Therefore Wizard - 03
入った瞬間襲われる可能性は高そうだと思っていたが、どうやらそれをする気はないらしい。雑然とした室内、積み上げられた本の中に埋もれている人物に目が留まる。律の記憶の中にある姿よりは随分と痩せこけて人相が変わってしまっているが、それは間違いなくパトリック=バレッド本人だ。
律の視線に気付いたパトリックが顔を上げる。ぎょろりとした目を柔和に緩ませて、彼は手を上げた。
「やあ、リツ。やっと来てくれたのか」
「待たせた? 呼び出しを受けたのはつい数日前だけど」
「そうだったのか? ああ……そんなところに立ってないで、こっちに来いよ」
「誰がそんな罠だらけのところに足を踏み入れると?」
「そうか。残念だな、せっかく準備したのにさ」
「――!」
爆発、と呼ぶのが近いだろうか。一瞬で部屋中でありとあらゆる魔術が火を噴いた。空間が歪むのではないかと思えるほどの衝撃は、防御壁だけでは受け止めきれない。対処できるものには対処すべく指を踊らせたところで、スピードが追いつかない。そこまでやるか、と内心舌打ち。完全に殺す気だ。
魔術の波に呑まれて、パトリックの姿を見失う。パトリック自身の狙いもそこだろう、恐らくこれで律を殺せるなどとは考えていない。先ほどのレディ=ブルーの話が確かなのであれば、さてどこまで『解析』されているのか。先の魔術の件もある、ある程度手の内は露見していると考えた方がいいだろう。ただでさえ『訓練』を何度も見ているパトリックのことだ、動きは見切られると考えた方がいい。
そこまで考えて――背中に衝撃。一瞬息が詰まって、そのまま吹き飛ばされる。本棚に突っ込む形になった律は、そのまま降ってきた大量の本の中。
「相変わらずフィジカルは駄目だなあ、リツ」
はは、と笑うパトリックの声は愉悦に塗れている。自重で肺が酸素を取り込まない、ごろりと転がる形で仰向けになれば、慌てて酸素を取り込んだ体が反射的に咳き込んで、息が整わない。ひどく背中が痛んで、ようやっと魔術の雨に隠れて移動したパトリックに背後から蹴りを入れられたのだと理解する。
「……生憎、魔術一本で、勝負してるもので……」
「まだ減らず口叩けるか? `そうじゃなきゃな」
「ッ……!」
体勢を整える暇などない。本の隙間から炎の槍を視認する。周囲の本は恐らく魔術関係だ、下手に影響を及ぼさないことを願いつつ、自分の太腿を叩く形で指を動かして『リズム』を刻む。発動させたのは口笛ではなく呼吸音。広がった水の盾が、炎の槍をまとめて受け止めて消失させた。続けての攻撃を受け止めるために、そのまま水の盾を凍らせる。凍り切ったタイミングで襲ってきたのは雷撃の海。
このままでは防戦一方になってしまうことは承知の上だが、仕掛けるにもここはパトリックのテリトリーが過ぎる。どれだけのものが準備されているか分からない現状、下手には動けない。しかし倒れたこの状況のまま戦い続けるわけにはいかない。視界が悪過ぎる。
『助けてやろっか?』
(……るっさい黙ってて)
『はいはい』
頭に聞こえた声に首を振る。力を借りて切り抜けるのは簡単だが、ここは『院』の中だ。下手に使いたくはない、というのは律の意地でしかない部分もあるが、力を借りることのリスクを考えればどちらにしろこの状況では使えない。
「この程度か? リツ。もっと楽しませろよ、……じゃないと殺しちゃうだろ?」
「っ、あ……!?」
とにかく体勢を、と肘を支点に起きあがろうとした瞬間。足首に感じた鋭い痛みに動きが止まる。
半分だけ起こせていた体のお陰で視認できた足首には――牙を生やした本が噛みついていた。本から生えているらしい大きな牙は完全に律の足首を貫いて、そしてその牙を抜いた。どろどろと血が溢れ出していく。こんなことになるのなら恭のトレーニングの誘いを少しくらい受けておけばよかっただろうかと一瞬考えたが、受けていたところで回避できていたかどうか。痛みと失血にぐらりと揺れる意識を押し留めて、律は再度その場に倒れ込んだ。――動けない。
「もっと楽しませてくれよ」
「……、無茶、言う……」
この本棚の場所に律を吹き飛ばしたのも、この本の存在があったからなのだろう。他にはどんな罠を仕掛けているのだろうか。耳元で足音が響いて、律の隣にパトリックが腰を下ろす。痩せこけた顔に浮かぶ笑顔は柔和で、あまりにも気味が悪い。
「リツに聞きたいことがあってさ」
「……なに、」
