Daybreak Prospects - 04

 朱緋には安静にしていてもらうこととして。近所の神社を中心に、仕事で関わりのある『此方』の人間も含めて「悪食というものを聞いたことがあるか」という聞き込みを行った結果。
 
「俺にはさっぱり分かんなかったんすけど」
「恭くんのコミュ力がさすがすぎて俺はめちゃくちゃ助かったけどね」
 
 笑う律に、むう、と恭は眉を寄せる。恭自身が内容を理解できていなくても、充分過ぎるほど情報は集まった。相手の警戒心をあっという間に解いて懐に入っていく恭は、時々思いがけない情報を連れてきてくれる。
 恐らく朱緋も恭と同じように情報収集をしてはいるのだろうな、と何となく想像はつく。彼の人当たりの良さは接客業で培われているものなので多少種類は違うだろうが、一般人に話を聞く上で相手を警戒させない、というのは大切だ。何より自分たちは、「変な話」の聞き込みをしているので。
 
「結局何だっていう判断なんすか? 律さん的に」
「現象」
「現象?」
「『彼岸』と契約を重ねることで『ヒト』が力を『持ちすぎる』ことを危惧する修正現象、的な『彼岸』かな。実際本当に規則性とか理由とかもなく、その場にいる目についた『彼岸』と契約しているヒトを襲う、そういうもの」
「……んんー……? 月ヶ瀬さんが襲われたのに理由はなくって、たまたま条件に合ってたからってこと?」
「そうだね」
「予想より早まったのは?」
「あり得る可能性の一つとしては、この土地で『密度』が上がっちゃった、かなあ」
「……何の?」
「『彼岸』と契約してるヒトの数が増えてるって話。悪食的にはそれはよくないことだから、食べて数を調整しよう、みたいな?」
 
 傍迷惑な話だ、とつい考えてしまうが、それは悪食としても同じなのではないだろうか。恐らくバランサー的な立場を担い続けている『彼岸』であり、故に普段は眠っていて無害な存在であるのだろう。急に叩き起こされて、いつもの通りに食らおうとすれば『リコール』で追い払われて。しかしそこに感情が伴っていないのであれば、別段悪食は狙って朱緋を襲ったわけではない。再度朱緋を襲うよりは、別の手近なヒトを襲いに行く可能性の方が高そうだとは感じる。
 朱緋が聞いていた人の手にはどうにもならないもの――というのは、恐らく倒せるようなものではないからだろう。自然現象にも近しいものと考えた方がいい。
 
「……どうにもできないって話かこれ?」
「お、よく分かったね」
「えー! どうするんすか!?」
「一時的に追い払ったところでどうにもならない。密度を下げるしかないだろうから、まあ安全策を取るなら引越しさせるとか。組織的なところがあるなら拠点を移動させるとか」
「解決法があまりにも物理」
「戦ったところでどうにもならないものと戦っても仕方ないでしょ。死ぬか引っ越すかの二択なら引越しじゃない?」
「うーん……」
 
 ――とはいえ、それもすぐにどうにか出来る問題ではない。
 既に悪食は目覚めている。今現在条件に合致している律がこの土地にいる以上、それも密度を上げる要因になってしまっていると考えなければいけないかもしれない。そうなると律は帰れば済むが、この土地に長く住んでいる人間にはそうもいかないだろう。バランスを取る方法を考えている間に被害は出てしまう。どうにか弱体化させることを考えるのならばやはり戦って弱らせるしかないのだろうが、『そういうもの』を弱らせていいのかどうかは疑問が残る。
 ヒトを害する『彼岸』に対処するのは今の律と恭の仕事のひとつだ。悪食はそれに合致するものだが、しかし。それにまだ、別の可能性も考えなければならない段階だ。
 
「……これは別の可能性の一つとして聞いてほしいんだけど、俺や月ヶ瀬さんとかは『ウィザード』だからまあ、『彼岸』と契約する人間でしょ」
「うん」
「そういうのじゃない……正当な形で『彼岸』の力を行使してない人間、っていうのはいるのかもしれないね。それに反応して悪食は目覚めたけど、それを狙うっていう機能的なものが悪食にはないから、いつも通り条件に合致する人間を食らおうとしてる……とか」
「契約してないってこと? え、じゃあ俺がだめなやつ?」
「いやそういうことじゃなくて……何て言ったらいいかな。恭くんにとってはぶんちゃんもアリスちゃんも友達でしょ」
「そっすね」
「そうじゃなくて、ヒトの側が『彼岸』を無理矢理従わせてる、みたいな。そんなのがいるのかもしれない」 
 
