04:Lethal Poison

輝序 06/刻 36
毎日解導デコードを受けるようになって、もう2週間が経つらしい。
自分が何をしているのか分からない。言われるがままに術式を編み続けていて、まるで機械になったみたい。こうしたい、とか、ああしたい、とかそういうのが、自分の中からなくなった感じ。
解導デコードを受けてからこうして日記に向かうと、書きたいことも思い出せなくて、何で日記を書こうと思ったのかも分からなくなる。
どうして私は、特級ジュエルコア・プロトコルとして頑張ろうと考えてたんだっけ。


「あの……ネネさん、随分顔色が悪いですが……」
「そう? 大丈夫だよ、食事も睡眠も取れてるし」

 毎朝のスケジュール確認の後。心配そうにネネを見つめるモカに、ネネは首を横に振った。身体に不調はない。頭もすっきりしている。日々編んでいる術式も、ミスなく綺麗に編めている。
 だから何も――問題はない、はずだ。

「このところ、休暇も取られていませんし。今のところ明後日なら休暇にできますよ。少し気晴らしされた方がいいと思います……」
「本当に大丈夫だよ。心配しないで」

 モカに心配をかけるつもりはない。笑って答えたつもりだったが、モカは困った顔をして俯いてしまった。
 そんなにひどい顔色をしているのだろうか。このところ、あまり鏡を直視した覚えがない。自分が今、どんな顔をしているのか、確認するのが怖い。張りつめている糸が切れたとき、自分がどうなってしまうのかを考えたくなかった。
 言葉を探すように間を置いて、しかし失礼します、と部屋を出ていったモカの背中を見送って、ネネは大きく息を吐く。気にしてはいけない。今日も十全に仕事をこなさなければ。余計なことを考えず、都市機構を維持することだけを考えていれば、それで。
 そうしていれば、あの冷たい赤い瞳に睨まれずに済む。

「……よし、と」

 身支度を終え、アウターを片手に部屋を出る。ネネの向かう先は、毎日同じ場所だ。枢軸局アクシスの中央部、自身が担当している都市の名を冠した部屋。
 その部屋からは、都市基盤の術式全てに遠隔でアクセスできるようになっている。局地的に生じた不調にも、余程ひどいものでなければその部屋から修復可能なため、現地を飛び回らなくても済む。術式によっては魔力熱クラックの量が多くなり動けなくなってしまうため、何があっても対応できるように――と枢軸局アクシスの中は造られているのだという。
 部屋に向かう足は、どうにも重い。調子は悪くないはずなのに、行きたくないとでも言いたげな体に、ネネは首を傾げる。最近どうにも、自分のことがよく分からない。
 時間を掛けて辿り着き、部屋の入り口で認証を受け、中に入る。都市基盤の術式全てにアクセス可能なこの部屋に入れるのは、担当の特級ジュエルコア・プロトコルとその専属デコーダーだけだ。

「おはようございます。今日は少し遅かったですね、アザミ特級」
「……おはよう。用意に時間が掛かっただけ。いいでしょ、遅刻じゃないんだし」

 室内には、先にイオの姿があった。ふいと目を逸らして、ネネは今日メンテナンス予定の術式を確認していく。
 ――誰かの解導デコードを受けたのかと問われた、あの日。その翌日から、イオはネネの仕事に同行するようになった。とはいえ職務は他にもあるようで、四六時中というわけではない。しかし朝は必ず、こうして先に部屋で待っている。まるで監視されているようで、どうにも気が滅入る。
 実際、イオの目的は監視なのだろう。ネネが仕事を終えて解導デコードを受け、その翌朝仕事を始めるまでの間に、ネネに変わりはないか。恐らくはそれを確かめるため、毎朝顔を出すことにしたのだろうとネネは考えている。
 嫌がろうと、抵抗しようと、彼の解導デコードを受けなければ仕事をすることができない。そして仕事ができなければ、都市全てを危険に晒すことになる。他にデコーダーが見つかるまで、諦めてこの日常を続けていくしかない。
 予定を一通り確認して、深呼吸。最初に呼び出した術式は、風の流れを整えるためのもの。集中すれば、僅かに綻び始めている箇所が幾つかあるのが分かる。放置していれば、数日以内に暴風騒動が起きてしまうだろう。
 息を吐いて、魔力を術式に流し込んでいく。流し込んだ魔力は、ゆっくりと術式の中を循環していく。その流れが綻びの箇所に到達したのを確認し、丁寧に、元に戻るように術式を編む。
 いつもと何ら変わりない、いつも通りの仕事だ。術式を編み終え、一息。綻びの失せた術式は、元の場所に戻して――それで仕事がひとつ、終わる。生じた魔力熱クラックにくらりとしつつも、次の術式を呼び出そうと視線を動かし。
 不意に、イオと目が合った。