「俺にやった術式、どうやってあの短期間であそこまでコピーした?」
「おしえ、ない……ッ」
「俺とリツの仲じゃん、ケチなこと言うなって」
激痛に上げそうになった悲鳴を押し殺したところで、呻き声が漏れる。足首に空いた穴に躊躇なく指を入れたパトリックは、そのままぐるぐると掻き回した。何かの魔術を傷口から仕掛けられていると気付くと同時、脳内が痛みで満ちて、視界が明滅するのが分かる。
実際のところ、術式のコピーはしていない。あのとき対処をしてくれたのは恭とアレクで、律自身は直接『それ』と対峙していないからだ。数時間侵蝕を押し留めていたときの感覚と、自身を襲った症状から限りなく同じようなものを組み立てただけ。使った術式の魔法陣はパトリックに開示している、実際にパトリックが組んだ術式と似通ったところがあったということなのだろう。
あの術式に抱いた感想は、『ネクロマンサー』が使う魔術に近しい雰囲気だということ。そこから組み上げることができたのは――律自身が一度、『ネクロマンサー』に足を踏み入れているから。しかしそんなことを、パトリック相手に開示する気はさらさらない。
「なあ、リツ。教えてくれよ、俺あれで1週間苦しんだんだぜ? 後遺症でろくに飯は食えなくなるし」
「……っ、ぁ……ぐ、……ッ」
「リーツ。ああ、喋れねえか? 痛かったな、ごめんな」
ぐちり、と嫌な音と共に、パトリックの指が引き抜かれる。激痛、呼吸がおかしい。何を仕込まれたか分からない。理解しようにも頭が回らない。だが足首だ、今のところはまだ致命傷ではない。何とか痛み止めの魔術を発動させようと震える指を動かそうとすれば、パトリックの血まみれの手が伸びてくる。それは柔らかな手付きで律の左手を取って、自分の掌の上に置いた。
「ほら、どんな『リズム』を刻んで魔術を使ってんだ? 教えてくれよ」
「……、ふ、ざ……けんな、……」
「ふざけてねえよ。純粋にリツの魔術の発動に興味がある」
ほら、と血に濡れた指が律の手の甲を滑っていく。――ああ、気持ちが悪い。手に触れられたくない。その体の部位は、律にとって最も大切にしてきた部位だと自覚しているからこそ。
気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い。その感情がぐるりと渦巻いて、不意にすう、と頭の芯が冷えた。
「……、離、せ」
「――ッ!?」
刻む『リズム』は、右手で。『旋律』は、言葉と共に。
右手に握った銀の銃、込められた雷弾は零距離でパトリックの胸元を撃ち抜いた。
油断していたパトリックを吹き飛ばす程度の威力は維持できたが、やはりいつもに比べれば段違いに弱い。それでもパトリックに一撃喰らわせて距離を取れたことに意味はある。急いで痛み止めと止血の魔術を展開、何とか激痛を抑え込みはしたものの、だからといって動けるようになるわけではない。体を起こすのが精一杯だ。
パトリックが転がっていった方向から、は、は、と渇いた笑い声が聞こえる。あの程度でどうにかなるとは思っていない。またどこぞの本が動き出さないとも限らない。続けて展開した術式で、本の山をその場に縫い留めて――意識を集中する。不思議と、感情は凪いでいる。
「そうか、その右手でも魔術使えるのか。銃を取り出す術式は結構簡易だな? 成程、止めるときは両手両足を奪えばいいか」
仕込まれた魔術は恐らく解析のためのもの。どうやって律が魔術を使っているかを知るための術。パトリックには見えないよう右手を使ったつもりだが、術式が簡易であることが露見している時点で『見えている』ことを察知する。魔術を使えば使うほど解析されてしまうとなれば、後で組み直すことを考えればなるべく避けたい話だ。
「……俺と戦うことに、何の意味が、あるんだよ、パトリック……殺したい?」
「そうだな。最終的には殺してやりたいと思ってるけど」
当たり前のことのように、パトリックはうなずく。殺したい程の恨みを買ったとは逆恨みにも程があるだろうとは思うものの、そんな道理が通じる相手が『院』にいるとは思っていない。そう、と簡易な返事を返す。
「リツのことは、殺す前に研究して研究して体の細部まで全部研究し尽くしたいと思ってるよ。――なあ、その実力でどうやって生き延びてきた?」
「……は、それは、今から分かるんじゃないの……」
死ぬつもりは微塵もないが、一人で命を賭けることには慣れている。
