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Colorless Dream End

32

 アメリカでの仕事が一段落して、律は日本に戻ってきていた。このところ怒涛の仕事量で、どうにも日付の感覚が曖昧になってしまっている気がする。
 あれから、幸峰 巧都は律の前に姿を現すことはなかった。銃は変わらず律の手元にはないままだ。銃がないとひたすら魔術の構成を考えて組んで放って、という作業をする必要があるため、かなり体力を消耗することになった。普段当たり前のように使っていたが、銃にかなり助けられていたのだなと自覚する。
 本当にあの銃は戻ってくるのだろうか。条件を満たすためのヒントは、あまりにも少ない。  

「おかえりなさいっ、律兄様!」 
「ただいま、桜ちゃん。わざわざ空港まで迎えに来なくても良かったのに」 
「早く律兄様の元気なお姿が見たかったので……疲れてませんか? 大丈夫ですか?」 
「大丈夫大丈夫、飛行機ほぼ寝てたしね」  

 空港まで迎えに来てくれた桜と2人、タクシーに乗って帰路につく。彼女には聞きたいことも、言わなければならないことも山のようにあるが、いったん置いておく。後で雪乃に話を聞いてからの方がいいだろう。雪乃が桜にどこまで話をしているのかも分からない。何より、桜はまだ高校生だ。

「……そういえば桜ちゃんって受験生だよね」  
「あっ、はい。椿兄様と一緒の大学を受けることにしたんです! 学部は違うんですけど……」  
「へえ。椿くんは経営学部だよね確か……、桜ちゃんは?」  
「国際学部に行こうと思ってます」  
「……国際学」  
「律兄様は怒るかもしれませんけど……、私はやっぱり、律兄様のお役に立ちたいので、勉強するならそちらの方面かな、って思ったんです」  

 どう反応を返すのが正解か、分からない。
 かつて彼女は、とある家で生贄となり殺される運命にあった。助けてほしいという依頼を受けたことをきっかけに、最終的に椿と二人茅嶋家の養子として迎えたのは、この世界に引き込むためではない。椿は現在茅嶋家の事業の跡継ぎとして見られており、本人もそのつもりでいるが、桜にはそういったものがない。とはいえ椿は桜に対して過保護な側面がある、桜がこの世界に足を踏み入れて、彼が黙っているとも思えない。
 溜め息ひとつ、言葉は飲み込む。タクシーの中でああだこうだと家の話をするわけにはいかない。そっか、と相槌だけを打っておく。頭が痛い。
 そしてもう一つ、律には懸念事項がある。  

「……恭くん、どうしてる?」  

 相棒にするのを白紙にすると言ってから、律はそのまま一度も恭に会っていない。仕事ですぐにアメリカに発ったからではあるが、会いづらいなと思ったこともある。律が言い出したことではあるが、恭にとっては大きなショックを与えることだということは分かっているからだ。恭ならそれを乗り越えてくれるだろうと信じてはいるが。

「ええと……姫氏原さんの本家に2週間ほど、一昨日くらいまで修行に行っていたらしくて」 
「姫氏原……ああ、永鳥さんのところか」
「はい。恭さんからは何も……、というか、会うどころかお話しもしていないので。昨日も今日も電話したんですが出られないし折り返しもなくて……バイトでしょうか……?」 
「……あの馬鹿、何やってんだか」 

 少し嫌な予感がする。恭は大丈夫なのだろうか。小夜乃や響の件もある、憂凛がついているので滅多なことはしないとは思うが、どう転ぶかは分からない。
 それでも今、押し潰されてしまうようであれば、この先律と共にいても恭は耐えられなくなってしまう。そうなってしまうなら、最初から律と共に仕事などしない方がいい――あまり言いたくはないが、それが現実だ。
 姫氏原を紹介したのは恐らく芹だろう。恭が頼る相手を考えると、他に姫氏原家と繋がっていそうな人物はいない。当主である永鳥とは何度か一緒に仕事をしたこともあるが、彼は徹底した現実主義者だ、という印象が強い。夢物語は通用しない、笑顔で切り捨てる。恭とは非常に相性の悪い相手のような気がする。力押し、何とかなる、で誤魔化せるような相手ではない。
 徹底的に叩きのめされてなければいいが、と考えてしまうと無意識に溜め息も出る。とはいえ、実力的には非常に信頼もできる相手だ。任せておいても悪いようにされることはないだろう。恭が律の相棒になる、という夢を諦める可能性はあるが、そのときはそのとき考えるしかない。

「ま、後で顔見に行くよ。とりあえず家に帰ってお母様に報告だの何だのしないとね」 
「……律兄様、仕事の報告ほとんど私に上げてくれませんでしたね……」 
「えっとごめん、ちょっと桜ちゃんには刺激が強すぎるかなって」 
「また危ないことしてたんじゃないんですか? 怪我されてませんか?」 
「大丈夫だって、暑さにやられてる程度で元気だから俺は」 

