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みっともないところを見せてしまった。
車から降りた恭は、そのまま憂凛を抱きしめて何も言えないままに号泣してしまって。やっと落ち着いて、そして憂凛にかなり謝罪した。さすがにこの歳で、駐車場などという人目に付くところでやるようなことではない。
しかし憂凛は、恭に何かを聞くようなことはしなかった。よしよし大丈夫だよ、と子供を甘やかすかのように恭の背中を撫で続けてくれていた。それは母の温もりにも似ていて、だからこそ余計に甘えてしまったのかもしれない。そう考えると、ますます何をやっているんだろうと自分が嫌になる。
「……ほんと……ほんっとごめんゆりっぺ……」
「全然いいってば。恭ちゃんちょっと謝り過ぎだよー?」
「もう成人もしてるというのに……何かとんでもないことをしてしまった……」
「あはは。憂凛にもねえ、そんなときあるよ。よくアリスちゃんによしよし、ってしてもらったの。すごい落ち着くんだよね、あれ。恭ちゃんも落ち着いたでしょ?」
「……あれアリスちゃんの受け売り?」
「うん」
さすがは『黄昏の女王』である。
ひとまず部屋まで上がって、着替えて、軽く荷物を片付ける。憂凛はその間、昔とあまり部屋が変わらないね、と言いつつ恭が渡したミネラルウォーターを飲んでいた。普段飲むことがないので、ジュースやお茶の類が家に常備されていない。帰りにどこかに寄って何かを買ってくるべきだった、と反省したところで既にどうしようもない。
ようやっと落ち着いて、恭はテーブルを挟んで憂凛の向かいに座る。泣きすぎたせいか、少し目が痛い。自覚すると、また恥ずかしさが込み上げてくる。
「……えっと、恭ちゃん。憂凛、まず恭ちゃんに言っておくことがあるの」
「俺に?」
「憂凛、恭ちゃんが隠してること、大体知ってる」
「……え」
「恭ちゃんの様子がおかしかったから、憂凛、自分で全部調べたの。……ごめんなさい」
「全部、って」
いがけない言葉に、また頭が混乱する。全部というのは、いつからなのか、そしてどこまでなのか。
恭の様子がおかしかったというのは、郁真と話した後のことだろう。思い返してもかなり動揺していた自覚はある。その動揺を隠すこともできないのに、憂凛には何も言えなかった。よくよく考えなくても、憂凛が何かおかしいと感じても不思議ではない。
「……何、知ってんの?」
「宮内くんが知ってる話は大体全部聞き出せてる、と思う」
「……言うなって言った張本人が何バラしてんのマジ……」
「でも、宮内くんにもだいぶ渋られたんだよ。憂凛は知らない方がいい、って。……でも病院からなぎちゃんが居なくなって、ああこれ絶対なぎちゃんがまた馬鹿なことしてる! と思って。……案の定だった」
「ゆりっぺ……」
「全部覚悟してるから、何でも話して欲しいの。恭ちゃん一人で悩まなくていいの。もっと早く知ってるよ、って言えば、恭ちゃん苦しめなくて済んだよね。ごめんなさい」
頭を下げる憂凛に、恭はぶんぶんと首を横に振る。憂凛が謝る必要など、ない。やはり最初からきちんと、憂凛に渚のことを相談しておけばよかったのだ。誰に何を言われても、憂凛と考えなければならないことだった。
ゆっくりと深呼吸をする。気持ちを落ち着かせる。憂凛が渚のことを探していたのは、つまり全部を知った上でだということだ。そして、憂凛にも渚を見つけることができなかった。梓人の話が本当なのであれば、渚はとっくに殺されてしまっていて、幾ら探したところで見つかるわけがないということになるのだろうか。
「あのさ、俺、今日、永瀬梓人くんって子に会った」
「……だれ?」
「俺もよく分かんないんだけど、松崎先輩がその子に何か依頼してたらしくって。後のことを引き受けてるっつってた」
「後のこと? どういうこと?」
「……松崎先輩が、殺されて……殺された後のことを引き受けてる、って」
「!」
憂凛の表情が凍りつく。郁真から話を聞きだしているのであれば、渚が殺されに行く、と出ていったことを憂凛も知っているはずだ。そう思って覚悟を決めたものの、やはっり言うべきではなかったのかもしれない。渚が死んだなど、恭よりも憂凛の方が信じられないはずだ。
どう話を続けるべきか。悩む恭の耳に、届いたのは大きなため息。
「……ほんっと、なぎちゃん大馬鹿」
「……ゆりっぺ」
「だいじょうぶ……大丈夫。覚悟はしてるの、なぎちゃん冗談言えない人だから。でもね、憂凛、自分の目で見るまでは信じない」
それは、自分に言い聞かせるように。そして言い切った憂凛の表情は、迷いのない強いもの。