無理矢理浮かべた笑みに、パトリックが笑い返して。背後で爆音、何かが迫ってくる気配には防御壁で対処。タイミングを合わせて動いたのだろう、こちらに向かってくるパトリックには銃口を。放った雷弾は防がれたが、それは承知の上だ。一度見せたものにすぐに引っ掛かってくれるとは思っていない。踏み込んできたパトリックの手が狙っているのは恐らく律の首元だと判断、敢えてそれを受ければ一瞬で酸素を奪われていく感覚。左手でパトリックの手首を掴んで、解析されるのを重々承知の上で再度簡易術式を展開。噴き上がった雷撃は灼熱となってパトリックの手を焼いた。
「ぎっ……!?」
「げほっ……、やっばい……マジ死ぬ……」
指先が痺れるような感覚に襲われている。恐らく原因は止血が遅れたせいだろう。これ以上は簡易術式で対応するのは手厳しい上、普段通り魔術を使えるかも怪しい。銃に装填できている雷弾は残り4。防御壁の発動だけであれば解析されても構わない、どこまで諦めて凌げるかにかかってくる。
反撃の契機は、パトリックの魔術の命令式を見るだけで判別できるかどうか。既に仕掛けられているものが多いとはいえ、どうやってパトリックはそれを発動しているのか。声や音であれば耳で捉えることができているはずなので、それはないだろう。手は奪えている、それならあとは。
血走った目のパトリックから視線を外さず、じっとその動向を眺める。赤く爛れた手は意思通りに動かすのは難しいだろう。どのタイミングで、何を。見極められなければ、ここで終わる。
――帰らなければ、という思いが不意に頭を掠める。絶対に帰ると約束した。待ってくれている人たちがいる。帰ったら帰ったでやることは山積みで、それは少し嫌でもあるが。
知らず漏れた笑みに、パトリックが反応する。動いたのは。
「……なるほど?」
無意識の反射で、律は引き金を引いていた。パトリックが解析結果を知覚する前に、1発目は3弾分をまとめてパトリックの視線が動いた先へ――残りの1発はパトリックの頭を狙って。
防ぐことはできなかったのだろう、雷弾をまともに受けてパトリックが倒れると同時、見当外れの方向に炎の槍が無数に落ちていった。
立って歩く、という行為は全く出来そうな気配がないが、しかし動かない訳にはいかない。足を引き摺って、這うようにして何とか律は本の山から抜け出す。雷弾を食らって動かなくなったパトリックが、また何か仕掛けてこないとは限らないからだ。しかし、あれだけ痩せこけてしまえば以前ほどの体力はないだろう。あの術式がどれだけ厳しいものか、律は身をもって知っている。律よりも長期間術式の解除が出来なかったのであれば、そしてその後遺症として食事が取れていないのであれば、肉体的には疲弊しきっているはずだ。弱っていてくれて助かった、というのも何とも皮肉な話ではある。
「……パトリックは、基本は仕込みか……。そこから瞬き、視線の動き、目、が命令式……?」
「……は、あっさり、見抜きやがって」
「瞬きは、隙ができるよ……でも、いいな……やり方教えてよ、俺とパトリックの仲じゃん……?」
律の物言いに、パトリックは笑う――力無く。先程までが嘘のように。
頭を狙ったのは、パトリックの視界を封じる意味合いが大きい。痺れてしまえば上手く瞼を動かすことは難しくなる。その目論見が上手くいったことには安堵するが、これ以上は次の手がない。何より、身体の中で自分以外の魔力の感覚があるのが気持ち悪い。
「……リツの簡易魔術、俺なら、あと0.5秒は縮められるな……」
「まじで。どうやって」
「内緒」
「ケチ。てか解析解いて欲しいんだけど……嫌すぎ……」
「あー……心配すんな、もうすぐ解けっから……」
「何……時限あるやつこれ……?」
「いや……まあ、頑張れよ……」
そう言って。ひらり、手を上げてひらひら、と振るパトリックに首を傾げる。その行動にどんな意味があるのかを理解しようとして、しかし次の瞬間。
ぱん。
「……、は……?」
目の前で、パトリックの体が四散した。びちゃり、と律の頬まで飛んできたのは肉片、血飛沫。すう、と体から自分以外の魔力が抜け落ちていく感覚。何が起きたのかを頭が理解した瞬間、襲ってきた強烈な嘔吐感に逆らえなかった。吐き出した胃液が、床に飛び散っている血と混ざって赤く染まっていく。
頭が混乱して理解が追いつかない。パトリック=バレッドという人間は原型を留めない形で一瞬で死んだ――どうして。
