Phenomenon Breaks - 02

「俺はもう駄目かもしれない」
「実は先に来て一人で飲んでたのか? 既に酔ってるのかもしかして?」
「連絡が来た時点で随分とお疲れだなとは思いましたが」

 翌日の夜。
 久しぶりに帰ってきたから飲み会どう、という雑な誘いに乗ってくれた英二と陵と3人、待ち合わせた居酒屋の個室にて。2人の顔を見た瞬間机に突っ伏して呟いた律に、英二と陵は顔を見合わせる。
 ひとまず適当に酒と料理を注文して、乾杯をして。何があったのかと問う陵の言葉を受けて、律は昨夜の出来事を説明する。説明しながら、恐らく今の自分は相当気が立っている状態なのだろうなと思う。いつもは気が抜けて悪酔いする飲み会のメンツではあるが、飲んでもアルコールが頭まで回ってくるような感覚がしない。
 
「あとコンマ1秒気付くのが遅かったら魔術は発動していたし俺はユグと椿に殺されていた……」
「気付いてよかったな」
「本当にね……」
「何でそんなことになってるんですか。心当たりはあるんです?」
「あるといえばある」

 仕事自体はいつも通りにこなしたし、特に大きな問題はなかった。イレギュラーだったのは一つだけだ――『院』からの呼び出しと、その後の顛末。
 律の体に巣食った寄生型の魔術は、律の中にあるいわゆる『魔力のようなもの』を食らって増殖を続けていた、と律は考えている。ホテルに戻るまでは何とか自身の中に幾度も『プロテクト』の魔術を展開して侵蝕を防いでいたのだが、それでもあの状態まで追い込まれたので相当強力な呪いに近い魔術だ。中に巣喰って、律という『ウィザード』を解析して、壊そうとする魔術。そもそも媒介となっていた左手の包帯は律自身では解くことができないようにされていて、侵蝕を遅らせるのが精いっぱいのものだった。恭の助けがなければ、そしてアレクが対処してくれなければ、今五体満足にこの場にいられたかどうかは怪しい。
 死線は幾度も潜ってはきたが、さすがに『対処のしようがない』という点で今回の件は律の中でかなり尾を引いている。自分の体に異常がないことは既に何度も確認したが、よくよく考えればそこからろくな食事を取らなくなって夏バテをしているような気がする。
 
「何でどこも組織の人間はクソなんだ。クソだから組織なのか?」
「……いやまあどうにか対応できるだろうと思って甘んじて受けた俺も悪いっちゃ悪いんだけどね。うっかり過信したというかそんな酷いもの来ると思ってなかったというか」
「本当に体はもう大丈夫なんですか? というかそのことを桜ちゃんには」
「報告できるわけがないんですよ……」

 心配を掛けたくない。黙っていても心配を掛けることは分かっているが、殺されるところだったなどという話を桜にすれば今後の仕事に影響していくのも分かっている。現在仕事の割り振りをしてくれているのは桜だ。変に気を遣われたくはないし、後の予定を考えるとこれ以上スケジュールを狂わせたくもない。
 
「まあその魔術を使ってきた人間には後ほどきっちりお返ししようと思って現在準備中なんですけど」
「こわい」
「こわい」
「まあ茅嶋くんがやられたらやり返す人間なのは重々承知しているが。それで解決する問題じゃないだろう」
「そうですよ、桜ちゃんに対しても警戒してしまうほど余裕がないのは良くないでしょう。今日も酔わなさそうな顔してますし」
「うーん……」

 言いながら律の前に唐揚げの皿を寄越してきた陵に皿を押し返して、律はビールの入ったジョッキに口をつける。このところ食欲がないのは相変わらずだ。
 一緒に過ごす時間が長い分、そして一部始終を見ている分、恭はよく律のことを理解している。だからあのとき桜に律を休ませろと言ったのだということも分かる。仕事し通しで気が張り詰めた状態のままでは、恐らくこの状況は改善しないだろう。
 
「仕事の予定は詰まってるんですか?」
「……今日ちょっと手をつけた仕事はあるから、この流れだとまとまった休み取るのは来月の頭とかかなあ……」
「それまでこの状況だと体が保たないんじゃないのか?」
「お手伝いしますから、少し休まれた方がいいのでは。あんまり我儘言うと強制的に一週間お泊りコース組みますよ」
「うぐ……休養したらどうにかなると思う?」
「そういうことは休養してから言え」
「丁野先生にごもっともなことを言われると腹立つな」
「おいこら」

