Tide Rises - 04
アルコールが進めば話も弾む。
共通の話題となるとどうしても大樹の話になるので、話はそこから。話し始めると大学生時代に戻ったような気がしてしまうから不思議だ。ずっとこうして過ごしていたはずなのに、失ってしまったもの。いつの間にか手からこぼれて消えてしまっていたもの。
「お前いい加減自分で肉焼け」
「えー、ひびちゃんが焼いた方が美味しく焼けると思う」
「それはそう……末っ子弟オーラ全開にしてくんの腹立つな……」
「え、俺何か出てる?」
「人に甘えるのが上手いって話」
「そっかなあ」
響の言葉に首を傾げながら、恭は途中から何杯目か数えるのを忘れた焼酎を飲み干した。次何飲もうかな、とメニューに目を通しながら、ふと最初に思ったことが脳裏に過る。アルコールには強い自信があるが、ある程度思考はふわふわしてきているのかもしれないなと思いながら、自然と口から言葉が零れ出た。
「……俺こういうのめちゃ久しぶり」
「え?」
「飲みに行くー、とかそういうの。それこそ5年振りかも」
「何で。お前友達多いだろ」
「いやー……今やってるのこんな仕事だからスケジュールも合わないし。ぽろっと余計なこと言えないから、フツーの友達とはたまに連絡取るくらいになっちゃったし。結婚式のときに来てくれた友達とか後輩に会ったのが最後かな……、うん、結婚してから友達と飲むとかしてない」
「マジで?」
「うん。そもそも俺、そんな友達いないよ?」
「……誰とでも仲良くなるのに?」
「多分俺はそれなりに、ひびちゃんと小夜ちゃんのことすごいショックだったんだろうなって、さっき思った。こういう、飲みに行くような友達作るのは、ちょっと怖いのかも」
「――……」
場に静寂が落ちて、肉が焼ける音と外から聞こえる遠い喧騒に満たされる。先ほどまでとは打って変わってしまった空気に、一瞬まだ口にするのは早かったかと思ったが、どのタイミングでこの話をしてもきっと同じだろう。
わいわいと肉を食べて酒を飲むだけが目的ではなくて。――話さなければいけないと、そう思ったから恭はここにいて。そしてある程度は分かっていて、響もここに来てくれている筈だから。
「……お前が小夜のこと思い出したって、本当だったんだな」
「あ。律さんから聞いてた?」
「恭が会いに来ると思う、って話だけ、本当にふわっと。多分あんまりその話すると茅嶋さんが俺に対してビジネスじゃなくなるからだろ」
「……律さんとひびちゃんってビジネスなんだ……」
「ビジネスの付き合いって割り切ってるからあの人普通に俺と話してくれるだけで、多分プライベートでは死んでもお断りされると思うけど。つかそれが普通じゃね。お前がおかしいよ」
淡々と話す響の声は、敢えて感情を押し殺しているようにも感じられる。そっか、と相槌を打って、恭は響から視線を逸らすと追加の焼酎を注文する。
響自身には自覚があるのだろうことは分かる。決して許されないことをしたと思っていて、その上で何事もなかったように生きていくことはできない。そんなことは分かっている。ごく普通に過ごしているように見えても、未だ苦しんでいる憂凛を傍で見てきて知っているから。恭自身、自分を許せないことなど山のようにあって。
失礼します、と店員が運んできた声にはっと顔を上げる。テーブルの上に置かれた追加の焼酎にありがとー、と笑って。部屋の扉が絞められたことを確認してから、恭は響に視線を戻した。黙っている間黙々と肉の世話をしていた響は、そのまま焼けた肉を皿の上に上げている。
「……あのさ、ひびちゃん」
「何」
「俺と友達に戻ってもらえないですか」
「……は?」
ぼと。響が取り分けていた箸から肉が再び鉄板の上に落ちて、慌てて響はそれを拾い直した。動揺してるなあと思いながら、焼酎を一口。舌に感じるアルコールの味が、言葉を滑らかに吐き出していく。
