Tide Rises - 03
半ば大樹に押し込められるようにして二人でタクシーの後部座席に乗って。運転手に目的地を告げる恭の隣に憮然とした表情で座ったまま、響は口を開かなかった。二人の間の微妙な空気を察してなのか、世間話を振ってくれる運転手と会話しながら、さてどうしたものかと恭は考える。
もしかしたらいないかもしれない、という不安がなかった訳でもない。恐らく本当に大樹が響のことを捕まえていてくれたのだろう。何だかんだタクシーに同乗はしてくれたので、降りたらいなくなってしまうということもないと思いたい。
一昨日電話をしてから今日会うまで、響は何を考えていたのだろう。きっと顔を合わせるのも嫌だっただろう響がここにいてくれる理由を知りたいとは思うが、タクシーの中、運転手に聞かれながらする話でもない。会話が途切れたら気まずいな、なんて考えたときに限って会話は途切れてしまうもので。しんと落ちた沈黙に話の糸口を探していると。
「……恭」
「ふぁいっ!?」
「……いやびびりすぎだろお前……」
話しかけてくれるとは思っていなかったので。とは言えずに、恭はまじまじと響を見る。呆れたその表情は5年前と何も変わらない。
「……星乃ちゃんに会いに行ってるって?」
「え。何でひびちゃんが知ってんの」
「俺は大樹から聞いた」
「えっ何でタイさん知ってんの!? ナイショで行ってんのに!?」
「そもそも見守りカメラと称していつでも星乃ちゃんの様子を確認できるようにしてる男に、その辺のこと聞くのすげえ野暮では……」
「あ」
そういえば彼女が入院している頃、病室にカメラを置いているという話をしていたような気がする。気にさせないようにと黙って通っていたのだが、とっくに知られていて当然だ。星乃にも黙っていてほしいとは言ったが、だからと言って星乃が黙っている理由も特にない。
奇跡的に生き延びた、としか言いようのない彼女は顔の半分と背中が火傷で爛れ、下半身は完全に動かなくなっており、現在車椅子生活を送っている。車椅子への移乗も人の手を借りないとできないので、一日の大半はベッドの上で過ごしており、時折膝の上に乗る飼い猫を撫でているような生活だ。一件が片付いた後しばらくは恭と律の主治医である琴葉のいる病院に入院していたこともあり、恭はその頃から時々彼女のところに顔を出していた。
「……ま、まあ俺としのっち友達なので……」
「何で」
「何が?」
「恭が星乃ちゃんに関わる理由ってなくない?」
「んんー、そうかもしれないんだけど。俺一つ後悔してることがあって」
「後悔?」
「うん。しのっちの従兄? かな? に会ったことあったのが、例の件のときに分かって。それでいろんなこと知って……、俺あの子に何もしてあげられなかったなって思って。だからしのっちには、何かしてあげられることがあったらしたいなーって」
きっと誰かに助けてほしいと思っていただろうことには、気づいていたのに。それでも手を伸ばせなかった。ただ神頼みをすることしか、あの頃の恭にはできなかった。
もしあのとき、ちゃんと手を伸ばせていたら。今は落ち着くところに落ち着いているということも知っているし、今から関わらない方がいいことも理解していて、それでも考えてしまう。きっと『あの子』も傷ついて、苦しんで、悩んでいたのに――何も、できなかった。
それは自分が背負うべき苦悩ではないことは分かっている。それでも何かしたかったという後悔が、そのまま星乃に向いた。罪滅ぼしのつもりはない。ただ彼女の『友達』として、いつでも自分の手を伸ばせるように。
それはきっとエゴで。けれどそのエゴの先、星乃はよく笑ってくれるようになったから――恭としてはそれでいいと思っている。
「……お前ホント変わんないな」
