10:Mute Decay

輝序 07/刻 02
気のせいかもしれないと思ってたけど、やっぱり、最近シロガネ特等の解導デコードが変わった気がする。
いや、シロガネ特等は変わらないし、相変わらずろくに会話はしてくれないけど……。
前のお土産、効果あったのかも。なんちゃって。
調子もいいし、この感じが続いていけばいいな。


 その日の昼下がり。ネネは休暇を取り、チサのいるカフェを訪れていた。

「チサさん、こんにちは」
「あ、ネネちゃん! いらっしゃい。ごめんね、少し待っててもらえる?」
「はあい」

 お昼時の混雑と時間帯が被ったこともあってか、カフェには客が多いようだった。特に我儘を言うつもりはないので、カウンター席の端に腰掛けて、店内の様子を眺める。とりあえず、と出してもらった水の中で、からんと氷が音を立てた。
 ――食事をしながら歓談して、そうして帰っていく。
 当たり前の日常を営んでいるラスターたちを見ていると、ほっと安心する自分がいる。このところ、都市内の術式はどれも安定していて、ネネ自身ゆっくりできる時間が増えた。今準備が進んでいる都市計画が本格化すれば、また術式の整備に追われることになるので、束の間の平穏ではある。
 店内の客数がまばらになって、ようやく落ち着いたらしい。ほっとした表情になったチサが見えて、ネネは笑った。

「ごめんねチサさん、忙しい時間帯に来ちゃって」
「お客さんがそんなこと気にしないの。私の方こそ、甘えて待たせちゃってごめんね。今日はどうする?」
「アイスカフェラテと、約束の美味しいケーキをお願いします」
「ん。少し待っててね」

 約束のことは、チサも覚えていたのだろう。程なくして、ネネの前にアイスカフェラテと、フルーツを贅沢に使ったケーキが出される。

「わー、美味しそう……!」
「うちの新メニュー。結構好評なのよ」
「ほんと? じゃあ、いただきます」

 口に含んだアイスカフェラテは、まろやかで優しい甘さ。いつものチサが作るアイスカフェラテの味だ、とほっとする。続けて一口、ケーキを口に運んで。

「……美味しい……!」
「ふふ、でしょう? なかなか頑張ったんだから」
「さいっこう! チサさん天才だね」
「おだてても何も出ないぞー?」

 嬉しそうに笑うチサに暖かい気持ちになりながら、更に一口。フルーツの程よい甘さと、少しさっぱりとした食感のクリームの組み合わせがたまらない。このケーキなら幾つでも食べられそうだと思いながら、ゆっくり味わって食べ進める。当たり前のことではあるが、食べると減っていってしまうのが寂しい。
 幸せを噛みしめる、ひと時。優しい表情でネネを見守っていたチサが、ほっとしたように息を吐いた。

「……よかった、ネネちゃん元気そうで」
「え」
「この間来たとき、全然元気なかったから。心配してたんだからね」
「あ、あはは……。あのときは本当にいっぱいいっぱいだったから。今は大丈夫だよ」
「うん。……よかった」

 本当に、最近は落ち着いている。すぐに魔力熱クラックが溜まってしまうようなこともないので、イオの解導デコードも毎日という形ではなくなった。仕事内容から必要に応じて2、3日に1回、というペースで、安定して仕事に臨めている。
 ――何より、最近のイオの解導デコードには、根こそぎ奪われていくようなあの感覚がない。
 魔力熱クラックの排熱と共に注ぎ込まれる魔力は相変わらず冷たいが、しかしそれだけのように思える。イオが解導デコードの仕方を変えたのか、それともネネがイオの解導デコードに慣れたのか。正直、こればかりは判断しようがない。
 本当に、日々安定している。やっと特級ジュエルコア・プロトコルとしてあるべき姿になれたような、そんな気持ちになれる。正しく排熱が可能な専属デコーダーがいるというのは、やはり心強い。

「この調子で調和都市ガーテのこと、いい都市にするからね」
「なーに言ってるの、充分いい都市よ。いつもありがとう、ネネちゃん」
「ふふ。チサさんにそう言ってもらえるの、嬉しい」