「実際小夜ちゃんって俺だけじゃなくて、ひびちゃんのことも助けてくれたんでしょ」
「……まあそう」
「だから多分小夜ちゃんのことだから、仲直りしなさいって話だと俺は勝手に思ってるんだけど」
「いや俺お前が何言ってるのかさっぱり分かんねんだけど。俺お前のこと、」
「それを小夜ちゃんがチャラにしてくれたのは何でだろうって話」
「……」
「俺、そういう話したい。今日ひびちゃんと何話そうってめちゃくちゃ考えてて、この2日煙草の本数増えてめっちゃ奥さんに心配されたんだけどさ。タイさんのお陰もあるけど、せっかくひびちゃんが会ってくれるから、ちゃんとしたい話はまとめなきゃと思って。俺馬鹿だからすぐ何言いたいか分かんなくなるし。言いたいことちゃんと言わなきゃ、またもうこれっきりになっちゃうし」
「……これっきりで、いいだろ。俺はそのつもりで来たよ」
「それはやだ」
「何で」
「俺は、嫌なもんは嫌」
例えそれが、全て仕組まれた出会いだったとしても。響が恭の信頼を得るために行っていた嘘だとしても。
それでもやはり、恭は響を恨んではいない――と言えるのは、今自分が無事に生きているからだろう。あのときもしそのままだったら。小夜乃があの場所にいなかったら。助からなかったら。果たして自分は響に対してどんな感情を持っただろうか。律は、憂凛は。そう思うと響が言っていることが分からない訳ではないし、きっと彼の言うように今の自分の考えがおかしいのかもしれない。
自分を一度殺した相手とそれでも友達でいたいなんて、確かにふざけた戯言なのであろうことくらい、自分でも分かっている。
「俺もひびちゃんも、小夜ちゃんにいっぱい迷惑かけてごめんなさいしなきゃなんだよマジで」
「……まあ、それは……でも小夜は」
「だからいつか小夜ちゃんが帰ってきたときに、二人でごめんなさいってしたら、小夜ちゃん一番喜んで、安心してくれるかなって」
「……」
「まあ、戻ってくると思っては……ないんだけどさ……」
小夜乃はいなくなってしまった。
あのとき何がどうなったのかは、記憶を取り戻した今でも分からない。まだ「生きている」としても、きっと再会することはとても難しいのだろうということくらいは理解している。会えない可能性の方が遥かに高いであろうことも。
それでもいつか、もし、奇跡的にもう一度彼女に出会える、その日が来たら。
「小夜が俺を助けたのは、お前のためであって俺のためじゃない」
「……ひびちゃん」
「助けてくれなくてよかった、あのまま死んでりゃよかったんだよ俺は。そうしたら小夜は今もここにいたろ」
「それは分かんないじゃん」
「人の命を救うってことは、自分の命を分け与えるってことだ。無駄に命削って生き残る手段を削ったから今、小夜はいない」
「小夜ちゃんにとって、ひびちゃんの命は無駄じゃなかったってことじゃんか」
「俺は小夜を殺すために生きてきたのに?」
「小夜ちゃんにとっては、多分そんなのどうでもよかったんじゃないかな」
「どうでもって」
「たかだか25、6年しか生きてない俺たちには、その辺、やっぱ分かんないと思わない?」
「……」
実際のところ、三条 小夜乃という『ディアボロス』が――シャロン=マスカレードという『エクソシスト』がいつ生まれ、どれほど生きていた存在なのか、恭は知らない。それは響も同じだろう。リノであれば多少は知っているだろうが、彼はそんなことを響に教えるようなことはしていないだろうと思う。
長い時間を生きてきた。それだけ多くの人々を、物事を見てきた筈だ。響のように小夜乃を殺そうとした人間が、今まで一人もいなかったとは思えない。彼女にとってそんなことは些末な問題だったのではないか――というのはただの恭の憶測に過ぎないが、恭が見てきた『三条 小夜乃』という『ディアボロス』はそういう人だった。
