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Colorless Dream End

28

「……あのさあ、俺今後アレクとの仕事断ってもいい?」
「あっはっは、そんな悲しいこと言わないでほしいなー」
「悲しいのは今この状況だよねえ」
「わーん律の機嫌が氷点下! そして私の体温もそろそろ氷点下かな?」
「冗談言ってないで何とかしてくれないかな!?」

 メイナードたちを捕らえてから数日後。律とアレクは次の仕事を受けて、ニューヨークのとあるアパートの屋上にいた。仕事の内容としては、真夏に突如現れた氷像の群れの調査。その氷像の量が半端ではない上に、中に生きているヒトが入っているものがあるという事態に陥っていて、元に戻すために原因となっている『彼岸』を探して話をしよう、ということになった。そこまではいつも通りだったのだ。
 アレクと二人で情報を追って、ようやっと『彼岸』を見つけ出した。そして氷像になっている人々を元に戻してくれないかと頼み、その交渉は順調に進んでいた――のだが。アレクがぽろりと「大体ヒトがそのまま氷像っていうのは趣味が悪いよ」などとこぼしてしまい、それが『彼岸』の逆鱗に触れた。
 そして今現在、律とアレクは足元から徐々に凍りついている。その上『彼岸』はどこかに消えてしまった。アレクを黙らせておくべきだったと思ったものの、既に遅い。

「割と真面目な話、これ構成解くの面倒過ぎて時間掛かり過ぎる無理……アレク責任取って……」
「ほらー、そこはリツの『ウィザード』としての腕の見せ所だよー」
「いや、だから、この構成解けるんだったら、今頃氷像になった人たち全員元気に元通りだと思わない? 無理だったじゃん? もう忘れた?」
「それはだってほら、一昨日の話だから」
「何で一日二日でどうにかなると思ったわけ!?」
「リツならいけるいける」
「いやもうちょっと本気で、おふざけもいい加減にしてくれるかな、アレクサンダー=フィードリッチ=ハートフィールド?」
「ごめんなさい真面目になります」

 舌打ち混じり、ぽつりとつぶやいたそれに、アレクの顔色が青ざめる。律が本気で怒っていることは分かったらしい。
 ぶるぶると首を振ったアレクは、そのままはあ、と大きな溜め息を吐いた。足元から氷はぱきぱきと浸食している。先ほどからあれこれと食い止められないかと術式を展開してみてはいるが、進行を遅らせるのがやっと。決定的にどうこうできるものではない。そもそも、『彼岸』が使うものはヒトが読み解くには難解であることが圧倒的に多いのだ。
 そろそろ指先がかじかんで、動きが悪い。このままでは魔術は使えなくなってしまう、別の手段を考える必要がある。でなければ、このままでは本当に氷像になってしまう。

「……アレク、自分の身は自分で守れる?」
「……おっと嫌な予感がするね? 何する気かな?」
「爆砕する」
「待って」
「氷像になっちゃった人たちを爆砕する訳にはいかないから試せなかったんだけど、アレク相手ならいける」
「いやちょっと待って!?」
「最悪アレクなら足吹っ飛んでも自分で何とかできるでしょ」
「リツお願いだからちょっと落ち着いてくれないか」
「俺はこれ以上ない程冷静だよ」

 というよりも、律に試せる手段は現状他に思いつかない。氷を中身ごと破壊するつもりで爆砕してしまえば、意外とどうにかなるのではないだろうか。気軽に実験できるようなことではないが、治癒能力の高いアレク相手であれば試す価値はある。
 根拠はあるが、確証は持てないという気持ちを込めてアレクを向ける。青い顔のまま律から目を逸らしたアレクは、しかし観念したように溜め息を吐いた。

「……まあ私の責任だよね……、責任は取らないとなあ……」
「覚悟決まった?」
「正直なところ、ものすごく怖い」
「大丈夫だよ、俺の防御系の魔術も多重展開してみる、それで何とかぎりぎり耐え得る……はず」
「嘘でも言い切ってほしいなあ……」
「ごめんちょっと自信なくて……」
「無事に脱出できたら、あの『カミサマ』追いかけてって誠心誠意謝罪して、それでリツを助けてもらえばオーケー?」
「そうだね、かなり心配だけど、今のところ手段はそれしか思いつかないかな」

 あまり悠長にはしていられない。律の魔術も、いつまで進行を遅らせることができるか分からない。自分の足を爆砕するという手段を取ってもいいが、正直なところ、自分相手では手加減してしまうだろう。威力を抑えてしまうと、意味がない。