「そ?」
「うん」
それきりまた、響は口を閉ざしてしまう。しかしそこに落ちた沈黙は先ほどまでの気まずいものではなくて、とても穏やかなものに感じられた。
さて何を食べに行こうか、と考えたとき、どうしても真っ先に頭に浮かんでしまったので。
「スーツににおい付くやつ……」
「えへへごめん」
「いいけど。すいません生一つ」
「あ、俺も俺も! 2つで!」
個室のある焼肉屋、という条件で『分体』に探してもらった店に到着して。席に案内してもらって、ひとまず注文を通して向かい合う。テーブルの中央に置かれた網が熱されている間に運ばれてきたビールのジョッキをそれぞれ手に取って。
「かんぱい?」
「すんの?」
嫌そうな顔をされはしたものの、まあまあ、とジョッキを掲げてみせれば溜め息交じりにかつんと合わせてくれる。一緒に運ばれてきたお通しにいただきます、と手を合わせて食べ始める恭を、響はビールジョッキを口につけたまましばし眺めて。
「……恭」
「うん?」
「何か前も聞いた気がするけど。お前何でそんな普通なの、俺に何されたか覚えてるよな?」
「前も言った気がするけど、俺ぶっちゃけその辺記憶吹っ飛んでてあんま覚えてない」
「……つってもよくそんな人間と二人で飲もうと思えるな?」
「大丈夫、今の俺ならひびちゃんに何されても負ける気しないから」
何を言われても引く気はない。真っ直ぐに響を見て、きっぱりと言い切る。心を読まれても構わない――嘘を吐いているつもりはないので。あの頃とは違う、それなりの数の修羅場は生き抜いてきた。ふうん、と小さく呟きながら暫し恭を眺めていた響はしかし、そのまま一気にビールを半分ほど飲み干した。がん、と音を立てて置かれたジョッキ、そして恭から視線を外した響はそのまま運ばれてきた肉へと箸を伸ばして、何事も無かったかのように焼き始めた。
響と話したいことは山のようにある。かつてのことも、今のことも。話の糸口としては、やはりスタンダードなところから始めるべきだろう。性格上、ごちゃごちゃ考えると失敗してしまうことはよく分かっている。
「ひびちゃんは、何で『エンブレイス』で働こうと思ったかとか、聞いていい?」
「俺? 大樹に誘われたからなだけだけど」
「え、そんだけ? ほんとに?」
「誘ったのが大樹じゃないなら断ってたけど、音信不通だったアイツが急に連絡してきたから本当に困ってんだろうなって。色々やらかしてくれるから毎日退屈せずに生きてるよ」
「そっか。……楽しい?」
「まあ、だらだら続いてる程度にはな。……恭は」
「ん?」
「橘と結婚して子供かいるっていうのは聞いてるけど。……お前父親とか出来んの?」
「ふふん、ちゃんとやってるんだなこれが。うちの娘めちゃくちゃ可愛いしもうすぐ二人目の予定!」
「仲良いな……」
「うん。いろいろ大変だったけど、でも楽しくやってる」
「ならよかった」
そう言ってふと笑った響の表情は、恭の記憶の中にある響の笑みと何一つ変わっていない。何も変わらない――だからこそやはり、何かの間違いだったのではないかと思う。
響が恭を殺したことも、小夜乃を心の奥底から憎んでいたことも、何もかも。
あの頃、間違いなく幸せではあったのだ。憂凛のことは忘れさせられていたとしても、足を怪我して競技としての陸上から足を洗うことになったとしても、それでも大切な友達がいてくれて、ずっと傍にいてくれて、それを幸福と呼ばずして何と呼ぶのか。
――そこまで考えて、ふと一つの事実に気付いて。思わず黙ってしまった恭の皿に、響は黙って焼けた肉を入れてくれる。
「あ、ありがと……」
「……よく考えたら別にお前の世話焼かなくていいのか……?」
「俺は面倒見てもらえるのはいつでもウェルカム!」
「馬鹿か? 馬鹿だったわ」