Therefore Wizard - 04

 翌日。

「いたいいたいいたいむりむりむりむりしぬしぬしぬしぬしぬ」
「リツが! 悪い!」
「いっだあ!?」

 ばちん、と思い切り傷の上から叩かれて、律は悲鳴を上げる。叩いた張本人である『化生』、吸血鬼の『ヒーラー』であるところのアレクサンダー=F=ハートフィールドは全く、と呆れきった溜め息を吐いた。
 あの後、本当にレディ=ブルー――レイラ=ブレイザーは律を外に送り出した。というよりも叩き出された、と言った方が正しい。気が付けば人気のない裏路地にいるような状態だった。アレクに連絡を取って迎えに来てもらい、「出血しすぎ、完全に貧血、命に別状ないから無理させない」と判断され、段階を踏んだ治療となっている。吸血によって治療を行うアレクのやり方を考えればその判断は正しいと言えるだろう。ひとまず一晩ゆっくり休んだおかげか体調も落ち着いたものの、しかし治療が終わっているわけではない傷口を叩くという行為はただの拷問だ。

「アレクにころされる……」
「キョウに言うよ、リツが馬鹿で足にそこそこの大きさの穴ふたつも空けて帰ってきたって」
「それはまじでやめて……ごめん……」
「リツのそういうところ本当に良くない。最近少しはマシになったかと思ったけれど、駄目だね? キョウがいないと気を付ける気ないね? 何なら私なら心配させてもいいと思ってるところが本当にどうかと思う」
「アレクのこと信頼してるからじゃん」
「そういうこと言って誤魔化しちゃうところ!」
「ハイ」

 何も言い返せなかった。
 実際のところ、アレクなら何とかしてくれるだろうと甘えている部分は大いにあるだろう。心配させてもいいと思っているわけではないが、多少の無茶は許容されると考えている節は確かにあるな、と内省する。とはいえ、巧都の力を借りないことを前提に戦わなければならない状況下で、怪我をしないようにというのも無理な話だ。右手を使わなければならなかった時点で、かなり追い詰められた状態になっていることは確かなので。
 思い返せば、他にも切り抜ける方法はあったな、とは思うものの、あの時点で思いついていなければ意味がない。やり取りの中で頭の芯が冷えたあの感覚を、常に頭の中に置いておけるようにすべきだろう。常に冷静に、数多の可能性を考え、判断ミスを減らすように。一瞬の油断が命取りであることはよく分かっているのに、まだまだ動揺してしまう辺り、自分の未熟さを痛感する。

「それにしても、リツ。それ、どうするの?」
「……どうしようねえ」

 す、とアレクが指差した方向に目を向ける。テーブルの上、置かれているのは一冊の本。――律の足首を貫いたその本が、何故か律についてきていた。レイラの仕業である可能性は考えたが、路上に捨て置いておく訳にもいかない。ここまで持ち帰ってはきたものの、だからといってどうするのかという問題がずっと付き纏っている。一応またうっかり咬みつかれても困る上に何かを『院』に解析されている状態だと困るので、捕縛と結界の魔術はかけてはいるのだが。

「魔術のことは私にはさっぱりだし、この本に関しては力にはなれないよ」
「ん-、それは分かってる……。……まあ後でちゃんと見てみる」
「本当に後にする?」
「たぶん」
「……もう。メンタルの方の不調も気になるし、もう一日安静にして様子見て、明日きっちり治療しようか。今日も一日しっかり休んで、しっかりごはんも食べて、しっかり美味しい血を作ってもらって」
「はあい」

 とにもかくにも怪我が治らないことには、桜にも連絡しにくい。さすがに今の状況で何もないと言い張る自信もないので、連絡を取るなら治療してもらってからだ。

「という訳で買い物に行ってくるよ! リツは何が食べたい?」
「消化に良さそうなやつ」
「難しい注文きた」


 アレクが部屋を出ていく背中を見送ってから、律は視線を本へと向けた。正しくは、いつの間にかその傍に腰掛けている人物に――だ。パンクロック風の服装をした黒髪金メッシュの男の姿をしている『彼岸』、仮の名を幸峰 巧都。

「……それどう思う? 巧都」
「あ? 心配しなくても『院』の連中が送りつけてきたとか何か見張ってるとかそういうのはねーよ、何の関係もねえ。パトリックとやらがお前に仕込んだ解析の魔術とやらも綺麗さっぱりなくなってるし、今『院』の追跡を警戒する必要は全くナシ」
「めっちゃ教えてくれるじゃん……対価後取り?」
「いや。昨日おもしれーもん見せてもらったから、その対価ってことでいい」

 言いながら、巧都の手が本へと伸びる。律がかけておいた結界の術式も捕縛の術式もあっさりと解除されていることにげんなりはするものの、この『彼岸』は実質今の律にとっては魔術の師のようなものでもあるので、文句が言いにくい。読んでいるのか見ているだけなのか、どうにも分かりづらいスピードでページを捲る巧都の表情に浮かんでいるのは、笑みだ。