「……よし、やってくれ」
「ありがと、了解」

 覚悟を決めたアレクに、律は頷いた。ひとつ深呼吸をして、続けて立て続けに術式を展開していく。やる前から分かっていたことではあるが、防御と攻撃という正反対の性質の術式の多重展開はかなり肉体的にも負担が大きい。『リズム』を刻んでいる指の血管が、ぷちぷちと切れていくような錯覚。それでも何とか展開を続けて、口笛で『旋律』を奏で――発動。
 アレクの足に小型爆弾を大量に仕掛けたような状態から、氷を爆散させる。派手な音と共に上がる爆炎で、律からアレクの姿が見えなくなる。無事であってくれ、と思いつつ生温かい感触を左手に感じて、視線を落とせば本当に皮膚が破けて血が溢れていた。指先が痺れて、もう感覚がない。どちらにしろこの手では、普段どおり魔術を使うのはもう治療してもらってからでないと厳しいだろう。

「……成功だけど、リツ、これ、かなり痛い」
「生きてて何より。大丈夫?」
「治療出来る範囲内だよ。……っと」

 爆炎の向こうからアレクの声が聞こえて、ほっと肩の力が抜ける。これで失敗してしまっていれば、あまりにも後味が悪過ぎる。
 待つこと数十秒、爆炎が晴れてアレクの姿が視認できるようになる。無傷のように見えるが、単に爆炎が晴れる前に自分で治療しただけなのだろう。律に見せることのないよう、配慮をしてくれているだけだ。それができるから、アレクの能力は高い。

「……ちょっとリツ、手大丈夫?」
「正直もう魔術使うの無理だね、ていうかどっちにしろ手がかじかんできてるから厳しいし治療は後でいいよ」
「分かった、急ぎで行ってくる」
「よろしくー」

 律の左手を見てうわ、と顔をしかめたアレクに、苦笑い。すぐに蝙蝠に『変身』して飛び去ったアレクを見送って、今度は溜め息をひとつ。本当にアレクはきゅうけt
 動けない状況を狙われる可能性を排除したわけでしゃない。確かにこの状態では左手で魔術を使うことは難しいが、最悪右手でも簡単な術式は展開できる。細かい動きができなくても、魔術を使う方法が一切合切なくなったわけではない。時間がかかりすぎてタイムオーバー、氷像となってしまった場合はそのときはそのときだと諦めるしかないだろう。アレクの説得がうまくいって、『カミ』が術を解除すれば死ぬことはないはずだ――予測でしかないが。
 このままぼおっと待っていても仕方がない。ぱきぱきと少しずつ、しかし着実に薄く広がっていく氷を眺めながら、何とかして術式を読み解いてみようと意識を集中する。読み解けてしまえば応用も効く、こういった時限性のある魔術で似たようなものはなかっただろうか。律が使っている魔術は基本的に祖母に教えてもらった魔術の使い方をベースとしているが、感覚的な部分に頼る箇所が非常に多く、所謂魔術書のようなものにまとめられているものではない。そういった理論的な体系に落とし込まれてはいないのだ。
  魔術の修行の一環として、右手の怪我で仕事ができる状態ではなかった時期に、手に入る魔術書に関しては片っ端から目を通して学んではいる。だがしかし、仕組みが理解できたからといってその魔術が使えるようなものではない、というのが魔術の面倒なところだ。自分が使えるように置き換え、アレンジし、どのような術式かを秘匿する方法を編み出し、といった地道な作業が必要になる。魔術を使えば簡単に、と揶揄されることもあるが、相当に地道な作業を繰り返してきている。恭にこの辺りの話をしたらぽかんとするだろうな、とふと思って、少し笑えて肩の力が抜けた。
 どうにも、気を張り詰めすぎている。気を抜けるような状況ではない、気負っている部分も大きい。あれこれと抱えているものが多くなって、思考が散りがちになってしまっている。一度落ち着いて周りを見る程度の余裕を持たなければ、潰れてしまうのは自分自身だ。周りが見えにくくなっているせいで、今、こんな状況に陥ってしまっている。アレクが余計なことを言うのは今に始まったことでもない、それすら失念しているのだから、この状況になった責任は自身にもある。
 今現在どうすることもできないことを、あれこれと考えても仕方がないのだから。目の前のことに集中しなければ、アレクに迷惑を掛けてしまうだけだ。