恐らく憂凛は、恭が姫氏原の家にいる間、一人でかなり色々なことを考えてはいたのだろう。恭よりもはるかに、腹を括っていたのかもしれない。
会わなかった長い間で、彼女は強くなっている。逃げてばかりの自分とは、大違いだ。
今からでも間に合うだろうか、と思って、笑ってしまう。本当にもう渚が死んでいるのなら、何も間に合うわけがない。それでも、渚が心配していた『もしも』がこの先にあるとしたら、そのとき恭はどうするのが正解なのだろうか。渚の望み通りに、恭は渚を『殺す』ことになるのだろうか。そんなことは絶対にしたくない。しかしそうやって嫌がるのは、やはり逃げているということなのではないだろうか。
律は、玲を『殺す』ことで助けた。だから、恭もそのときは、渚を『殺す』ことで助けることができるのだろうか。正解が分からない。恐らくこんなことに決まっている正解などなくて、恭自身が決めてどうにかしなければならないのだろう。
「えっと、それで、その子は何て?」
「あ……ああ、えと、ぶんちゃん」
『おう』
「ゆりっぺと一緒に見て、って伝言ぶんちゃんが預かってんの。……一緒に見てくれる?」
「うん、勿論」
『ほんなら、データ開けるで』
「お願い」
テーブルの上に置いたスマートフォン。ディスプレイの上に現れていた『分体』がスマートフォンの中へと消えて逝き、そして画面の表示が変わる。映ったのは、間違いなく渚だ。動画だろうか――そう思った瞬間、スマートフォンの中の渚が口を開いた。
『……憂凛と柳川か。つまり俺は死んだってことだな』
「え」
あっさりとした口調だった。分かっていた、というような、諦念すら感じる声。しかしその視線は動いて、確実に恭と憂凛を認識している。
「なぎちゃん?」
『おう』
「えっ喋れる? えっ? 生きてる?」
『いや、100%死んでる筈だ。『俺』は永瀬にデータ化してもらっててな、俺が永瀬と話した地点までは同じ記憶を保持はしてる。聞きたいことあればさっさと聞いてくれ、ただ複製防止で10分程度で消えるけどな』
「……ゆりっぺごめん俺ちっとも理解できない……なんて……?」
「えーっと……多分、ぶんちゃんのなぎちゃんバージョン、って感じ……? でも10分しか喋れない……?」
「訳わかんないけど梓人くんが作ったの何でこんなの作れんの!?」
『永瀬はクラッカーだよ』
「くらっかー?」
『パーティーのときとかに使うやつじゃねえよ馬鹿』
どうして考えていることがバレたのだろう。
しかし、それで分かる。これが間違いなく、渚であることを。しかしこれは渚ではなく、データ。そして10分で消えてしまう存在。理解は追いついていないが、しかし聞きたいことは聞かなければならない。とはいえ、山のように聞きたいことがありすぎて、どこから聞けばいいのか分からない。とてもではないが、10分で足りるとは思えない。
『永瀬 梓人、『神憑り』。弱冠19歳にして世界最高のクラッカーーー柳川にはハッカーって言ったら通じるか』
「……えーと、あの、漫画とかドラマとかでパソコンかちゃかちゃーってやって、侵入しました! ってやってるひとたち……?」
『まあそういう認識でいい。アイツは自分に憑いてる『カミ』の力借りて、俺の記憶をデータとして抜いて、こういう形で再現してくれてるっていうのが今の俺の状態だな』
「……原理としてものすごく未来の技術じゃない? すごいね……」
「俺には全然わかんない」
思わず正直な感想をこぼせば、呆れた顔の渚と、笑う憂凛。こうしていると、昔と何も変わらないような気がしてしまう。
ひとまず気持ちを落ち着かせる。渚が死んでいるとか、細かいことを考えるのは後だ。今それに気を取られてしまったら、知ることのできる情報を取りこぼしてしまう。こういうときは憂凛に任せるべきか、と視線を向ければ、こくりと小さな頷きが返ってきて。
「よし。なぎちゃん、憂凛に何も言わずに突然行方不明になったよね。何があったの?」
『事の発端は俺の同級生がころされたことだ。殺されて、なりすまされた。ほぼ完璧にトレースされてて、俺も気付かないところだったんだけどな』
「同級生、ってことは……、なっちゃん? じんじんではないよね」
「え? なっちゃん?」
『そう、碓氷。柳川は碓氷に会ってたな。憂凛は最近碓氷に会ったか?』
「うん、病院で……ちょっと久しぶりだったけど。でも、なっちゃんだったよ? 違和感なかった」
『偽者だよ。本物の碓氷は、遅くても今年の4月には殺されて死んでる。実際問題死体はねえし、なりすました奴が碓氷として生きてるから、誰も死んでるとは思ってねえだろうけどな』