 ――いろいろあり過ぎて、本当のことを言えない。この一か月で数十回死にかけました、などどうして桜に報告できようか。しかし本当に桜が律の仕事を手伝う立場になってしまったら、そういう報告を全て上げなければならなくなる。傷つけてしまうのが目に見えていて、嫌だな、と感じるのは仮にも兄であるせいか。
 話をしているうちにタクシーは家の前へとたどり着き、久々の我が家へと足を踏み入れる。おかえりなさいと笑う桜にもう一度ただいま、と返してから別れ、律が向かう場所は決まっていた。離れ――雪乃が日本にいるときによく籠っている場所だ。

「失礼します」 
「開いてるよ、どうぞ」 

 中に入ると、そこにいたのは雪乃だけだった。相棒であるモニカの姿はない、別件で仕事をしているのだろうか。雪乃は寛いだ様子でソファに腰掛け、のんびりと紅茶を飲んでいる。どうぞ、と勧められて、律は対面のソファに腰掛けた。

「何か色々聞きたいことはあるんですけどとりあえずひとつ言ってもいいですか」 
「どうぞ」 
「桜ちゃんにサポートを手伝わせるって、どういうことですか」 

 真っ直ぐに雪乃を見据える。雪乃は少しだけ笑って、ティーカップをテーブルの上に置いた。 
 文句があるなら雪乃に、と言われたので、本人に直接言うしかない。電話はせずに顔を見るまで文句を言わずに我慢したのだから、最初に切り出すことは許してほしい。雪乃も恐らく律に言われることは分かっていたのだろう、その表情はいつもと変わらない。不敵に、笑う。

「言っておくけど、当然、私は止めたよ。最初はね」 
「……そりゃそうでしょう」 
「桜は折れなかった。お前の力になりたいと言って聞かなかった。茅嶋の名を背負う覚悟もあるのだと……それが私や、お義母様や、お前への恩返しになる、と。椿も必死で止めようとしたんだけどな、あの子は本当に頑固だな。言い出したら聞きやしない。お前もだけど」 
「……それで折れた、と?」 
「少なくとも……椿は勿論、桜も『家の名を背負う』ということの意味をちゃんと理解しているよ。家を継ぐ為に生きた椿と、家の為に殺されるところだった桜と。形は違えど、家の名を背負って生きてきた。抗えない業か、逃れられない宿命か、なんて言うつもりはないけれど、あの子たちにとっては臆することじゃあないのかもしれないね。……それは律、お前も同じだろう? お前は『茅嶋』の名を背負う意味を、ちゃんと知っている」 
「そりゃあ……まあ、俺はそれが普通だと思って生きてきましたし、お母様やお祖母様だって俺をそういう風に育ててきたでしょう」 
「それが同じだって言ってるんだ」 
「言ってる意味は、分かりますけど……」  

 律自身が、茅嶋の人間としてその名を背負うことは当然だと考えているように。椿や桜も、元々家のために生きることは当然だという教育をされて育ってきている。己の意志など関係なく、家の為に生き家の為に死ぬことを義務付けられた環境で幼少期を過ごした。植え付けられたものはそう簡単には変わらない。  
 それでも、律としてはあの二人にできる限りは『普通』に生きてほしい。こんな世界になど関わらないで生きてほしいと思っていた。しかしそれは、もしかしたら律が二人を救うためにこの家に連れてきた時点で、もう叶わない願いだったのかもしれない。

「それに。気付いてるんだろう? 律」 
「……何がですか」
「桜の気持ち」 
「……」 
「あの子はあれでお前には隠してるつもりらしいから、気付かないフリを続けたって別に良いけどね」 

 可笑しそうに笑っているが、雪乃の瞳は真剣だった。まるで断罪するように律を射抜くその瞳を見返せずに、律は目を伏せる。 
 最初は恐らく、命の恩人だからだろうという気持ちもあった。子供心の憧れもあるだろうと思った。だから知らない振りをしたし、気付かない振りをした。だが、桜はもう17だ。ここ最近律が実家にいる時間が長くなり、桜と一緒にいる時間が長くなるにつれ、それは見て見ぬ振りができないものになりつつある。いっそ若気の至りだと笑える日が来てほしいとも思ったが、そんな日は来ないのかもしれない。
 桜は恐らく、律に恋心を持っている。それが自惚れであれば、どれほどよいか。しかし『兄』と見ている感情ではないことは、律と椿に対する反応の差を見ていれば明らかだ。本当の兄である椿と、義理の兄である律。そこの感情の違いは歴然としていて、だからこそ認めざるを得ない。しかし、どうしてよりによって自分なのかとは思ってしまう。  

