08:Silent History

輝序 06/刻 40
昨日は帰ってきてすぐ寝ちゃったから朝に日記開いてるけど、何か変な感じだなあ。今日からはまた夜に書こう。
水路都市マリナ旅行、楽しかったな。あんなに楽しかったの、いつぶりだろう。
今日から仕事再開だし、浮かれてないでちゃんと頑張らないとね。
書き残しておきたいことはいっぱいあるけど、大事にしまっておこうかな。
運命だったら、いいのに。


 旅行から帰った翌朝。モカに、と買ってきたアクセサリーを土産に渡すと、こちらが驚いてしまうほど喜んでくれた。

「すっごい嬉しいですありがとうございます、もうこれ一生大事にします……!」
「いや大袈裟な」
「はー……ネネさんのお休み確保してよかった……。楽しかったですか? 私実は、水路都市マリナは行ったことがなくて」
「あ、そうだったの? すごく綺麗な都市だったよ」

 街中を縦横無尽に走っている水路。その上に浮かんでいる、様々なボート。石造りで統一された街中の景色。美味しい食事。計算され尽くした絶景。
 思い出を話していると、どうしても脳裏にカナメの顔がちらついてしまう。熱いひと時も、帰るまで付き合ってくれたデートも、ネネにとっては忘れがたい思い出だ。
 カナメが買ってくれたアプリコットの髪飾りは、帰ってきてしばらく眺めた後、引き出しの中に仕舞い込んだ。そのうち使ってと言われたものの、今はまだ大切にしておきたい。使って傷がついてしまうのは嫌だし、失くしたくもない。何より、誰かに触られたくないと思ってしまった。
 さすがにモカ相手でも、カナメの話はしづらい。ぼやかしながら話す思い出を、モカは嬉しそうに聞いてくれる。

「……っと。ごめん、朝から喋りすぎだね、私」
「いえ! ネネさんが休暇を楽しんでくださったのがよく分かって、私は本当に嬉しいです」
「あはは……。あ、ねえ、皆にもお菓子買ってきてるんだけど、今日明日で渡せるタイミングあるかな。あ、でも今日はさすがに総点検で時間ないか」
「そうですね。明日ならいくつか打ち合わせになりますから、そのときなら大丈夫かと。お声掛けしておきますよ」
「うん、お願い。いつもありがとう」
「そんなの当然です!」

 胸を張るモカに、もう一度礼を言って笑う。
 休暇だった二日間の報告と、今日の予定を一通り聞いて、ネネはいつも通り枢軸局アクシスの中央部に向かう。水路都市マリナを見て回ったせいか、やってみたいことが次々に浮かんでくる。都市機能の維持が最優先なのですぐにできるようなことは少ないが、改良できるところは改良していきたいものだ。
 そんなことを考えつつ部屋の認証を抜け、中に入る。部屋にはいつも通り、イオが先に待っていた。

「おはようございます、アザミ特級」
「おはよう、シロガネ特等。休暇ありがと。これ、お土産」
「……はあ」

 はい、と差し出したのは、ドライフルーツを使った焼き菓子の入った袋。怪訝そうに眉を寄せながらも、イオはそれを受け取った。まさか自分が土産を渡されるなど思ってもいなかったのかもしれない。
 焼き菓子の袋に向けられた視線が、そのまま上に上がり。ネネの顔を見る前に、その動きが一瞬止まった。

「……え、何? あ、お菓子苦手?」
「……いえ、いただきます。ありがとうございます」
「大丈夫? よかった」
「休暇、随分と楽しまれたようですね」
「うん、いい気分転換になった。今日からまた頑張るよ」
「よろしくお願いします」

 イオに焼き菓子というのも似合わない気はしたが、だからと言って形に残るようなものを渡す間柄でもない。最悪捨てられる可能性も考えてはいたので、受け取ってもらえたことにほっとする。
 いつも通り術式を呼び出して点検を進めつつ、ふと旅行前のことを思い出す。モカに頼んでいるイオの経歴の件について、進捗を聞くのを忘れていた。急いでいるわけでもないが、時間の空いたタイミングで確認はしておきたい。
 ネネがいない間に一級ジュエルエリア・デザイナーが修復を担当してくれていた術式の確認を進めていき、それが終われば確認してほしいと言われた術式の点検へと移っていく。あまり新たに対応が必要な術式はなさそうで、ほっとする。
 しばらく黙ってネネの様子を見ていたイオが、ふっと息を吐いた。

「……アザミ特級、話しかけても?」
「あ、うん。何?」
「見ている限り、今日の貴女には解導デコードが必要な程魔力熱クラックが発生しないように思います。解導デコードは明日に延期しましょう」
「え」

 思いがけない提案に、ネネは思わずまじまじとイオの顔を見た。何ですか、と淡々と応じるイオは、いつもと変わらないように見える。

「……え? いいの?」
「構いませんよ、但しこのまま点検で済むならですが。術式を編まねばならない案件が発生した場合は話が別ですので、そのときは御連絡ください」
「わ……分かった」

