Phenomenon Breaks - 05
「うう……どうして私はすぐ寝てしまうんでしょう……」
「むしろあんだけはしゃいでたら寝ない方が不思議なんだよな」
「律様起きてらっしゃるじゃないですかぁ……」
「俺はあの状況ではどう頑張っても寝れないタイプだからね……?」
ホテルに到着後、交互にシャワーを浴びて。
やはりタクシーの中で寝てしまったことにしょんぼりと肩を落とす桜に苦笑い。残念ながら律が知らない相手が運転する車で眠れるような人間ではないことは桜も分かっている筈なのだが、起きていたかったという思いが強いのだろう。
「いいじゃない、少し寝たから今日はもうちょっと起きてられるでしょ」
「そ……れはそうなんですけど……」
「ふふ。楽しかったねえ、今日」
言いながらベッドに腰を下ろして、伸びをひとつ。あとは寝るだけ、とはいえ桜が起きていられるならもう少しゆっくり話もしたい。髪を乾かし終わった桜が同じように自分の側のベッドに座ろうとするので、とんとんと自分の隣を叩いて示す。少し瞬いて動きを止めた桜はしかし、それに従うように律の隣に腰を下ろした。
「明日はもう帰っちゃうし。桜の話聞きたいな」
「私の話……ですか?」
「うん。俺たち家にいてもどうしても仕事の話が多いからさ。最近の桜が考えてることとか知りたいなと思って」
「最近の私が考えてること……」
「難しい話じゃなくて。最近これが好きだなーとか、そういう感じの?」
「あ、ええと、じゃあ……」
――最近は他愛のない話すら、あまりしていなかった。
このところは恭や憂凛が気になっていたこともある。その前も、それが片付いた後も、大きな仕事が立て続けに入っていた。このところ上手く二人の時間を取ることは出来ていなくて、仕事の話ばかりしていたな、ということに今更気がつくというのは本当に反省点だ。昨年はまだもう少し色々と話していた気もするのだが――国内国外関係なくあちらこちら行くようになったことも、律自身が桜に言いたくないことが増えたことも、どちらも影響しているのだろう。
椿とこんなことがあって、憂生の世話をしているときにこんなことがあって、好きなモデルの人と久しぶりに少し話す機会があって、好きなアイドルの新曲が出て。本当に他愛のない、普段話すようなこともないことを一生懸命話す桜を見ながら相槌を打つ。
しばらくそうして話していたものの、不意に桜の言葉が途切れた。恐る恐るといった様子で視線を上げた桜は、何か言いかけて口を噤む。
「……桜?」
「あの……ええと」
「何。ゆっくりでいいよ」
「……私、一度、律様にきちんと聞きたいことが、あったんです」
「俺に?」
「はい……」
何のことかと首を傾げたところで、どうにも想像がつかない。言い出しにくいのだろう、桜の視線が泳ぎ出した。これは待っていた方がいいだろうと判断して、桜を注視する。ええと、その、と何度か口ごもった後、観念したように深く息を吐き出して。泳いだ視線が真っ直ぐに律を見る。
「……律様は、どうして私と結婚してくださったんですか?」
「え」
「というか……あの、未だに私、律様がどうして私の気持ちに応えてくれたのか分からなくて……」
「……あー……」
桜の恋心はずっと知っていて、知らないふりをしていた。あの頃の桜はまだ子供だったから、いつかそんなことは忘れるだろうと思って口を閉ざした。そうもいかなくなったのは、彼女が仕事の手伝いを始めたからだ。一度は手酷いことを言って引き離そうともした。それでも結局恋人になって、今こうして夫婦として共にいる。
どうして、という問いに答えるのは難しい。そうなる前に外堀を埋められたから、という事情もある。桜のことをどうするつもりなのかと周りに延々言われていたのも、それは事実だから。
「……これ恥ずかしいな、プロポーズのやり直しみたいにならない?」
「え!? あ、すいません!?」
「いやいいんだけどね、俺桜のこと不安にさせてた?」
「ええとあの、不安……というのではなくて……何て言ったらいいのか分からないですけど……律様が私を大切にしてくださってることも分かってますし……」
「んー、つまり妹の延長線上かも、と思うことがあるのかな。となるとやっぱ悪いのは俺だね」
溜め息ひとつ。さて、何をどう話せば桜に伝わるだろうか。
「――俺、桜と付き合うって決める前に椿とめちゃくちゃ色々話したんだよ」
「椿兄様と……?」
「そう。椿的にはどうなのかと思って」
椿もあの頃既に、桜の律に対する恋心は知っていた。兄として慕いながら一人の男と見ていることを、知っていた。そしてそれを律が見て見ぬフリをしていることも、きちんと。
だからこそ、桜と本当に血が繋がっている双子の兄である椿とは、きちんと話をしなければならないと思ったのだ。かつて妹のために命懸けで頑張っていた彼は、今でも桜に何かあれば己の命を平然と盾にするような人間であることは承知している。
妹としてではなく、一人の女として桜を見ること。その上でやはり一人の女として見れないときは、桜を傷つけることになることも分かっていたから。
「……俺は本当に、生涯独り身で居るつもりだったからさ。結婚とか、跡継ぎとか、そういうことは考えてなくて。お母様にも別にそれでいいって言われてたし」
「でも、気を変えて下さったんですよね。どうして……」
「うーん。その辺は恭くんの言葉が大きかったのかな、やっぱり……。事あるごとに俺と桜のことひっつけようとしてたでしょ、あの子」
「あ、えと、はい」
