Daybreak Prospects - 01

 休暇が終われば当然ながら日常は帰ってくる。
 旅行中恭に任せていた仕事の報告書をまとめ終わって、さて、と律は書斎机の上に1枚のメモを置いた。白紙のように見えるそのメモは、旅行中朱緋に渡されたものだ。旅行の後でいいという言葉に甘えて今の今まで放置していたが、これ以上放っておくと今度は海外仕事から帰ってきてから、ということになってしまう。内容の確認くらいは先にしておくべきだろう。
 ――そもそも、ここに書かれている内容が「朱緋個人から」の内容なのか、それとも「月ヶ瀬から」の内容なのかで、色々と話は変わってくる。
 次期当主でありながらも朱緋は家を出て神戸で一人暮らしをしているが、元々月ヶ瀬の家は京都に本家を持つ。歴史は古いが分家等も存在しない小さな家系であることもあって、彼らの知名度は世間的にはほぼないに等しい。茅嶋家として付き合いがあるのは初代の頃からだが、それは当時茅嶋の家が呉服屋を営んでいた繋がりであり、かつ初代は突如『ウィザード』――当時は『魔術師』と呼ばれていたが――の力に目覚めた人間であったため、随分と世話になったらしいということは雪乃から仕事を引き継いだときに聞いた。古より連綿と続いている家系ではあるが決して表舞台に姿を現すようなことはなく、粛々とその生業を継ぎ職務を遂行している家系。そして主に彼らが担う仕事は、『汚れ仕事』である。
 ヒトを裁く者たち。故に『審判』転じて『神犯』の字を持つ。それ故に彼らは滅多に『此方』にも『彼方』にも『そうである』という形でその存在を知られることがない。それが、今現在律の知っている月ヶ瀬という家の情報だ。
 朱緋個人とは幾度か仕事を一緒にしたことはある。その際本人は「僕は戦うの苦手なんですよ」と困ったように笑う――事実朱緋は情報収集に秀でており、こと戦闘となれば基本的には後ろに下がっている。身を守るすべには長けているようだが、戦闘行為そのものはあまり得意ではないのは彼の言葉通り事実だろう、という印象は強い。だからこそ朱緋は見守り、必要があれば手伝いを要請する、という形を取っているのだろうとは思われはするのだが。

「……わざわざこういうのを用意してたっていうのがなあ」

 事前に行くことは伝えていたし、だから朱緋も桜に服を作らせてほしい、とプレゼントまでしてくれている。メモも旅行が終わってから見てくれればいいという話だった。そうやって心理的なハードルを下げたのは何らかの理由があるのではないかと穿って考えてしまうのは悪癖だとは承知しているのだが、残念ながらここ最近は疑っておいて損はない事態に巻き込まれることが多すぎるので。
 いつまでも悩んでいても仕方がない。覚悟を決めて、慣れた手順で魔術を発動していく。ふわりと自動的に浮き上がってくる文字は、見覚えのある朱緋の字で間違いない。そこに書かれている内容に目を落として――溜め息。
 部屋を出てすぐ近くにある桜の仕事部屋へと向かう。ノックをすればすぐにはい、と返ってきた返事を聞いて扉を開ければ、きょとんとした桜と目が合った。

「律様? どうかなさいましたか?」
「ごめん桜、取りあえずなんだけど向こう一週間の仕事キャンセルか割り振りできる?」
「必要なら何とかします……けど、何かありました?」
「お願い。月ヶ瀬から緊急で仕事」

 はい、と朱緋からのメモを桜に渡す。その内容に目を通した桜がぱちぱちと瞬いて、すぐに分かりましたと頷いてくれる。

「諸々の手配もこのまま引き受けますので、律様は恭さんにご連絡を」
「ありがとう、頼むね」


 数時間後、律と恭は新幹線の中にいた。

「急展開が過ぎる」
「ごめんごめん。憂凛ちゃん大丈夫?」
「今回アリスちゃん居た方がいいかもって先に言われちゃったし。桜っちが一緒にいてくれるんだったら大丈夫っすよ」

 話す恭のスマートフォンについている、チェシャ猫のキーホルダー。『黄昏の女王アリス』を喚び出すための媒介であるそれは、ここ最近は憂凛がずっと持っていて恭の仕事にはあまり同行していない。それが恭にとっての『家族を守る』手段であることは重々承知している上、今現在身重である憂凛を小さな子供を抱えている状態で放置はしておけないので、一時的に憂凛たちには茅嶋の家に泊まってもらうことにした。彼女であれば色々な周囲の人物を頼ってどうにかするであろうことは分かっているが、それでも今回はこちらとしてもできることはしておきたい。

「で? お仕事の詳細俺まだ聞いてないんすけど」
「詳細も何もないから説明しようもないよね」
「どゆこと? でも月ヶ瀬さんとこ向かってんすよねこれ?」
「そう。旅行のときにメモもらってね」

