Phenomenon Breaks - 閑話01
子供の話
仕事の打ち合わせをするときは、基本的に恭が茅嶋家を訪れる――というのが日常で。その日もスケジュールの調整等の為の打ち合わせに顔を出すべく茅嶋家を訪れると、近くでスマートフォンの画面と周囲の風景をにらめっこしている少女が目に入った。迷子であれば放っておくわけにはいかない。中に入りかけた足の向きを変えて、恭は少女に声を掛ける。
「こんにちはー。こんなとこ一人でうろうろしてどうしたの?」
「っ……」
「あ、おにーさん怪しい人じゃないよ!? だいじょーぶ」
屈んで視線を合わせて、にこ、と微笑む。少女の警戒心が解けたのが見て取れて、よし、と心の中でガッツポーズ。
「あ……の、このへん、くわしいですか」
「うんまあ、たぶん? 詳しい人にも心当たりあるよ」
『聞く気満々やなお前』
「どっか行きたいの?」
「たーたが……こまったらぱぱのとこいきなさいって……」
「たーた? ぱぱ?」
「うん」
「パパのおうち、この辺?」
「わかんない……」
困った顔をして少女はスマートフォンの画面を恭に見せる。目的地の赤いピンはすぐ近くを刺している――いや、これは近くどころではない。目的地周辺。
ピンが刺さっているのは、どう見ても茅嶋家。
「……パパのおうち行くんだよね?」
「うん」
「これ、パパのおうち?」
「ってたーたはゆってたの」
「……ええまってどういうこと……」
『……茅嶋の隠し子か……?』
「!?」
聞こえた『分体』の一言に、思わず上げそうになった声を押し殺す。きょとんと首を傾げる少女の年齢はおおよそ7、8歳といったところだろうか。となるとその頃の律は右手の怪我をした事件の後くらいになる。あの頃の律はリハビリ期間で、仕事も緩やかだったため珍しく時間を持て余していた。
その間に付き合っていた女性がいても、別段おかしな話ではなく。
「えっどう……どうしようかな、ええと、パパのお名前分かる?」
「?」
「分かんないかそっかあ……ええどうしよう。そのー、たーたってひと? の名前も分かんない?」
「たーたはたーたです」
「そっかあ……」
これは、直接律に話を聞いた方が早い。しかしこれがただの勘違いで知らない女の子で、目的地を間違えていたら。なるべくそうであってほしい。と思いながら口を開きかけたとき、後ろで足音。
「恭くん? 何してん……の、」
「……、り、りつさ、」
「あ! ぱぱ!」
振り返ればそこにいたのは律だった。恭が近くまで来ていたことは気付いていたのか、いつまでも入ってこない恭の様子を見に来たといっただろう。恭の陰に隠れていた少女が律を見てきらきらと目を輝かせた。あれ、と首を傾げながら屈んだ少女のことを、律は明らかに知っていたし。少女は今、律を指してパパと言った。つまり。
「颯花ちゃん? 一人? どうしたの」
「たーたがこまってるならぱぱのとこいっておいでって!」
「あー大樹くん……、……ごめんね颯花ちゃんちょっと待って、恭くんこれは大きな誤解です」
「かくしご……!?」
「違うちょっと待って!? 俺の子供じゃない!」
「でもぱぱって」
「誓ってそれはないな!? ああもう変なあだ名仕込んだ大樹くんのせいじゃんこれ!?」
「あわわ」
「マジで落ち着いて聞いて欲しいんだけど、そういうあだ名になっちゃってるだけで、俺の子供じゃなくて、大樹くんが出資してる児童養護施設の子でね、」
「桜っちには黙っとかなきゃだめっすよねこれ」
「人の話を聞け!? 颯花ちゃんも俺のことパパ呼びするのやめようか!?」
「えーでもぱぱはぱぱだし……」
「ああくっそ駄目だこれ大樹くんシメる」
――この誤解が解けるまで小一時間掛かってしまったのは、また別の話。
「おいこら辺見ィ!」
「うわびっくりしたぁ!?」
「あ、喉痛い」
「慣れない声出すから!?」
数日後、仕事の合間を縫って律は『エンブレイス』の社長室を訪れていた。用件は先日の迷子の少女――颯花のことである。パソコンに向かって仕事をしていた大樹は本当に驚いたのだろう、胸を押さえて深呼吸をひとつ。どうぞ、と勧められるがままソファに腰を下ろす。
「御当主様ドス声とか出せたの……僕はびっくりです……」
「最近若頭とか言われるからちょっと練習してみようかなって」
「えー御当主様には無理じゃないかな、ちょっとした所作が育ち良過ぎて綺麗だからね」
「そこかあ……いやそんな話はどうでも良くて」
「うん」
「こないだ颯花ちゃんが一人でうちまで来たんだけど?」
「ふーちゃん? あ、そういえば御当主様の家教えたね」
「まだ8歳の女の子にうちまで一人で来させる馬鹿がいるか」
「颯花ちゃんなら大丈夫でしょ」
「まあ大丈夫でしたけど、そういう問題じゃありません」
彼女が普段暮らしている児童養護施設から律の自宅までは、子供が一人で行くには少し距離があり過ぎる。よく分かっていなさそうな大樹にはその辺りの認識が未だに薄いのだろう。響によくよく教育を頼んでおいた方がいいかもしれない。
昨年の夏の一件が落ち着いた後、大樹は私財を使って児童養護施設の経営を始めている。保護されているのは一般の子供たちではなく、『此方』や『彼方』の力を持つが故に育児放棄された子供たちだ。「こういう慈善事業はエクソシストが得意だよね?」という大樹の発言もあって人材を探してあちこちに連絡し、現在は一人の『エクソシスト』と事情を把握している一般人の二人の下、数人の子供たちが養育されている。
大樹も――そして響も、そういった施設で育った人間だ。現在『エンブレイス』も行き場のない『此方』や『彼方』をスタッフとして雇用している。そういう形で世の中を変えたいと語る大樹の目はきらきらしていたので、まあいいか、と桜と二人で片手間に手伝いをしてはいるのだが。
「大樹くんいい加減あの子たちに俺のことパパって呼ばせるのやめてマジで」
「え、だめ?」
「駄目に決まってるでしょ……恭くんが変な誤解して大変だったんだから……」
「やっくんに誤解されるような素行の御当主様が悪いので……は、ごめんなさいすいません撤回します今度行ったらあの人はりっちゃんだよって教えたらいい!?」
「そうして……まあそのうちでいいやと放置した俺も馬鹿だったけど……」
「御当主様めんどくさがりだもんね」
「否定はしない」
大樹がからかっているのも分かっていながら、楽しそうにパパと呼ぶ子供たちも可愛かったので、少し絆されていたことは黙っておく。じゃあいいのでは、と言われるのは困る。
「やっくん、ふーちゃんのこと御当主様の隠し子と思ったとかそんなやつ?」
「そう」
「あはは。でも御当主様隠し子一人二人いそうだよね」
「いないっつの……」
「えー、だって逆ハニトラとかやってたタイプに見える」
「黙秘」
「えっまじでちょっと詳しく聞きたいです」
「嫌だよ!?」