 正当な力ではない、何か。そういうものが作用している可能性は現状排除できない。他の可能性は現状思い付かないが、朱緋に情報共有をすれば何かしらの知見は得られるだろう。
 さてどうしたものかと考えて、律は溜め息を吐いた。


 朱緋の家に戻って部屋に入った瞬間、一瞬ぐらりと頭が揺れた。

「……かなり強めの結界張りました……?」
「あはは、やっぱ分かります?」
「えっ待って何か俺入れない」
「アリスちゃんとぶんちゃん玄関先に置いとけば入れると思うよ」
「そういうこと!?」

 一人でいるとまた悪食に襲われる可能性があるから――ということだろう。対策としては非常に正しいので律から言えることは何もない。ありとあらゆる『彼岸』自体を弾くものという甲地で結界を張っているのだろう、この状況では『カミ』――『アリス』の媒介を持っていてなおかつスマートフォンに『分体』が宿っている恭は弾かれる。見えない壁に難儀していたものの玄関先に鞄を丸ごと置けばあっさりと中に入れるようになって、恭は首を傾げながらも律の後に続いた。
 ひとまず、朱緋に聞き込みの結果を共有する。律の推察を頷きながら聞いていた朱緋は、やや考え込んだ後に緩く首を振った。

「密度が上がってるってことはないと思います。ある程度この辺に住んでる『此方』と『彼方』は把握してますけど、大きく変わることもないし……元よりここ、港町ですからね。人の出入りは多いから、そういうことで悪食が出るようになるんやったらもっと頻繁に出てると思うんです」
「なるほど。『彼岸』が正当な契約を踏まずに悪用されている可能性の方はどう思います?」
「そっちは正直あり得ると思うんですけど、どうやろ……。僕が知ってる限りで心当たりはないんで、探してみるのは必要かもしれません」
「月ヶ瀬さん的にはなんか思いつくことないんすか? 俺は全く何も分かっちゃないんすけど」
「可能性……うーん。そもそも僕が異物として排除されようとされてる可能性もありますからね……」

 襲われたし、と続ける朱緋の言葉は、冗談で言っているわけではない。あえて考えないようにはしていたが、実際被害に遭っているのが朱緋しか確認できていない現状、その可能性も排除はできないものだ。他者が襲われれば、というのはあるが、できれば被害は出したくないので難しい。

「……一応情報収集もしてみてあれなんですけど、正直なところ打つ手ないですよね……遭遇する他道がない、ただ遭遇しようにも条件が分からない……」
「『リコール』使ったんで戻ってきたら話は早いですけどめっちゃ結界張っちゃったな僕」
「いや、実際問題身を守る方が大事でしょう」
「囮として何かができるのであれば他の方法は考えたいところですね。でも家ではちょっとな……シェリに何かあるのも嫌やし」

 当たり前のように足元で眠っているシェリの頭を撫でる朱緋の手つきは優しい。彼にとって最も大切なものであるのだろうことがよく分かる。結界を張ったのも、自身よりもシェリを守るためなのだろう。あとは恐らく、心配を掛けたくないのだ。犬は人が思っているよりも遥かに聡いものだから。
 さてどうしたものか。考えてばかりになってしまうが、考えなければ話は進まない。悪食にひとまず撤退してもらうには――或いは撤退の条件を満たすには。なるべく誰も傷つかない形が好ましいが、その在り方を考えれば難しいことも承知の上。そして恐らく封じる等の手は打たない方がいい。話し合いができるような相手でもないだろう。そうなると何をもって解決と言えるのか、が問題になってくる。

「……月ヶ瀬さんがもう襲われないようにするように、っていうのが一番早そうかな」
「悪食の処理ですか?」
「はい。どうしようもないものなら、それ以上の手出しを俺たち人間がするのも……、下手を打てばもっと最悪なことになりかねませんし」
「それはそうですね。ホンマやったら誰も襲われないのがいいんでしょうけど……」
「恭くんは嫌だろうけど」
「……そりゃ嫌っすよ。誰も傷ついたり死んだりしてほしくないに決まってんじゃないすか」
「それが最善なのは俺も分かってる。だから次善の策を取ります」
「ジゼンノサク」
「というわけで月ヶ瀬さんにお願いがあるんですけど――」