 剣呑な表情になる英二にごめんと笑いながら、ビールをもう一口。どちらにしろ今の状況では無理に休養の時間を得たところで、仕事のことを考えてしまって充分な休養は取れないだろうという予測はつく。ある程度仕事を片付けた段階で助けてもらって休暇を早める方がゆっくりできるかもしれない。
 
「じゃあ、近々仕事のお手伝いお願いするかも……ごめんね」
「茅嶋さんは人の心配より自分の心配をしてください」
「はあい……」


 翌日。確認という名目で桜に仕事のスケジュールを見せてもらって、ひとまず頭の中で割り振りを考え直す。茅嶋家の当主としてどうしても律が対応しなければならない仕事は前倒しをして、手伝ってもらえそうな仕事は後ろに回して――そうすれば休暇は2、3日とはいえ前倒しして長めに取ることは難しくない。突発の案件が入らなければという条件はあるがどうにかなりそうだ。
 
「……というわけで丁野先生となかみーにも休めって怒られて」
「そりゃ怒られるっすよ、俺からしたら2人に話してくれてよかったなって感じするんすけど」

 昼から仕事に合流した恭にかいつまんで事情を話せば、当たり前だと言いたげな表情が返ってきた。
 
「つーかどう考えてもあんだけげろげろ吐いたらそりゃ食欲もなくなるだろなとは思ってたんすよねえ」
「正直意識朦朧としてたから自分がどんだけ吐いたか記憶がない」
「酒でべろべろの人間でもあそこまで吐かない」
「やばいじゃん」
「やばかったんすよだから」

 真剣な表情の恭を見ていると、相当心配していたのだなというのがよく分かる。一部始終を知っている上にその後の律の経過も見ていたのだから当然と言えば当然のことだ。逆の立場であれば同じように心配しているだろうことは自分でも分かっている。
 あまり自覚はなかったが、精神的にかなり疲弊してしまっているのは確かなのだろう。一度仕事のことを忘れてゆっくりとリフレッシュする時間は確かに必要だ。
 
「桜っちとゆっくりデートでもしてきたらどうすか?」
「桜と?」
「うん。結婚してから二人とも仕事ばーっかしてるから、新婚旅行的な」
「あー……」

 入籍したとはいえ、律が実家に戻ってからはずっと一緒に暮らしているので現在はその延長のような状況にはなっている。二人で出掛けるということもそれほど多くない。確かに仕事のことを忘れるのであれば、まずは自宅から二人で離れるというのは必要だろう。お互いに仕事のことを気にしなくていい、という状況でなければ、どうしても気になってしまう。
 
「なかみーとジッポ先生が手伝ってくれるなら安心っす。俺にどんと任せて」
「いやそれは正直すごい不安なんだけども」
「ひどくない?」
「一回やばいことになったでしょうが……。でも旅行は確かに悪くないな」
「うん。おいしいものしっかり食べてー、ゆっくりする! いや桜っちのごはん食べるのが一番おいしいものかもしれないんすけど……」
「……俺今桜と2人で大丈夫かな」
「めっちゃ気にしてるし」

 慣れた気配を誤認する。疲労やストレスのせいであるのならまだしも、もしまだ自分の中にあの寄生型魔術の影響が残っていたら。巧都に対価を支払って精査してもらった方がいいかもしれないと一瞬考えて、やめる。本当に寄生型魔術の影響が残っていたら、『院』相手に少しでも巧都の情報を流してしまう可能性がある。あの『カミ』がそんなミスはしないだろうが、かといって不用意なことは今は避けたい。
 また同じように桜を警戒してしまったら。それはやはり、律の中で大きな不安になってしまう。
 
「心配掛けたくないのは分かるんすけど、『院』の話だししといた方がいいんじゃないすか?」
「うーん……でもまあ俺としては恭くんが知ってるからいいかなって」
「もー……」