 懐から取り出した紙を、恭に差し出す。それを受け取った恭は、すぐに怪訝な表情になって律に視線を向けた。そんな顔をされても、というのが律の正直な感想ではあるが、恭の気持ちも分かる。
 紙に書かれていたのは短い一言だけ。

『近日中に狩りが始まる』

 何のことなのか、全く内容は分からない。だが朱緋は意味もなくこんなことを書いたメモを渡す人間ではない。律が休暇中であるということは十分に配慮した上で、それでも律に伝えなければならないと思った内容。狩り。誰が、何を。

「月ヶ瀬さんに話聞きに行かないと何も分かんないんだよね。電話してみたけど繋がらないし」
「えーと、月ヶ瀬さんってあの人っすよね、赤い髪の……片目ちょっと色違う……」
「そうそう。何回か一緒にお仕事したでしょ」
「……なんかあの人の仕事って変わった感じのお仕事だった覚えある! 何だっけ」
「そう? 人探しとかで探偵みたいなことしてたからかな」
「あ、そうだそうだ」

 失踪した人間を探す、というものとはまた違う仕事をしたのが、去年の夏のことだっただろうか。情報提供の代わりに手伝ったその仕事のことは、律も覚えている。何人かの『彼方』側の所在を確認する、というのが主な仕事で、特に戦闘になることもなかった。居ることが確認できればそれで問題ない、人手不足で確認しきれていないだけなのだと朱緋は言っていた。恐らく月ヶ瀬としての日常業務の一環なのだろう。
 店にも個人のスマートフォンにも、電話は繋がらなかった。店はたまたま定休日なのか、それとも臨時休業でもしているのか。店を見に行って分からなければ月ヶ瀬の家に連絡を取ることも視野には入れている。一応茅嶋家当主としての立場ではあるので、何か起きたらすぐに本家に連絡、という流れは角が立つ可能性もあるので簡単には踏み切れない。

「うーん、そうなると狩りって……こっちが『彼方』の人を……? って感じしちゃってヤなんすけど……」
「あの人そういうことはしないよ。『彼方』の人が相当悪いことしてるならともかく」
「そっかあ……まあほんわかした人っすもんねえ」
「まあ怒らせると怖そうだなといつも思ってるけど」
「それは律さんで慣れてる」
「どういう意味だ」

 思わず苦笑いをこぼしながらも――しかし恭の言うことは尤もだ。何に対して狩りが始まるのか、というのは大きな部分で、しかしそれを伝えなかったのは律がすぐにこのメモを見る可能性も考えたからだろうか。実際、もらった直後に見ようとはしたので――詳細が分からなければすぐに動かないだろう、と考えた可能性はある。

「他のことはなーんにも?」
「うん、いろいろ試してみたけど何も。本当にこれだけ」
「でもそれならこんな紙のメモ渡す必要ってないっすよね……?」
「俺もそう思う。だからまだ何かあるかもと思って持ってきた」
「ふーむ……? ……律さんがメモ読まなかったら意味ないっすよねでも?」
「俺が読まないことはないでしょ、我ながら」
「まあそれはそう」

 どちらかと言えば問題は、律がメモを確認したのが朱緋の想定よりも早かったか遅かったか、という部分になるだろう。さほどずれていなければいいのだが、遅かった場合は手遅れの可能性も考えなくてはならない。
 とはいえ、朱緋も月ヶ瀬の次期当主。律や恭には見せていない部分が多いだろうことは想像に難くない。自力でもそれなりに戦うことは可能だろう。そうそう手遅れになるということはないはずだ。
 ――ないはずだと、思うのだが。
 ざわりと胸奥がざわめいて、律は息を吐く。一筋縄ではいかないであろう覚悟は決めておいた方がいいかもしれない。何もなければ拍子抜けだが、本当はそれが一番良いのだから。

「……もうちょっと教えてくれてもいいんだけどな、ほんと」


 向かった先の高架下、朱緋の店にはシャッターが下りていた。シャッターには「少しの間臨時休業いたします」と書かれた貼り紙。こうして貼り紙を貼っているということは、事前に休まざるを得ないことが分かった上で朱緋が動いているということだろう。
 貼り紙を見た恭が、すぐにすいませんー、と 恭が隣の店に入っていく。こういった場所での聞き込みは恭の方が適任だ、任せておいても特に問題はないと判断してその間に貼り紙をまじまじと眺める。普通の紙に油性マジックで書かれているだけで、この貼り紙には魔術の痕跡は特に見当たらない。

「律さんー、月ヶ瀬さん昨日からお店閉めてるって」
「あ、そうなんだ」
「時々服の仕入れとかで1、2週間くらい急に閉めることがあるらしいっす。今回もそうじゃないかって」
「そっか」

 そういうことにしているのだということはすぐに想像がつく。どうしても仕事上店を常に開けておくことは難しいだろう。個人経営のセレクトショップという形態は、存外隠れ蓑としては十二分に活用されているのだろう。