 律や朱緋が使う『リコール』の術式は、基本的に『彼岸』に『その場』からの一時退去を求めるものである。律の場合は『一時的にその場に存在することを禁じる』という方法を取っているが、朱緋の場合は『ツクヨミの権能を少しだけ借りて一時的に場を支配する』ことで近づかせないという方法を取っている、とのことだった。結果が同じでもその過程が異なれば、『リコール』を受けた相手側の行動も変わってくる。律の使う『リコール』の場合は効力が切れれば戻ってくることが圧倒的に多いが、格上の『彼岸』の力で追い払う形になる朱緋の場合だと戻ってくるかどうかは分からない。だが、もしこれが朱緋が狙われていると仮定するのであれば、『リコール』を行った場所――つまりは朱緋の家以外の場所であれば、再び襲撃してくる可能性は充分にあると考えていい。
 何度も同じ存在に『リコール』を使い続けるのは大抵の場合難しい。術式自体が術者にとって非常に負担が大きいということもあるが、使われた『彼岸』の側がその術式を知ってしまうという側面もあるからだ。解ける解けないではなく、知られてしまうと破られる、ということは往々にして起きてしまう。別の術者である律が悪食に再度『リコール』を使ったところで、ただの時間稼ぎにしかならない。
 ならば取るべき手段は――少しだけ力を削いで、また眠っていてもらうこと。取れる手段は、その程度だ。

「まあやっしーにしてはいいセンじゃね?」
「お褒めいただき誠に光栄。まあ食いついてくれるかどうかが問題というのはある」

 逢魔が時を遥かに越え、深夜。月の光もない闇の夜、律は巧都と二人、だらだらと人気のない場所を選んで特に当てもなく歩き回っていた。その服装はいつもの服装ではなく、朱緋に借りた上着を着ている状態である。普段律が『重装備』と呼ぶ朱緋の服は、彼自身が糸一本一本全てに『意味』を込めて作り上げているものだ。服自体に彼の手の内が詰まっているのであまり借りるべきものではないのだが、今回は遭遇率を上げるための手段として『解析しない』という約束の下に借りることになった。もし悪食が人ではなくその力を目印に動き回っているのなら、術式が組み込まれている服にも反応する可能性はある、というそれほど強い根拠のない可能性に賭けた結果である。
 今頃は違う場所を朱緋も同じように歩き回っている筈だ。朱緋には恭についていてもらっている――何かあったときにそちらの方が対処が出来ると踏んだ。恭は渋ってはいたものの「絶対無茶しないでくださいよ! まじで!」と言いながら朱緋の方に回ってくれている。『分体』と『アリス』がいる以上、充分な戦力になる筈だ。

「実際のところ、自然現象としての怪異ってどうなの?」
「ヒトってのはやたらめったら増え過ぎたら天罰が落ちる、みたいなこと言い出すからな。そういうのが『彼岸』になった結果、っつーのは有り得ない話じゃないことくらいはやっしーも分かってんだろ」
「うん、まあ。だからどうしようもないんだろうなってことも分かってるつもりではいる。そういうものとして定義してるのはこっち側だって話でしょ」
「そういうこったな。まあ自業自得?」
「そう言われちゃうとなー……」

 気に掛かっていることは他にもある。どうして朱緋が予想していたよりも早く悪食は現れたのか。なぜ悪食は朱緋を襲ったのか。ゆるり、律は首を振る。実のところ、心当たりが本当に何もないわけではない。それはきっと、朱緋も同様ではあっただろう。敢えて言葉には出さなかっただけで。
 ――『神犯』の『月ヶ瀬』。『ツクヨミ』に犯されている家系。その為来りに逆らい続けた結果、朱緋は――若しくは亡くなったという妹はその身に『ツクヨミ』を降ろすことになった、と考えていい。それがこの地で行われたことであったのならば、様々なものが大きく乱れてしまった筈だ。その結果として悪食の目覚めが早くなってしまったと考えるのが自然で、だからこそ朱緋が狙われた。
 恐らく朱緋は、実家を出る際に選んでこの土地に逃げてきている。だから、というのは何の因果か。

「……やっしー」
「ん、分かってる」

 ぞわりと闇が揺れて、目を閉じる。恭には無茶をするなと言われたが、残念ながら他の方法を律自身が思いつかないので。
 ――瞬間、頭に走る衝撃。そして、ブラックアウト。