09:Fatal Spark

 久しぶりの自室は、やはり雑然としていた。とはいえ、滞在できないほどではない。
 ソファの上に置きっ放しだった雑誌類をテーブルの上に移動させる。どうぞ、とイオに勧めると、不機嫌そうに眉を寄せつつもイオはソファに腰を下ろした。カナメ自身は上着を脱いで、床に座ることにする。自然とイオを見上げる形になるのは気に入らないが、文句を言っても仕方がない。

「んで、枢軸局アクシスの人がオレなんかに何の用ー? この間のお礼ならいらないっつったしなあ」
「先に自己紹介を。私は特級ジュエルコア・プロトコル、アザミ=ネネの専属デコーダーの任に就いている者です」
「へえ」
「単刀直入にお伺いします。――貴方、アザミ特級を解導デコードされましたね?」

 まどろっこしい話をするつもりはないという意思が、その言葉から伝わってくる。確証と確信を持って、この男はカナメに会いに来たのだろう。

解導デコード? できるわけないじゃん、オレただの一般市民よ?」
「私は何らかの手段で、貴方が解導デコードの技術を得たと考えています。そしてそうなのであれば、どこでその技術を手に入れたのかを知らなければならない。解導デコードはジュエルにとって命綱ですが、毒にもなる。枢軸局アクシス未登録のまま、ジュエルに対して使用されるべきものではありません」
「いやちょっと? オレが解導デコードできるのはシロガネさんの中で確定?」
「そうでなければ、説明がつきませんので」

 ――カナメがネネに解導デコードを行ったのは、2回。
 1回目は廃棄区画ジャンク・ヤード近くでネネに出会ったとき。2回目は、路地裏で魔力熱クラックに苦しむネネを見つけたとき。
 最初だけであればまだ誤魔化せたかもしれないが、2回目についてはネネに接触したのがカナメだけなのだろう。触っても問題ない程度まで解導デコードしなければネネを動かせなかったので、不可抗力ではあったのだが。
 このまま誤魔化したところでボロが出ることは分かっている。認めてしまった方が、話は早い。だが、あまり手の内は明かしたくないのも正直なところだ。 

「んー。オレはシロガネさんが何でそう思ったのか分かんないけど。ネネちゃんにしたのはちゅーだけだし」
「……、キスを?」
「そう。あ、一昨日? 水路都市マリナで会ったときはそれ以上のこともしちゃったけどー」

 ぴくり、とイオの肩が揺れたのが見えて、カナメはあえて表情を崩した。沈黙が落ち、ややあってイオが息を吐く。

「……成程。アザミ特級にキスマークを付けたのは貴方だったんですね」
「あ、見ちゃった? 鎖骨綺麗だよねー、ネネちゃん。にしてもシロガネさん目敏いねー」
「ということは、貴方はアザミ特級とそういう御関係だと」
「どう思う?」
「茶化さないでいただきたい」
「あっは。可愛い子は口説きたくなるじゃん?」

 ――とはいえ、水路都市マリナに追いかけていくことができたのは偶然だ。都市間移動のポータル付近で、ネネを見掛けた。だから後を追いかけた。そして彼女を口説いて、まるで恋人のような時間を過ごした。
 だが、彼女はカナメの名字すら知らない。
 カナメという男のことを何も知らないまま、面白いほどあっさりと堕ちてくる。

「なーにシロガネさん、ヤキモチ?」
「彼女のプライベートは私には関係のないことです」
「あ、そ? まあいいけど。で、他に何か話ある?」
「お伺いする限り、貴方はキスないしその他の接触でジュエルの解導デコードを無意識下で行っている可能性があります。一度調べさせていただけますか」
「え、オレのキスシーンが見たいって?」
「そういう話ではなく」

 やはり、誤魔化せそうにはない。逃げ切るのは無理そうだな、とカナメは内心で舌打ちをする。
 イオはネネの専属デコーダーだと名乗った。つまり、ネネに日常的に解導デコードを行っているのはイオだ。解導デコード魔力熱クラックの排熱時に、ジュエルに己の魔力を流し込む。解導デコードの際、自分のものとは違う魔力がネネの中にあることに気付いたのだろう。
 魔力の質の違いなど、魔力を受け取るジュエル本人しか分からないだろうと思っていた。しかしどうやら、そのカナメの認識は甘かったらしい。