「あー。此処に居たのか」 
「!?」 

 それは本当に突然の出来事だった。
 何の気配もなく唐突に、律の目の前に男が現れていた。不愉快なほどに至近距離に、男の顔がある。真っ青な瞳が、律を覗き込んでいる。さすがにこの距離まで接近される前に気配を感じるし、接近されていることに気付く筈で、しかし本当に急にそこに現れたとしか言いようがない。ヒト――ではない。しかし耳に入った言語は日本語で、頭が混乱する。

「……『カミ』が、突然、何の用」 
「茅嶋 律だよな?」 
「……だったら、何」 
「足元氷漬けとかおもしれーことになってんなー。ま、いいや」  

 男は笑う。律に顔を近づけたまま。後ずさりをしようにも足は既に動かない、思わず仰け反るとぐい、とまた男の顔が近づいてきた。
 どう考えても、今のこの状況はまずい。『彼方』相手なのであればともかく、『彼岸』相手にこの状況は。  

「とりあえず一回死んで?」 

 にぃ、と。口元が歪んだのが見えた瞬間。 
 全身に走った激痛――口の中に血の味を感じて、律はそのまま意識を失った。


 ガン、と頭を叩かれるかのような衝撃と共に、意識が戻った。
 一体何が起きたのか。妙に混乱しながら体を起こして、違和感。いつの間に、どこに寝ているのか。周囲を確認すると、今回仕事の拠点にしているアパートの一室だった。戻ってきたアレクが連れ戻ってくれたということだろうか。しかし、自分は一体どうなっていて、何か起きたというのか。
 夢でも見ていたのだろうかと一瞬考えてしまったが、しかしそれはないだろう。はっきりと覚えている――至近距離から覗き込んできた、あの真っ青な瞳を。一瞬で口の中を埋め尽くした血の味を。確かにあのとき、律の身体には何かが起きていた。

「ああ、リツ。起きた?」 
「……アレク、」 
「おや。ゆっくり寝た割には顔色が悪いね」 
「……俺どれくらい寝てた?」 
「丸一日、くらいかな。戻ったら倒れててびっくりしたよー。仕事の報告は私が上げておいたから。あと次の仕事も来てるよ」 

 ソファに座って書類を眺めていたらしいアレクが、律を見てにこりと微笑む。アレクはいつも通りだ。特に大きな出来事があったというふうには見受けられない。

「倒れてた……って、どんな感じに倒れてたの、俺」 
「え? リツ、魔術の使い過ぎで倒れたんじゃないの?」 
「何で」 
「氷がなくなってたから、自力で解けたんだと思ってたんだけど」 
「……俺、さすがにあの手じゃそこまで魔術使えない」 

 左手は既にぼろぼろだった。右手でやったとしても、使い過ぎになるほどに魔術を使える状態ではなかった。そもそも、構成をきっちりと読み解けるようなところまでいかなかった。全く別のことを考えていて――そして。
 律の言葉に怪訝そうに首を傾げたアレクは、あ、と突然思い出したように声を上げた。 

「それだ」 
「何が」 
「すごい違和感だったんだよ、私、何か忘れているなと思って。それだったんだ。リツの左手、やっぱり治療していかなかったよね」 
「後でいいよって俺が言ったからね」 
「どこも怪我してなかったんだよ、リツ。本当に倒れているだけだったんだ。私は今回一切リツの治療はしていない」 
「……嘘でしょ?」
「いや、本当に」 

 アレクの表情は真剣そのものだ。嘘を吐いているようには見えないし、こんな嘘を吐いたところで何も得をしない。律をからかっている訳でもない。怪我がなかった――そんなはずはない。そもそも、律は――『ウィザード』全般に言えることだが――治癒は不得手だ。一瞬で傷が治るようなことは、少なくとも律にはできない。
 まじまじと自分の左手を見つめる。攻撃と防御の魔術の多重展開で、確かに律の手は悲鳴をあげていた。アレクに対して術式を展開した後は、血まみれになって感覚が鈍くなっていた。あの状態から、何の治療も受けずに綺麗さっぱり傷が消えるなど、有り得ない。
 そこまで考えて、ふと感じた違和感に、律は眉を寄せた。

「……ねえ、アレク」  
「何か思い出した?」  
「違う。アレク、俺の指輪触った?」  
「え? いつもしてるやつ? 触ってないよ」 
「ない」 
「え」 

 肌身離さず、四六時中左手の人差し指に嵌っている筈の祖父の形見の指輪。この数年、あるのが当たり前になっていて、本当に滅多に外すことのないその指輪が、忽然と姿を消していた。  
 落としたとは思えない。盗られている。状況から考えて、考えられる犯人は一人だけだ。