かつん、かつん。響いたハイヒールの音にのろのろと顔を上げれば、そこに立っていたのはレディ=ブルー。パトリックがいた場所に冷たい視線を向けた彼女の目が動いて、律を見てゆるりと笑む。
「あらかわいい、吐いちゃったの? 目の前で人が爆発するのは初めて?」
「……基本、そんな、有り得る事態じゃない……、貴女の仕業ですか、レディ……」
「そうね。でもこれは契約不履行の代償を支払わせただけ。彼も納得の上よ」
「……ふざけてる、」
「所詮はこの程度しか使い物にならないなら、こんなのは『院』には不要でしょう」
つまらない、とわざとらしい溜め息を吐きながら告げるレディ=ブルーの言葉への理解が追いつかない。
契約不履行、ということはパトリックはレディ=ブルーか、或いは『ロード』か、他の『ウィザード』と何かを契約したということだ。その条件を満たせなかったから殺された。その条件は律に対する何かだったのだろう、ということは想像できる。
最初から、全てが嘘だとしたら辻褄は合う。
恐らくパトリックは誰も殺していないし、暴走もしていない。逆恨みを匂わせた上で、そう言った方が律を戦わせられるだろうと判断したからそう言った。過剰なほど厳重な結界は、パトリックを『院』から、契約から逃亡させないためのものだった。そしてその結界を見せて律を警戒させることで、引き出そうとした――律の全力を。律をそこまで追いこむことが、パトリックの契約の条件だった可能性は高い。
しかし、できないと断じられた。そしてパトリックはもう『兵』として戦えないと見做されている。パトリックが納得しているのなら、不要だと処分する前に律と戦わせてくれと、何かを引き出すことが出来れば延命してくれという契約だったか。しかし結局『院』にとって不要の人間と成り果てたから、殺した。理解したくもないが、レディ=ブルーの言い分は、恐らくそういうことだ。
「……殺す、必要が?」
「そういう契約だから。ゴミはゴミ箱に入れるものでしょう?」
「ッ……、記憶処理でも、して、『院』の外へ追放するなり何なり、できる……」
「怒るのは勝手だけれど、命を懸けたのはパトリック自身。貴方、酷い目に遭わされているのにそれを言うの? 馬鹿で甘い子なのねえ」
かつ、かつ、かつ。踵を鳴らして、衣服が汚れるのも厭わずレディ=ブルーは律の目の前にしゃがみ込む。伸びた手は律の顎を掴んで、青いネイルの塗られた爪が律の唇の上を滑っていく。
――不愉快極まりない。
「見世物としては、まあ、落第点なんだけど。でもリツ、貴方、あの状況でどうして契約している『彼岸』の力を借りなかったの?」
「……いけると踏んだから、ですよ。何より、貴女たちに見せるような、ものじゃない」
「ふふ、可愛い。そうね、見た瞬間にありとあらゆる手段を使って貴方から引き剥がしてしまうかもしれないものね? 契約を書き換え存在を書き換え奥底を書き換え何もかもを塗り替え壊してしまうかもしれないものね?」
「……」
「ああ、怖い顔。そんなに嫌がったって、所詮貴方もこちら側の人間なのに」
ぞくり、と背筋が冷えた。レディ=ブルーの碧眼はゆるりと細められ、にこやかな笑みを演出してみせる。その瞳の奥にある感情を、知っている。
それは底の失せた探求心。探求を続け研究を続け知り続ける『ウィザード』の根源。知る。識る。そうして己の魔術を磨き続ける原動の感情のひとつ。
「それともやり合ってみる? 貴方が正しいと、その力で私に証明してみる?」
「……御冗談を。今の怪我で、貴女に歯向かう気は、ありません」
「つまり、万全の状態であれば何れはやり合う気はあると考えていいの? それはとっても楽しみね」
瞬きひとつ、レディ=ブルーは律の顎から手を外す。その手が足首に伸びようとしているのを察知して、律はレディ=ブルーの手を払い除けた。一瞬きょとんとしたレディ=ブルーは、しかしすぐに声を上げて笑う。
心底楽しそうに。心底嘲るように。
「治療を受ける気はないということでいい? 甘ったれた良い警戒心ね。それなら外まで送ってあげる、リツ。それで今回の依頼の報酬としましょう」
「……、報酬の、前に、ひとつ、」
「ん? 何?」
「……また会うときがあれば、そのときは、本名を。そう言ったのは、貴女ですよ……レディ=ブルー」
「……ふふ。そうね、確かに言った。では改めて、カヤシマ リツ。私はレイラ=ブレイザー。『院』の元帥を務めてる。――今後ともよろしくね?」