「……読んでみてどう? その本」
「ま、やっしーには有益じゃねえの」
「えー……読みたい……」
「つかこの本面白いことになってるけど聞く?」
「対価は」
「この本先に全部読ませろ」
「もう読んでるじゃん。じゃあ教えてよ」
「所有者お前になってんぞ」
「は?」
「魔力で契約して使えるようになる仕様のヤツ。多分咬んだときにやっしーの魔力取り込んでて、その後に元々の所有者だったあの間抜け男が死んだから書き換わったって感じだな。どういう感じで使えるのかはちゃんと自分で確認するだろ、どうせ」
「……いや、する、けど」

 何を言われているのか分からない。
 あの本に咬まれたのは確かだ。大型の獣かと思うほどの牙で咬まれて、挙句に綺麗に貫通していたせいで完全に穴が空けられていて、とてもではないが動けるような状態ではなかった。一体その本が何なのか、というのは恐らくきちんと確認しなければ分からないが、今こうして巧都が読んでいるということは『本』であることには間違いがないのだろうか。
 何よりパトリックだ。彼が自分が死んだ場合に、本の所有権が書き換わることを知らなかったとは思えない。敢えてそんな本で律に攻撃したのは、何らかの意図があったのか。それとも命を懸けた契約であれ死ぬつもりはなかったからなのか。既にそれを問う相手はいない。本を見れば、その答えはあるのだろうか。
 見たい、と思ったものの、先に読ませろと言われてしまったのでどうしようもない。現物がそこにあるのだから見てから考えよう、と決めて、ふと先ほどの巧都の言葉を思い出す。

「……そういやさっき言ってた面白いものって、パトリックとやりあったやつ?」
「あんなの面白くも何ともねえし他にもっとやりようあったろ。俺は単にやっしー馬鹿じゃんと思ってただけ、つまんねえ」
「……あ、そう……」
「元帥の方だよ。やっしーの俺の力は借りねえっていう判断は正しかった。一瞬でも力を貸してたらあそこで引き摺り出されてたろうし、かなりやべー女だろあれ。あそこの元帥なら当代最強なんじゃねえの」
「多分そうだろうね……てか分かってて助けてやろうかとか言ってきたわけ?」
「あの状態で俺の力借りなきゃ無理ですうってやっしーが泣くなら殺してやるいいチャンスかと」

 けろりと言い放つ巧都に、律は脱力する。よくよく考えなくても巧都とはそういう男であることを重々承知しているつもりではいるのだが、時々忘れてしまうのはその存在に慣れてしまっているせいなのかもしれない。馴れ合い過ぎているのはよくないが、この男の態度も悪いと責任転嫁しつつ、律はレイラのことを思い出す。魔術の流れが全く読めない、見惚れてしまう程の使い手。
 元帥ということは、『院』の『兵』を束ねている最高位の『ウィザード』或いは『メイガス』である、ということだ。『ロード』が政治的な立場のトップだとするのであれば、戦力的な実力の現トップが彼女ということになるのだろう。現役であった頃の雪乃とどちらが強いのだろう、とふと考えて首を振る。その思考には意味がない。
 いつかは何らかの名目で彼女と手合わせすることもあるのだろうか。あまりにも実力が見えない――今の律では勝ち筋を見つけるのは難しいだろう。何をどうやって魔術を使っているのか。得意な系統の魔術は何なのか。どれくらいのスピードで何ができるのか。知るにはあまりにも情報が少なすぎる。何より彼女が魔術を使うところを正面から見ることは叶わなかった。それはそれで、レイラの『警戒』だったのだろうが。

「てかやっしーあの女にまじで弟子入りすれば?」
「は? するわけなくない?」
「人間的な相性は知らねえしどうでもいいけど、あれやっしーと同じタイプだぞ」
「俺と? どういう意味?」
「細かいことは言ったらつまんねえだろ、ナイショ。……ああでも、あれだな。お前がピアノに浮気せずに『ウィザード』として魔術に傾倒してたら、多少あれに近かったな」
「ピアノが何の関係が……、……あー……?」

 つい十数年ほど前まで、律は生活の殆どの部分をピアノに注ぎ込んでいた。いずれは家を継ぐことになることは分かっていたし、『ウィザード』としての魔術の鍛錬も行ってはいたが、「それよりもピアノ」という生活だったことは否めない。必要最低限の鍛錬と、自分の身を守れるだけの訓練を積んではいたものの、それほど真剣に『ウィザード』である自分とは向き合ってはこなかった。大学を卒業するまではピアノを弾いていたいという我儘を受け入れてもらっていたからだ。とはいえ20歳の頃に起きた事件で、その後の律の人生は一変しているが。
 一時期右手の怪我でピアノが弾けなくなったことも関係するが、今も律はそれほどピアノを弾いていない。時折気分転換の戯れにピアノの鍵盤に触れる程度で、昔ほどの時間を割くことはなくなっている。そんなことをしている時間がなくなったとも言える――茅嶋の当主を継いだ今、日々魔術の鍛錬について考える時間が圧倒的に多くなっているのが現状だ。
 茅嶋 雪乃の息子という立場。劣化コピーだ下位互換だ、今の茅嶋は大したことがないと宣う外野を黙らせるためには、実力を磨き続ける他に方法がないのだ。