奈瑞菜が偽者である、と言われても、恭が知り合ったのはついこの間だ。その時点では既に偽者に成り代わっていたということだろうが、見抜くすべはない。奈瑞菜のことを知っていた憂凛が分からないのであれば、どうしようもないだろう。
出会った奈瑞菜は渚の同級生ではなく、全くの別人で。そうすると事件にかかわっているもう一人、渚が追っているもう一人の人物は、奈瑞菜だったということで。
「……、あ」
「恭ちゃん?」
「そっか、言われてみれば……」
渚を追いかけていったとき、一緒に奈瑞菜がいた。その後奈瑞菜に会いに行き、そして柑奈に襲われた。そのときも奈瑞菜がいた。恭が倒れたときにそこにいたのは、奈瑞菜だった。記憶がぐちゃぐちゃになっていて、ストレスが掛かって倒れてしまったのだと考えていたが、それが本当は違ったとしたら。そうなるように仕向けられたのだとしたら。
しかし、奈瑞菜のことは『分体』が間違いなく『陰陽師』だと言っていた。律とも話をしている。律にも見抜けないような相手だということなのだろうか。
「何でなぎちゃんはなっちゃんが偽者だって思ったの?」
『大学卒業する頃に碓氷に告白されて、思い出作りに一回だけでいいからって言われて関係を持ったことがある』
「カンケー?」
「なぎちゃんそんなことしてたの……」
『うるせえな、俺だってだいぶ断ったんだよ、碓氷とは今まで通りでいさせてほしいって。……アイツ本気で頑固だから聞かないし、断りきれなかったんだよ』
「……ほんっとなぎちゃんは部屋に優しくて甘いよね……」
『うるせえ、今そういうこと言うな。……まあそんなことがあったから、俺とアイツが今まで通りでいられるわけなんてねえんだよ。なのに、4月に再会した碓氷は普通だった。無理してるんじゃない、明らかに俺との間に起きた出来事を知らなかった。違和感しかなかった。だから調べ始めて、永瀬に会って、碓氷が殺された現場の映像を見た。……惨殺されてた、言いたくないくらいには』
口にできないほどの現場の映像を、渚は目の当たりにしたのか。スマートフォンの中で話す渚は淡々としているが、見たときどんな気持ちだったのだろうかと考えると、胸が痛い。自分であれば、きっと正気ではいられない。そして絶対に犯人を見つけようと考えるだろう。それはきっと、渚も同じだったはずだ。
しかし、映像を見たということであれば、渚は恐らく犯人を見ているはずだ。憂凛もそう考えたのだろう、すぐに口を開いた。
「その映像、犯人は映ってなかったの?」
『いや、映ってた。白い仮面を被った『ディアボロス』がな』
「……『ディアボロス』」
『そいつについて調べてたら、乙仲に会って、若宮に会って。アイツらは鴉……、リノの仇討ちにそいつ探してるって聞いて、すぐにぴんと来た。映ってた『ディアボロス』は三条だろう、ってな』
「さよのん!?」
「いや、小夜ちゃん絶対そんなことしねえし」
『話は最後まで聞け。つまり、三条になりすましてる奴がいるんだよ』
小夜乃になりすます――どうして、何の為に。
そもそも、小夜乃になりすましている人間がいるということは、小夜乃の振りをして悪さをしているということだ。果たしてそれがいつからで、誰がなのかは分からない。そして小夜乃に限らず、他にも奈瑞菜のようになりすまされているような事件があちこちで起きている可能性だって否定はできない。
『ああ、多分お前らに話さないだろうけど、ここまでの情報は茅嶋さんには全部話してある』
「律さんに?」
『だからお前らは下手なことせずに大人しくしてろ。……そもそもお前らが勝てる相手じゃない』
「……おとなしくなんてできないよ。なぎちゃんが殺されてるかもしれないのに」
『俺はわざと殺されに行ったんだ、奴の情報を引き摺り出すために。……んなこと言やあ止められることなんてさすがに分かってるからな、柳川にしか言わなかったけど』
「……まつざきせんぱい、」
『俺は自分の命を投げ捨ててでも、碓氷を殺した奴を許さない。この手で殺せなくても炙り出してやるって決めた。……お前らにつらい思いさせるだけだってことは分かってたけど、でも、他に方法がなくてな』
「……何で。殺されることで、何が分かるっつーんすか」
「そうだよ。なぎちゃんが殺されて、何で情報が引き摺り出せるの?」
『奴のことを追えなくても、俺のことなら追えるだろ。奴が俺になりすますんじゃなく、俺のことを『ケンゾク』にすればチャンスがある』
どくん、と心臓が嫌な音を立てた。それは『彼岸』の操り人形のような立場になるということ。
そうするつもりで、そうなるつもりで、渚は動いていた。だから、万が一ではなく『もしも』のときは来る。
だから、そのときは――殺さなければ、いけない?
