Therefore Wizard - 02

 幾重にも重ねられた魔術障壁は、『院』への道に常にある光景だ。『ウィザード』でなければ通れないのは勿論のこと、その構成は来る度に変化している。律が入るための手順は定められているのでそれに従えば入ることはできるし、変われば別途伝達があるので特に問題ないのだが、それ以外にも条件は様々に発生している――ことだけは律にも分かっているが、それ以上のことを理解するのは諦めている。『院』からの呼び出しの『紙』ひとつをとっても、律に力を貸している『彼岸』の幸峰 巧都が眉を寄せて一言「うわ……」と呟いていたので。正直なところ、そこに時間を割いても特に意味がないと考えていることもあるが。
 中に入ればそこにはいつもと変わらない光景。但し、いつも律を出迎えていた門番の『兵』の一人であるパトリック=バレッドの姿はない。
 いつも通りに『院』の長である『ロード』のいる部屋へと入り、形式的な挨拶。すぐに応接の椅子を勧められそこに腰掛ければ、さて、と『ロード』はテーブルの上で手を組んだ。

「今回は折り入って相談なんだが、リツ。『院』内部で研究していた『ウィザード』が一人暴走してしまっていて」
「……はあ。それは大変ですね?」
「それを君に討伐してもらえないかと思っている」
「……討伐、ですか。捕縛ではなく? 殺害がお望みだというのであれば、さすがにそれは引き受けられませんが」
「ああ、言い方が悪かったね。捕縛でも無力化でも構わないよ。あと、向こうが君を御指名だ。君を出さなければ殺すと宣って、既に二人殺されている」
「は?」

 舌打ちをしそうになったのを我慢できたのは、褒められて然るべきではないかと一瞬思った。
 別段それは律でなくても止めることは可能ではないか、という予想は立つ。『院』を守る職務に就いている『兵』はそれほど弱くはない。滅多に律が会うことはないが、律以上の実力者も揃っていることは知っている。普段律が呼び出されて行うことがある『訓練』のときは、手合わせさせられる『兵』たちの実力としては、律の力量を見定めるギリギリのラインを選択されている――『訓練』という名目なので、『院』側は力でねじ伏せるつもりはありませんよ、というアピールのようなものだ。とはいえ大怪我を負わせて『院』で治療名目で弄り回せれば万々歳、それができなくても前回のように何かしらを律に仕込むことができればそれでいい。『訓練』を見るだけでも、彼らには十二分に得るものがある。

「……それで? 現在は?」
「流石にこれ以上人的被害が出るのは困るのでね、研究室ごと結界を張って閉じ込めた」
「じゃあそのままにしておけばいいじゃないですか」
「はっはっは。まあ確かに観測はしているんだけれども。いやいや、彼が研究していた魔術にも興味はあるし、どういう形で暴走したのかを調べたい研究者が数名いてね。死体でもいいから手に入れたいとうるさいんだ」
「悪趣味な話されてませんか……。で? 俺を指名しているから序に俺に依頼しようと、そういうことですか」
「折角の御指名だ、君を前にすれば違う変化が発生する可能性が高いだろうと私は踏んだ」

 見たいじゃないか、と笑う『ロード』に覚えた不快感を、喉の奥で押し殺す。人が死んでいようと何であろうと、『院』の『ウィザード』が研究した成果を見たい、というのが本音だろう。すぐに対処することは可能だが、自身の研究のためにはある程度の犠牲は仕方がない。どこまでも馬鹿げた話で、だから嫌なのだ。
 深呼吸ひとつ、気持ちを落ち着ける。冷静でいるべきだ。ここで感情を乱せば、そこにつけ込まれる。

「……分かりました。これは確認ですが、その暴走した『ウィザード』というのは誰です?」
「確かリツは仲がよかったんじゃないか? パトリック=バレッドだよ」

 ――どうやら逆恨みを買ったらしい、ということに思い至るまで、数秒思考が停止した。


 パトリック=バレッドとの一件については、パトリックの方が悪いので正直逆恨みされても困る、というのが律の言い分である。
 話は去年律が『院』に呼び出されたことに始まる。『訓練』で多少なりとも傷を負った律を心配してという体裁で、パトリックは魔術使用の負荷が強くぼろぼろになっていた律の左手に包帯を巻いた。そしてその包帯を媒介として何らかの魔術が律の中に侵入し、危うく死にかけるところまで追い込まれた。『訓練』の後で疲弊していた上、その入り込んできた魔術がどう作用してどうパトリック――ひいては『院』に情報が流れ出してしまうか分からなかったために対処も遅れた。進行を食い止めるのが精一杯で、帰り着いた先に恭が、そしてアレクがいなければ、今頃律はこの世にはいなかっただろう。
 その後もしばらく体調不良を引き摺ることになり、さすがにやられっぱなしではいられないと判断した律は、多少時間を掛けて『仕返し』用の術式を組み上げた。呪い返しの要領でパトリックに返したそれは、似た症状をパトリックに引き起こしたことは確認している。使われた魔術の解析自体はできなかったので、似せてはいるがその実態は全く別物だった筈だが、しかし症状だけのそれでもパトリックは相当苦しむことになった筈だ。

「だからって逆恨みされてもなあ……」

 こっちも死ぬところだったんですけど、やられたからやり返しただけなんですけど、という言い分は通じないらしい。自分が蒔いた種ではあるので、この依頼を受けないという選択肢は取りづらかった。
 かつん、かつん、とハイヒールの音が響いて、律は顔を上げた。そこにいたのは黒髪碧眼の一人の女性。はあい、と軽い調子で律に手を振る彼女に、律は手を振り返す。