「……それはさあ、もしオレが解導デコードできるんだったら、デコーダーとして枢軸局アクシスに登録しろってハナシ?」
「そうなります」
「めんっどくさ……。いいよ認める、オレは解導デコードができますー。でもその方法を誰かに教える気はないし、元デコーダーに教えてもらったとか、そういうアレじゃねえよ」
「結構。ではどうして解導デコードを? 独学とでも?」
「そういうことにしといてよ。枢軸局アクシスに登録とか、デコーダーになれとか、そういうの一切合切お断りだわー、嫌すぎる」
「そういうわけにもいかないんですよ」
「オレが解導デコードできるって知ってんの、アンタと……多分ネネちゃんだけっしょ? 黙っててくれりゃあそれで解決じゃん?」

 目の前の男の表情は読めない。分かるのは、あえて感情を殺しているのだろうなということだけだ。
 その胸の内に、何を隠しているのか。――隠されると、暴きたくなる。

「てかさ、オレにどうこう言う前に、アンタはネネちゃんに何したの?」
「何がです」
「オレ、結構前にネネちゃんのこと見掛けたことあるけど、あのコ、そう簡単に流されて男に惚れるタイプのコじゃないよね? 気ィ強そうなコだなーと思ったもん」
「でたらめを」
「ネネちゃんの中、空っぽにしたのアンタだろ? 専属デコーダーさん」
「……」

 反論しようとするイオに言葉を被せると、その眉がぴくりと動いた。
 ネネを解導デコードしたからこそ、カナメは知っている。彼女の中から、少しずつ何かが消え失せていることを。1回目のときにそう感じて、2回目のときは更にひどくなっていた。内部に大きな空洞ができているような、そんな感覚。
 だからこそ、付け入る隙があった。簡単すぎた。驚くほどあっさりと、ネネはカナメの手中に堕ちてきた。

「自分の獲物奪られて怒ってるだけじゃん? アンタ。ま、オレはアンタのお陰で狙ってた女抱けてマジありがとー、って感じだけど」
「……ふざけたことをおっしゃる」
「オレは至って大真面目。――狙ってた女寝取られた気分はどうよ、枢軸局アクシスのエリート様」

 ――瞬間。
 イオの赤い瞳に、感情が宿ったのが見えた。燃え盛る怒りの炎の色に、声を上げて笑いたくなる。だがしかし、それは叶わなかった。
 立ち上がったイオが、その右手でカナメの胸倉を掴む。潔癖そうな白い手袋に覆われた右手は微かに震えていて、首元が締め付けられる。

「……お前に何が分かる」

 喉の奥から絞り出したような、地を這う低い声。ぱちりと瞬いてみせれば、イオは我に返ったのか、乱雑に右手は離された。

「……っけほ、暴力はんたーい……」
「失礼。――貴方が黙っておいてくだされば問題にはなりません」
「は、仕返し? ウケる。図星突かれてキレてんじゃねえよ」
「……、私から貴方への要望はただひとつ。金輪際、彼女に近づかないでいただきたい」

 はあ、と息を吐いて、イオはソファに座り直す。その瞳には既に、先程見せた熱は消え失せていた。
 イオの要求は正当ではあるのだろう。枢軸局アクシスに登録されていないラスターが、よりにもよって特級ジュエルコア・プロトコル解導デコードするなどあってはならないことだ。そもそも、特級ジュエルコア・プロトコルが抱える魔力熱クラックの量は尋常ではない。一歩間違えれば、大事故に繋がりかねない。
 何故カナメが解導デコードできたのか、という疑問は当然あるが、その解明よりも優先されるということだ。

「近づくな、ねえ。ネネちゃんからオレのとこ来るかもよ?」
「別の都市に引越しが可能であれば、かかる費用等は全額負担いたします」
「え、やっば。そこまでする?」
「しますよ。私は彼女の身の安全を守る責務がありますので」
「オレに手出されてる時点で守れてないじゃん?」
「今ならまだ正せます」

 ネネから手を引くのは簡単だ。ここでイオの誘いに乗ればいい。別の都市に引っ越してしまえば、そうそうネネに会う機会はなくなる。イオが望む通り、二度とネネに近づかないことは可能だろう。
 ――だが。
 カナメにはカナメの理由がある。何も考えずに特級ジュエルコア・プロトコルであるネネに手を出したわけではない。