『……ああ、もうあんま時間ねえな。とにかくお前らは絶対に下手に動くな。この件は茅嶋さんの動きを待て。それまでは何も知らない顔してろ、俺のことも探すな、絶対に。余計なことも言うな。大体、誰かが誰かになりすましてます、なんて言ったところで誰も信じねえよ。それくらいトレースも完璧だし、今回の件で碓氷のなりすましはもう出てこねえかもしれないからな』
「……う……でも! このままほっとけない、てか律さん今アメリカっすよ!? アメリカにいるんじゃこの件で動けないじゃないすか!」
『すぐ動けるかどうかはどうでもいいんだよ。はっきり言うけどな、茅嶋さんですら勝てないと思ってる相手をお前らがどうにかできるわけねえだろ。頼むから大人しくしてろ、お前らが死ぬ必要なんてねえんだから』
「なぎちゃん……」
『ごめんな、憂凛。お前と一緒にいられなくて』
「……謝らなくていいよ。本人捕まえたときに、言いたいこといっぱい言うから」
『一理ある。俺は所詮データだしな』
ふ、と小さくスマートフォンの中の渚が笑って。直後にノイズが走って、ディスプレイはそのまま砂嵐へと変わった。時間はあっという間に過ぎてしまったらしい。そして代わりに『分体』がひょっこりと現れて、それでスマートフォンの画面はいつも通りに戻っていく。
頭の中で渚の話を整理する。渚は奈瑞菜を追っていた。恐らくなりすましの証拠がないために、証拠集めに動きながら、犯人を捜していたという形になるのだろう。そしてそれに、梓人も協力していた――こちらは現在進行形か。そして相手は、律でさえ勝てないと思っているような相手で、だから手出しをするなということだった。
しかしそれならば、『殺された』渚をどうやって助けることができるというのか。じっと待っていれば、いつかはチャンスが来るということなのだろうか。しかし、それはいつまで待たなければならないのか。
「……ああもう! ほんっと許せない、なぎちゃん何でも一人で決めちゃって!」
「ゆりっぺ……」
「でも、言うこと聞いて大人しくしてる。……本当になっちゃんがなぎちゃんを殺したなら、仕掛けるつもりがあるんだったらそんなに待たないだろうし、本当になぎちゃんが……、殺されてる、なら。多分今憂凛たちにできることって、何もないよ」
「でも」
「……恭ちゃんはとりあえず、今は茅嶋さんの相棒に戻ることを考えるべきだよ。茅嶋さんがこの件で動き出したときに、このままじゃ恭ちゃんは一緒に動けない」
「……あ」
憂凛の言う通りだ。この話を全て律が知っているということは、律は仕事として動くことになるだろう。律がまた危ない事態に足を踏み入れるときに、また何も教えてもらえないなんて事態になるのは避けたい。高校生だったあの頃と、何も変わらなくなってしまう。自分だけが何も知らないだなんて、そんなことは御免だ。
ゆっくりと、一つ深呼吸。まずは気持ちを落ち着かせる。渚との約束はどうしても重くて、心の中でずっしりと存在感を放っている。それでも、今考えても仕方がない。覚悟はしておかなければならないだろうが、渚が今どんな状態になっているかは分からない。本当に渚の思惑通りになっているかも、まだ分からない。
真っ黒な何かが、ずっと圧し掛かっているかのような錯覚。どうしても気持ちが前向きにならない。自分らしくない感覚に、胸の内がざわざわしている。
「……ゆりっぺ、お願いがあるんだけど」
「ん? なあに?」
「弱音、吐きたくなったら……聞いてくれる?」
「……、駐車場で号泣してたの誰ですか!」
「あう」
「憂凛でよければ、そんなの、いつだって聞くよ。……ため込むの、駄目だからね、恭ちゃん。今の恭ちゃんのこと、憂凛、すごい心配」
「……うん、心配させてごめん……なんか、いっぱいわーってなってて、頭の中ぐっちゃぐちゃなのかな……」
「大丈夫だよ。……大丈夫、何があっても、憂凛は恭ちゃんの味方だからね」
そう言って、憂凛は笑ってくれる。その笑顔に安心しながらも、今度は憂凛に無理をさせてしまっていないかと心配になってしまう。渚がこんな状況で、憂凛が大丈夫だとは思えない。気を使わせているだけなのではないか、大丈夫なのだろうかという心配は拭えない。『アリス』がいるから大丈夫だ、と思いたい気持ちはあるが、甘えすぎるのは違う。頑張れる箇所は、頑張らなければ。
ずっしりと重い心を感じて、恭は唇を噛みしめた。