと息を吐いた。
高級外車に乗っていたくせに、これだと星乃と出掛けられないから、という理由で買い換えた、車椅子が乗せられる福祉に特化した大きな車の内部は広くて乗り心地も良い。とはいえ星乃がこの車に乗ったのはまだ一度か二度の筈だ。どこかに出掛けられるようなスケジュールを作ってあげたいと思う気持ちはあるが、事務所はようやっと安定してきたところで、なかなかゆっくりできる時間を作るのが難しい。
「……恭は」
「ひーくんがよく寝てたからね、やっくんは先に家の近所まで送ったよ。お酒強いんだねえやっくん」
「……家系だって前言ってた。お姉さんもすごい強かったって」
「そっかそっか。僕はあんまりお酒飲めないからねえ、ちょっと羨ましいな」
「……そうだっけ」
「そうだよ。ひーくんも結構強いのに今日はべろんべろんじゃない。そんなに飲んだの?」
「……酒の力借りねえとアイツと話すの無理があるなと思って……」
「なるほどね。あ、今度ひーくんはやっくんにお礼言わなきゃだよ」
「何で」
「飲み代全額支払ってくれたのやっくんだし、ひーくんのこと抱えて車に乗せてくれたのもやっくん」
「あー……」
全く覚えがない。大樹が送ってくれているということは、支払いは大樹が持ったのではないかという微かな望みはないらしい。知らない間に車に乗っているということは、誰かが乗せてくれたということで。そして大樹が響相手にそんなことをするとは思えない、抱えるくらいなら叩き起こされていただろう。よく寝ているからと恭が配慮してくれて、起こさないように抱えて車に乗せてくれたということだ。仕事柄昔よりも今の方が鍛えているらしい恭が、響一人抱える程度は訳なかっただろうというのは容易に想像がつく。
酔って寝てしまったばかりに、「次に会う理由」を体よく作られてしまったらしい。思わず溜め息が漏れた響に、大樹がくすくすと笑う。
「やっくんといるひーくんはらしくなくていいね」
「はあ? アイツに振り回されてるだけじゃん」
「だからだよ。肩の力抜けてる感じがして、うんうん、そういうひーくんもいいね。僕の知らないひーくんだ」
「いや、」
重ねて言い返そうとしたそのタイミングで、ぴこん、とポケットの中のスマートフォンの通知音。取り出して通知を見れば、見覚えのない連絡先。
――どうやら酔っぱらった自分は、恭の押しに負けて連絡先を交換したらしい。
【今日はありがと! 今度はひびちゃんが好きなもの食べに行こうね】
「……ほんっと馬鹿……」
呟いた声に滲んだ感情は何だったのか。運転席で笑った大樹の反応が全てのような気がした。
「――って感じで、まあ、仲直りしたわけじゃないっすけど、一歩前進? みたいな……?」
「そっか。まあ仲直りっていう言い方も変だよね、喧嘩じゃないし」
「他にいい言い方思いつかないっすよ」
数日後。
ようやっと年始まで溜まっていた仕事を片付けた律から連絡が来て、久しぶりの仕事の打ち合わせ――からの空港のラウンジで飛行機待ち。ぽつぽつと恭は響との出来事を報告していた。半年以上放置していたので、恭としてはようやっとという気持ちもある。
これでよかったのかどうかは分からないし、この先も何度も回数を重ねてようやっと改善されていく関係性ではあるのだろうと思う。それでも、スマートフォンに入った響の連絡先がブロックされることもなく残っているのは有難い。消そうと思えば消せる筈のそれを残してくれているということは、もう関係を断つつもりはないと考えていいのだろうから。
「ていうかひびちゃんが律さんとはビジネスの関係だって言ってたんすけど」
「あー、ビジネスだねえ」
「何かめちゃ怖い雰囲気を漂わせている……」
「まああの子は元々恭くんの友達であって、俺の友達じゃないしね。仕事上の付き合いはします、それ以上はちょっとお断りかな」
「……怒ってるっすか?」
「まあ、よかったねって言ってあげられないくらいには」
「うぐ」
「でも俺としては、恭くんの気持ちも何となくは分かるつもりだよ」
そう言ってくれる律の表情は優しい。恭がずっと悩んでいたことも知ってくれているからだ。恭がそれでいいなら、と思ってくれているということだろう。昔であればいい顔はされなかったかもしれないが、恭ももういい大人なので。
自分で考えて、自分で決めた。このことで何かが起きても、きっと自分は後悔しないだろう。
「そうだ、らっちっちとかも一緒に飲みに行ってくんないかなー」
「うわ……流れ弾可哀想……」
「え? 何で?」
「いや……禮知くん今頃寒気してそうだなと思っただけ……」
「何で!? 大丈夫電話には出てくれる!」
「鬼電するからでは……?」
呆れきった律の視線に首を傾げつつ。しかし実際そちらの付き合いについては、別段何も言われていない――何なら恭経由で向こうの家に連絡を取ったことも一度や二度ではないので。最初から当主同士で話をすると、ただでさえややこしい事態が更にややこしくなってしまうから、とは律の弁である。
「ていうか飲みに行きたいの?」
「うーん。まあ可愛い奥さんと子供と一緒にいたいから、基本的には行かないんすけど」
「やっぱり」
「でもほら、俺が帰っててもゆりっぺも親戚付き合いとかあるし、一人で暇なときはあるじゃないすか」
「あー……それはねえ……」
「そういうときに行けたらいいなー、っていうアレ。律さんと飲んだら律さん即酔っちゃうし」
「……そこはちょっと反省する……」
苦笑いひとつ。仕事としてアルコールを飲むときの律は顔色一つ変えないが、気を抜いているときは驚くほど酔うのはもう見慣れた光景だ。お陰で酔っ払いの面倒を見るのは慣れたが、どれだけ飲んでもあそこまで酔わない恭としては少し羨ましい。
少しずつ、少しずつ。焦ることなくゆっくりで構わない、そうやって失ったものを取り戻して。そうした先にあるものが、平穏であることを信じている。
「さって! 今回の仕事もさくっと終わらせないと! ゆりっぺ誕生日! つばっちと桜っちも誕生日! 律さん結婚式!」
「ほんと、予定詰まってるからできれば巻いていきたい」
「だいじょぶ! 俺めっちゃ頑張る!」
「あはは。頼りにしてるよ」