「一回文句言ったことあるんだけど、そのときにすごい真面目な顔で言われたんだよね。恭くんは憂凛ちゃんと一緒に過ごすようになって、大事な人がいるってどういうことかを知ったから。だからもし少しでも可能性があるなら、俺にもそういう存在はいていいんじゃないかと思うって。もしそれが桜じゃなくてもいいから、俺に何か起きたときに『でもこの人がいるから生きなきゃ』って思える存在はこの先絶対に必要だって、力説された。あと単純に俺に玲先輩のこといつまでも引きずってほしくなかったんだろうけど」
実際、恭は憂凛の存在に助けられていることを知っている。憂凛を泣かせたくないという思いひとつで、彼は随分と強くなった。その姿を見てきている。見せられている。だからそう言われたとき、それもそうだな――と納得してしまったのは事実だ。
その相手が桜で良かったのか、と聞かれると、正直それは分からない。他にも選択肢はあったのだろうし、今のところ彼女に心配を掛けたくない一心でそれなりに無理もしているのは事実だ。けれどもしこの数年、桜の存在がなければ今こうして自分は生きていただろうか。正直、自信がない。
帰らないと。そう思えるのは、確かに力になっている。
「まあ俺は芹ちゃん曰く悪い男なので」
「そんなこと、」
「あるよ。桜には言えない話いっぱいある。気になる?」
「う……なります」
「ふふ。そんな男なので俺は桜に相応しいのか? っていうのも悩んだし。一回りも下の女の子で、小学生の頃から知ってて、妹だって思ってた子を急に一人の女の子だと思うのはやっぱりなかなか難しかったんだけど」
「……けど?」
「そういうの取っ払ったら、一生懸命俺みたいなのを好きでいてくれる桜が愛しくなったし。この子を好きになったら、俺は幸せになれるなあって思った」
「あ……」
「そこからちょっとずつ俺は本当に桜のことが好きになったし、大切に思ってるし。椿に泣かせたら殺しますって言われたし」
「何言ってるんですか椿兄様!?」
「あはは。……ちゃんと考えて、決めて、腹括って、こうして一緒にいる。だから妹じゃなくて大切な恋人になって、大切な人生の伴侶になってもらったので」
じっと桜の目を見つめる。聞いている間に恥ずかしくなってきたのだろう、俯いて耳まで赤い桜の頬に手を伸ばす。触れるとびくりと驚いたように震えて、おずおずと視線を上げた桜の瞳は少し潤んでいて。
――ああ。
「……そもそも、妹だと思ってたらこんなことしないでしょ」
緩く微笑んで――その唇に、口付けた。
「おかえりなさーい」
「ただいまー。何でうちで普通に待ってるんだ柳川家」
「ただいま戻りましたっ。あっういちゃん起きてますね!?」
「茅嶋さんとさくらんの旅行のお土産話聞きに?」
「俺はお土産もらいに」
「現金か」
翌日。
二人で色々と観光名所を巡っていたら、あっという間に帰らなければならない時間で。慌てて空港に向かい、ぎりぎりで何とか飛行機に乗って帰路についた。桜は飛行機の窓から夜景を眺めていたので、ついでに今どこの上空だという説明をつけておく。到着した後は迎えに来てくれていた伊鶴と3人で自宅に戻ると、リビングルームで当たり前のように恭と憂凛、そして憂生が寛いでいた。きゃっきゃとはしゃぐ桜と憂凛を尻目に、息を吐いて律は恭の隣に腰を下ろす。
「変わったことなかった?」
「3日くらいで変わったことはないっすよ。仕事も無事片付けた! 褒めて!」
「偉い」
「ふふん。律さんは? ゆっくりできました?」
「うん、ずっと天気も良かったしね。……何か桜とのんびりしてたお陰で、体調悪いのも戻ったかも」
「そんならよかった」
一昨日の夜はどうしようかと思ったが、昨日も今日も調子が悪くなるようなことは起きていない。何となく見当はついている――桜には、ユグが憑いているから。
かの『世界樹の断片』の権能のひとつとして、精神的な面を落ち着かせるものがある。恐らく桜は旅行中、ずっとそれを使っていたのではないだろうか。だから初日も二日目も、くたくたになって疲れていたのではないか。何となく、律はそう思っている。
律が調子が悪いことを、桜は勘づいていたから。もしかしたら旅行初日の夜に吐いていたことも、気づいていて寝たフリをしていた可能性もある。何も聞かない代わりに、そうすることで律を支えようとしてくれたのだろう。律に露見するであろうことは承知の上で、それでも何かしたいと思ってくれた、その結果。
「……いや本当に、頭が上がらないな」
「ん?」
「いい奥さんもらったなーと思って?」
「お? 珍しく律さんが惚気話をしてくれる気に?」
「しません」
「何で! じゃあ俺がする!」
「それこそ何で?」
わいわいと騒ぎながら、先に自宅に届いていた昨日買ったお土産の箱を開く。出てくるお土産にああだこうだと思い出話を交えつつ、恭と憂凛に渡して。桜が憂生のためにと買ったぬいぐるみは随分とお気に召したようで、憂生はぬいぐるみを抱きしめたまま離さなくなってしまって。そんな姿に笑いながら――穏やかな日常に、胸が温かくなる。
たまには、こんな日常を過ごしていたい。こんな日常のために、日々を頑張っていたい。そう、思う。
「あ、恭くん俺明日丁野先生となかみーのとこにお土産持ってったりするから休みね。大樹くんとこも行かなくちゃだし」
「はーい。……はっなかみーのとこ先行かなきゃ」
「……何かやらかした? ねえ?」
「してない! たぶん! たぶんだけど!?」
「怪しい」
わいわいと騒いでいる間に、ゆっくりと夜は更けていく。