「お前の力になりたいという気持ちには、少なからずお前の傍に居たい気持ちがあるんだよ。分かってやれ」 
「……受験生にやらせるような仕事じゃないでしょう、そもそも。大事な夏休みの時期に」 
「逃げるな」 
「本当のことです」 
「反抗期か馬鹿息子。その気がないなら気を持たせるな、きっぱり諦めさせろ。下手な優しさや愛情は桜だけじゃなくお前を苦しめるだけだぞ」 
「……俺は」 
「お前が恋愛なんてしないし結婚なんて以ての外、と思うのは自由だ、別に私が口出しするつもりはないよ。だが、桜だって私の娘だ。中途半端なことをさせるつもりはないからね」
「……そんなこと言われても……」 
「ああ、そうだ。もうひとつ私が桜にサポートをやらせることにした理由を言っておく」  

 反論を許さない口調で、はっきりと。雪乃は真剣な表情で、律を見据えた。一瞬気圧されたのは、明確に威圧されたからかもしれない。

「近いうちに、当主の座はお前に譲る」

 一瞬何を言われたのかが分からなかった。
 今、雪乃は確かに言った。近いうちに、当主の座を律に譲ると。
 それがいずれ来る日であることは分かっているし、律自身もそのつもりでいる。だがしかし、今このタイミングで律に言うことではないのではないだろうかと考えてしまう。何より、急ぐ必要があるのかどうかが分からない。

「売り言葉に買い言葉」 
「じゃないよ」 
「……また何で急にそんなことを」 
「まあちょっと色々思うところがあるのと……、一番は私はモニカのことが気にかかる。……あの子も前と違って責任のある立場に居るからね、いつまでも私の隣にいるわけにもいかないだろう」
「それは……そうですけど」 
「何より最近のあの子はちょっと仕事しすぎだ。少しでも負担を軽くしてやりたい。そして私はあの子以外を相棒にして仕事する気なんてさらさらないんだよ。モニカは私の唯一無二の戦友で、親友で、理解者だ」 
「……お母様」 
「そもそもね、そろそろあの子もいい加減自分の幸せについてもうちょっと考えた方がいい」 

 雪乃が言っていることは理解できる。確かに最近のモニカの仕事量は、ハードワークの域を超えている。涼しい顔をしてこなしてはいるが、その負担はかなり大きい。茅嶋の仕事がなくなれば、彼女はもう少し楽になるだろう。そのために桜に仕事を引き継いでモニカの負担を軽くするというのは、筋が通った話だ。
 ――そして雪乃が、モニカ以外を相棒にする気がない、という意味も知っている。30年近くずっと、2人は一緒に仕事をしてきたのだから。今更別の人と組んで仕事をするほど、雪乃は器用な人間ではないだろう。そもそも、モニカ以外に雪乃の相棒が務まるとは思えない。少なくとも律であれば、絶対に断る。

「なあ律」 
「……はい」 
「私はお前にも、モニカにも、桜にも、椿にも。幸せになって欲しいだけなんだ」 
「……そんなこと言われても」 
「やらなきゃいけないことは絶対にやらなきゃいけない。でもその中で幸せになる為の道は絶対にある筈だし、その為の手助けを惜しむつもりもない。お前たちが不幸になると分かっていて余計なことをする程私は馬鹿ではないし、お前たちのことを理解していないとも思っていない。それが自惚れだと思うなら、好きなだけ私を詰っても構わないよ」 
「お母様……」 
「頭を冷やしてよく考えなさい。……私からの話は以上。例の件に関する報告はとっくにモニカが纏めてくれてる、しっかり目を通して今後の対応を考えろ」 
「……お母様が本当に俺に近々茅嶋当主を継がせるつもりなら、話がかなり大きく変わってきますよ」  

 茅嶋 雪乃。世界で5本の指に入ると言われるほどの実力者である雪乃は、ある意味で世界的な抑止力にもなっている。下手に喧嘩を売ればどうなるか、余程の馬鹿でもないかぎりは知っている。圧倒的な実力で、その名を知らしめてきたのだから。 
 そんな人間が引退するとなれば、一波乱あるどころの騒ぎではないだろう。あちこちで事件が起きても何の不思議もない。雪乃の動向ひとつで、比喩無くこの世界は変わる可能性を秘めている。  

「はは、心配するな。私は当主を引退しても、『ウィザード』までは引退しないさ。多分ね」 
「……余計怖いですそれ」 
「どちらにしろ炙り出せる可能性も高いからな。一石二鳥だ」 
「俺の負担は考えないんですねそこはね……」 
「この程度で潰れるような人間が私の息子な訳がないからね。――信頼しているよ、律」 
「……もう」 

 雪乃はどこまでも理解者で、卑怯で、だから困るのだ。

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