「やっしーの集中力ってめちゃくちゃ深くて異常に長いだろ。集中に入るタイミングさえあれば、寝食忘れていつまでもやってる。子供の頃はピアノに向いてたそれが、今は魔術の方に向いたから、ここ数年お前は確かに『ウィザード』として腕を上げた。もしそれが昔からだったら、それこそ今よりもっと質の高い魔術を使ってたろうな」
「……そういう」
「でもお前の場合はピアノに傾倒してたことを後悔はしねえだろうけど」
「まあ、そうだね」

 ピアノを弾いていなければ、恐らく今周囲にいる人物の誰とも出会ってはいない。ピアノを弾いていたから、20歳の頃のあの事件があったから、恭に出会い、桜にも出会った。
 もっと強くなる方法は確かにあったのかもしれないが、力を磨くよりも大切なこともあるということは忘れたくはない。

「あの女、多分『院』生まれ『院』育ちだろ。魔術のこと以外考えずに生きてきてる。外から力借りてどうこうってより内側の力磨くタイプに見えたし、多分俺と会ってもびびりやしねえ上にわくわくしながら俺を隷属させる方法探し出してくる」
「何それこわ」
「ま、他にもいろいろあるけどな。俺からすりゃあ正直やべー奴に会うとうっかり楽しくなって無意識に笑ってやがるやっしーも同じタイプって話」
「それはすっごくヤな指摘……」

 苦笑いで誤魔化して、瞬きひとつ。
 ――どこもかしこも一筋縄ではいかないことは承知しているが、厄介事を増やしたくはないな、と内心溜め息を吐いた。


 後日、茅嶋家のリビングルームにて。
 気分転換にとせっせと縫い物をしている桜の隣で、律は件の『院』からついてきた本を開いていた。普段なら自室に引きこもっているところだが、『院』での一件以降夢見の悪さに悩まされてまたろくに睡眠が取れない状況になっている現状、あまり一人でいたくはない。桜の体調も心配で――本人は随分落ち着きましたと笑っていたが――そして桜に心配を掛けたくもないので、一緒に居た方がいいだろうという判断だ。時折桜に憑いている蝶がふわふわと周囲を飛び回ってくれるお陰で、それなりに精神状態も改善はされてきている。

「……律様、少し進みました?」
「んー……ぜんぜん……」
「……やっぱり集中しにくいんじゃ……?」
「何でそこ気にすんの。俺が桜といたいんだし、それにこれも一人で根詰めても簡単には進まないだろうなって感じだし、大丈夫」

 本の中身は一瞬たじろいでしまう程には解読不能だった。
 これを一瞥して内容を読めるのだから、巧都はずるいな、と思いつつ律は本をとんとん、と叩く。ふわりと浮いたそれが姿を消すのは、律が銃と同じ原理で魔術を用いて収納しているからだ。反発することなく使えてよかった、と心底思う。本自体がなかなかの重さなので、とてもではないが普通に持ち歩けるようなものではない。
 解呪やら何やらを行った上で更に暗号的な魔術要素、というセキュリティが各ページに散りばめられたそれは、恐らくパトリックの研究成果が詰め込まれているのではないか、と律は考えている。となれば恐らく解析関係、あとは恐らく魔術で一時的に生物を生み出すすべなどなのだろうとは思うのだが、何せまだ1ページも進んでいない。所有権が書き換わったならその辺りも対応して欲しいところだ。巧都にヒントだけでももらうべきかとは思ったが、本当にどうしようもないと判断するまではそれは保留しておきたい。対価に何を要求されるか分からないからだ。
 確かめるすべはもうないが、恐らくこれはパトリックから託されたのだろうと律は思うことにした。パトリックが律を殺す気だったことは間違いないが、果たして本当に殺せると思っていただろうか。勝ったとしても、負けたとしても、その後のことを考えないような男ではなかった。この本は、負けたときのために研究を引き継いでもらうためのものなのではないか。
 ――何なのかを知るために読み解かなければならないが、ひとまず最初の取っ掛りを得るまでは長期戦になりそうだ。

「桜、今日ごはん食べれそう?」
「えと……いえ、あまり……」
「ん。気分は? 悪くない?」
「今は大丈夫です」
「そか。じゃあお昼は雑炊かなー、無理して食べなくていいからね」
「すいません……」
「何で謝るの」

 申し訳なさそうにする桜の頭を、よしよしと撫でて。
 普段家にいるときに食事を作るのは主に桜だが、今は桜に無理をさせたくはない。律にあれこれと家のことをさせるのは申し訳ないと桜は言うのだが、こんなときは素直に甘えて欲しい、と思ってしまう。頑張り過ぎてしまわないように気を付けるのは、今は律の役目だ。
 仕事はそこそこに、ふわりと飛んだ薄桃の蝶が桜の肩に止まるのを眺めて。

「あ。今日椿何時頃になるか聞いてる?」
「朝は定時で帰るって言ってましたけど、隣で悠時さんが首横に振ってました」
「あー……会議だな……夕飯遅めに作ろっか……」
 
 ――ひとまずは、穏やかな日常の中で。

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