「……そんなに見なくても、仕事さぼらないけど、私」
「貴女が手を抜くとは思っていません。不具合がないか確認しているだけです」
「シロガネ特等が毎日丁寧に解導デコードしてくださるので、今日も快適ですよ」
「それは何より」

 ネネの嫌味に、イオは表情ひとつ動かさない。ただ冷え切った赤いガーネットの瞳が、じっとネネを見つめている。居心地の悪さに、やはり視線は逸らしてしまう。
 一体どうしてこんなことになったのか、ネネの記憶はあいまいだ。自分はイオ以外のデコーダーから解導デコードを受けたのだろうか。日記を書き始めた日に、解導デコードができる一般市民といったようなことを書いていたが、何故そんなことを書いたのかも思い出せない。都市で会った男――それが誰を指しているのかも、もう思い出せそうになかった。
 きっと、不要なものだった。だから、まとめて捨てられてしまったのだろう。
 深呼吸。集中し直して、次の術式を呼び出す。ふと視線の圧が消えて、部屋の扉が開く音。どうやらイオは他の仕事に向かったようだ。
 今日はもう、戻ってきませんように。
 小さくそう願ってから、ネネは呼び出した術式に魔力を流し込んだ。


 異変が起きたのは、数時間後のこと。

「……え、何これ」

 呼び出した術式の構成に眉を寄せる。時間の流れを管理している術式のひとつ。その一部の魔力の流れが、断絶してしまっていた。
 一体いつから、と慌てて確認する。断絶の程度から考えて、まだそれほど時間は経っていない。ちょうどネネが術式を呼び出す少し前、といったところだろうか。このところ時間関係の術式に綻びがあった覚えはないので、突発的な事故だろう。となれば、そろそろ誰かが気付いて騒ぎになる可能性が高い。
 端末を起動し、呼び出しの術式を起動する。繋げた先はモカだ。

『はい、スズシロです。どうされましたか、ネネさん』
「時間術式が壊れてる。どこかから何か通報はない?」
『え!? 少々お待ちください……っ、あ、アラートが発生しました!』
「どこ? 現地対応の方が良さそうだから、座標教えて」
『承知しました、座標を送信しますね。私も現地に向かいます』
「ありがとう」

 送信された座標を確認して、ネネはすぐに移動用の簡易術式を編んだ。都市の要所要所にラスターが使用するための移動用術式は点在しているが、場所が離れていたり、経由が必要だと時間が掛かる。緊急事態であれば、即席で術式を編んで直接向かった方が早い。
 編んだ術式に魔力を流し込む。瞬きの間に、ネネの周囲の景色は変わっていた。枢軸局アクシスの部屋の中から、都市の中へと。

「……これは、まずいかも」

 周囲の様子を確認して、ネネは眉を寄せた。風景に変わったところはない――が、ラスターたちの動きが止まっている。風も水も動いているのに、動いているラスターが一人もいない。談笑しながら、歩きながら、空を見上げながら――止まっている。
 これは相当骨の折れる仕事になりそうだ。モカが現地に来ると言ってくれたが、異常が出ている区画に一歩でも足を踏み入れたら最後、同じように止まってしまうだろう。ネネが動けているのは、術式を構築する側であるからこそだ。多少の異常であれば、その影響はほとんど受けない。
 断絶していた術式の形を思い出しつつ、次々に周囲の術式を呼び出して確認していく。原因となっているのは大きな術式を支えるために編まれている、小さな術式のうちのどれかだ。小さいものは枢軸局アクシスから遠隔で呼び出すのに手間がかかる。こうして現地で直接触れた方が、効率よく修復に取り掛かれる。

「……っ、あった……!」

 移動しながら何度か呼び出しを繰り返し、現れた術式に息を呑む。恐らく一時的に高負荷となって、術式が破綻してしまったのだろう。滅多にないが、有り得ないことではない。
 深呼吸して、術式に手を翳す。魔力を注ぎ込めば、ネネと術式が繋がる形となる。そうなれば後は、元通りになるように術式を編むだけだ。
 少しずつ、少しずつ。進めていくたびに、体の奥に熱が生じていくのが分かる。重い魔力熱クラックの気配に、唇を噛みしめる。時間の流れを、何の影響も残さないよう整え直すのは、どうしても負荷が強い。ただのメンテナンスとは訳が違う。
 時間を掛けながらも、急いで術式を編み――繋げる。瞬間、メインの術式に魔力が行き渡り始めたのを感じて、ネネはほっと息を吐いた。これで、徐々にではあるが元通りに時間が動き出すだろう。