 笑いながら、再びアイスカフェラテに口をつける。まろやかな優しさが、フルーツの甘さを包み込んでいった。


 翌朝。
 身支度をしていると、いつも通りモカが現れた。今日は幾つかメンテナンスが必要な術式があるとのことで、気合いも入る。なるべく、生活に影響が出る前に整えてしまいたい。
 一通りのスケジュールを確認した後、モカがあと、と言葉を続けた。

一級ジュエルエリア・デザイナーのマオさんが、本日最終日です」
「……あっ。そうか、引退だよね。そろそろとは聞いてたけど」

 一級ジュエルエリア・デザイナー、トイロ=マオ。
 現在この都市に関わっている中で、最も古いジュエルだ。都市のことで何か困ったときは、彼に相談すればよいと言われるほど、数々の術式を熟知している。
 ジュエルである期間が長いということは、それだけ魔力熱クラックに晒されているということだ。魔力熱クラックの影響と考えられているが、ジュエルは徐々に術式を編むことができなくなっていく。見えはするが、どう触ればいいのか分からないという状態に陥って、やがてラスターと同じように術式を編む力を失う。――完全にそうなってしまう前に、ジュエルを引退する。それが、ジュエルとなった者の宿命だ。
 症状に襲われる時期には個人差がある。いつ誰がそうなっても、おかしくはない。そう考えると、マオの現役期間の長さは異例だった。

「長年お世話になりましたし、やはり寂しくなりますね……」
「ご挨拶とかできそうかな?」
「勿論です! マオさんもネネさんにお会いしたいとおっしゃってましたし、お昼頃で調整させていただいてもよろしいですか?」
「大丈夫。お願いします」

 ――いつかはネネにも、そんな日が来る。
 ジュエルに変異したからといって、いつまでもジュエルでいられるわけではない。それは、受け入れるしかない現実だ。だからこそ、ジュエルでいられる間は頑張りたくて――そして、次に引き継ぐジュエルが頑張れるように。そうやって、この世界は回っていくのだ。
 その後、いつも通り部屋に向かうと、普段と変わらずイオが先に来ていた。挨拶を交わしてから、ふと思い立ってネネはイオの方に視線を向ける。イオからは怪訝そうな表情を返された。

「……何ですか。職務を始めてください。時間の無駄でしょう」
「あ、ハイ……いやそうなんだけど。シロガネ特等、トイロさんと関わりってある? 今日で引退だって、モカに聞いたから」
「トイロ一級ですか。まだ駆け出しだった頃に何度か解導デコードしたことがある程度ですが」
「え、あるんだ」
「あの人は豪快ですからね。新人デコーダーを見つけては、自分を練習台にすればいいと言って解導デコードさせてましたから……」
「あはは、トイロさんらしいな。お昼頃に挨拶って話になったから、それならシロガネ特等も一緒にどう?」

 その誘いには、少しだけ下心もある。
 ネネは、自分以外の誰かといるときのイオを知らない。初対面からずっと、イオと会うときはこうして二人だ。他の誰かがいれば、いつもと違うイオが見られるのではないかという期待もある。
 ネネの提案に暫し考え込んだイオは、ややあって小さく頷いた。

「……そうですね、最後になりますから。同席させていただきます」
「分かった、じゃあ一緒に行こうか」
「一度出ますが、昼前には戻ります。不在時に予定変更等あれば御連絡頂けますか」
「もちろん」
「では今日の職務を始めていただけますか」
「……トイロさんの思い出話とかしない?」
「しません」

 ばっさりとした拒否に、ネネはわざとらしく大きな溜め息を吐いた。やはり、無駄話には付き合ってくれないらしい。
 気を取り直して、ネネはメンテナンス予定の術式を呼び出す。ほんの僅かに綻んでいるそれに集中し、いつも通り丁寧に編み直していく。
 集中していれば、時間が経つのは早い。あっという間に昼を迎え、モカから連絡が入る。イオと二人で指定された会議室へと向かえば、そこには壮年の男性が待っていた。