響の目論見を最初から分かっていて、それでも共に過ごしてくれたのはきっと、彼女も3人で過ごすのが楽しかったからなのだと。そう信じることが、間違っているとは思えない。
「小夜ちゃんは多分、俺にはひびちゃんが必要で、ひびちゃんには俺が必要だって思ってくれたんじゃないかなって、俺は勝手に思ってる」
「……勝手すぎんだろ」
「それにさ。ひびちゃんが言うように、小夜ちゃんが俺のためにひびちゃんを助けたんだったら、やっぱ俺らが喧嘩? みたいな感じでずっと離れてるのは、やっぱ違うんじゃない?」
「……」
「あと、あの、正直なところひびちゃんホントのとこ、どう?」
「何が」
「俺と友達でいてくださいって言ったら、そんなに困らせちゃう?」
恭の言葉に、虚を突かれたように響が目を瞬かせた。
空っぽの鉄板が白い煙を上げている。一度消しておこう、とテーブルの横にあるつまみに手を伸ばして火を消して。少し冷めてきた肉に箸を伸ばして、咀嚼。じんわりと広がる味がよく分からなくなってきてしまったのは、緊張しているからだろうか。
どれほど無言のまま時間が過ぎただろうか。不意に響がジョッキに手を伸ばして、まだ満杯に近いそれを一気に飲み干した。思わずえ、と顔を上げた恭を真っ直ぐにみる響の目は、若干潤んでいるようにも見えて。
「お前はほんとに馬鹿」
「え、あ、はい」
「俺一回もお前に謝ってねえのに、勝手に許して勝手に友達に戻ろうとすんな」
「はえ?」
「お前に! 悪いことしたのは俺なんだよ! どのツラ下げてあ、じゃあ友達に戻りましょうなんて言えると思ってんだ!」
「あっ!?」
「あじゃねえよ馬鹿!」
「ごめん仲直りしたい気持ちが先走った!」
「ほんっとお前……お前……、……疲れる……」
「ご、ごめん……?」
脱力して壁に体を預ける響に、思わず謝罪が口から漏れる。確かにあのときのことを、響に謝られた記憶はない。放っておけばずっと謝り続けてしまいそうな状態になってしまう憂凛を見てきているのに、どうしてそこを失念してしまったのか。最後に会ったときに謝るつもりはないと言われているので、それが頭に残っていたのか。
一般的に謝って済むような話ではないことは、重々承知している。恭が全く気にしていないのがおかしいと言われることも。それでも本当に恭は響を恨む気持ちも、憎む気持ちも持っていない。嫌いにはなれないし、やはり友達に戻れるなら戻りたいとも思う。
乙仲 響という人間が、所謂『悪い人間』だとは、どうしても思えないから。
「……まあお前何だかんだあったはずなのに橘と結婚してんだもんな……」
「あ、うん」
「お前の脳みその構造と情緒の仕組みがどうなってんのかさっぱり分かんねえわ……」
「あのときはひびちゃんはそれしか方法がないと思ってたし、俺はまだまだ力不足だったし、てか状況的にはフリョノジコ? とかいうやつじゃん」
「いやいやいや……」
「今日だってさー、何だかんだ言いながら肉焼いて俺の面倒見てくれるじゃん。ひびちゃんは俺のこと利用したって言うかもしんないけど、俺からしたら今日も俺がずっと知ってたひびちゃんなんだけど。 それとも俺、今でも利用されてる?」
「……してないよ。今更恭を利用することに関しては俺に何のメリットもないし」
「別に俺も謝ってもらおうと思ってないし……、あれだ、ツミホロボシ的な感じのこと考えるんだったら、やっぱ俺と友達でいてくれると嬉しーかも」
「……アルコール突っ込むわもうお前と話すのアルコールの力借りないと無理だわ」
「あ、ビールでいい?」
「5杯くらい頼んどいて……」
「まじか」