「正せないよ、オレはもう手ェ出しちゃったし? ネネちゃんはオレを受け入れちゃったし? 残念ながら。それとも、ネネちゃんの中からオレに関することは全部消しちゃえばいいと思ってんの? シロガネさん」
「……私と彼女のことは、貴方に関係ありません」
「あっは。――何回消しても、もう無駄だよ」

 たった一度。身体の奥まで、カナメという存在を教え込んでおいたから。
 どれだけイオが足掻いても、ネネはカナメに会う度に思い出すだろう。それほどまで、彼女は飢えてしまっていたのだから。
 思いがけず手に入れたチャンスを、逃すつもりは毛頭ない。
 カナメが引くつもりのないことは、イオにも十分に伝わったのだろう。大きな溜め息を吐いて、イオは立ち上がった。

「交渉は決裂ですね。今日のところは引きます」
「また来んの? めんどくさー」
「……ああ、ひとつお伺いしても?」
「ん、何?」
「結構前に彼女を見たというのは、いつの話です?」

 静かな問い掛けに、カナメはぱちりと瞬いた。数瞬置いて、口端を歪めて笑う。

「――カマかけただけ。まだまだ甘いねえ、シロガネさん?」


 苛立ちに支配されてはいけない。
 そう言い聞かせながら、枢軸局アクシスにある己の執務室への道を歩く。廊下に響く足音にさえ不快感を抱いてしまうのは、気持ちに余裕がない証左か。
 やらなければならない仕事は溜まっている。明日の朝までにできるだけ片付けて、そして明日の朝にはいつも通りを装えなければ、職務に差し支える。
 ――だが。
 執務室の前に人影を認めて、イオは足を止めた。どうしてこうも、面倒事は続くのだろうか。それとも、今日あの男に会いに行ってしまった自分が悪いのか。
 イオに気付いた人影が、ぱっと顔を上げる。そこにいたのは、ネネの担当官であるモカだ。

「……何か用か、スズシロ」
「お疲れ様です、シロガネ特等。お伺いしたところ外出中とのことでしたので、失礼ながら待たせていただきました」
「アザミ特級に何か?」
「いえ、ネネさんは問題ありません」
「それなら用は明日にしてくれ。今日は仕事が残っている」

 正直、誰とも話したくはない。
 人を食ったような態度で、全てを見透かしたように話すあの男の声が、まだ耳の中に残っている。一筋縄ではいかないだろうと思ってはいたが、予想以上だった。早急に男の身辺調査も、より詳細に進めなければならない。今のイオとしては、些事に関わっている余裕はなかった。
 しかし、モカに引く気はないらしい。首を横に振ったモカは、睨むかのようにイオを見上げた。

「――では手短に。私はシロガネ特等を、中央部に訴えるつもりです」

 意思の強い瞳。
 何故、と問い返すことはしなかった。モカは昔からネネと仲が良いと聞いていた――そんな人間であれば、いずれ気付くのは自明だ。
 イオがネネに対して、何をしているのか。

「……成程。訴えることを私に言った理由は?」
「……私でも、今、シロガネ特等が更迭されることになれば、ネネさんがどうなるかくらい、理解しています」
「そうか」
「だからどうか……もう、やめていただけませんか。そのお願いを、しに来ました」

 イオを睨み上げながらも、モカの握りしめられた拳は震えていた。
 溜め息を吐けば、モカの肩がびくりと揺れる。怯えているのに、それでもネネの為に引かない。良い担当官だなと思いながらも、今はそれが煩わしくて仕方がない。

「……もう一度言う、スズシロ。明日にしてくれ。今日は疲れている」
「シロガネ特等」
「お前とは話をした方が良いことは理解した。明日話をして、私を中央部に訴えるならその後にしてくれ」

 訴えるなと言うつもりはない。自分がネネに、何をしているか。それはイオ自身が、誰よりも一番よく分かっている。
 その内容を、どうモカに話すべきか。それを考える時間は必要だ。

「……分かりました」

 小さくモカが頷く。それを確認してから、イオは執務室の扉を開いたのだった。