Therefore Wizard - 01
――嫌な予感というのは、当たるもので。
「やっぱりなあ……」
手元に届いた『紙』を見て、律は椅子の上をずるずると滑るように脱力した。背凭れに後頭部を預けるような形になって、溜め息ひとつ。
少しだけ久しぶりの、『院』からの呼び出し。近日中に来られたし、というお達しの近日中、とは果たしていつまで近日になるのだろう、とぼんやり考えてしまう。今は妻の体調が気になるので行きたくないんですが。変なストレスも与えたくないです。そんなことを言おうものなら桜の身を危険に晒す可能性があると承知しているので、結局従うしかないのだが。せめて安定期に入るまで何もなければよかったのだが、そうは問屋が卸さないらしい。
様子を見て数日中には家を出なければならないだろう。桜を家に一人にしてしまうことは避けたい。彼女に憑いているモノたちや伊鶴、それに椿とその彼女もいるのは承知の上だが、律が数日から1、2週間は家を空けることになると、恐らく椿が仕事を休むと言い出すのが目に見えている。そして今側近として働いている幼馴染が怒る姿が目に浮かぶ。そこまで考えて。
「――あ」
一人いた。桜のことを任せることができて、なおかつ椿を納得させられる人物が。
「茅嶋くんひっさしぶりー。お、健康的な顔色してますねえ珍しい」
「久しぶり、芹ちゃん。急にごめんね」
「いえいえ! ちょうど芹も茅嶋くんとお話ししたかったので」
数時間後、家には一人の来訪者。幼馴染の伴侶である白石 芹である。時々連絡を取ることはしていても、こうして顔を合わせるのは本当に久しぶりだ。律が基本的に多忙を極めていることもあるが、彼女も小学生の子供を持つ身なので、夕飯でも一緒に、というのはなかなか難しくなった。
「俺に話?」
「そうー。家で悠時さんすっごい愚痴ってくるから、椿くんのこと」
「あー……」
「事あるごとに妹が心配だからリモートワークにするべきだとか今日は仕事行かないとか駄々こねるって。椿くんも相手が悠時さんだからごねてるんでしょうし、仕事はちゃんとしてるらしいですけどね」
「想像がつくな……」
苦笑いひとつ。何だかんだ言いながらも仕事とプライベートの線引きはちゃんとしているのだろうが、相手が旧知の仲だと我儘も言いたくなるのだろう。怒っているというよりも呆れているのだろう幼馴染の顔も目に浮かぶ。
だからこそ、律は芹に声を掛けたのだ。事あるごとに頼ればいいのに、と律を怒ってきた彼女だからこそ。
「……実はその件で、芹ちゃんに何日かうちで桜と一緒にいてあげてほしくて……」
「お。茅嶋くんお仕事です?」
「うん。ちょっと家空けなきゃいけなくなるから、誰か傍にいてあげてほしいなって。芹ちゃんが傍にいてくれたら俺も安心だし、悠時も椿のこと説得しやすいでしょ?」
「打算にまみれている。でもそれくらい全然引き受けますよー。寧ろ茅嶋くんが頼ってくれてうれしい」
「あはは。そう言ってくれるかなって。ごめんね、時哉くんもいるのに」
「ぜーんぜん。うちの息子のことはね、ちゃんとあの子が見ててくれるし。何とでもなりますよ、ここで一緒に過ごしても大丈夫ですし。そんなことはね、茅嶋くんが気にすることじゃないんです」
「……そっか。ありがとうね」
いえいえ、と芹はにこやかに笑ってくれる。こうして快く引き受けてくれると知っているから、なかなか頼りづらい一面もあるのだが。しかし今回に限っては頼らざるを得ない。柳川家に子供が生まれたばかりでなければ憂凛を頼るところだが、小さな子供二人の世話に追われている彼女には頼れないことくらい、律にも分かっている。
「芹ちゃんいてくれると俺も安心だ。今回一人で仕事行かなきゃだし」
「は?」
「あ、待って芹ちゃん秒でキレるのやめてごめんなさい」