「は……っ」

 気が抜けたのか、ひどい魔力熱クラックの熱さを感じて、ネネは息を吐いた。呼び出していた術式を元の位置に戻し、人気の少ない路地裏へと駆け込む。
 調子の悪そうなネネを案じて、誰かが不用意にその身体に触れてしまったら、どうなるか分からない。解導デコードのできない一般市民は、ジュエルの魔力熱クラックに触れると魔力が暴走してしまうことがある。量の多い魔力熱クラックは、ラスターにとっても毒なのだ。デコーダーでない者に、触れさせるわけにはいかない。
 居場所をモカに伝えれば、恐らくイオに連絡がいくだろう。応急処置をしてもらい、枢軸局アクシスに戻って解導デコードしてもらえば、この魔力熱クラックは適切に排熱される。

「……いや、だな」

 ぽろり。無意識に、その言葉が口から零れ落ちた。
 熱くて、苦しくて、助けてほしい。けれどそのためにまた、あの冷たい魔力を引き受けるのが怖い。解導デコードの度に、自分が自分でなくなってしまうかのような恐怖。そしてその感情さえも、消えていく。
 ざわざわとした喧騒が耳に届いて、ネネは視線を動かした。先程まで全く動きのなかったラスターたちが、何事もなかったかのように歩いている、話している。その様子に、ほっと胸を撫で下ろした。
 イオの解導デコードは怖い。だが、この日々を守るために必要なことだ。だから、戻らなければ。モカに連絡をしなければ。

「あー、やっぱおねーさんじゃん。こんなとこでなーにしてんの」
「……え」

 突然声を掛けられて、面食らう。いつの間に見つかっていたのか、男がネネを見下ろしていた。驚いて顔を上げれば男はにこやかに笑って、ネネと視線を合わせるように屈み込む。路地の向こうからは、女の声。

「カナメー? 急にどうしたの?」
「用事できたー。やっぱ今日パスでー」
「はあ!?」
「ごめんねえ、またねー」
「何それ!?」

 女の子は明らかに怒っていたが、意に介さず笑顔でひらひらと手を振る男の表情に悪気はない。女は文句を言っているようだったが、その声は遠ざかっていく。
 聞き覚えのある声。端正な顔立ちの、不思議な光を放つアイオライトの瞳。
 ――カナメ。

「……あなた……」
「ん? え? もしかしてオレのこと忘れちゃったー? あーんな情熱的だったのに、寂しいじゃん、ネネちゃん」
「……何の、話、してるのよ……」
「随分冷たくなっちゃって。ね、助けてあげよっか」

 その台詞に、はっと思い出す。廃棄区画ジャンク・ヤードの魔力に触れたとき、生じてしまった魔力熱クラック解導デコードされた。その解導デコードを行ったのは、目の前のこの男だ。どうして今の今まで思い出せなかったのだろうか。
 助けて、と言いかけて言葉に詰まる。カナメが解導デコードを行うことは可能なのだろう――どうして彼が解導デコードの技術を使えるのかは分からないが。ここで助けてもらえれば、一人で枢軸局アクシスまで帰ることはできる。
 帰れば、イオの解導デコードが待っている。
 イオ以外がネネの解導デコードを行えば、すぐに露見するだろう。そもそも緊急対応の案件で、魔力熱クラックなしに対応できるわけがない。

「……あ、」
「ん?」
「……の、ごめん、向こう、行って……」
「……なーに、そんな顔しちゃって。オレはもう嫌?」

 ふ、とカナメが笑う。その指先が臆することなくネネの頬に触れ、慌ててネネはそれを振り払った。くらりと頭が熱で揺れる。なのに、あの日の凍えるような冷たさを思い出して、体がかたかたと震え出す。
 もう二度と、あんな解導デコードはごめんだ。

「……あ? もしかしてー、独占欲強めの彼氏持ち? ネネちゃんてば」
「はあ……?」
「そうなら残念だなー。でもオレさあ、ヒトのモノって燃えちゃうタイプだったりしてー」
「……なんの、はなしを……」
「ん? ――美味しそうすぎて我慢できないから、いただいちゃうね、って話?」

 ふふ、と悪戯っ子のように、カナメは笑う。その笑みに、一瞬見惚れて。
 ――次の瞬間には、唇を奪われていた。