「んで会う約束してたのに電話繋がらなくて困ってるーって聞いたら、家こもって服作ってるかもだからーって、自宅教えてくれた」
「……この個人情報気にする時代によくそこまで聞けるよねこの子は……」
「へ? 普通に家行ってみたらー、って教えてくれたっすよ? 律さんと話してるの何回か見たことあるし、知り合いでしょーって言ってた」

 きょとんとする恭に肩を竦めつつも、月ヶ瀬の本家に連絡を取る前に調べられることはありそうで少し胸を撫で下ろす。となれば自然と次の目的地も決まる。いつものことながら場所を調べて先導してくれるのは『分体』だ。
 朱緋の店から凡そ徒歩20分。かなりの距離の上り坂を上った先に、そのアパートは建っていた。

「……きっつ……」
「うわ律さん大丈夫すか」
「タクシーで……よかったんじゃ……」
「え、全然歩ける距離でしょ」
「距離……の問題……じゃない……」

 けろりとしている恭はさすがとしか言いようがない。改善する気も特にないがしみじみと運動不足だなと感じながら、律はすっかり上がってしまった呼吸を整える。見上げた先はそれなりに築年数のあるアパートだ。恭が聞いた話によると、店を始めた頃からこのアパートの1室に朱緋は住んでいるのだという。一人暮らしでもあるため、近隣の店舗で仲の良い人間は皆、もしもの場合に備えて朱緋の住所を聞いているのだということだった。急に高熱出して倒れてたりしたら困るからという話だったとのことなので、コミュニティとしてそういう形を築くようにしていたのだろう。あの性格だ、同じアパートの人間とも仲はいいだろうが念には念をということなのか、若しくは情報収集をする上での信頼関係構築のための手段の一環にしている可能性もある。
 朱緋の部屋は2階。ここに来てまだ階段か、とげんなりしながらも恭に続いて階段を上ると、わん、と吠える犬の声が聞こえた。どこの家だろうと思いながらも2階に上がり、「月ヶ瀬」の表札のある部屋の前に立つ。未だわんわんと吠え続けている犬の声は、その部屋の中からだ。
 恭が既にインターホンを押しているが、反応はない。ただ犬だけが吠え続けている。眉を寄せた恭がドアに手を掛けて――鍵は、掛かっていない。

「……律さん」
「入ろう」

 頷いた恭がドアを開く。わん、と大きく吠えた犬は玄関先に。ブラックタンのチワワは朱緋の飼い犬なのだろう。二人の姿を見たチワワは吠えるのを止めて部屋の奥へと走っていく。
 その後に点々と残る、赤い跡。
 
「――!」
 
 反応はどちらの方が早かったか。乱雑に靴を脱いで室内へと足を踏み入れる。荒らされたかのように雑然とした部屋の奥、開け放たれている部屋のドアの向こうから臭うのは噎せ返るような血の匂い。
 
「月ヶ瀬さん!」
「……、ぁ」
 
 そこに居たのは、壁に体を預けて座り込んでいる朱緋。くんくんと鳴きながら、チワワは彼の傍に寄り添っている。律の声に弱い声の反応が返ってはきたが、その顔は上がらない。
 朱緋の上に落ちている白い布が、どす黒い赤色へと変色している。そこにぽたり、と血が滴っているのを見るに、恐らくは顔か、頭か。
 
「恭くん桜に連絡、『ヒーラー』手配! 早く!」
「……っ、はい!」
 
 思わぬ光景に固まっていた恭が動き出す。それを確認してから、律は朱緋の前に屈み込んだ。どれくらい前からこの状態だったのか。大丈夫ですか、と声を掛けながらその顔を確認すれば、顔の右側がかなり流血しているのが分かる。応急処置程度にしかならないがしないよりはマシだと判断して魔術を構築、そのまま発動。緩やかながら苦痛は軽減する筈だ。
 一体この部屋で何が起きたのか。どうして自宅で朱緋がこんなことになっているのか。少しでも手掛かりは、と思いながら部屋を見回す。魔術の痕跡が残っていれば多少は追えるかもしれない、と思ったそれを阻んだのは、朱緋の手。弱々しいながら律の服の裾を掴むそれが、今の朱緋の限界を示している。
 
「月ヶ瀬さん」
「……、ごめ……」
「話は後で。体力使わないで、治療間に合わせます」
「……ごめい、わく、を……」
「気にしないでいいですからそんなこと」

 ふ、と朱緋が小さく笑ったのが分かる。そのまますとんと手が落ちた――安心して意識が飛んだのだろうか。慌てて確認したものの脈はしっかりしている、出血はひどそうだが命に別状はないと思っていいだろう。
 兎にも角にも最優先事項は朱緋の治療だ。話を聞ける状態にならなければ何も分からない。桜と連絡を取っている恭にちらりと視線を向ける。聞こえる内容からするに恐らくそれほど時間は掛からずに手配はできるだろうと考えながら、律は息を吐いた。