 仕事上の出来事であればともかく、『院』で起きた出来事に関して桜が関わることはできない。いくら律が殺されかけたところで、それを抗議することすら『ウィザード』ではない桜にはできない。二度と『院』に関わらないということができるわけでもないし、下手に桜に話して巻き込むのも律としては避けたいところだ。
 何も知らずにいてほしい。それは確かに律の我儘で、けれどだからこそ安心できることもある。
 
「まあとりあえず、律さんがゆっくりできるように頑張りますか」

 そう言って恭が笑ってくれて、律は黙って小さく頷いた。


「旅行……ですか?」

 その日の夜。仕事を終えて帰宅後、報告を終えてから話を切り出した律に桜が首を傾げた。急に律がそんなことを言い出すとは思っていなかったのだろう。実際、律も恭に言われなければそんな話を思いつきもしなかったとは思う。
 
「そう。恭くんにたまには二人でゆっくりしろって怒られちゃって。どうしても仕事仕事になっちゃって、桜とゆっくりする時間取れてないなあって」
「……どこかに行くとなると、律様疲れてしまいませんか?」
「疲れないって言ったら嘘になるけど、桜と一緒にどこかに行くのは確かにいいなと思って」

 兄妹になって、恋人になって、夫婦になった。
 その過程で律の仕事を桜が手伝うようになったこともあって、どうしてもなかなか仕事というものが二人の関係からうまく離れてはくれない。どこかに行くためにスケジュールを調整すればそのしわ寄せを受けるのは自分たちだという、どうしようもない部分もある。
 律が茅嶋家の当主を継いで3年。入籍はしたものの、それ以前から恋人らしいことをしていたかどうかと聞かれると、どうにも答えにくい。一応デートらしいデートは何度か行った覚えがあるが、それでも桜が律の体調を気遣うあまり、どこか外に出るということは普通の恋人に比べれば圧倒的に少ないことは承知している。
 
「まあ、急に言い出してるから行けても国内なんだけど……スケジュール調整すれば、帰ってきて1日休む時間を入れても2泊3日くらいはできるんじゃないかと思って」
「だから律様スケジュール見せてほしいっておっしゃったんですね……」
「うん、まあ」

 ――それはなるべく早く休めと言われたからだが、余計なことは言わずに黙っておく。
 
「……旅行……律様と……」
「うん。桜、行きたいところとかある? 俺は仕事であちこち行くけど、桜あんまり遠出したことないでしょう」
「……あのっ、ええと……」
「ん?」
「……この前、恭さんと憂凛さんと憂生ちゃんとお出かけしたじゃないですか」
「ああ、うん」

 憂凛と桜の誕生日プレゼントにと、本気でスケジュールを無理矢理調整して行ったテーマパーク。恭の元バイト先でもあるその場所に、5人で行ったのはこの春のことだ。憂凛のトラウマの克服の一面も持っていたその旅行は、どちらかと言えば律も桜も憂生の面倒を引き受けて恭と憂凛を見守っていたという状況に近かった。桜もそれなりにはしゃいではいたが、二人であちこちをうろうろした、という記憶はない。何より律が疲労困憊だったのも原因の一つではあるのだが。さすがにアトラクションにあれこれ乗るような元気は全くなく、大概を行ってらっしゃいと見送って待っていた。
 
「ああいうところに、二人で行ってみたいですっ」
「うん、いいよ。他には?」
「……あの、あと、仕事に関係しちゃうんですけど」
「うん?」
「普段お電話ばかりでお会いできない人にご挨拶できたらなって……」
「あー……」

 基本的に茅嶋家の中で仕事をしている桜は、近隣であるならばともかく遠方の人間とは会う機会がほとんどないに等しい。確かに顔を合わせて話す機会を一度でも作るというのは必要だろう。確かに仕事関係のことではあるが、それで何か面倒事に巻き込まれる心配がないのであれば挨拶くらいなら構わないのだろう。逆に言えば会うだけで面倒事に巻き込まれそうな相手には会いに行けない。
 となれば、自ずと候補は絞られてくる。その他に桜が好きな場所にも連れていけるような場所がいいだろう。幾つか頭の中で候補を出す。手配に関しては律がやるよりも伊鶴に任せた方が早いだろうというところまで考えて、よし、と頷いた。
 
「じゃあ旅行のために頑張ってスケジュール調整しますか」
「はいっ」