 イオから解導デコードの延期を言い出してくることなど、今までなかった。それだけネネの調子が良さそうに見えるのか、或いは別の理由があるのか。
 それでは、とあっさりとイオは部屋の外に出ていってしまった。どうしたのだろうと不思議には思うものの、解導デコードを受けずに済むならそれに越したことはない。
 ――このまま、何も不具合が見つかりませんように。
 そう願いながら、ネネは確認を進めていったのだった。


 結局、術式を編み直さなければならないほどの不具合は見つからなかった。術式を編んでいないので、当然魔力熱クラックの発生もない。毎日この調子というわけにはいかないが、仕事終わりの憂鬱な時間がないのは気が楽だ。
 モカに連絡を取り、イオの経歴の件を尋ねると「まだ途中なんですけど」という一言と共に、資料を届けてくれた。
 生年月日、出身都市、これまでの経歴。
 経歴としては、モカの言う通り天才としか呼べないと思えるほどのものだった。世界最古の都市、黎明都市ニクサにある世界最高峰の学習院を首席合格、そのまま首席で卒業。デコーダーへの認定試験も主席合格、その後職務の合間を縫って枢軸局アクシス絡みの資格を全て満点で取得している。
 次期枢軸局アクシス局長候補。この若さでこれだけの経歴を持っていれば、そう言われるのも頷ける。相当な努力の結果、イオは今の地位にいるのだ。
 そして、デコーダーへの志望理由。

「……あ……」

 書かれていた内容に、思わず声が漏れた。
 幼少時に遭遇した、ジュエルの魔力熱クラック暴走による事故。それまで当たり前のように享受していた平穏は、ジュエルの努力の上に成り立っていたのだということを身をもって知り、以降、彼らを支える存在になりたいと願い、デコーダーを志望したという旨のことが記載されていた。
 ――20年ほど前、大きな魔力熱クラック事故があったということは、ネネも知っている。前にネネがアクセスを試み、カナメと出会うきっかけとなった廃棄区画ジャンク・ヤード。20年前、事故により区画の一部が完全に廃棄区画ジャンク・ヤードに変わってしまったものだ。事故の中心となった当時の特級ジュエルコア・プロトコルを助けるため、何人ものデコーダーが救命を試みたものの犠牲となり、そして結局特級ジュエルコア・プロトコルも結晶化の末砕け散り、助けることは叶わなかったという。

「……シロガネ特等にも、ちゃんと理由はあるんだな……」

 この事故のことを知ってはいるが、直接見て知っているわけではない。まだ子供で、当時は事故現場から離れたところに住んでいた。資料として学習はしたが、ネネの中には知識としてあるだけで、実際に事故を目の当たりにはしていない。
 実際にその事故現場を見たのであろうイオは、どんな気持ちだったのだろう。
 そう考えると、何となくあの根こそぎ消し去ってしまうような冷たい解導デコードにも納得がいく。魔力熱クラック事故を起こさないための、イオなりの手段なのかもしれない。
 もう少し、イオと話をすることができればいいのだが。どうにも、今までろくに会話が続いてこなかったので、何を話せばいいのか分からない。
 ――良くない噂は多いが、悪い人ではないのではないか。
 それは、そう思いたいというネネの希望も含まれてはいる。それでも、直接話してみなければ分からないこともあるだろう。
 息を吐いて、ネネはイオの経歴書を閉じた。モカはまだ途中だと言っていたが、他に何の資料を集めているのだろうかとふと思う。何か気になる点もあったのだろうか。また改めて聞いてみようと思いつつ、ネネは日記帳を取り出した。
 日記に、旅行中のことは書けていない。一瞬きちんと書いておこうかとも思ったが、筆は止まった。文字にして残してしまうと、あの幸せだった時間が、あまりにも恋しくなりそうで。

「……カナメ、何してるかな……」

 ぽつり。思わず呟いてしまった言葉は、虚空に溶けていった。


 自宅に帰るのは久しぶりだ。このところほとんどほっつき歩いていたなと思いつつ、欠伸をひとつ。あまり帰りたくはなかったが、泊めてくれる相手が見つからなかったので仕方がない。
 エレベーターを下り、自室の前へ。鍵を開錠しようとして、カナメは動きを止めた。規則正しい足音が背後から聞こえて、思わず振り返り――そこにいた人物に、へらりと笑う。

「あーれ、枢軸局アクシスの人じゃん。ネネちゃん迎えに来てた」
「シロガネ=イオと申します。その節はどうもお世話になりました。――クゼ=カナメですね」

 ミッドナイトブルーの髪に、ガーネットの瞳。無表情に男――イオは、カナメを見据えていた。

「オレ名乗ったっけ? 調べるの早いねえ」
「貴方にお話があります。お時間を頂けますか」
「いーよ、うちでいい? つっても、帰ってくんの久々だからチョー散らかってる可能性あるけど」
「はい」

 潔癖そうな出で立ちだ、断ってくれないだろうかと思いながらもした提案は、あっさりと承認された。
 もっとも、いつかは来るだろうと思っていた日だ。――予想よりは、遥かに早かったが。

「……ドーゾ?」