――そうこうしている間に、あっという間に時間は過ぎて。
「ごめんねやっくん遅くなった!」
「お疲れっすタイさんー。ごめんひびちゃん潰しちゃった」
恭の対面で壁に寄りかかってすやすやと寝てしまっている響を見て、大樹はおかしそうに笑う。そのまま響の隣に腰を下ろすとスーツのジャケットを脱いで、ウーロン茶と白米を注文してからまじまじと響の顔を覗き込んだ。響が起きる気配はない。
「ひーくんが潰れるの珍しいね? そんなに飲んだの?」
「何かお前とはアルコール抜きで話してらんねえって言われた……」
「あっはっは。やっくんは平然としてるねえ、そんなに飲んでない?」
「いや、ずっと飲んでるんすけど、まあ。ちょっとふわふわするくらい」
「つよ」
目をぱちくりと瞬かせる大樹の前にウーロン茶が運ばれてくる。かんぱーい、と飲みかけのハイボールのジョッキを掲げれば、嬉しそうにわーい、と乾杯してくれる大樹はこういう付き合いがよい。どちらかと言えばやりたがる方でもあるので、言わなければ大樹の方から言われていたかもしれないなと思う。
「ちゃんとお話しできた?」
「できたのかなー……、わかんない。でもまあ、1回や2回でどうこうなるもんとは最初から思ってないかな……」
「うんうん、そうだね。まあこれを機にどんどんひーくんに会うといいよ! 逃げようとしたら僕が首根っこ掴んでおくからね!」
「首根っこ掴まれてるのタイさんでは?」
「てへ。ひーくん容赦ないからね……」
「でも、話せてよかった。タイさん、手伝ってくれてありがとうっす」
響が大樹と共に働いていなければ、こんな機会もなかっただろう。『エンブレイス』で働く前はリノのところにいるとは聞いていたが、リノは気まぐれだ。気が向けば手伝ってくれるだろうが、頼むとなると何かしらさせられる可能性は高い。面倒な仕事を頼まれた場合、勝手に引き受けると律に怒られるのは目に見えている。そういうこともなくすんなりと響と話すことができるというのは、やはりありがたい。
この先、関係がどうなるのかは分からない。けれど言いたいことはちゃんと言えた、と恭は思っている。響の口から聞けたのは拒絶の言葉ばかりで、終ぞ友人関係に戻るという話はしてもらえなかった。響の中でどれだけの葛藤があるかは垣間見えたので、時間を掛けていくしかないことだ。幸いと言うべきか、響が『エンブレイス』でこの先も仕事を続けてくれるなら、会える機会は比較的多い。
「今度から俺も律さんと一緒に事務所お邪魔するっす」
「ぜひぜひ! ついでにうちのタレントに」
「それはならないんだけど」
「しょんぼり……やっくん絶対売れるのにな……」
「興味ないし……。あっタイさんそういえば! いつから俺がしのっち……星乃ちゃんに会ってるって知ってたの!?」
「え、病院入院してるときから」
「まじで」
「うん。僕が行きたいのにやっくんが行っててぎりぎりしてた」
「ぎりぎり……てか今日も早く帰らなくてよかったんすか?」
「いや帰りたいんだけど、僕あんまり早く帰ると星乃さんに怒られるんだよね……リンクスに嫌われてるから……」
「にゃんこ? あんなに人懐っこいのに?」
「うちの猫にまで好かれるやっくん何?」
むう、と不貞腐れた顔をしてウーロン茶のストローに口をつけた大樹は、そのままぶくぶくと息を吹き込む。子供みたい、と笑いながら、恭は未だぐっすり眠っている響に視線を向ける。
またこうして飲みに誘ったら、嫌な顔をされるだろうか。今度こそ逃げられるだろうか。もう二度と行かないと断られてしまうだろうか。それでも、やはり思ってしまうのは――またこうして、二人でゆっくり話す時間を持てたらいいな、ということで。
「……俺大人組の飲み会羨ましかったんだろな……」
「ん?」
「なんでもなーい」