「トイロさん!」
「久しぶりだなあ、ネネ。それにシロガネも一緒か」
「ご無沙汰しております、トイロ一級。御引退とお伺いしましたので」
「おう。ついにお役御免よ」

 からからと、快活に男性――トイロ=マオは笑う。いつ会っても変わらないその姿に、ほっとする。
 しかし、それも今日で終わりだ。マオがジュエルを引退すれば、こうして枢軸局アクシスでマオに会うこともなくなってしまう。寂しいが、こればかりはどうしようもない。

「しかしネネはすっかり大人の女になったなあ。儂が初めて会ったときはまだまだガキんちょだったくせに」
「何年前の話してるんですか、もう。……今まで、色々教えてくださって、本当にありがとうございました」
「ははっ。ネネ、お前が特級ジュエルコア・プロトコルに抜擢されたのは、術式のセンスが抜群によかったからだ。まだまだ経験は甘え、無理すんじゃねえぞ」
「はい」

 ネネが特級ジュエルコア・プロトコルにならなければ、恐らくこの都市の特級ジュエルコア・プロトコルになっていたのはマオだっただろう。柄ではないからという本人の固辞もあり、ネネが特級ジュエルコア・プロトコルに抜擢され、今の立場がある。
 数々のジュエルを、そしてデコーダーを見てきた男。この人が引退するのは心細さもある――が、いつまでも頼っていられないことは分かっている。時が進めば、世代は移り変わっていく。わしゃわしゃと頭を撫でてくれる手が優しくて、泣きそうになってしまう。

「本当に、お疲れさまでした、トイロさん。私、ちゃんと頑張りますからね」
「だから気負うな、無理はすんな。お前はクソ真面目だからなあ、儂は心配だよ」
「あはは……」
「クソ真面目といやあ、シロガネもだが。相変わらずの仏頂面だね、お前は」

 マオの視線が、ネネからイオへと向けられる。イオの表情は変わらない。ただ無表情に、ネネとマオのやり取りを眺めている。

「……そういう性格ですので」
「そうさな。お前も色々あるだろうが、無理すんなよ。才能を無駄にするな」
「余計なお世話です」
「はは、本当にお前は変わらんなあ。……折り合いはついたか?」

 瞬間。一瞬だけ、イオの瞳が揺れた。その感情が何なのか、ネネには分からない。しかしそれは、明らかに動揺だ。
 表情に出たことは、イオ自身にも自覚はあるのだろう。こほん、と小さな咳払い。

「……本当に、余計なお世話です」
「はは。悪かったな」
「長年、お疲れ様でした」
「あっ……トイロさん、本当にお世話になりました」
「おう。こっちこそだよ。今までありがとう。後は頑張ってくれよ、若造たち」

 そう言って笑ったマオの表情は晴れやかで――しかし、寂しそうでもあった。


 その後、ばたばたとイレギュラーの対応に追われたこともあり、イオと話をする時間はほとんどなかった。仕事終わりにいつも通り解導デコードを受け、自室に戻る。もう少しイオとマオの関係を聞いてみたかったのだが、チャンスはなさそうだ。
 ――何を動揺したのだろう。
 考えてみたところで、分からない。マオに話を聞けば教えてくれたかもしれないが、彼はもう引退だ。今日限りで枢軸局アクシスを去ってしまう。マオに世話になった者は多いので、こんなことで最後の別れの時間を削ってはいけない。
 ひとまず、今日のことは日記に書き残しておこう。そう決めて、ネネは机の引き出しを開け――目に入ったのは、アプリコットの髪飾り。

「……私こんなの持ってたっけ……?」

 手に取って眺めてみる――が、思い出せない。そもそも、どうしてこんなものを机の引き出しに仕舞っているのだろう。

「……ま、いっか」

 誰かに貰ったものなら、忘れていても不思議ではない。機会があれば使おうと思いながら元あった位置に戻し、ネネは日記を手に取ったのだった。

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