翌日、スケジュールを調整している真っ最中。茅嶋家に、不貞腐れた顔の恭が訪れた。
「俺も行く」
「駄目、今回は留守番お願い。憂凛ちゃんと子供たちのこともあるでしょ」
「そうっすけど……」
「『院』で聞いてくる依頼が『院』の外の討伐系の話なら恭くんの助太刀は必要だけど、そうじゃない場合は待ちぼうけになっちゃうだけで申し訳ないし、大抵そうじゃないし。実際俺も本当は恭くんに近くにいてほしいけど、ちょっとこっちで気になることもあるからね」
むう、とあからさまに納得していない顔をする恭に首を振る。『院』から戻ってくる度何かしらを抱えて帰ってくる律のことを、心配してくれているのだろうことは分かっているつもりだ。死にかけたことも一度や二度ではないし、恭がいてくれて助かったことも多い。
しかし今回ばかりは、呼び出しのタイミングが悪い。どちらかと言えばタイミングが悪いからこそ、今を狙ってきたとも考えるべきだろうか。
「俺この間の楠先輩んちの一件も詳細聞いてないんすけど」
「単純に知江ちゃんとか禮知くんが親戚だって話もしたし、よくないことしようとしてるから止めたいっていう依頼で受けたって話したじゃん」
「それはそうなんすけどー、何か納得いかないっつか……、あ、律さんの気になることってそこ?」
「ま、何かあったときにうちの人間として動ける恭くんがいてくれた方が、俺としては安心だなっていうところ。実際『院』行かなくていいなら俺がいたい」
「うーん……いっそ律さん分身……」
「俺はもう俺のニセモノ事件は懲り懲りです」
「それは俺もやだ」
そうそう何度も自分と同じ姿をしたものとは戦いたくない。分身できればいっそいろいろなことが楽にはなるだろうが、仕事量が増えるだけのような気もするので、そちらも考えたくはない。
とはいえ、完全に一人で対応するつもりは元よりない。向こうで待機してくれるよう、盟友のアレクサンダー=F=フィールドには既に依頼済だ。「リツは相変わらず人使いが荒いね!」と笑っていたが、すぐにOKを出してくれたので気は楽だ。万一大怪我を負ったとしても、『院』さえ出てしまえばアレクならすぐに駆け付けられるし、治療も的確に行える。無事では帰れないだろうなという前提が既に嫌ではあるが。
「桜のことは芹ちゃんにも頼んだんだけど。恭くんも何かあったらよろしくね」
「う……それは任されるっすけどお……うちのことはアリスちゃんもいてくれるし……」
「歯切れが悪いな」
「……本当に一人で大丈夫っすか」
「大丈夫。ていうかすぐ帰ってくるよ、桜を一人にしたくないし。さっさと行ってさっさと片付けて家にいたい」
「もー……。……しっかし前から疑問なんすけど、『院』は何で律さんにそんなこだわるんすか」
「うーん……いや、極論の話をするなら『院』は別に『俺』ではないんだけどね……」
彼らの目的は一貫している。現在は律が茅嶋家の当主として動いているため、窓口のような形になっているというだけだ。律のことは人質か下位互換か代替品程度にしか思っていない。
彼らにとって興味があるのは、『茅嶋 雪乃』という、かつて世界で5本の指に入ると言われた『ウィザード』のこと。ひいては同じ血筋なのだから律でも構わないと思ってはいるようだが、最終的に手に入れたいのはそこだということは律も理解している。現当主という矢面に立つ立場である以上、前当主である母であろうと、その身を守るのは律の仕事だ。何より彼女は既に『ウィザード』を引退して、今は隠居の身なので。
――数十年、雪乃は『院』に振り回されてきた。もうこれ以上振り回される道理もなければ苦しむ必要もないと、律は考えている。
「……あーもう! 絶対に! 無理しちゃ! だめっすよ!」
「はあい」