「貴方が噂の今のカヤシマね?」
「それ、どんな噂なんでしょうね。初めまして、茅嶋 律です。何とお呼びすれば?」
「そうね……、レディ=ブルーとでも名乗っておきましょう。また会うことがあればそのときは本名を」
「承知しました、レディ=ブルー。道案内は貴女が?」
「ええ。行きましょうか」

 彼女――レディ=ブルーの先導で、律は歩き出す。逸れるわけにはいかないのは、律が『院』の内部構造に詳しくはないからだ。各『ウィザード』個別の研究室や居住区となれば尚更である。正式な手順を踏まなければ入ることができない場所が余りにも多い上に、いちいち覚えていられない。しかし一つ間違えば、入れないだけならまだしも、どこか分からない場所に永遠に閉じ込められても文句は言えない。そういった道筋や結界も、各『ウィザード』の研究の成果であったりするため、『院』に所属していても全てを把握している者がいるかどうか怪しいところだ。
 後に続きながら、じっと律はレディ=ブルーを観察する。『院』の中でも高位の実力者であろうことは簡単に見て取れた。歩きながら何らかの方法で結界や障壁を開いているが、それがどうなっているのか背後からは全く分からない。僅かさえ魔力の流れひとつ見えないのは、制御を完璧に行なっている証左。

「あら。私の魔術が気になる? リツ」
「勿論。俺も『ウィザード』の端くれですからね」

 視線には気付いていたのだろう。可笑しそうに笑いながら問い掛けるレディ=ブルーに、律は頷く。嘘を吐いても仕方がない。
 人によって魔術の使い方は様々だ。律が『旋律』と『リズム』を主体にしている魔術の組み方は、亡き祖母である千里に教わったものを主軸として、幾度も独自の改良を重ね続けているものになる。手の内を晒すのは『ウィザード』にとっては致命的な事態に陥ることも多いので、日々のアップデートは重要だ。アップデートのために他の『ウィザード』がどうしているかを探ってしまうのは、ほぼ癖に近いものがある。

「貴方が『院』に所属するなら多少は教えてあげてもいいけれど、リツは部外者だものね、一応?」
「手厳しい。確かにそうですね」
「どう? 私の弟子になってみる?」
「御冗談を。俺には荷が重い話ですよ」

 笑って誤魔化しつつ、律は静かに息を吐いた。
 ――つくづく思い知らされる。この世界ではまだまだ若輩者で、掌の上で遊ばれているだけであることを。
 先導されるがまま辿り着いた部屋は、見るからに厳重な結界が外側から施されていた。完全に中にいる人間を外に出す気がないそれに、律は眉を寄せる。そこまでしないと人的被害を食い止められないと判断したのか、それとも別の理由があるのか。
 パトリックは『院』の門番を任されていた『兵』の一人だ。研究はしていない、と口では言っていたものの、その実しっかりと何らかの研究をしていたらしい。律の体に潜り込んだあれは生物のようにも思えたところから考えると、魔術的な生物を生み出す何らかの方法である可能性もある。

「……レディ=ブルー、ひとつお伺いしても?」
「何?」
「パトリックの研究の題材が何だったのか、御存知でしょうか」
「ああ……全貌は流石に知らないけれど。他者解析のために有用な魔術の研究を主軸として色々手を出していたみたいね」
「他者解析……」
「『院』に侵入しようとする者はいつの時代も少なからず居るから。パトリックは門番だもの。どこまで先手を打って『院』を攻撃しようとする痴れ者を知るかは、彼の仕事だったということよ」
「……つまり考えうる限り今最悪では?」
「どうかなあ。ここは彼の根城ではあるけれど、現状何もしていないリツを解析できるほどの実力が彼にあると思えないかな。貴方が来たことを感知した程度よ」

 少しの引っ掛かりは感じたものの、レディ=ブルーは嘘を吐いているわけではないだろう。引っ掛かりは恐らく、パトリックが解析を行うための条件のことを考えたからだ。律は一度パトリックに『呪い返し』をしているが、それは『院』を害さないものだったので『事前準備』を見逃されたのか。或いは正規の手順を踏んで中に入る者の魔術は感知の対象外にしていたのか。――或いは他の『ウィザード』が面白そうだからと介入していたか。様々に可能性はあるが、恐らく既に同じ手は通じないだろう。日々『ウィザード』が己の魔術をアップデートし実力を研鑽しているということは、『院』の機能も日々アップデートされていくということだ。
 さてどうしたものか、とここで考えても意味はない。律は今回、何も準備せずにここまでレディ=ブルーの後を歩いてくることを選択した。結果的にそれは正解だったのだろうが、ここからどうするかと言っても、あとは向こうの出方次第、ということになる。

「開けたら、後はリツに頼むわね、ということになるけれど。どうする?」
「……開けてください。ここでじっとしていても仕方がないので」
「いい覚悟ね」

 笑いながら、レディ=ブルーは結界に向き直った。すっと意識が集中された瞬間、次々に結界が解除されていくのが分かる。この結界を創り出していたのが彼女なのか、それとも別の『ウィザード』が創ったものを難なく解除しているのかは定かではないが、それはとても鮮やかだ。一瞬見惚れてしまったのは不可抗力で、それに気付いて律は苦笑う。
 ――どうにも。自分も『ウィザード』なのだな、と思い知らされる。『そういう部分』があることは、どうしても否めない。
 結界を解除されても、何のリアクションも返ってはこない。入ってこい、ということだろう。恐らく迎え撃つ準備はされている。

「行ってらっしゃい、リツ。経過も結末も、楽しみにしているわ」
「……、人が悪い」

 にこやかに手を振るレディ=ブルーに、律は肩を竦めてみせて。
 そして――中に入るべく、一歩を踏み出した。