「……アイツだ」 
「リツ?」 
「アレク、戻ってきた時に誰か居なかった?」 
「いや、リツしか居なかったよ。……何かあったの?」 
「変な男が……、間違いなく『カミ』だと思うんだけど、いきなり出てきて、俺多分ソイツに意識吹っ飛ばされて」 

 徐々に記憶が戻ってくる。『とりあえず一回死んで』などと物騒なことを言って、言われた次の瞬間にはもう律の意識は吹っ飛んでいた。防御する暇すら、何らかの術式が展開する瞬間すら見せることなく、一撃だ。あの男が律の氷を解いて、怪我も治して、その上で指輪を持ち去ったのだろうか。だとしても、理由が全く分からない。

「取り返さないとやばい、ほんっとにやばい、ちょっとアレクどうしよう」 
「えっと、ごめんねリツ、私にはさっぱり状況が分からないんだけれど」 
「仕事アレクに丸投げしていいかなちょっと俺指輪探してくる、アレ失くしましたじゃ済まないんだよ形見なんだから!」 
「……何だかよく分からないけれどリツが珍しいくらいパニックになってるのはよく分かった」 

 集中すれば指輪の気配を追えるだろうかと考えて、首を振る。それを頼るにはあまりにも微弱すぎる。あの男が『彼岸』であることは間違いない、その気配で掻き消されてしまう。とはいえ、あの男の気配については全く覚えていない。そこにいるのに、ずっと気配を感じなかった。最初から指輪を奪うつもりでいたのであれば、意図的に気配を隠していたとしても不思議ではない。
 覚えているのは真っ青な瞳だけだ。その印象が強すぎて、容姿が思い出せない。思い出せたところで、姿を変えられてしまったらそこで手掛かりはなくなってしまう。
 指輪がなくても支障はない。だがしかし、そういう問題ではない。律自身の気持ちの問題でもあり、何処の誰とも分からないような相手に祖父の形見を持っていかれるなど冗談ではない。あの指輪はいつも、律に力を貸してくれている大切なものだ。失っていいものではない。

「私も手伝うよ、今のパニックになってるリツじゃ探せるものも探せないだろうに」 
「でも仕事もあるんでしょ」 
「いや貰った仕事が私一人じゃ荷が重いんだよ……きつい仕事ばっかり回されてるんだから……」 
「……あ、そうか、ごめん」 
「リツ。とりあえず落ち着いて、何があったか話してほしいな」 
「……ちょっと待ってね、何がって言ってもそんないっぱいあった訳じゃないんだよ……」 

 何があったのか、律自身にも分からない。そもそもあの男が誰なのかという話になってしまう。ヒトではなく『彼岸』だということしか、確かなことは何もない。しかしあんな『彼岸』に、律は関わった覚えがない。別の容姿のときに関わりがあった可能性は否定しないが、あれほど気配のない『彼岸』であれば覚えている筈だ。容姿が変わっても根幹は同一なら、基会ったことがあれば見抜けると思いたい。

「……アレクが追っていった後、いきなり男が現れて。『カミ』だと思うんだけど」 
「うん」 
「一回死ねって言われて、意識吹っ飛んで、今に至る。って感じだから、アレクに話せることが全然ないんだよ」 
「……えっと、でもその『カミサマ』が指輪を持っていった可能性が高いんだよね?」 
「というかそうとしか思えない。一瞬で意識吹き飛ばされたし、いやまあ突然だったのもあると思いたいんだけど、間違いなく相当強いだろうからあの氷を消すのも簡単にできたと思うんだよね……アレクってどれくらいで戻ってきた?」  
「1時間掛かってないくらいだったかな」
「そっか。でも時間としては充分あるか……」

 時間があったとしても、あの場所に他の第三者が入って指輪だけ盗んでいった、ということはないだろう。あの指輪は、律以外であれば雪乃にしか意味がないもので、値段としても特に高価な貴金属ではない。 
 手掛かりが何もない。その時点からあの男を探し出せるものだろうか。相手がヒトならともかく、『彼岸』だというのが手厳しい。ヒトと『彼岸』では、そもそもが違いすぎる。

「とりあえず、その『カミ』を知ってる奴を探さないといけないね」 
「……居ればいいけど」 
「リツはとりあえず、あの場所に戻って何か手がかりがないか探してごらん」 
「……ハイ」 
「大丈夫だよ、きっと見つかるさ!」  

 笑ってくれるアレクに、小さく頷きながらも。
 不安は拭いきれない。本当に久し振りに指輪のない自分の左手を眺めて、その違和感に胸が締め付けられた。

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